はなれて いま きみの名をよぶ 時の勇者の物語U -離別の話- 緑色の服に身を包む目付きの鋭い青年。 緑色に映える、金色の髪。やや白いきらいのある肌。ハイリア人特有の長耳。 そして何かを睨むような蒼の瞳。 (まだ……続いてるんだ。でも、なんで姿が変わっているんだろう? 彼はまだ子供だったのに。同一人物であろうことはわかる、けど) 時の勇者と思しき青年は馬を駆り、鬼気迫るまでの形相で剣を振るっていた。あの剣には見覚えがある。 神の剣マスターソード。紫色の柄は青年の手にしかと握られ、敵の腹を裂き、喉笛を切り開き、屍を作りあげては背後へと投げうっていく。 (まあ、記憶だし……間が飛んだのかも……。ともかく確実なのは、彼がとてつもなく強いってこと) それは圧倒的な強さだった。一閃のもとに払い上げ、薙ぎ倒し、切り伏せる。迷いのない太刀筋は追随する者を許さない。 (でも、これは……守る為の強さだ。真っ直ぐに前を向いてる。その先に助けたい人がいるから、だからこの人は戦うんだ) 一般によくいう話だが、守るべきものの為に戦う人間というのは本当に強い。リンクだってそうだ。彼はいつだって彼自身の「信念」のもと戦ってきた。そうと決めた決意を揺るがせぬ為に走ってきた。 トライフォースの力がいくら薄まろうと想う強さは変わらない。 では、記憶の中の時の勇者は一体何の為に剣を振るうのか。 (簡単だ。考えるまでもない) そんなの、たった一人の為に決まりきっているじゃあないか。 (あの日笑ってた、花みたいな女の子) 彼が約束をした少女――ゼルダ姫。 「ねえ、リンク。わたくし、嬉しいのです。あなたと出逢って、今こうして笑いあえることが」 「もちろん俺も! 俺はね、ゼルダに逢うまではずっと森にいたから……ゼルダに逢うために森を出て、そうして初めて世界を知ったんだ。広くて、不可思議で。世界ってすごいんだ」 「あら。リンクばかりずるいですね。わたくしの世界は、未だにこの城の中だけ……箱庭の中から出られないんですもの」 「ご、ごめん……そういうつもりで言ったんじゃ……」 「ふふ、別に怒ってはいませんよ。そうであることが、わたくしが民に出来る唯一のことなのですから。……ですから、お願いがあるのです。わたくしの分までいろいろな世界を、見てきてはくださいませんか」 「うん。たくさん、いろんな所に行ってそうしたらゼルダに教えてあげるよ。約束。きっと俺が、君の目になるから」 可愛らしく笑いあう幸福そうな二人の映像が一瞬だけ光景に被さって、しかしそれはすぐに溶けて消えてしまった。視界には灰色の大地が映り、無尽蔵に湧き出るモンスターを淘汰する青年の姿が大映しになる。 微笑ましい子供同士の約束は、けれど彼にとっては絶対の誓約であり守らなければならないことだった。しかしその約束が果たされることは無かったのだ。さっき見た記憶の通りにことが進んだのだとすれば彼女はいなくなってしまったのだから。 命からがら城から逃げ出し、彼に時のオカリナを託してどこか遠くへ行ってしまった。 (かなしい) だからリンクは、目をつむって下を向く。 (大好きだったのに、守りたかったのに、守れなかった) 彼が受けているのは痛みだ。何も出来なかったあまりにも無力な自分への失望。出来ると思い込んでいただけの驕りに過ぎなかったのだ、そういった惨めな感情。 (一番大事なことを、やり遂げることが出来なかったんだ) 愛していたから。 なおのこと痛くて。 (それでも、彼は、逃げなかった) そこまで思考を巡らせて、ふとリンクは別の可能性に思い当たる。 (――もしかし、て。逃げられなかったの……? 初めっから、そんな選択肢なんて――) 考えることをよしとしないかのように、視界が急激に乱れ、そして消えた。 ◇◆◇◆◇ 「僕は……シーク。シーカー族の生き残りだ。君が目覚めるのを待っていた、時の勇者リンク」 奇妙な目玉の紋様の装束を身に纏った彼は自らをシークと名乗ると待っていた、とその言葉を繰り返す。 「……あんた、何をしにここにいる」 「それこそ明白なことじゃないのか? 先程も言っただろう、僕は君を待っていたと。七年間聖地へと封じられていた時の勇者が覚醒するのを」 「時の……勇者?! 俺が?!」 「そうだ。君はトライフォースを宿しマスターソードの主たる資格を得た。理解できたか、君は神に選ばれたんだよ」 淡々とそう告げる青年に、時の勇者は若干気圧されしかし不審そうに眉をひそめた。何もかも唐突で、意味がわからない。神? だから――なんだというのだ? 「それでゼルダが助かるのなら!! 俺の魂だろうが血脈だろうがなんだってくれてやるよ!!!!」 覚束ない思考の中、手繰り寄せられたのは啖呵をきる自分の姿だった。神に対する敬意だとかはまったくなく、ただ大事な人のために全てを差し出した。 神との契約だとか、盟約だとか。それら全ては些細なことに過ぎずどうでも良かった。 ……ゼルダを、大好きな少女を助けられるのならば。 「なあ、おい。ゼルダは。ゼルダは……無事なのか」 「……死んではいない、との見解をインパは示している。ただ、所在はまったくわからない。だがそれは魔王とて同じだ。その意味で我々はまだ五分の立ち位置にある」 「そうか。死んでないんだな。なら、生きてるんだな? だったら、だったら俺は――」 青年の傍らで、蒼い妖精が忙しなく飛び回る。彼の身を案じているみたいだった。 まあそれは至極当然の反応だろう。 「戦う」 彼の目は半ば――狂気じみていたのだから。 狂信者の目にも似た、迷いなき瞳。 それを見たからか、はたまたそれとは関係なくなのか、シークは肩を竦めると大仰に溜め息を吐き、時の勇者に手招きをした。 「……そうか。ならばまずは外へ出よう。君にとっては辛い現実が待っているかもしれないが、目を背ける権利は最早残されてはいない」 シークと時の勇者の対話場面が綺麗に消え失せ、リンクの眼前には再び曇天に覆われたハイラル平原が現れた。相変わらず時の勇者は剣を振るっている。愛馬に跨がり薙ぎ倒していく様は変わらず荒々しかったが、どうも先ほどとは感じが違うようだった。 心なしか、安らいでいるというか。 以前よりも丸くなったと言うか、融通がききそうな感じだ。 「ね、リンク。湖に着いたらお昼にしましょ。もうそろそろでしょ?」 「そうだな。みずうみ博士の家に寄ってこうか」 「えー、ナビィ今日はそういう気分じゃないヨ。またなんか実験されそうだもの」 「しょうがないな、じゃあその辺でピクニックにしよう」 なんとも呑気な会話を繰り広げる一人と一匹にリンクは怪訝な顔をする。時の勇者、彼はゼルダ姫の為に何もかもを惜しんで邁進していたのではなかったか。少なくともリンクにはそう見えていたのだが、しかし今見えている彼は非常に呑気だ。 (それに、あの妖精。似てるとは思ってたけど名前も一緒なんだ。デクの樹サマは何か知ってるのかな?) 考えてはみるが、リンクの疑問に答えてくれるものなどない。リンクはふるふると首を振って思考を振り払うと時の勇者を改めて見つめた。酷く鋭い目つきをしていたことが多かったから気づかなかったが、こうして見ると案外のこと子供っぽかった。 (まあ、でもそうだよね。七年眠ってたらしいし。そしたら、中身は子供のままなのかもしれない) それにしても不思議だ。あの全てを殺しかねない凍てつく瞳と、この体つきに似合わぬ程に可愛らしい瞳。どうして同じ顔でこんなにも差がでるのだろう。これほどの差を創り得る要因とは何なのだろう? 顔つきが険しくなるのは間違いなくゼルダ姫の為だ。彼女の為に剣を振るう時、涙を流す時、怒る時、彼は修羅の如き双眸になる。逆に彼女を想う時なんかは驚くほど慈愛深い顔をする。 あたかも、彼女という女神を崇めているかのように。 でも今の顔はそのどれでもないのだ。ただ純粋に喜んだり楽しんだりしている。その余裕はどこから生まれたのだろう? そう考えた瞬間、一つの影が脳裏をかすめた。ぴったりした奇妙な紋様のボディスーツ、頭の半分を覆い尽くす白い布。短い金髪は方々に尖り、常に他者を寄せ付けないオーラを放っている。 (シーカー族の、生き残り。シークって言ってたっけ) 彼のことを思い浮かべようとすると、まるでフラッシュバックするかのように鮮烈な映像が瞬時に切り替わって次々に流れては消えていった。謎の青年との出会い、湖での問答、どこかの村でのやり取り、暗い部屋での そして断片的な映像は砂漠の夜と思しき場面で消え失せ、いつの間にか場面は時の神殿に移っていた。白亜の神殿の中で、シークが眩しい光に包まれる。 その直後そこに立っていたゼルダ姫を見て、リンクは驚くと同時に既視感を覚えた。そうであろうと何となく予感していた。 まるで、自分の体験した出来事を後追いしているかのように。 しかし、その既視感を追求している暇などなかった。場面は目まぐるしく移り変わりリンクに考える時間を与えまいとする。リンクはやむなく思考を止めて目の前で再生される記憶に意識を傾けた。 「わかりました。今度こそ俺が、ゼルダを護りますから――」 「リンク……」 二人は手を取り合い、互いを抱きしめ合おうとする。しかしそれは叶わなかった。突然ゼルダが薄桃の水晶に覆われてしまったのだ。 「愚かなりゼルダ姫、そして時の勇者!」 「ガノン?!」 「やはりな。貴様を泳がせておけば見つかるだろうと思っていたが、その通りだったか。これで知恵の力は手に入ったも同然。後は貴様だけだ、時の勇者」 「クソ野郎ッ……!!」 時の勇者の目つきが険しくなり、憎しみが色濃く現れる。深い蒼の瞳に一瞬、紅い翳りが差した。怒りだ。怒りが時の勇者を突き動かしている。 「ゼルダを助けたくば俺の元へ来い」 挑発するようなガノンの言葉に、時の勇者は即座に地を蹴り、時の神殿を出て禍々しい悪意の城へと走り出した。 その後の出来事は一瞬だった。 仕掛けを踏破し、道中の敵を歯牙にもかけず邪魔だと言わんばかりに薙ぎ払う。後には何も残らなかった。神の力そのものに触れた魔物は塵一つ残すことが叶わない。 とうとうガノンを追い詰めてからもそれは同じだった。時の勇者は凄まじい気迫でもって魔王を圧倒した。鳴動、瓦解、粉塵。雄叫びと叫びとがぶつかり合って、そして 魔王は倒れた。獣となり猛ってもしかし、姫と勇者の前には無力であった。 緑色の人ならざる体液を撒き散らして長い眠りについたのだ。 そして姫と勇者はやっとの思いで互いの手を取り合い、あたかも平穏が訪れたかのようにリンクの目には映った。 結論から言えば、そんなことはまったくなかったのだけど。 「いいえ。それはなりません」 ゼルダ姫のきっぱりとした声が響き、その台詞に時の勇者が悲壮な顔付きになる。彼にはその言葉の意味が理解できないようだった。その言葉の意味を受け入れることを、拒否しているのだ。 (そんな、それじゃ。それじゃあ、時の勇者は、彼は何のために戦ってきたっていうんだ) 時の勇者はひどい顔付きのまま、それでも懸命に口を動かして言葉を発した。感情がたかぶり、次第にそれは悲鳴に似た叫びに変わってゆく。 「俺は七年間を失ったことを後悔なんかしていない!! 俺は、ゼルダの……あなたの傍にいたいんです! その為なら七年間なんて要らない……!!」 「……わかってください、リンク。わたくしだってこんなことをしたくはないのです……!」 そしてゼルダ姫は悲痛な顔で、絞り出すようにそう、言った。 「確かに。あなたが還った先にいるゼルダは厳密にはわたくしではない。けれど彼女は"わたくし"です。紛れもなく、違う可能性のわたくし自身なのです」 「わたくしはあの時からずっとあなたのことが好きだった」 「わたくしという存在に縛られないで、リンク」 「俺にはっ、ゼルダ以外――」 「わたくしはずっとあなたを愛しています」 「ありがとう。……ごめんなさい」 時の勇者の叫びを遮ってゼルダ姫の無理にまくしたてるような言葉が続く。彼女もまた苦しいのだ。だから言葉を矢継ぎ早に重ねて誤魔化そうとしているのだ。 だけど、時の勇者にそんな彼女を気遣う余裕などなかった。彼は彼女以上に相手に依存していた。彼女は彼の世界の全てで、喪うことが堪えられない存在だったのだから。 「俺にはっ、ゼルダだけが全てだったっ……! 君の声が聞きたくて! 君の笑顔が見たくて! その為だけに戦った!! ゼルダが命じるなら戻った先にいる姫も守る! でも俺は、ゼルダを、あの時花みたいに笑っていた 女の子を、今ここにいる君を愛しているんだ!!」 時の勇者がそう叫ぶとゼルダ姫は嬉しそうに、けれど泣きながらはにかむ。そして彼女は真っ白な光の中――時の回廊、の中に消えていく最愛の人に向けてかすかに、けれども確かに、最後の愛の言葉を送った。 「わたくしを愛してくれてありがとう」 (馬鹿げてる) 誰も幸せになれない御伽噺。 それに、いかほどの価値があるというのか。 (こんなのって、ないよ) その感情は、かつて魔王である男を殺さざるを得ない状況に追い込まれた時の心境に似ていた。彼が一体何をしたっていうのだ。それは 神は、何をしたいのだ。 いたずらに、弄んで。 リンクは膝をついてくずおれ、呆然とその記憶を反芻する。なんてことだ。なんて――ことなのだ。 ここまで見てきて、わかったことがある。彼は彼女の為に戦ったのだ。けれどそれだけじゃない。恐らく彼は、彼女の為にヒトの限界を超えたのだ。 でないとするのなら、どうして彼があれほどまでに強かったというのか。 (でも、それでも、結末は離別なんだ。この離別があって、だから光の勇者は僕に記憶を残そうと思ったんだ。なんで僕になのかはさっぱりわからないけれど……) 遠い向こうでまだ続いている記憶の中で、少年の姿に戻った時の勇者はきょろきょろと何かを探し回り、落ち着かない様子で歩き回っていた。どうしたのだろう? 意識を記憶に向けて彼の差異を探る。 彼が何を探しているのかはすぐにわかった。妖精だ。 ナビィという名前の、リンクの傍らにいる彼女によく似た蒼い妖精。 「ちっくしょお……! なんで! なんでだよ! なんなんだよ神様!! どうして俺の大事なものばっかり遠ざけるんだよ、何がしたいんだあんたは!!」 そして記憶の回想は、子供の姿の彼が妖精と姫君の名を叫び、神を呪うところで――唐突に終わりを告げた。 |