さよなら箱庭 幸福神話 「伝えろって、言われましたからね」 腕組みをして光の勇者が言うと勢いを削がれたような顔をして勇気を司る神は俗っぽい顔をした。 「いや、まあ、うん、言ったけど。……俺が言うのも何だけど成仏とかしなくていいのか?」 「機を逃してしまったんですよね。正直なところいつ成仏すればいいのかわからないんですよ」 唸り声で返答を返すと光の勇者は「でも、良かったですね」と正直な笑顔で言う。なんだかんだで、ある意味一番の苦労人だった彼だがそれに対する不満とかはとりたててないようで、ただにこにことしていた。 「俺はご先祖様がしあわせになれたのなら、それでいいんです。もう慣れてしまいましたし。時の賢者にこき使われるのもそこまで悪くはないですよ」 「王家の姫に何故か頭が上がらないよなお前……お前がいいんならいいんだけどさ。一応負い目とかあるんだよ」 かつて時の勇者と呼ばれた神は腕組みを解いて伸びをしながら首を捻る。純朴でそれ故に多少要領の悪いところがある彼の性分は、一度死んでいるはずなのだがあまり変わってはいないようだった。素直さは長所であり短所でもある。だが、それについてとやかく言うことは今はしないことにした。 ハイラルの大地は相変わらず平穏で波立ったこともなく、静かな風が吹き抜けていた。その風が欲しかったのだとかつて魔王と呼ばれた神に聞いたことがある。ゲルドの荒涼とした砂漠の砂礫とは違う生命力のある優しい風が欲しかったのだと。七年後に荒廃して穏やかな風がなくなってしまっていたことを指摘してやるとその神はばつが悪そうに俯いた。途中から手段と目的を取り違えていたのは言うまでもない。 「あの、ご先祖様。一つだけ聞きたいことがあるんです」 「いいけど何?」 「……あの人は最後、どういう顔をしてました?」 きょとんとしてから、あああいつか、と手を叩いて神は記憶を手繰る。思い出しているとなんだか腹が立ってきたが光の勇者に罪はないので抑え込む。 「腹が立つぐらい幸せそうに死んでいったよ。俺を支え、いつの日かゼルダと引き会わせるのが使命だった、って言ってた。愛してたっていう遺言もセットで付いてきた。死ぬ間際に言われてどうしろっていうんだか。……でも、まあ今なら悪くないなって思える。元々魔物のくせしてさ、ほんと……」 「あの人は偽悪者になるんだって、そう言ってました」 「そっか。まあ、そういう奴だったって言われればそうかもしれない」 時の勇者の影の、光の勇者への誘い文句は「神に背く罪を引き受けてやる」というものだった。そもそもが汚れものの存在だから代わりに手を汚してやるというのが影の言い分だった。神が定めた絶対のルールである時の勇者と始まりの姫君の不干渉を破るために影は世界の規則を無数にねじ曲げた。 元々がイレギュラーだからやり易かったのだという。舞台を整えてお膳立てをし、女神の加護を受けた最後の勇者の意識を潰し、「時の勇者ではない人間」の意識に強引に時の勇者の意識を上書きした。とてもではないが、簡単な所業であるとは言えない。偽悪であろうとした影は嘯くのが得意だった。 「あの子も、いなくなったんですね。俺が切り捨てた犠牲とはいえやっぱりちょっと心苦しいです」 「あっちは、人間だから運命は変えられるって言って俺の中に溶けていったよ。――尤も今はもう、人間じゃないんだけどな。皮肉なもんだ」 「そうですか?」 「そうなんじゃないかな?」 肩を竦めて疑問に疑問を返す。伝説になった勇者の少年は「でもまあいいんだ」とどこか諦めたように漏らした。 ◇◆◇◆◇ 千年の時を経て一つに戻った万能の神の力は、その名に違わず眩いばかりの黄金の光を放っていた。黄金の三大神、と三柱の女神が呼ばれているのを思い出す。完全な姿のトライフォースには何でも一つだけ、触れたものの願いを叶える力があるのだという。ただし、力を持ち知恵も兼ね備え、勇気ある人間が触れなければばらばらに砕け散ってしまうのだ。それは大昔に実証されている。 リンクは無言で黄金のトライフォースに手を触れた。神の力は善悪に拘わらず等しく可能性を与える無審判の力だ。昔に比べれば遥かに薄汚れてしまった指先だが問題はない。 「俺達の願いを叶えてくれ、トライフォース。もうこんなくだらない運命は、変わらない永遠は要らないんだ。世界を我が物にしようとする盗賊王も、祈ることしか出来ない姫君も、切望だけで剣を振る子供も、どこにもいない。女神に愛されるなんてまっぴらなんだ。せめてもう、俺達が地上で殺し合わなくていいように」 リンクが祈ると、トライフォースは一層眩しく光輝いた。柄にもなく綺麗だと思った。少し悔しいような気もしたが、やはり美しかった。 「俺達のことが気に食わない神様もいるみたいだけどさ、でももう代償は充分払っただろう? 対価は出てる。俺の代わりに抜け道を探して実行した奴らの存在が、ごみみたいだったとは言わせない。――だから俺達は自由になるよ」 黄金の三大神ではない神からの声はなかったが、リンクは沈黙を肯定と受け取り小さくなったトライフォ−スを握り込んだ。神々はこの大地を、世界を創世した女神には権能において勝ることが出来ない。だから世界のバランスを保つための懲罰をリンクに与える際はゼルダに作業を代行させたのだろう。 そういえば、リンクが罰せられた理由は世界のバランスを乱したことだった。人の持てる力を大きく凌駕してしまったためにその力の根源である思い出を奪われたわけだ。人を辞めたガノンはそのまま、死ぬことの出来ない魔物にされた。長すぎる生もまた、ガノンの力を削ぐには丁度良かった。年月は心根を変え得る。 「今になって思うと、ゼルダに俺を飛ばすよう言ってきた神様達にも悪気はなかったのかもしれないかな」 「わたくしは今でも腑に落ちておりませんけれど」 「案外役割を果たしただけなのかもしれない。三人の最高神は抜けてると言うか、適当と言うか、世界のバランスを保つという意味ではあんまりあてにならないからさ。……だろ、フロル」 『私は、我が子を思っただけです』 緑色の勇気を司る女神は、現れて早々投げ付けられた言葉に複雑な表情をしていた。だがバランスのコントロールをしていないという点ではリンクの言う通りなのだ。何せ黄金の三大神は世界を創り、生き物を創り、知恵を与えてからは基本的に世界を放置しているのだから。 フロルの隣にいる厳格な知恵の女神ネールはあまりよろしくなさそうな表情で立っているが、力の女神ディンだけはどこ吹く風といった様子で歯牙にも掛けず飄々として立っていた。フロル以外の女神を見るのはリンクとしては初めてのことだ。「どういうこと?」と簡潔に尋ねる。フロルは徐に頷いてリンクの手をそっと握った。 『契約は、絶対です。破棄は出来ません。その魂を繋ぐ盟約であるということは覚えておいででしょう。ですからあなた方の願いはこうして叶えましょう』 「ああ、結局そうなるんだ……」 『ですが、あなた方は摂理の神々が定めた命運から結果的に逃れましたよ。それとディンの戯れからも。私もネールも、トライフォースが人の願いに応えて起こすものにしか関わりを持ちません。私達はそういう存在だからです』 リンクは三人分深く溜め息を吐くと苦笑いをする。もう一方の手でゼルダの手を取ってガノンに目配せをすると二人は黙って頷いた。 やがて三柱の女神と三人は光の中へ消えていった。黄金の光はとても美しく、王国全土に広がり渡ったという。 ◇◆◇◆◇ 「しかし、この表題はいいのか? よく通ったよな。王家は健在だろ」 「うーん、でもこれ付けたの俺じゃないんですよ。中身を書いた……というか、書かせたのは俺ですけどね。でもいいタイトルだと思いますよ? だってその通りでしょう」 「いいんだけどさ。俺の名前はないんだなって……」 「いやいやありますって。こっちの分厚い歴史書。書いて貰うの大変だったんですよ。多少脚色しつつも赤裸々に暴露してみようと思って……」 光の勇者が差し出した革表紙の重たい本を受け取りぱらぱらと捲って勇気を司る神は眉を顰めた。次第に表情が悪くなっていく。ぱたんと本を閉じると彼はしかめっ面で「どうにかならないのか」と問うた。 「献上前なら、差し替え効くだろ。何なら俺自ら出したくもない天啓を出してもいい。俺は神のあの権威は大嫌いだがこれを差し止めるためなら仕方ないかと考える」 「詳細に歴史を書き残すのってやっぱりまずいですかね?」 「俺が嫌なんだよ」 「じゃあ、多少書き改めましょう。少しぐらい謎が残っている方が確かに楽しいですよね」 あっさりと主張を呑んだ光の勇者に多少面食らって、自分が強硬な態度を取ったくせに「いいのか?」と間抜けなことを聞く。光の勇者はにこにこと笑ったまま「ご先祖様の頼みは断れませんよ」としれっとして答えた。歴史書を置いて、代わりに絵本を手に取って渡す。青空と花畑、それから少年と少女が表紙に描かれたその絵本を一瞥すると神は表題を一読した。 「ゼルダの伝説。時の勇者リンクと王国の姫ゼルダのお話」 絵本の中表紙では、在りし日の少年と少女が満面の笑みを見せていた。 |