自己の否定は即ち他者による断罪である。 自己の肯定は即ち自身の世界創造である。 アイデンティティの崩落 相変わらず砂漠は熱いし、砂地はもったりとリンクの足に絡み付いて体力を奪っていくしで辛いものがある。だがそれにうだっているリンクと違ってナビィはえらくやる気に満ちていた。いや、やる気ではないか。ナビィの声音と態度には何か脅迫めいた使命のようなものが含まれている。 だから恐らく、やる気などという可愛げのあるものよりももっと性質の悪い何かだ。時の勇者その人のそばにいたというナビィが思い出した記憶がそれに関連しているのだろうか。 ――時の勇者。そして、大神殿。そこに何らかの関係性があるのだろうという論はリンクも認める。ナビィの言うとおり明らかに人の手による作為的な誘導は最終的に大神殿に向かうように仕向けられている。 ハイラル各地に散らばった記憶の欠片は今のところ五つ。トライフォースも五つ。七つの内一つは恐らくリンクの手に初めから宿っていたものであろうから、大神殿に最後の一つがあるとすれば数としては辻褄が合う。だがそこにあるものが欠片だけだということは有り得ないろう。一番初めに砂漠に足を向けた時、リンクはそこに辿り着けないように砂漠の地下に落とされた。確実に、そこには何かがある。もしくは何者かが待ち受けている。 「……ダークリンク、って言ったよねナビィ。どうしてナビィは彼を知っているの? 僕が記憶で見た影と、同じものなの?」 「ナビィもよくはわかってないわ。思い出したって言ってもそんなに鮮明なわけでもないし。一言でいえば真っ黒な時の勇者ヨ。だから多分リンクの言う影って奴と同じじゃないかしら。……あの、お姫様と離されてしまった後の時の勇者を、ナビィの代わりにそばにいて支えてたらしいわ。でも詳しくは知らない。聞いてないから」 「……そう」 「不思議な存在だったわ。あんまり多くのことは喋らなかったし、……元々の核はガノンなんだって言ってる割には落ち着いていた。時の勇者の傍に長いこと居続けていたことは確かだって昔本人に聞いたわ。……魔王の力を核とする魔物にそれが可能だとは思っていなかったから本当にびっくりしたんだけど」 ナビィの言葉に「魔物?」と疑問符を投げかけるとナビィは「そうヨ」と簡潔に肯定して羽をしばたかせた。 「魔物ヨ、間違いなく。水の神殿で時の勇者が倒した大元は中ボスのモンスターだった。それがいつの間にか意思と体を得て時の勇者の中に棲み付いてた。ナビィにもよくわからない。あれはアンノウンだわ」 アンノウン、つまり「不確定要素が強すぎる未知の存在」。ナビィのくせに難しい言葉を使ったなぁというのは一先ずおいておいてリンクはそれがどういうことなのかを考えた。水の神殿で生まれたとナビィは言うが、リンクの記憶が正しければダークリンクが発生したのは雪山のはずだ。噛み合わない。だがナビィは嘘を吐かない。 となると、水の神殿に元々いたものが何らかの要因であの雪山に現れたのか? 一体どんなからくりでだろう。 「……全然わからない」 「そりゃそうでしょ。会ったことのあるナビィがわかんないのにリンクがわかるわけないじゃない」 「うーん……? 何か、きっかけがあればそれとなくわかる気がするんだけどね。何に関してもそうなんだけど、あの日旅立って以来僕は色々なものに既視感を感じることが多いんだ。前にも見たことあるなあって思う」 「気のせいじゃないの?」 「そうかもしれないけど」 ぎらぎらと太陽が照り付けているが、昔と違って魔法を習得している分移動は楽だ。こうしてお喋りを出来るぐらいには体感温度を下げられるし、下級モンスターの接近を感知することも出来る。それらは一重に「考古学者のおじさん」もとい「魔王ガノン」のおかげであるわけだが、リンクはその名前を思い出す度にどうにも複雑な気持ちになってしまうのだった。 おじさんは、リンクに少なくないことを教えてくれた。彼はリンクの命の恩人で、魔法その他においての恩師で、そして宿敵だった。だけども彼は優しい人だった。 彼は、世界を敵に回すには優しすぎた。 記憶の中で垣間見た半狂乱の時の勇者、彼の方が余程恐ろしいものだったのではないかと思う。少なくともリンクが相対した魔王という名を持つらしいものより、ゼルダ姫を失って慟哭し咽び泣いた少年の方が遥かにおぞましかった。 確かに時の勇者が討ち倒した巨漢は、魔王と呼ぶに相応しい存在であったと思う。世界を支配するのだとのたまって憚らない。力のトライフォースがもたらす圧倒的な凶暴性でハイラル王国を死の国に変え、魔物を放ち、暴虐の限りを尽くした。あの男は、間違いなくそう呼ばれるものであったと思う。 その男と彼は同一人物なのだという。だがある時彼は、力と破壊を求めることの虚しさに気が付いたのだと言った。 何が真実で何がまやかしなのか。ただ一つ言えることは、リンクに向かって死を望んでいるのだと呟いた「おじさん」の目は、何も嘘を吐いてやいないのだということだった。 「おじさんは、今は寝てるんだっけ」 「おじさん? 今真昼ヨ、リンクのおじさんは……あ、ガノンのコト。そうね、寝てるっていう表現が一番合ってるかもネ。あいつまだ死んでないもの。千年前から、ずっと生きてる」 「……可哀想な人だよ、おじさんは」 「かわいそう?」 「うん。あの人は疲れたんだって言った。もう死にたいって。でも、願いは叶わないんだ。力のトライフォースがある限り永遠に一人ぼっち。お姫様も勇者も、誰も彼の傍にいてやることは出来ない。ずっと女神の手の中で弄ばれて孤独なまま。……でもそれは彼自身が招いた末路なんだ。大昔に『どうなってもいいから力が欲しい』って女神に言ってしまったから、その報いを今もまだ受け続けてる。僕なんかが言えることじゃないかもしれないけれど、あの人は可哀想だよ」 昔、三つの神の力は一つに寄り添って存在していた。けれど砂漠の盗賊王がその力を見付け出し分不相応な高望みをしてしまう。善悪を問わないトライフォースは願いに答えるが、正しき三つの心を持たない者であったが故に不完全な力だけが彼に宿り力の女神ディンの慰みものにされてしまった。 不完全であるために盗賊王は残った二つの力を求め、勇気を宿す勇者と知恵を宿す姫君を殺して自らを完全にしようとした。しかしそれも叶わない。勇者に殺され、力を求める怨霊だけが残り盗賊王は魔王になる。人ならざるものになる。 取り返しの付かないことになる。 「僕、おじさんのこと好きだったんだ。おじさんには良くしてもらったし、助けてももらったし、あの人は優しい人だった。本当は、いいことが出来る人なんだ。それに気付いたのは人間を止めちゃって随分経った頃だったみたいだけど。……最後に酷いことを言ったけど、それでも僕はあの人のことを嫌いになれない」 「そっか。リンクは、そういうふうにガノンのことを考えられるんだネ」 「僕は?」 「時の勇者はネ、そういう甘いことは全然考えてなかったヨ。嫌いとか憎いとかそういうあらゆる感情の前に、多分時の勇者にとってガノンドロフっていうヒトはどうでもいいものだったんだわ。お姫様を傷付けたり苦しめたりしたから怒ったけど、あの時はお姫様のことばっかりで本当はガノンドロフのことなんてどうでもいいと思ってたんじゃないかなって思う。積極的に殺したいと思ってたわけじゃないわ。邪魔だったから倒した、きっとそれだけなの」 ナビィがぽつりぽつりと漏らす。リンクが知っている時の勇者という人は確かに変わった人だったが、魔王に関心がなかったとはまた大層な言い方だ。 「……それは、随分なんというか……あー、クレイジーだね?」 「ナビィはよく知らないけど、お姫様と離れ離れになった後は相当大変だったってダークリンクが言ってたヨ。狂的だったって」 「それには覚えがある。あの人は世界を呪っていた。ゼルダ姫がいない世界なんか滅んでしまったっていいって言ってた」 「うわぁ、なにソレ」 ナビィがぞっとしない様子で羽をもたげる。リンクも良い気分はしない。世界を救った勇者が世界から追放されてのけ者にされる。楽しいことではないし、面白くもない。 「でも、仕方ないんだ。なんにも悪いことをしてないのに惨い仕打ちをしたのは神様だよ。どっちかというと同情的になるかな僕」 だけどリンクはそんなふうに嘯く。時の勇者は世界を呪ったが、彼はその代わりに世界から弾き出されていた。世界中全てを敵に回さんとした魔王よりも世界に冷たく当たられていた。 時の勇者は悪くない。ただ間が悪く、そして運がなかっただけだ。 ◇◆◇◆◇ 辿り付いた場所は荒涼としていた。古臭い石造の建物は風に晒されて風化している。くすんだ茶色の外壁は同じ砂漠にあるからか魂の神殿と似ているが、あちらよりも殺伐としていた。かつて処刑場と呼ばれた名残であろうか。 薄暗い内部に入ってみると、砂地に侵食されてあちこちが砂に埋もれている。嫌な予感がして試しにそこらにあった骸骨を投げてみると、音一つ立てず綺麗に砂の中に呑み込まれていった。 「……底なし沼だ。いや、蟻地獄かな……蟻いないけど」 「気を付けてネ、ナビィは浮いてるけどリンクは浮けないんだから」 「わかってるよ」 フックショットやらを駆使して内部を突き進むと、程なくして開けた空間に出た。灯台に青い焔が灯っていて薄ぼんやりと全体を把握することが出来る。何処か儀式めいたその広間には神聖さと妖しさを奇妙なバランスで併せ持ったレリーフや彫像の飾りが施されていて、リンクを不可思議な気分にさせた。 「今更だけどさ、大神殿ってここでいいのかな?」 「ナビィに聞かれたってわかんないヨ。地図通りに来たから砂漠の処刑場であることは間違いないと思うわ。大神殿かどうかは……でもゼルダ姫は砂漠にあるって言ってたよネ。神殿っぽいと言えばそうだとは思う」 「まあ進めばわかるか……そういえばここ、モンスター全然出ないんだね」 「奥に行けば出るかもヨ?」 「勘弁して欲しいよ」 軽口を叩いて奥へと進む。道に迷うことはなかった。どの部屋にも大きく開かれ、明を灯して存在を喧伝している扉があったからだ。そのあからさまなまでの作為性、誘導性といったものはどこかしら記憶とトライフォースを集める二度目の旅が持つものに似ていた。リンクは途中で確信を深める。このあけすけな誘い方は間違いなく大神殿へ来いとゼルダ姫を通じてメッセージを残した人物のものだ。 恐らくはダークリンクのもの。 そういえばダークリンクは光の勇者と共謀していたようだが、一体二人にはどんな繋がりがあったのであろうか。二人が顔を合わせるタイミングというものが上手く想像出来ない。 ただ、何が二人を繋いでいるのかはすぐに思い当たった。時の勇者に違いない。 「会ってみたかったな、一度。千年経っても色んな人を巻き込んでるはた迷惑な僕のご先祖様。誰かの記憶を覗き見るとか伝え聞くとかじゃなくって直接会って話をしてみたかった。もう無理だけどね。時の勇者はどこにもいないんだ」 千年前に時の勇者は死んだ。死人は口を開かない。骨は言葉を喋らない。動く死体のスタルフォスだって人語は介さない。それは絶対のルールだ。死人はもう蘇らない。 死者が再び現世に呼び戻されることなどあっていいはずがない。 ◇◆◇◆◇ 「よう。待ちくたびれたよ。何せ千年だもんなぁ。いやあ、本当にしんどかった」 それは何のてらいもなく、ただふざけたふうにそう言うのだった。初めて相対したが、しかし何度か見た覚えのあるものだ。 ダークリンク。時の勇者の影にして魔物。詳細不明正体不明のアンノウン。 「お前さんには何度か冷や冷やさせられたが、最後まで概ね予想通りに動いてくれた。あらゆる全てが思い描いた通りに動いてくれるってのは結構気分のいいもんなんだって、今度のでわかったよ。ここまでみんな俺の手のひらの上だ。何か言うことあるか?」 「……別に。聞きたいことはいっぱいあるけど今の言葉に大しては特にない。敷かれたレールは見えてたもの。他に進む場所がなかったからレールに添って歩いてた」 「ほお? ま、どうでもいいけどな。そうだ、折角だから何でも好きなこと言えよ。聞きたいことがあるんだろ? 教えてやってもいいぜ。冥土の土産って奴」 剣呑なダークリンクの態度にリンクは背から一振りの剣を抜いた。神の剣マスターソード。あらゆる邪を祓い落とす絶対にして神聖な退魔の剣。ナビィはダークリンクのことを魔物だと言った。ならばこの剣も通じて然るべきだ。 嫌な予感がするのだ。実のところ、ダークリンクの瞳を見てしまった時から冷汗が止まらないのだった。 赤い無感情な瞳の色は血の色に似ている。血の色は嫌いだ。好きじゃない。 神殿の最深部に存在するこの部屋に辿り付いたのは探索を始めて一時間と少し経った頃だった。その間モンスターは一切出現しなかったが、残念なことにナビィの「奥に行けば出るかもしれない」という言葉はこうして現実になってしまっている。ダークリンク、これがモンスターでなければどうしてこんなにリンクは動揺して、恐怖を覚えているのだ。喰い殺されるかもしれないという恐怖をだ。 部屋は然程広くなく、こじんまりとしていたが建物全体と比べると明確な差異というべきか、強烈な違和感があった。まず、白い。潔癖で完璧な白さがある。部屋の奥にはハイラル王家の黄金の紋章と薄桃色の巨大な水晶があった。反射して中はよく見えないが、そういえばゼルダ姫が守護する水晶が奪われたと言っていたような気がする。きっとあれがその水晶なのだろう。 「聞きたいこと、聞いていいんだよね。まず一つ、どうしてこの部屋はこんなにも白くて、清潔で美しく、なのにあなたみたいなものが平然と立っているの?」 「みたいなものとは随分な言い草だな。俺は別に姫に害成すものじゃない。姫を護ることは、姫さんとの契約のうちだ。白いのはあいつの趣味。光の勇者が増設したんだこの部屋」 「……光の勇者」 「そ。ああ、お前あいつには会ってるんだっけ。断っておくがあいつは悪い奴じゃないぜ。何も悪いことはしてない。汚いこともしてない。責めるべきじゃない」 肩を竦める。実に気安い動作だが、リンクの悪寒はなくならない。アイデンティティの崩壊、という言葉がちらりと脳裏を掠めた。ダークリンクという存在がリンクの世界を破壊してしまうような気がした。 文字通り嫌な予感というわけだ。 「……どうしてこれが冥土の土産なの? あれだけ面倒な手順を踏んで、わざわざ記憶を集めさせて、なのにあっさり殺すの?」 「ああ。殺しはしないけど、まあそれに近いかな」 振り絞るように尋ねるとあっさりと肯定の旨を返される。動悸が早くなるのを感じた。思わず剣を取り落としそうになる。ナビィが名前を呼んだような気がするが、遠くてよく聞こえない。 「……なんで?」 「だってお前、要らねぇもん」 泣き出しそうな声でただ一言問うと、ダークリンクはまるでなんでもないことを、例えばとりとめなく流れている雲を指して空が青いと特に意味もなく言う時みたいに極めて自然にその言葉を吐いたのだった。 酷く恐ろしい言葉だった。リンクはその先を理解した。それが、ダークリンクが何を言わんとしているのかわかってしまった。 耳を塞いでしまいたい衝動に襲われる。だがダークリンクの酷薄な薄っぺらい笑みが暗にそれを無意味だと告げている。どうしようもない。 逃れようがない。 「必要ないんだ。お前という一個人の人格は寧ろ邪魔だな。お前は、あいつ――時の勇者の体の代替品でしかない。だから要らないんだ」 死刑宣告を受けて、リンクの世界が脆く瓦解する。 |