ここはどこ?
 ぼくはだれ?
 きみはだれ?
 きみはぼく?



アシンメトリ




 ぷはぁ、と水から顔を出して息を吸い込む。眼前には真っ青なハイラルの水瓶、ハイリア湖が広がっている。
 先程まで森にいたのが嘘のようである。
「ほんとに着いた。なんか拍子抜けだなぁ……」
「森から湖への抜け道があるって話は聞いたコトあったケド、嘘だと思ってたヨ」
「むしろまだあったんだ! って感じがするんだけどね」
 時の勇者が子供だった時に近道の手段として用いていたのを見たような気がするからデクの樹にそう言われた時もリンクは驚きこそすれ疑いはしなかった。神に護られた王国ハイラル、という名が伊達ではないこの大地では何が起こったってそんなに不思議ではないのだ。
「でも、うっかりしてるとこの位置忘れそう。目印か何か付けとかないと……」
「この穴使わないとエポナ取りに帰るの面倒だもんネ……」
「そういうこと」
 ハイリア湖に繋がっているので当然なのだが、抜け道である石造りの穴は水の中にある。つまりエポナは連れてこれないのだ。まあエポナに頼ることもないだろうと思い森に預けてきてしまったので、ここでの用を済ませたら一度森に戻らなければならない。
 服を来たまま器用に泳いでリンクは近場の陸に上がった。久しぶりに訪れたハイリア湖はよく晴れた空を映してきらきらと輝いている。
「さて、適当に来たのはいいけどどこにあるやら」
「ていうかリンク、次の場所にここを選んだ根拠ってなんだっけ?」
「勘」
「ここになかったらどーするつもりなのヨ。無駄骨じゃないの!」
 これだから考えなしは! と羽音を若干荒げてナビィが文句を言う。リンクはまあまあと彼女を宥めながらひょいと左手にすくいとった。羽音が少し丸くなる。
 ナビィはリンクの手の上とか胸の中、あと帽子の中、そういった場所が好きらしいのだ。落ち着くらしい。僕はナビィのお母さんじゃないよ、と冗談のつもりで言ったらナビィは妖精だからお母さんはいないヨ、と小声で返されたのを覚えている。
「んー、多分あるよ、大丈夫。僕のこういう勘は当たるから」
「だといいけどネ。……それにしても、なんでこんな面倒なことしたのかしら光の勇者サマは。お姫サマとは事情が違うんだからわざわざバラバラに散らばすコトないのに」
「いや、切羽詰まってなくてもトライフォースを塊で置いとくのはまずいと思うけど……記憶の数に合わせたんじゃないかな?」
「そもそもその記憶、っていうのも別に分ける必要ないじゃない」
「でも二人分だし……」
「それじゃ二個で十分ヨ。もうこれで幾つ目?」
 リンクはひぃふぅみぃと言いながら指を折って数える。一つ目は砂漠。次がデスマウンテン。その次が森。ただしここには二つ分あった。
「ここにあったらそれで五個目。場所は四つ目だけど」
「トライフォースの欠片は何個?」
「四つだよ」
 リンクが答えるとナビィはこれみよがしな溜め息を吐く。「絶対無駄足ヨ」という彼女の声は最早憤っているようでもあった。
「うーん、僕はそうは思わないけどなぁ……」
「なんでヨ。ナビィには時間稼ぎにしか見えないわ」
「あーうん、それも理由の一つではあるかもね。でもそれだけじゃないと思う。――多分さ、土地の方が耐えきれないんだ」
「土地?」
 ナビィが羽を傾げる。
「そう。持ってる僕がこんなんだからナビィは忘れてるかもしれないけどトライフォースってすごい強大な力なんだよ? 今はばらばらだからいいけど昔は一つだったわけだし。その頃の伝承話、ナビィなら知ってるでしょ」
「……うん」
 力を欲した砂漠の民の伝説。三大神がこの世界を創造した後に残した神の力トライフォースは初め一つで、聖域に秘匿されていた。けれどある時悪しき心を持った砂漠の民の首領がトライフォースのある聖域への侵入に成功してしまう。
「でも三つに別れちゃうのよネ。世界を変えられる力だから、知恵と力と勇気、三つの心を兼ね備えているヒトじゃなきゃ駄目だったんだわ」
「そう。それで、しかも元あった場所は女神様が造った聖域でしょ? 隠す意味合いもあったんだろうけどそうでもしないと置けなかったんじゃないかって僕は思うんだ。きっと神の力の重圧に場所が耐えきれないんだよ」
「あ、へぇ……なるほど。そういう考えもありかもしれないネ。ていうか今更だけどそんなスゴいものを宿してるのリンクって」
「僕も信じられないけどね。でも僕は生まれつきだし、力がバラバラになって飛び散ってるからそもそも大した力はないんだと思うよ。……でも時の勇者はそうじゃないんだよね。自分で望んでそれだけの力を手に入れた」
「……」
「どんな気持ちだったのかな。それとも、助けたい一心でもうなんにも考えてなかったのかなぁ……」
 ――あの時。
 大好きなひとを助けたいと強く強く願って、その為ならどんな代償を払ったって構わないのだと彼は叫んだ。リンクにはそうまでする理由は理解できない。彼が愛していたってことはわかる。だけど命以上のものを擲つに至る心情は到底理解出来ない。
 それはきっと、時の勇者自身にでもならない限り永遠に解り得ない事だ。推察することは出来たとしても。
 そこまで考えてから、リンクは黙り込んでしまったナビィを見てばつの悪そうな顔をした。彼女を頭の上に持ってきてごめんね、と声をかける。
「なんだか湿っぽくなっちゃったね。とりあえず欠片を探しに行こう、上手くいったら日が落ちる前に見つかるかもしれない」
「……上手くいかなかったらどうするのヨ?」
「その時はその時。なんとかなるよ」
「楽天的ネ……」
 でも、その方がいいヨ。そう呟くとナビィはリンクの帽子の中にもぞもぞと潜り込んだ。



◇◆◇◆◇



「暇だ」
『気付き出しましたね、彼……ってまだ暇なんですかあなたは』
 無理矢理俺を呼び出しておいてそれはないでしょう、と光の勇者は苦笑いをする。尤もな言い分であるのだが、影はそれを鼻息一つで流すとつまらない演劇を見せられている子供のような顔をした。
「暇なもんは暇なんだよ。そういう気分なんだ、仕方ないだろ」
『はあ……まあいいですけどね……』
 相変わらずですね、と肩を竦めて光の勇者はふわふわとそこらに腰掛けた。半透明の霊体は彼が変わらず死人であることを示している。かつては時の勇者も同じような死人だった。現世にリミット付きで留まっている特別な死人。でも今は生者だ。
 かつてとは異なる存在であるけれど。
「……しかし」
『はぁ、なんでしょうか?』
「概ね予想通りだな、今代の勇者君の動きは。つまらないと言えばつまらないが、制御不能になるよりはましだな。最後が面倒になるのは避けたい」
 ぽつぽつと推察を述べるように影はひとりごちる。光の勇者は彼の言葉を遮ることなくただ黙って聞いていた。影の再確認するかのような言葉は止まらない。
「そろそろ自己否定に入るかなーとは思ってたんだが……まぁ妥当な部類か。そう、それでいい。お前は、森のわらべは決して時の勇者ではない。だが――お前は女神フロルに愛されたオリジナルだ。その事実は覆しようもない」
『……ああ、はい』
 そこまで言ってから影は薄く口端を歪めて笑った。その表情ともってまわった締めの台詞に光の勇者は曖昧な返事をする。嫌らしい人だなと思ったが口には出さなかった。「なんだ、今更だな」などと言われているのは目に見えているし、きっとそれより先に「残念だが俺はヒトじゃあないんだよなぁ」と言われることもまた必死だ。
「否定する、そうじゃないって自覚するのはそれだけ自身の形質や性質がそれに近いってことだよ。そうでなきゃあ普通は意識しないさ、他者との差異なんてものはな」
『この場合は周囲の誘導込みですよ』
「だとしてもだよ。いや、だからこそか? デクの樹サマが危惧する程度には傾倒・感化してたってことだからな」
 言い切ると影は表情をまた歪ませた。その横顔に光の勇者は口をつぐむ。珍しい表情だった。あまりお目にかかれない神妙なものだ。
「俺は、違った。否定するまでもなく自覚するまでもなくあいつとは異質だった。――俺は、あいつにはなれなかったんだ。どれだけ望んでも俺はやっぱりあいつの影に過ぎなかった。最後までただの虚影であり幻影だったわけだ」
『ダークさん……』
 影が笑う。声はからからと乾いていた。



◇◆◇◆◇



「ビンゴ。ほらあった」
「都合良すぎてアタマおかしくなりそーヨ、ナビィは」
 ハイリア湖の片隅にあるゾーラ一族の祭壇。前に知恵の欠片を取りに訪れた場所だ。
「そもそも急に現れた欠片に誂えたような台座があったってことが明らかにおかしいもんね。多分勇気の欠片の一つは予めこの祭壇に閉じ込められていたんだよ」
「ふーん」
「前に来た時、すごい強い力を発してて僕以外近付けなかったのももしかして二個が一ヶ所に集まってしまった副作用だったんじゃないかなぁ。土地が受け止められる分をオーバーしてたのが溢れてたのかも……あ、」
 どうしてその時気付けなかったのかな、と続けようとしたがそれよりも先に驚きの声がリンクの口をついて出た。祭壇に描かれた紋様がトライフォースだけではなかったのだ。かといって王家の紋である羽を広げた鳥が描かれているのかというとそれも違う。
 涙を流す瞳の紋様。
「どっかで見たことあるなぁ、これ。どこだったっけ……ハイリア湖じゃなかったのは確かだと思うんだけど……」
「コレ? 確かインパさんの服についてた模様じゃないかしら」
「あ、ほんとだ。ということはシーカー族の紋様か。なんでこんなとこに……碑文?」
 つるつるした石の表面にごく浅い碑文が彫られている。光で反射して読みづらい。リンクは指先でなぞって一文字ずつその形を確かめていく。
「れ、き、し、の……」

 ――歴史の闇を、ここに記す。

「闇?」
 至極簡潔な文章だった。しかしそれだけに重たい。
「だってここにあるのは時の勇者の記憶なんでしょう? どうして闇なの」
 確かに辛い記憶だったけれどそこまで言うほどのことだろうか?
「ナビィはなんにも言えないヨ。でもホラ、時の勇者サマだって人間だったわけだし……つらいことがあったのなら色んなことがあったんじゃないかしら……? ゴメン、うまく言葉が見つからないヨ」
「確かにそうかもしれないな……。ねぇ、ナビィ」
「なぁに?」
「闇と言わしめる程の記憶って一体……どんな、過去なんだろうね」
 ちょっと怖いな、と呟きリンクは手を伸ばす。
 そして五つ目の幻が始まった。