もし、あの時間をやりなおせるのならば。 竜の子の涙 竜の鳴き声に合わせてオカリナを吹く。二音を繰り返し、また次の二音を繰り返し。 単調な中に奥深さと物憂い淋しさがある調べだった。それを竜 ヴァルバジアは鼻歌で歌い、リンクはそれに合わせて旋律を奏でる。 「すっかり懐かれちゃったわネ、リンクったら。どうしてかしら」 「さあ……まあ害はないしね。いいんじゃあないの?」 時折ゴロゴロと喉を鳴らし、じゃれるようにリンクに戯れてきては体を擦り付けて愛情表現などをしてくる。懐かれたというよりは懐いていた誰かに間違われているといった方が正しいような気がしなくもない。 「こいつが懐いてた人か……。光の勇者、なのかな? それともやっぱり……」 オカリナを膝に置いて、座っている竜の頭部を適当に撫でつつリンクは思索を巡らせた。光の勇者が記憶の中でヴァルバジアに語りかけていた言葉。利用したと言うからには光の勇者にヴァルバジアへの思い入れは然程ないだろう。だとすればアレだ、やはりその線しかない。 「時の勇者、かなぁ……」 光の勇者がしあわせにしたいのだと願っていたひと。 何かを背負っていたひと。 「……光の勇者が残した記憶はまだあるはずだし、時の勇者について何かもっとわかることがあるかもしれない」 ここから出られればだけどね、と小さく嘆息するとリンクはヴァルバジアの頭から滑り降りた。 出口が見当たらないことに気が付いたのは夢から醒めて間もなくのことだった。正確には無いこともないのだが、ヴァルバジアの巨体が塞いでしまっているのだ。 「参ったなあ……どうしようか」 「どいてって言ったらどいてくれないのかしらネ」 「……無理っぽい。ナビィ、あの目が見える? アレは遊んで疲れるまで帰さないって目だよ。なんでかは知らないけど」 その言を受けてナビィはヴァルバジアの顔を覗き込みに飛んでいった。……ヴァルバジアの瞳はやたらにキラキラと輝いている。 遊び相手を見付けた子供の瞳。 遊んで、と雄弁に語っている。 「幸い食料は残ってるはず……だしさ。気が済むまで付き合ってあげようよ」 「えー、残ってるったって懐に入れてた分だけでしょ。クスリは残ってるケド水は蒸発しちゃったし……」 「まーなんとかなるって」 言うなりリンクは再びヴァルバジアに飛び乗り、そのまま額まで移動するとそこに座り込んだ。きゅうんと可愛らしく鳴き、ヴァルバジアは甘えるように喉を鳴らす。 そしてリンクはオカリナを構えヴァルバジアの鳴き声に合わせセッションを始めたのだった。 ◇◆◇◆◇ ずっと続いていた脈絡のない演奏がやがて意味をもった音を奏で始めたのをナビィは察知した。二音を繰り返し、更に次の二音を繰り返し、メロディは紡がれていく。 リンクの演奏が二音より複雑な繰り返しを始める。先の音に呼応した、畳み掛けるような音符の並び。即興とは思えぬほど完璧で美しい調べだった。ナビィは嘆息し、そしてヴァルバジアは嬉しそうにきゅう、と高く鳴く。 するとそれを合図に、ヴァルバジアの体が薄れ始めた。 「……?!」 唐突な異変に驚き、ナビィが彼の竜から飛びあがってその巨躯を見上げる。ヴァルバジアはにこにこと笑っていた。 その口が、動く。 『ありがとう』 口からしゅうしゅうと漏れる言葉はさっぱり理解できない音だったのに、不思議とその内容はリンクの心に響いてきていた。テレパスの一種だろうか? 『さいごにりんくとあえて、よかった』 りんく、と呼んだ舌っ足らずな響きが「単なるテレパス」というリンクの仮説を否定する。懐かしい響きだった。これはきっと きっと、大切なことだ。 『ずうっとむかしに、たすけてくれた』 竜の体はなおも緩やかに消滅を続けていた。ゆっくり、けれど確実にその体は粒子になって溶けてゆく。 だけどそんなことにはお構いなしにヴァルバジアは幼い独白を続けた。 『ぼく、りんくのこと、だいすき。だからひかりのゆーしゃとやくそくしたの。りんくにあえるまで、ここでまってるって』 「光の……勇者……と……?」 『あれはね、ほのおのぼれろっていうんだって。むかーし、むかし、もっととおいばしょにいたりんくがふいてた。"このやま"のおんがく』 リンクの疑問にこくりと頷き、竜は言葉を続ける。だいじなはなしだからわすれないでね、と言われてリンクは素直に耳を傾けた。 『りんく、ひかりのゆーしゃのあとをおいかけてる。だったらつぎは、もり、だよ。もりのせいいきのおく……』 そこまで言うとヴァルバジアはぱたぱたと尻尾を揺らすのを止めた。既に足先は消えて存在しない。奇妙なその光景はけれど何の感触もリンクにはもたらさない。 あの時、ヴァルバジアがリンクに甘えた視線を向けてきた時に、なんとなくこうなるであろうことは予測出来ていたから。 根拠なんてなかった。ただの直感だ。それでもリンクには感じられたのだ。 ああ、この竜は、自らが役目を果たして消える時を待っているのだと。 『あのね……とおいばしょにいたりんくにはきづいてもらえなかったけど、ぼく、それでいいの。あんなふうになったぼくをりんくにみせるなんてたえられなかったから』 あんなふう、と言う時に目を細めてヴァルバジアは悲しそうな顔をした。触れた手からリンクの頭の中に映像が伝わってくる。 のたうちまわり災厄を撒き散らす火竜 ヴァルバジア。そしてそれを赤子のようにあしらい、瞬殺する緑色の青年。 一瞬だけ視界をかすめたその青年の、冷たい瞳の色。 蒼い瞳は彼方を映すばかりで此方を見ていない。 『ぼくは、りんくのなかでは、ちびのりゅうのままでいたかったんだ』 「ちびの竜? ……の、まま?」 それってどういうことなの、と訊ねる猶予は最早残されてはいないようだった。役目を終えたと判断されたのだろう。消滅の速度が上がってゆく。 「えっ、何? なんで急にこんな早く……」 ナビィがあわてふためいて飛び回るが、リンクはすぐに何かを察して目を見開き、そして唇をきつく噛んで閉じる。憤る自分と妙に冷めた自分が相半して存在していて滑稽だった。悲しむ自分と最初っから定められていたのだと諭す自分が奇妙な対立を続けている。 光の勇者の思惑に唇を噛む自分と当たり前と受け入れる自分。 「……そういう、ことか。やってくれたな光の勇者」 「何ヨ、何一人で納得してるのヨ」 「ん。多分ね、ヴァルバジアはこのために……僕にメッセージを伝えるためだけにトライフォースに生かされてたんだ。でもさっき僕がトライフォースの欠片を吸収したでしょ?」 「あ、うん。 あ、それってつまり……!」 「多分そういうこと。もうお役ご免だってことなんだろうね。シンプルだけど、だから……虚しいな」 そう。虚しい。手のひらで踊らされているかのような感覚を覚えながらリンクは思考を続ける。この虚無感はなんだろう。ヴァルバジアに対して何も感じないもう一人の自分の冷め方は先ほど垣間見た時の勇者の冷め切った瞳に似ていた。目の前の現実など眼中にないのだ。ただ淡々と全ての成果の先を見据えていて、つまり大神殿へと到達したその先にしか意識がいっていない。 けれどリンクの意識の大体はヴァルバジアの消滅を悲しんでいた。どうして消えなければいけないのか、とわかりきったことをなおも考え続けている。 大分消滅が進んだ竜の体を背伸びして撫でると、ヴァルバジアは不思議そうに首を傾げて笑った。 『ね、りんく、ぼくは……ひかりのゆーしゃのこと、すきだよ。ひかりのゆーしゃは、わるくないの。だれも、わるくないの。……りんくも、わるくなんてないんだよ』 「そうだね、わかってはいるよ」 『だからりんく、わらって? ぼく、りんくのえがおがすき。ずーっとむかしから、だいすき』 「うん」 顔だけになってしまったヴァルバジアの体があった場所を撫でながらリンクは竜の瞳を見上げる。反動で雫が何滴か零れ落ちた。性懲りもなく涙が流れ出したのだ。けれど今度はばかりは以前のように泣き出した理由を疑うことはしなかった。そしてその感情に対しては、冷めた自分も異議を唱えたりはしないようだ。 当たり前だ。 目の前の純粋で優しい竜の子を見送るのに泣かない理由なんて、どこにもないのだから。 「でも、今は笑えないよ……泣かせてくれないかな。光の勇者を恨んでるとかそういうんじゃないんだ。この先に行くために、」 自分と向き合う為に。 ふと見上げると唯一残っていた頭部ももう大分消えかかっていた。顎が消え、口が消え、そして鼻が消える。間もなく目も消えた。 『りんく』 「……泣かせて」 目を伏せってしまったリンクの姿を確認するかのように少しだけ残った頭部が揺れて、そしてはにかむ。 ヴァルバジアははじけ飛んだ。 大ぶりな光の粒が雪のように舞い散る。 『またあおうね、りんく!』 光の向こうから届く声に顔を上げ、リンクは虚空を仰ぎ見た。竜の姿は見えない。代わりに、空間が歪んで濃い新緑が眩しい白に取って代わって視界を埋め尽くしていく。 原理や理論を考える時間は愚かまともに泣く猶予すらもどうやら与えてはもらえなかったらしい。ただ、この状況下で異常なまでに落ち着き払った声が「森だ」とだけ呟いた。 死に際にヴァルバジアが言っていた場所へ向かっているのだとだけ朧な意識で考え、そしてリンクは素直に意識を手放した。 ◇◆◇◆◇ 懐かしいにおいのする場所だった。 小さな、古ぼけたツリーハウス。何故か命を失ったはずの木は未だ朽ちておらず、簡素なベッドといくつかの簡単な調度品を備えた家として十全に機能していた。 ……尤も、住人などいるはずもないのだが。 「どこ、ここ……」 「フィローネの森ヨ。それは間違ってないと思う。だけど、この場所はナビィ知らない。だってこの集落、誰もいないのヨ……!!」 気配がしないの、というナビィの言にリンクはツリーハウスから出てあたり一体を見渡した。少し高い位置にあるベランダからは集落であるらしいその空間が一望出来、リンクの視界に飛び込んでくる。 閑散とした空間だった。流れ続けているからだろう、水は透明で美しかったが、ほとんどの家屋だったらしきものはろくに機能しそうにない。 端的に言ってしまえばそれはただの廃村であった。 「なんにもない」 「うん」 そう漏らしたリンクにナビィもどことなく納得がいかないように頷く。幻想的な廃村というとおかしな感じだが、でも事実そうなのだ。その違和感はナビィをも懐疑的な気分にさせたらしい。リンクは彼女を招き寄せると落ち着こうとして彼女をむに、と引っ張った。 「……でも。ヴァルバジアが……恐らくは光の勇者がわざわざここへ送り届けてきた以上、何かあると僕は思う。それに、この家だけ妙に綺麗だ」 ぱっとナビィを離してから何か手掛かりが無いかとベランダから飛び降りたリンクは、ふと風化しつつも存在を示している立て札の存在に気付いた。保存状態からして、何か作為的な力が働いているのは明らかだ。 「もしかして、表札とかなのかな?」 「かもネ。あっ、でもリンク、その文字読めないんじゃない?」 ナビィがそんなことを言って、リンクの肩へ降りる。どれどれ、と札を覗き込もうとすると不意にリンクの口が動いた。 「……りんくの、おうち。リンクのおうち……」 「へ? あ、ホント。そう書いてあるわ。あれ、リンクこれ読めるの……?」 ナビィが訊ねてくるが、リンクはそれに答えない。ただ壊れたラジオのように文字の羅列を復唱した。 おうち。リンクのおうち。……リンクの。 「ねえ、ナビィ。リンクは……僕の名前だよ。でもこの家は僕の家じゃあない。建物が古すぎる」 「う、うん。でも……そしたらこの家は誰の家なの?」 「そりゃあ、"リンク"のものに決まってるよ。表札が出てるぐらいなんだから」 「何言ってるの……? ナビィ意味がわからないヨ。だってリンクはリンクだけで、でもリンクはここに住んでるわけじゃなくて 」 「時の勇者」 リンクは短くそう告げる。 「時の勇者の名前は、リンクって言うんじゃないかな。それで、この家に住んでた……」 「ねえ、時の勇者って誰なのヨ」 「さあ。僕にもてんでわからないよ。さっぱりだ。 だから」 おもむろに立て札に手を触れ、リンクはその願いを口にした。 「教えてよ、光の勇者」 「?」 「あなたは知っているんでしょう? そして僕にそれを教えたがっているんでしょう? だったら僕はそれに甘んじる。僕は彼のことを知りたい。だから」 その言葉に呼応するかのように、立て札から小さな黄金の欠片が浮かび上がる。 ほとばしる光に、リンクは意識を委ねた。 |