花みたいに わらう
 君の笑顔が 好きだった

 君の笑顔を いつまでも
 見ていたかった
 君から 涙を かなしみを 苦しみを
 すべて遠ざけてあげたかった

 それはあさはかなユメ
 子供のみる幻想
 でも俺は
 それに気付きやしなかった



時の勇者の物語T -森の少年の話-




 ハイラルの南にある森の奥深くに、妖精の住まう小さな集落があった。人の形を持ち、けれど老いることのない子供のままの種族コキリ。
 妖精を携えた妖精。それが森に住まう者たちの姿だった。
 ある日、森の護り神デクの樹の前に戦乱から命懸けで逃れて来た母子が現れる。母親は抱いていた赤子をデクの樹に託すと間もなく息を引き取った。
 一目見てその赤子が持つ途方もない運命  世界を揺るがす、あまりにも強大なさだめを  感じ取ったデクの樹は掟を破ってでもその子をコキリの民として育てることを決めた。
 子供の名前はリンクという。



「やい、妖精なし! お前いつまでそんなんでいるつもりだよ?」
「う、うるさいっ、それがどうしたっていうんだよ!」
「ミド! またアナタなのね?! リンクばっかりいじめて……恥ずかしいと思わないの?!」
 妖精なし、コキリの森において自分の分身たる妖精がいないたった一人の子供。
 彼は自分だけの妖精を持っている他の仲間たちが羨ましくて仕方なかった。
「デクの樹サマ、どうして俺には妖精をくれないの?」
「それはのう、まだその時ではないからじゃ。然るべき時まで……リンクに妖精を遣わすことは出来ぬ……」
「そんなぁ……」
 似たような問いかけを毎日のように繰り返し、その度リンクは悲しそうに俯く。妖精がいないから馬鹿にされる。妖精がいないから、みんなともっと仲良くなれない……。
 基本的にコキリの仲間たちはリンクによくしてくれたが、妖精がいないがためにリンクはどうしても彼らと自分がおんなじでは無いような気がしてしまうのだ。自分だけ、なんだかぷかぷかと浮き上がっている。
 けれどある日、ついに待ちに待った妖精がリンクの元を訪れた。

「ワタシ、妖精のナビィ。デクの樹サマのご命令で、これからワタシがアナタの相棒ヨ、よろしくネ!」

 そしてその瞬間を境にリンクの運命は大きく動き出したのである。



 森をずっと見守ってくれていた巨木、デクの樹の命の脈動が遠ざかっていく。彼は死にかけていた。
 リンクの大事な存在が、今まさにその命を終わらせようとしている。
「嘘だ……なんで……」
 デクの樹の頼みを受け、彼の中に巣食っていた魔物を倒した。これで一安心だ。だからもう大丈夫だと、そう思っていたのに。
「そんな……デクの樹サマ、死んじゃやだよ、デクの樹サマ!」
 最早デクの樹に助かる見込みは無かった。ゴーマに侵され、蝕まれたその命は殆ど残ってやしなかったのだ。
 そしてその僅かに残った命を彼はリンクの為に惜しむことなく使ったのである。
「良いのじゃ……ワシのやるべきことは終わった。リンク、ナビィと仲良くな……森の精霊石を、コキリのヒスイを、必ず姫君に届けるのじゃ」
「デクの樹サマぁっ!!」
 最期の言葉を残し、デクの樹は急速に枯れ落ちた。さあっと色が黒くなり、温もりが存在感が、薄れては消えてゆく。



「うわあああああああっ!!!!」



 少年の絶叫を響かせたまま、場面が暗転した。



◇◆◇◆◇



 花の咲き乱れる庭園に一人の少女が佇んでいる。彼女を直視して、そしてリンクは息をのんだ。

「わたくしはハイラルの王女ゼルダ」
 可憐な少女は、しかし毅然とした声音でそう告げる。
「あなたに、わたくしと共にガノンドロフを倒して欲しい」


 小さな、けれども誰よりも誇らしいこの国の王女は出会って間もない少年にこう懇願した。無茶苦茶な願いだ。浅はかで子供じみて、そして傲慢だ。
 けれど彼はその願いを受け入れた。一瞬の迷いも躊躇いもなく、ただ彼女のために許容した。
 一目で惚れ込んでしまった彼女の為に何かしたいと、そう思ったのだ。
 彼もまた、浅はかな子供にすぎなかったから。

 かくして少年は少女の為に世界に踏み出しハイラルの地を駆け回った。多くの試練が彼を待ち受けていたが、それらは少女との誓いの前ではたいした苦労でもなかった。
 冒険の合間に少女の元を訪れては、旅の土産話をして。それがいつしか少年の楽しみとなり、また少女の支えとなっていった。


「ひ……ゼルダ。次は、何を見たい?」
「ふふ、なんでも。リンクが見た景色なら、どんなものでも嬉しいわ」
 はにかんでそう言う姫君に少年は頬を赤くし、そして彼もまた笑った。穏やかな風が吹き、二人の髪を揺らす。
 二人は幸福だった。今まで生きてきた時間の中で、どれよりも幸福だった。
 不意にゼルダがリンクに身を寄せる。
「わたくしはね、リンク、あなたの前でだけは立派な姫でなくても良いかなと思うんです」
「? どうして? ゼルダはいつだって立派だよ。それにそんなことを言ったらまたインパさんに怒られない?」
 リンクが不思議そうにそう訊ねるとゼルダは些細なことなのですが、と言って彼の手を取った。
 手と手を握り合ってゼルダは更に言葉を紡ぐ。
「だって  だって、わたくしはあなたのことが好きなんですもの」
「!!」
 ストレートな台詞にリンクは一気に顔を染めた。ゼルダはただ微笑んでいる。その様子に、リンクもまた何事か告げようと口を開く。
「……あのね、ゼルダ。俺はね、ゼルダが笑ってくれればそれだけで幸せなんだ」
「あら、そうなのですか?」
「うん。だって、俺はきみのことが好きだから」
 リンクがそう言うとゼルダはきょとんとした顔になって言葉を失ってしまった。居合わせた蒼い妖精が小さくリンクをからかう。
 けれどもリンクはそんな妖精を軽く払いのけて、真剣な顔でこう結ぶのだ。
「だからこの先もずっと、きみのそばにいられたらいいな」
 そして金色の髪の少年は、照れながらも満面の笑みで少女の真っ赤な頬を撫でた。



「次はいつ会えるかなとか、会って何を話そうかとか、そうしたらどんなふうに笑ってくれるかなとか、そういうことを考えるんだ」
 風がそよぐハイラルの平原でなんとはなしに少年はそう呟く。一人の女の子に恋をして、恋い合って。今は彼女の為に側を離れて旅をしている。
 でも、離れているからといって淋しいばかりなのかというと案外そうでもなかった。離れていても、心は一緒だから。
 互いを想って、大事にする気持ちは変わらない。
「そうするとね、ゼルダのこえが聴こえる。俺のすきなひとの声が聴こえる気がして、なんだか頑張れる気がするんだよ」
「そっかあ。きっとお姫様もおんなじように、リンクのコト待ってるんだろうネ」
「そうかなあ? だとしたら、嬉しいけどさ」
「うん、そうヨ。だって二人は好きあってるんでしょ?」
 どうだろう、と自信なさげに頬を掻く少年に妖精がそうでしょ、ととりたててなんでもないことのように言う。
「だったら、そうに決まってると思うヨ」
「……そう、かも。きっと、そうだ」
 だから少年も、それに頷いて青い蒼い空を仰いだ。



   この時、少年は。
 この幸福が永遠に続くのだと、変わらない平穏などないのだと、愚かしくも  信じて、いた。



◇◆◇◆◇



 落雷、そして誰のものとも知れぬ悲鳴。空を黒雲が埋め尽くし、合間を雷が縫うようにはしる。
 燃え盛る炎に包まれたハイラル城を見上げてリンクは呆然として立ち尽くした。
 どうして。
 どうして、こんなことに。
 最後の精霊石を手に入れて、少女の元へ向かって。それで彼のちょっとした冒険は一つの終わりを迎えるはずだったのだ。その後には、平和で幸せな世界が広がっていると信じてここまで来た。
 自分の力で彼女を助けられるのだとそう信じて疑うことを知らなかった。
 けれど現実というものがそんなに甘ったるいわけがなかったのだ。ゼルダはインパとともにどこかへ消え、そして自分はガノンドロフの足元にも及ばなかった。あっさりとあしらわれ、しかも情けをかけられた。
 屈辱だ。酷くショックだし、いっそ何もかも放り出してしまえたらどんなに楽なことか。
 けれど、そんなことは許されない。ゼルダは、彼女は自分を信じてくれた。こんなに無様な自分を信頼して時のオカリナを託してくれたのだ。
「時の神殿へ……行かなきゃ……」
 ならば自分はそれに報いなければならない。
 ガノンドロフを止めるために、マスターソードを手にしなければ。
 たとえ何を犠牲にするのだとしても。



◇◆◇◆◇



 白い建物が見える。神殿だ。恐らくは、あの少年が言っていた時の神殿だろう。
(あの見た目なら僕より小さい、はずだよね……それであの顔か。  ぞっとしないよ、正直)
 リンクはひとりごちる。記憶の中の少年は恐ろしい表情をしていた。鬼気迫る、という言葉で形容し足りるかどうか。
 彼はもう無駄口を叩くことはしなかったが、しかし無言の瞳というのが非常に雄弁であった。その瞳は睨んでいたのだ。何を? わかりきっている。己を、だ。何も出来なかった無力な自分。
 とても、十をすぎたかそこらの子供が出来る表情ではない。
 少なくとも、リンクにはあんな表情は出来ようもなかった。
 少年が精霊石を台座にはめ込み、リンクが持っている物と同じオカリナを 構えて吹く。流れるメロディは「時の歌」。かつて、リンクが森の奥深くで聞いた調べだ。
(……ああ、なんだろ。懐かしい、な。そんなはずないのに)
 ぴかぴかの真っ白な神殿、その中に立つ緑衣の少年、傍らに蒼い妖精。そっくりだ  リンクの在りし日の境遇は今のこの映像の少年によく似ていた。
 けれどそれはみてくれがちょっと似ているというそれだけの話なのだ。本質は違う。置かれた状況は全く似ても似つかない。
 リンクには引き返す道があった。ただ、己の意志でその道を拒否してきただけ。だけれど彼は違う。
 彼には、引き返す道なんて用意されてやしなかったのだ。
 あたかも神にかくあるべきと決めつけられたかのように、彼は人智を超えた力を求めてしまった。
 その選択には取り返しなどつきようもない。
 今、子孫であるリンクがこうして神の力を集めてまわっている現実が、彼のその後を暗に示しているようでもあった。
 不意にきいん、と高い音が響いてリンクの頭を掻き乱す。顔をしかめて改めて少年の方を見やると、彼は聖剣を抜いていたところだった。
 否、その表現は適切ではない。彼にはどうやら、その剣を正しく抜くことは叶わなかったようなのだ。剣は大きく小柄なその体躯では扱えそうにない。
 神々しいはずの神聖剣は鈍く光を照り返し、本来の輝きというものが感じられない。
 そして声が響いた。

――汝 力望むか――
――汝 力望むのならば我を望むか――

(トライ、フォースの……)
 頭の中できんきんと反響するこの声こそが完全な形の勇気のトライフォースのものであるのだとリンクは直感した。知っている。この声には、聞き覚えがある。
 でも、どこで?


――我は勇気のトライフォース 女神フロルの力――
――汝 救いたいものあるならば その勇気をもって我を望め――

(夢の、中で)
 この耳障りな甘言を紡ぐ声を。
 いつだったか、自分は耳にしたのではないか。
 荒廃した城下町、思い出に埋まる白い花、その奥の神殿。
 今思えば、あの神殿は時の勇者が立っているこの建物そのままだったような気がしなくもない。

――聖剣(つるぎ)が選びし勇者よ 我を受け入れよ――
――代償に神に捧げよ 汝が血脈――
――神に差し出せ 汝が魂――

 ちりちりとした感覚がリンクを灼く。駄目だ、という短い言葉が電流のように駆け巡った。その文言を呑んだってなんにもならないのだ。結局なんにもならなかったのだ。だから魔王は今も生きているのではないか? だから、賢者達は皆一様に悲しそうな顔をしていたのではないか?
 だがこれは記憶だ。叫ぶことは愚か声一つ出やしない。
 過ぎ去った歴史には何も届かない。



「それでゼルダが助かるのなら!! 俺の魂だろうが血脈だろうが何だってくれてやるよ!!!!」



 だからリンクに出来たのは、恐ろしく美しい、薄ら寒い蒼いひかりの渦を、ただ呆然と見つめることだけだった。