――祈り 暮らす 誰のために? ――祈り 捧ぐ 君のために。 時の勇者の物語W -小さな希望のおはなし- はかない花のように美しくも、力強い若木のように勇ましくも、老齢の大樹のように素晴らしくもなかった。 終えてみればその一生は殆ど愚劣と言っても差支えのないもので、少しの幸福とどん底と、そして良くも悪くもない平凡で出来上がっていた。世界を救ったことに関する感慨もなく、ただ「一回目の終わり」が訪れたのだろうという感触だけがそこにあった。 ナビィと再会して己が子孫の行く末を見守り、三百年を過ごした後の別れの時に影と再び見えたことは少し意外だったが、それ以外は予測できていた予定調和で、そうあるだろうと思われていたものだったのだ。何せ付き合いが長い。その人が、そうするだろうというそれぐらいはむしろわからなければならない。 「なあ、そうだろ、フロル」 顕現を予期して振り向き、言ってやれば緑を基調とした佇まいの女神が困ったように笑む。やれやれと首を振ってリンクはからかうように続けた。 「俺の性格がねじ曲がっちゃったのは今に始まったことじゃないし、半分ぐらいは多分フロルのせいなんだからな。『相変わらず傲岸不遜』だって? 最後に会ったのは三百年ぐらい前なのによく覚えてるなあ」 有限の大地にあまねく生命を創ったトライフォースを司る黄金の三大神が一柱、フロル。リンクを加護する勇気の女神であり、三大神で一番のお人よしだとリンクが思っている存在だ。全員と会ったことはないが対応から考えてネールは厳格主義者でディンは気紛れ者、といったところだろう。その二柱と比べるとやはりフロルはお人よしなのである。 例えば、簡単にリンクの願いを聞き届けてしまうところなんかがだ。 三百年前、寿命による死を迎える際にリンクはフロルにあてて明確に祈りを捧げた。「後継者が現れて成長をするまで見届けたい」というその願いをフロルは拒むことなく叶える。しかもずっと探していた妖精ナビィを付けてやるという豪華特典付きでだ。 ナビィによると、彼女は三大神以外の神によって生ある限りのリンクとの接触を禁じられていたのだそうだ。それはフロルに溺愛されてこの世界のバランスを崩してしまったリンクへの懲罰だったのだが、最後にフロルはそれを潜り抜けてナビィを寄越した。 確かにフロルは神の定めた禁則事項を破ってはいない。何故ならリンクは死者だからだ。彷徨える死者は生ある限り、という規則に縛られない。だがそれにしたって人が良すぎる。自分達より最終的には権能が高いと言える女神に異を唱えることが出来ない神がどんな心地だったのかはリンクにはわからないが、案外何も考えていないかもしれない。 「本当にサービスいいよな。なあ、どうしてだ? 一回聞いてみたいとは思ってたんだ。最後にダークまで寄越してさ。あいつ、ガノンが核なのに……と言ってもそれはネールが核だというだけで女神様からしてみれば大した差異じゃないのかもしれないけど」 『我が子に厳しいだけの親がどこにおりますか。正しき勇気を持つあなたは我が愛子。試練は力あるものが受ける代償として当然のものですが、それ以外はあなたに最大限の便宜を図ります。力に付随する利益の一つとしてです。いけませんか』 「……ネールとディンが何も言わないのならいいけど、その便宜の図られ過ぎが結果的に俺にとって一番辛い出来事を引き起こしてしまったんだ。それはどう思ってる」 『ですから、妖精ナビィは手元に返したでしょう……? 私とてそれが限界でした。神々の摂理には、乱してはならないものもあります』 少し厳しい声音で糾弾してやるとフロルはやや縮こまって失態を恥じるように俯く。全能ではないが、殆ど万能の力を有している世界の創造主の一人であるはずの彼女は傲慢でも不遜でもなくただ謙虚で博愛主義者だった。絵に描いたような女神像。だがその実態もリンクにはお節介で過保護だという感想しかもたらさない。女神に誰よりも愛された神の子はもうそんなことには慣れっこで、そしてどうでもいいと思っていたからだ。 リンクはゼルダ以外を愛さない。彼はともだちの妖精や妻子を好ましく思っていたし、自らの影に感謝もしていたがだが彼女以上に、もしくは彼女と同列には決して愛していなかった。冷血であるだとかそういうことはなく、それはただ単純に好ましさのレベルが違うというだけの話だ。ゼルダはリンクの最愛で永遠で、そして世界で一番大切な人だった。 ゼルダが世界の全てだった。 「まあ、しょうがないんだってことは分かってるよ。知ってる。もしやり直せたらって昔は思ったけどもういいんだ。今はもう望まない」 『……諦めたという、ことですか』 「そういうことかな」 からからと笑い、肩を竦めて答える。フロルの声はわかりやすくあからさまなまでに曇っていた。けれどリンクにそれを気遣うそぶりはこれっぽっちもない。明確な諦めの意志表示だった。でもしょうがないことだ。どうしようもない決定事項があるのだから。 「――だってもう俺、死んじゃってるだろ?」 ◇◆◇◆◇ 時の勇者が人間としての寿命を終えたのは彼が最愛の姫君と離別を余儀なくされてから百年程後のことで、それは寿命による死だった。フロルの寵愛を受けていた彼は自殺することも出来ずのうのうと、天寿を全うすることになる。だがそこで彼の存在が消滅することはなく、世界の摂理を守ろうとする神によって奪われたナビィをフロルに与えられ三百年の猶予を手に入れた。そして次世代である自らの子孫に継承を行い、三百年もあった猶予ももはや尽きようとしている。 女神の力で留まってはいたが、リンクは本来人の子だ。女神に愛されるあまり神に目を付けられ、彼女がために人智を超える力を有したこともあったがそれでもやはり時の勇者は人間だった。その体に流れる血液は鮮紅に相違ない。 人ならざる魔王に堕ちたガノンドロフとの違いは恐らく何を欲したかどうかだ。ガノンはただ純粋なまでに「全てを」求め全てを欲した。だが時の勇者は多くを望まずそして自身のためには何も求めなかった。 時の勇者が願っていたのはいつだって世界の平和で、人々の安寧で、そしてゼルダの幸福だったのだ。 「……そういうこと」 ぎりぎりの一線で踏み留まって尽力した彼ではあったが、それでも願いは叶わなかった。魔王ガノンは死なない。不死不滅の怨霊となったガノンは永遠に眠りと破壊を繰り返し、平和と安寧を脅やかす。ゼルダの幸福は、知ることも出来ない。世界ごと引き離された彼に知る術などあろうはずがない。 「そういう、こと……」 時の勇者の影であるダークリンクは、自らをプログラムだと称した。そして光の勇者はダークリンクに協力をしていた。あのお人好しそうな光の勇者が理由もなく酷いことをする人間ではないだろうということをリンクは信じている。ならばその彼を突き動かす理由があるはずだ。少年一人の人格を、生命を犠牲にしてまで成したい理由がだ。 「みんな、あの人を救いたかっただけなんだ?」 ――だから影も光の勇者も、誰よりも悲惨な運命から、回り続ける残酷な歯車の上から、絶対的な神の手のひらの中から、時の勇者を連れ出して終わりにしてやりたかっただけなのだ。リンクはくずおれてへたりこんでしまった。もう涙なんかとっくに枯れ果てていた。 「今のままじゃ三つ巴の泥沼は終わらない。おじさんは僕には殺せなかった。心臓を抉っても僕に出来たのは眠らせてあげるだけ。おじさんもゼルダ姫も、決定的な力は持ってない……どうしようもない。このままなら、また僕とゼルダ姫の子孫あたりが何百年か後に『魔王』を封印して、それをずっと繰り返してしまう。おじさんはずっと一人で……ずっと、自分が嫌で苦しくて、寂しそうに笑うんだろうな」 でも、と口に出す。もしここで自分が影の思惑通り自身の存在を時の勇者に差し出したとしてだ。それで本当に何かが上手くいくのだろうか? 少なくともきこりの少年として育ったリンクの存在はそこで消えることになるわけだから、血縁の叔父とそれから送り出してくれたゼルダ姫には無断で死ぬことになってしまう。あの姫の信頼をそういうふうに裏切ってしまうのはあまり好ましくない。 二人が時の勇者を救いたいと願った気持ちはとてもよくわかるのだ。あの人は可哀想な人だった。子供であることを幼いうちに止めてしまってからは皮肉屋でニヒリストで、自分が好きではなくて、そして世界を呪っていた。かつての彼の純真で一途でよく笑う少年の面影は見るも無残に打ち砕かれねじ曲げられ、あまり笑わない醒めた人格が出来上がってしまっていた。 信じていた世界の崩壊がどれだけ強烈に彼を苦しめたのかは推し計ることしか出来ないがそれでもその痛みが生半可ではないことは容易に想像が付く。その彼に、もしゼルダ姫と再会させてやることが出来たのだとしたら? そりゃあ、リンクだってそうしてやりたいと思うだろう。 もう一度、でも、と呟いた。だけどあの人は運命に縛られている。 ◇◆◇◆◇ 「死ぬのを後伸ばしにしてたっていつか限界は訪れる。幽霊のままいつまでもってわけにはいかないんだ。俺はもう行かなきゃ。生命を司るフロルならそんなことは百も承知のはずだろう」 『あなたも、承知しているでしょう。幾度生まれ変わっても……あなたは永却に宿命から逃れることは出来ないのです。私と交わした契約は破棄出来ません。ネールとディンの子らもまた同様。まともな終わりなど、収束など、ありませんよ。それでも行きますか』 「そりゃあね。いいことなんかないよ。どうせまた、その時のお姫様と一緒にガノンを殺すことになるだろうし。折角違う人生なのにやってることは同じ。でもそれは仕方ないんだよ。呪いなんだ。俺がガノンを斬ってあいつが怨嗟を吐いて始まりの俺達を呪ったから、もう誰にも変えられないし止められない。ディンの呪いの力はネールともフロルとも結抗しているから、今更どうにも出来ない」 三柱の女神は互いに釣り合いの取れた力を有している。どれか一つだけが突出して強いということは絶対になく、いかなる状態でも調和を取っている。そういうふうに出来ているのだ。逆に言えば、どれかを滅ぼすということが出来ないということでもあって、だからディンの寵愛を受けたガノンドロフを勇者と姫君で殺すこともまた不可能なのだ。 まして相手のガノンドロフはオリジナルのままで、こちらだけが代を重ねていくことになる。むしろ差を付けられているといってもいい。 「でもさ、あいつは一人なんだ。死んで生まれ変わるまでの間、俺とゼルダは何も考えなくていいかもしれないけどあいつは寝てる間孤独を強要される。孤独が人格を蝕んで……まだ微かに残ってる人間性を脅やかす。不公平じゃないかなって思うんだよ。それにさフロル、このすごく明瞭ではっきりした事実がある限り俺が幽霊のまま留まることに意味はないしむしろ辛いだけだ」 『ですが、』 「この世界のどこにもゼルダは、俺が愛した人はいない。だから生きてた頃も幽霊の今もそしてこれから先死後の次の未来でも、時の勇者のいる世界はいつだって地獄だ。どこだって煉獄だ。俺の未練と後悔と絶望は根本ではなくならない。こちらの姫と会って、ダークと過ごして、その後ナビィと色々やって……一番酷い時よりは俺も落ち着いたけどでもやっぱりゼルダがいなきゃ俺の世界は始まらないんだ。ステレオのまま、モノクロのまま、決して俺の幸福の針が進むことはなかった。これからも、今までも」 フロルはもう何も言わなかった。何も言わず、その慈悲深い瞳で神の力に愛されてしまった孤独な少年を見ていた。彼が神の力に魅入られてしまったことは、不幸であったのだろうか? だがそう問えば彼はイエスとは答えないのだろう。姫君のために力が必要だった彼にとってあの契約は最善で必然だった。何が間違っていて、どこで狂ってしまったのだろう? ――そも、人間のちっぽけで矮小な存在で過ぎた力を望んだことそのものが誤りだったのだろうか? 「それならいっそ何もかも忘れて違う人間になってしまえればどんなにか楽だろうかってことは、何度考えたことだかもうわからないよ」 かつて時の勇者と呼ばれ自らの幸福と引き換えに世界を救い、そして神の仕打ちに世界を呪った少年はただ寂しく哀れな蒼い瞳で自嘲するように笑んだ。 |