灰色
 鈍色
 濃紺の灰色
 あなたは何を、願いますか。



光の勇者の物語U -約束の話-




「これで一先ずお仕舞い、ですかね……。予想してはいましたけど、それなりに面倒だったかな」
「これだけの荒業をそれなりの一言で片付けるなよお前……。ま、お疲れさん。しかしまあお前はよくやったよ」
 やがて薄まっていくトライフォースの力を七分割して集約させる座標を指定する。簡単な仕事ではなかった。けれどそれは必要な作業なのだ。
「自然に分裂する分のうちひとつは俺たち子孫の体として……残りがどこにいくのかを調べるのは骨だったなぁ」
「遺骨あたりは簡単に想像ついたがな。遺留品もだとはあまり思わなかったわけだが」
「言われてみれば簡単なことなんですけどね」
 だはぁ、と盛大に溜め息を吐いて青年――光の勇者は言葉を続ける。
「ご先祖様の遺骨を五分割するのは流石に気が引けましたが、まあ、しょうがないんですよね。確実に視てもらわないと困りますから」
「この会話もか?」
「ええ。これはサービスですけど」
 色々裏方を覗き見れた方が面白いでしょう? と子供っぽい笑みで答え、光の勇者はおもむろに天井を仰ぎ見る。リンクの視線と彼の目線がぶつかると、彼はこちらなど見えていないはずなのににこりと笑った。
「俺の記憶は――つまらないものだけど。でも、些細なことつまらないこと、そういったものでも視ることに何らかの意義があるのかも、しれない」
「ま、そうさな。視てもらわんことには話が動かない」
「どうしてこんなものを視せるのかって訊かれたら、その答えは単純明快だよ。"君が、特別だからだ"。そして、」
 そこで一度息を切り、光の勇者は一瞬だけ顔を下に向け俯いた。でもすぐに上向かせ、続きの言葉を口に出す。


「我が侭に過ぎないのだけど、俺はこの永遠の連鎖を止めたいから」


 淋しそうに、はにかんで。



◇◆◇◆◇



「なぁにやってんだオマエ。こっそこそ姫さんに隠れて……何を企んでる? ゲロりな」
「いだいいだいやめてミドナ! 企んでるといえば企んでるけど、決して悪いことじゃあないから!」
「はぁん、どうだか……オマエは純朴に見えて信用ならないからな……」
「あらあらミドナ、私なら怒っていませんから、放してあげてくださいな」
「チッ、姫さんの頼みとあればしょうがない」
 ぱっ、と掴まれていた襟首を放され、青年は体勢を崩して床に激突しかける。鍛え上げられた反射神経やらでぎりぎりその情けない事態を回避すると、彼は反論しようと立ち上がった。
「別に、大したことはしてないですよ。ただ、姫。砂漠の処刑場を弄らせていただきました」
「……ええ。以前、許可を求めてきましたものね」
「具体的には、あの建物内部の整理とトライフォースによるロックを。陰りの鏡を悪用されたら困りますから。内からはミドナの認可があれば出られますが、外からは俺か姫、もしくはそれに類する人間しか出入り出来ません。――申し訳ありません。全て俺の独断です」
「そう……陰りの鏡の、ためにですか」
 彼のいささか不自然なほど流暢な説明にゼルダは違和感を覚え、彼に真っ直ぐに向き直った。眼前の青年は嘘を吐いているわけではない。
 けれど全ての真実は語っていない。
「リンク、それは理由の全てではありませんね」
「! あ――、はい。それだけではありません。ですが、姫と言えどそれは……」
 言えない、という言葉は続かなかった。ゼルダは真っ直ぐに彼の目を射抜いている。見据えられたその目が、いつものような丸っこいものから追い詰められた猟犬に似たものに変わる。
「それは……」
「言えないのなら、構いません。私はあなたに無理を強いることはしたくありませんから。ですが、リンク」
「……はい」
「無茶はしないでくださいね。近頃のあなたは何だか時の勇者その人に似ています」
 青年がきょとんとした顔をして、自らが仕える姫君を見る。にこりと微笑むとゼルダは勇者たる青年の肩に手を置いた。
「私は、あなたのことを心配しているだけです。ハイラルに害を成さない限りはあなたが何をしようとあなたの勝手。でも、死ぬことは絶対に許しませんし――どこか遠くへ行くことも、許しません」
「……姫」
 そう言ってゼルダが手を離すと、青年はありがとうございます、と言って椅子から立ち上がった。一礼をし踵を返すと扉へ足を向ける。
「やりたいこともまだ残っていますし、退出させて頂きます。定時報告の後にあと五日、休暇をいただいていましたよね?」
「ええ。仕事に支障は出さないでくださいね。気を付けて」
「はい」
 ぱたん、と音がして扉が閉まり、カツカツという足音が遠くなる。ゼルダはうふふ、とはにかんでミドナを見た。マスコット姿の彼女はなにやらぽかんとして浮かんでいる。
「……アイツ、何やってんだ? まさか……」
 何かを察したミドナにゼルダはしっ、とでも言うかのように人差し指を唇に当てた。それから手を下ろして彼女に紅茶のカップを勧める。
 ミドナが勧められるままそれに手を付けるとゼルダはゆっくりと口を開いた。
「リンクはね、優しいんです。でも、ただ優しいわけじゃあなくて、その優しさは時に非情にも見えてしまう。優しいけれど――何だって出来ます。それが彼なんですよ」
「へえ……よく知ってるんだな姫さん」
 ミドナが参ったよ、と言うとゼルダはちょっと驚いたふうな顔をして、そして嬉しそうにミドナにこう告げるのだ。
「ふふ、当然でしょう? 私は彼を、信頼していますからね」



◇◆◇◆◇



(あ……また、)

 容赦なく振るわれる神の剣が、行く手を遮るモンスター達を一刀両断する。
 他愛ないとでも言いたげなその動作にリンクは軽い酩酊に近い感覚を覚えてふうと息を吐いた。

(これは、光の勇者が意図的に用意した記憶の一群なんだ。彼は何を伝えたかったのかな)

 遅まきながら夢の中での意識を確立し、ふわふわした自意識を寄せ集めては固めていく。

(彼はどうして――"僕のために"こんな回りくどいことをしたんだろう)

 過去の記憶を寄せ集めて見せたところでなんになるというのだ。リンクはリンクだ。千年も昔の時の勇者とは違うし、光の勇者とも違う。
 なんでもない、ただの木こりの子。
 ……その、はずだ。
 だけども、時折り奇妙な違和感を覚えることがあるのも否定しきれない事実ではあった。デクの樹サマ、森の賢者サリア、白い花の少女。それらに対し理由もわからないまま涙を流してしまったのは事実なのだ。

(だけど僕は――僕は、普通の人間だ。何でもない。何にも――ない)

 光の勇者が、炎の神殿の中を縦横無尽に駆けついにボス部屋に辿り着く。そこには大人しく眠りに就くヴァルバジアの姿があった。すやすやと眠る様は無防備ですらある。
「そうか、あの人は友達だった君をこちらでは葬らずにここの番にしたんだね。小さな竜の子だった君がやがて成長し、侵入者を排するだけの力を持つことをわかっていたから」
 瞳を閉じたヴァルバジアは答えない。ただこんこんと眠り続けていた。安らかに、幸福そうに。
「そんな君を利用してすまないと思う。でも君に害を与えるわけではないし、許して欲しい。俺はただ、」
 光の勇者の左手がそっとヴァルバジアの額に添わされる。そこから何か白いものが竜の額の中に溶けていった。眩しい黄金のひかりを撒き散らして、恐らくは記憶の媒体となっているのだろうそれは消えていく。
 彼が手を離すと額に聖三角の印が浮かび上がり定着した。
「あの人を、時の勇者を――しあわせにしたくて、」
 そう言うと光の勇者は静かに目を閉じた。何かを追想するかのように黙想する。左手の聖三角が嫌に空々しかった。そしてまた、リンクの左手のしるしも同様に。
「それは許されない願いかもしれない。だけれど自問自答はもう飽きたんだ。俺は、俺が為せること為したいことをやり遂げる。あんなふうに疲れきってしまったまま、彼をまたこの馬鹿げた歴史に縛り付けるなんてことは出来ないから」
 光の勇者は目を開き、ふいと頭上を仰ぐ。天井は煮えたぎって赤い。マグマが脈打つ度にヴァルバジアも呼吸をし、その体躯が緩やかに上がり下がりしていた。
「知っているのに何も出来ないだなんてことは、赦せない」

(あ……同じだ、僕と)

 知っているから、自分はそれを出来るのだから、やらずに見て見ぬふりを続けることなど出来ない。光の勇者を突き動かしているのであろうその原動はリンクとほとんど同じものだった。
 そういえば先ほど彼が仕えていた姫も言っていたじゃあないか。彼は優しいのだと。
 優しいから、だから必要最小限の犠牲を厭うことをしないのだ。

(僕は彼にとってなんなのだろう)

 神の塔で剣を交え、言葉をかけてくれた青年。
 あれもまた、光の勇者の姿なのか。
 光あれ、そう案じてくれた彼の言葉は嘘だったのだろうか?

(でも、あの言葉は本物だった。嘘偽りの類いじゃなかった……)

 考えれば考えるだけこんがらがってわけがわからなくなる。
 映し出される記憶の中の光の勇者が、そんなリンクに微笑みかけたような気がした。



◇◆◇◆◇



 目を醒ますと、まず真っ先に蒼い妖精の姿が目に入った。ぱちぱちと瞬きをして体を起こす。あれだけ暴れていたはずのヴァルバジアはすっかり大人しくなり、体を丸めて休んでいた。どうやらずっと頭上で寝込んでいたらしい。
「やっとお目覚めなのネ? もう、なんだか心配すればいいのかしなきゃいけないのかよくわかんなかったヨ」
「んー? 心配は要らないよ。夢を見ていただけだから。ところでヴァルバジアはどうしてこうなってるの?」
「わかんないヨ。リンクが意識を失ってしばらくしたら急にパタン」
「……なんでだろう」
 左手でヴァルバジアをなんとはなしに撫でながら先程見た記憶を反芻する。光の勇者が記憶を残した意図はまだ正確にはわからないが、しかし断片はしっかりと伝わってきていた。
「この記憶や欠片を仕込んだのは彼で……彼には何か願いがあるみたいだった」
 気になることはまだある。ダークリンクと話していた時に彼が発した「特別」という言葉。彼がダークリンクと手を組んでいた訳。
 そして何より、その人物がどうして光の勇者をそこまで駆り立ててしまうのか
「……時の勇者は、どんな人だったのかな?」
 小声で呟かれた疑問は、溶岩の流れる音に紛れて消えていった。