貴女と 離れ離れになるのなら 世界なんて救わなかった こんなにも 苦しくなるのなら いっそ出逢わなければよかった なにもかも 喪ってしまうのなら なにも知らなければよかった 貴女を愛せない世界なんて要らない 貴女に触れられない世界なんて要らない 貴女の居ない世界なんて要らない かみさまの祝福なんて ほしくもなかった 時の勇者の物語V -絶望の話- 「はは……馬鹿だ。大馬鹿だ、俺は」 槍のようにごうごうと雨が降り、地面に突き刺さっていく。激しい雨は大地を抉り、そこにこびりついたおびただしい量の鮮血を混ぜ込み流していった。世界は昏い。まるで少年の心を映し込んだかのように鈍く薄ら寒かった。 彼の周りにはこれもまたおびただしい数の死骸が散らばって――否、山積みにされている。神の摂理が崩れたこの世界ではどうも骸が一人でに消えるだなんていう虫のいいサービスは起こらないようだった。魔物を斬れば斬った分だけ彼らは、かつて生きて、悪意を持って少年に襲い掛かってきたものとしてそこに脱け殻の体を残した。 「こんなことをしたってなんにもならない。俺はゼルダを救えなかった。世界なんてもっての他だ。ガノンを倒したからなんだ? 俺にとっては、ゼルダが、あのひとだけが全てだったのに! ゼルダが世界だったんだ!!」 喚き叫ぶ少年の前を新しいキースがどこからともなく現れ、飛来する。次の瞬間そのキースはひぎぃ、と小さな断末魔を残して地に落ちた。少年の手には、新しい血を付けた一振りの剣が握られている。 「目障りだ」 今更言うまでもないだろうが、血走った目で突っ立っているその少年は深く、深く――絶望していた。 ◇◆◇◆◇ "こちらの世界の"ゼルダ姫に断ってリンクが旅に出てから既に数ヵ月が経つ。失ってしまった大切な友達、妖精ナビィ、彼女を探すためにリンクはエポナを駆って今尚当てもなくふらふらしている。 リンクの生活は、幼い子供の容姿であることから野宿ばかりでなくどこかの家屋にありつけることも珍しくなかった為に起床や就寝のリズムだけは規則正しかった。だがその一方で精神というものは酷く荒んでいる。苛々はしていない。ただ、あらゆるものから興味関心を失っていた。 かつての彼というのは、好奇心旺盛で些細なことに喜び、何かに興を覚えればすぐさま飛び出していくような子供らしい子供だったのだ。だからこそ、その落差は痛々しく目についた。とはいえこの世界に以前までのリンクを知っているものなどいないのだから、それも全て客観的なリンク自身の評価である。 「せめて、ナビィがいてくれたら、ここまで酷くはならなかったのかな?」 誰に向けられるでもなく吐き出される言葉は、やはり自嘲的だった。 ある日、訪ねた森でものの見事に迷い、溜め息を吐きながらエポナでのろのろと進んでいた時のことだ。 相当に込み入った森の深部で二匹の妖精を連れ、奇妙な面を付けたた子供にエポナを奪われその上呪いをかけられてしまった。自分の危機管理の甘さ、過信に呆れながらリンクはその子供を追う。しかしあっさりと見失ってしまい、意気消沈しながらふと辺りを見渡して町に入っていたことに気が付いた。 その町こそが三日後に月が落ちる町――クロックタウン、である。 「おいチャット、また間違ってるじゃないか! 今度こそって言ってから何度目だよ、もう!」 「ふーんだ。自分で考えもしないでホイホイ付いてくるリンクが悪いのよ。アタシは悪くないもの」 「任せてって言ったのはチャットだろ!」 氷雪に埋もれた雪山に佇むスノーヘッドの神殿内で、その建物が孕む静寂さとはまるで不釣り合いな喧騒を撒き散らして一人と一匹は喧嘩をしていた。 喧嘩といっても他愛ないものだ。やれああすれば良かっただの、こうするべきだったのにリンクときたら――だの。 スタルキッドから弟を取り戻す為にリンクに同行しているチャットは口やかましく活発で、ナビィとは多少趣の異なる妖精だった。そもそもナビィは蒼かったがチャットは黄色い。 「わーかったわかった、もういい。こうなったら自棄だ。しらみ潰しに部屋を回る! 異議は認めないからな」 「好きにすればいいわ!」 ふーんだ! とそっぽを向いてしまったチャットをちらりと見やり、機嫌を損ねてしまったからこれはもう本当に使い物にならないと判断してリンクはダンジョンマップをばさりと開いた。出入りした部屋は踏破済みの青に染まっている。それこそデクの樹サマの中を駆けずり回っていた時から使っている品なのだが、原理に関しては未だに何もわかっていない。 まあ実際、原理なんかわからなくとも何ら支障はないわけでそこまで気にすることはないのだ。問題はやっぱりチャットだった。きっかけは些細なものだったとはいえ、ああも臍を曲げられたままではこれから先、たまったものではない。 「なぁ、チャット」 「……」 「ごめん、俺が悪かったって」 「…………嘘ばっかり」 「そんなことない、本当に――」 「チャットのコト、信用してくれない」 たっぷりと時間を置いてからやっとチャットが返した言葉は、意外な響きを持ってリンクの耳に届いた。自分からチャットへの信頼が、足らない? 言われてみればそれは確かにそうで、否定できない事実だ。リンクは根本のところで他者を拒絶している。それは世界で一番大事な人を喪ったあの時から一貫していることだった。別に意識してやっているわけではない。 ただ、神を呪ったあの瞬間から自分以外を信用出来なくなったというそれだけの単純な事実の現れに過ぎなかった。 「……チャット」 「あたしは、リンクの力になりたいの。リンクを理解したいの。ねえ、だってそうでしょ。あんな――あんな風に苦しそうなリンクを見たら、支えてあげられないかなってそう思うわ!」 チャットの言いたいことはリンクにだって理解できた。彼女の言には筋が通っている。 今のリンクは、こころが不安定なのだ。 だけれども。 「出来ないんだ、それは。ごめんね、無理なんだよ」 「どうしてよ。あたしじゃ、あたしじゃ足らないの」 「うん。この世界の誰でも、駄目なんだ」 あの悲劇は、経験した者でないと解らない。 そう言うと黄色い妖精は何も言わずに弱々しく羽根をはためかせる。 対するリンクの顔はまるで鉄面皮のようだった。 ◇◆◇◆◇ 雪がしんしんと降っている。あたりはとっぷりと陽が沈んで暗く、雪月の白さが僅かに照らすのみだった。 そんな雪原に子供が一人、ぺたんと力なくへたりこんでいる。誰か、などは考えるまでもない。時の勇者だ。かみさまに選ばれて総てを喪い、それでも尚生かされている少年。 「ひとりはいやだ」 彼は聞き分けのない幼子のように雪に埋もれ、その中に膝をつき泣いていた。一言、二言、声が漏れる。けれどそれは皆、孤独と絶望からくる駄々みたいなものにすぎなかった。 「ひとりぼっちはいやだよ……!!」 (誰も自分をわかってくれない、わかりっこない、っていう思い……か) そんな彼を見ながらリンクは冷静に分析する。これは記憶だ。幻だ。全ては過去の出来事に過ぎなくて、今リンクが何をしようが変わることはない。ならば考えるしか、やることはない。 (それにしてもきついなぁ。こんな寒空にあんな恰好でぽんと出ていて、何ら支障が無いっていうのは) 極寒の雪山で半袖半ズボンというのは、本来なら自殺行為寸前の行動だ。放っておけば凍え死ぬだろう。でも彼は絶対に凍え死んだりはしない。 何故なら、彼の周りの雪が一人でに溶けていっているからだ。恐らく女神の加護の力で。 (まあ、これはなんて言うか、女神に皮肉の一つでも言わないとやってられない、よね。――あれ?) うんうんと頷きながら思考をしていたリンクの視界に、突如変化が起こった。一人で座り込んでいたはずの時の勇者の前に、相対するように一人の少年が現れて立っている。 全体に黒い印象を持つその少年の瞳は、遠目でも分かるぐらいに紅かった。 「……なにこれ。夢? 夢だろ? それとも幻覚?」 「どれでもないし。そのどれもかもしれない。……決めるのはお前だ」 言葉かけをするような黒衣の少年の台詞に時の勇者はくすくすと自虐的に笑う。彼の中ではまだ、自身が作り出した都合のいい妄想であるという疑念が拭いきれていないようだった。自分の頭がおかしくなっていることぐらいは自覚しているのだろう。 そしてその判断は、なんら間違ったものではない。 「曖昧だね」 リンクだって、先立って光の勇者の記憶を見ていなければその少年を時の勇者が作り出した幻覚だと判断しただろう。 「ならばお前は――俺の何?」 「影」 でもそうじゃないのだ。リンクは知っている。それがどんな存在であるかはよくわからないけれど、なんて名前を持っているかは、知っている。 「俺はお前の影だ」 (ダーク――リンク) 時の勇者の影。 光の勇者と共謀して何かをしようとしている存在。 何かとんでもないことを企んでいて、けれど全容は掴めない不可思議で危険な人ならざる存在。 けれどリンクには一つだけ、直感的に解ったことがあった。 (これが、ダークリンクが生まれた瞬間なんだ) リンクは張り詰めた空気の中で深く息を吸う。 記憶はまだ続いている。 「……だったら。だったら、お前は知ってるの? あの世界のあのひとを、俺が愛しているひとのことを」 「うん」 「ねえ。お前は俺のそばにいてくれる? 俺の手の届かないところへ消えていってしまわない? 教えてよ、お前は何の為に俺の前に、今此処に現れた」 「消えてしまうのならその前に俺がこの手で消し去ってやる」という時の勇者の声はか細く、涙混じりのものだった。彼は失うということを恐れている。大切なものを失いすぎてしまったから。だから喪失の痛みを覚えるぐらいなら壊してしまった方がいいと考えているのだ。 「いなくならないで」 小さな声が洩れる。 「ずっとそばにいてよ」 幼児の懇願のような響きで、その言葉は雪の中に消えていく。かつて世界を救った勇者であるはずの彼の言葉は切々として痛々しかった。だって彼はただの、どこにでもいる少年だったのだ。運命は過酷すぎた。誰にとっても。 「……お前がそう望む限り。俺はお前の傍に在る」 「……本当に?」 「……うん、ずっと。ずっと傍にいる。絶対にいなくならない。――きっとそれが、姫の願いに繋がることだから……」 だから、ダークリンクという存在は生まれたのだ。疲弊しきった時の勇者がこれ以上歪んでしまわない為に。時の勇者自身の無意識の自衛行動だったのか、世界或いは神が与えた救済措置だったのか、もしくはそのどれでもないのか、正確なことはリンクにはわからない。 でも彼の存在に時の勇者が安堵しているのは確かだった。その存在に温もりを見出だし、共依存して―― (……あ、れ?) 視界がぶれる。唐突に紅い瞳と目があった。景色ががたがたと揺れだし、ダークリンクの小さな赤い唇が微かに動く。 ――それでも、尚 (僕に向けたメッセー……?) ――未来を、望むのならば リンクは目を閉じた。この瞳を開けたら、元の空間が広がっていて蒼い妖精がぱたぱた飛び回っているのだろうな、と予感する。 何故か、それがとても幸福なことに思えた。 |