Take me out to the Starlight




 あの男に、そんなものは期待していないんです。そういうやつですからね。



「――って、カイが言ってたんだけどさオヤジ」
「あんだよ」
「オヤジはそれでいーのかよって話!」
 いつにもまして胡乱な声で振り向きもせずに答えたソルにシンは唇を尖らせて半ばなじるようにそう問うた。季節は秋。それも殆ど終わりかけ、冬との境目も曖昧になっている頃。ここ数日イリュリア城内、いやもっと言うのであれば首都イリュリアの城下町そのものがなにかと浮ついて慌ただしい。その理由は街中にいそいそと飾り付けられている垂れ幕や人々の噂話からすぐに明るみになった。
 曰く、イリュリア連王国の臣民に愛され親しまれる第一連王カイ=キスクの生誕を祝して、祝日に制定されたその日は盛大な催し物を行う、とのことで。
 思い返してみればシンはカイの誕生日にイリュリアに居合わせたことがそうない。直接はっきりと祝ったことはなかったかもしれないと思い至ったシンは早速カイにその旨を尋ねに行き、何が欲しいかを聞いて……シンのくれたものなら何でも嬉しいですよ、と言われてしまいそちらの収穫はあまりなかったが……その後、ふと思い出したように呟いた。そういえばオヤジは、全然用意してる感じしなかったけど、と。

「でもカイとの付き合い長いし、街中あの様子じゃ忘れろって方が無理だ。オヤジは誕生日にお祝いとかしないタイプなのか?」
「それは、私よりも数年連れ立っていたシンのほうが詳しいのではないですか」
「つってもオレの誕生日も晩飯が豪華になるぐらいだったなー。ほらオレさ、成長早いから、正直一年に一度の誕生日が成長を実感する日……って感じは、あんましなくて」
 あと、頭をがしがしと撫でられたような気もする、と付け加えるとカイは昔を懐かしむような顔をして「そうですか」とシンの頭を優しく撫でた。頭をわしわしにされた覚えがカイにもあったらしい。話でしか聞かない、二人が聖騎士団に所属していた頃、のことだろうか。
「私も、あなたが遠くにいるとどうしても物を送るぐらいが精一杯でしたしね」
「あ、そういうんじゃ、ないぜ。カイの気持ちは……今は、わかってる、つもり。ほんとに単純に、オヤジはそういうのやんないのかなって気になったんだ。なあカイ、今までにオヤジから誕生日プレゼントみたいなのもらったこと、あるのか?」
「どうでしょう、形に残る物をわざわざ渡されたことは、ないんじゃないかと」
「形に残らないものは」
 カイはしばし考え込むように手を顎に当てて唸った。まだシンをディズィーとの間にもうける前、カイは日夜仕事に明け暮れ、ソルは根無し草で世界のどこを放浪しているとも知れない身だった。カイ自身が自分の誕生日にそれほど頓着していなかったこともあって、気がついたら知人同僚に祝われて終わっていたような日にわざわざあの男がパリを訪れたような記憶はない。所属柄カイも大体いつも人に囲まれていたし、近づきやすい状態ではなかっただろう。
 そしてそれは何も警察機構時代に限ったことではなく。
「あなたと同じように、一度、頭を撫でられたことがあったかもしれない。私の誕生日にソルがそばにいたことって、実はあんまりないんです。一番所属が近かったのは聖騎士団にいた頃ですけれど……その頃も、私は大抵団員に囲まれて身動きが取れなかったりして。目に余るようなら連れ出してくれることはありましたけど、誕生日となると」
 せっかく用意してもらった誕生日パーティから主賓が抜け出すわけにもいかない。カイの顔にそうでかでかと書いてあるのを見逃すソルではない。逆に気を遣って、かといって輪に交ざるようなタイプでもないので、彼は自室に戻って休んでいた――ように思う。
 そう答えるとシンは落胆したように息を吐いて肩を落とした。
「ええ、それじゃほんとに、ないのか」
「でも別に、それを気にしたことはなかったな。多分そもそも、あの男にそんなものは期待していないんです。そういうやつですからね」
 それがソルのいいところでもあるんですよ、とカイはまるでシンを宥めるように付け足すと微笑んだ。しかしシンはそれに納得が出来ない。それってなんか寂しくないか? とシンは思ってしまうのだ。だってシンは知っている。カイが、毎年クリスマスの日に、「誕生日なんざ忘れた」と言って憚らないソルの元に降誕祭を兼ねてプレゼントを贈っていることを。
 だったら一回ぐらいお礼というか、そういうのしたいって思わねえのか? 純粋なシンにその疑問を抑えることは出来なかった。よって彼は今、こうして宿に戻った養父を問いただしているわけなのだ。

「つってもな」
 しかしソルも強情だった。
「モノなんざ、坊やは世界中あちこちから贈られてもてあましてるだろう。騎士団の頃からそうだったが、警察機構に移籍して余計に酷くなり、かといって無碍に処分も出来ないたちだからあいつの家では手のついていない本が本棚を圧迫しいつか飲むためとされたワインがワインセラーを席巻して日用品の買い足しが要らないほど倉庫に補填されている有様だった。王城暮らしの今なら多少は仕方ねえが、個人宅でだぞ。これ以上は邪魔になるだけに決まってる」
 何故ソルがカイの自宅の事情にこれほど異様に詳しいのか――その異常性に全く思い至らないまま、シンは「だから俺はやらん」と頑として譲らないソルに首を傾げて見せた。確かにソルの言うことは正しい。カイの元には献上品やらのたぐいが地位と人徳が相まってそれこそ毎日のように送られてきている。何度か困った様子のカイを見たことがあるから間違いない。だが。
「でもオヤジからのなら別だろ」
 名前も知らない有象無象からの贈り物は有り難くてもやっぱり何かと扱いが難しいことがあるとしても、親しんだ友からのそれはやはり別格だ。シンやディズィーからの贈り物が検閲なしで彼の元に直接渡るように、カイにとってソルからの贈り物はひときわ特別なものであるはず。
 しかしそんなシンの問いかけに首を振るのは、今度はソルの番だった。
「あいつ俺がやった食い物は食わねえんだよ」
 食い物どころか万年筆でさえ使わないときやがる。そう続けたソルの言葉は不機嫌そうだったが、それ以上にどことなくしょげている節があった。
「どういうことなんだ?」
「あいつがまだガキの頃、飴玉をやったらそのままポケットに入れて部屋に帰った。街で婆さんの荷物を運んでやった時に押しつけられた万年筆が上等そうなモンだったんでとりあえず坊やにやったが、後日引き出しの奥の方に仕舞われてるのを見つけた。だったらモノなんざやらんほうがいい」
「……それさあ、もったいないって取っといてただけなんじゃねえの?」
「なんでんなことする必要がある」
 モノなんざ使ってなんぼだろう。ソルの目はそれに疑いがないという調子で訝しげにシンを見てきていた。そう言われてみればソルは、カイに贈られたプレゼントを食べ物ならすぐにシンと分けて食し、物品であるならば日用品の中に即座に招き入れて即戦力にしていた。
「や、でもさ、宝物とか大切にしたいからとか」
「使わない方が勿体ないだろうが」
 ソルは即座にぴしゃりとそう言い捨てた。
 ははあ、つまり、そういうことか。
 シンは一人で納得して頷いた。ソルとカイの間では、「嬉しいいただきもの」の認識に非常に大きな隔たりがあるのだ。
 カイにとってそれは「すぐに消費せず、楽しみにとっておくもの」なのに対してソルにとってのそれは「有り難いからこそすぐに消費するべきもの」なのだった。
 まあ流石に飴玉はいつまでもポケットに入れていたりはしなかっただろうが、それでも、口に運ぶまでに数日は持ち歩いてとっておきにしていたはず。そうするとソルはカイが自分がやった飴玉を食べたのかどうかわからないだろう。従ってソルは己の行動を「無為」と判じることになり、ならばいっそものなどやらないほうがまし、という結論に至ってしまったのだ。
「はぁ〜あ、なるほどなあ」
 腕組みをしてうんうんと頷くとソルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「何一人で納得してやがる」
「オヤジがカイに物を贈らない理由はよくわかった。だけどさオヤジ、今年はオレ達イリュリアにいるんだぜ。カイの誕生日前に旅立たなきゃいけないって予定もないし。なんかしたっていいと思うんだけど」
「俺が坊やに尽くす義理は」
「ある」
 目を逸らすようにそこで切れた言葉をシンが勝手に拾い上げて繋ぐ。カイは毎年ソルにプレゼントを贈ってきていた。それは息子の養育を頼んでいることへのお礼の面も兼ねていたのだろうが(そういう意味で考えれば尽くされる義理はあっても尽くす義理はない、或いはチャラだと言えないこともないが)、何より、カイからソルへの親愛の情の証としての意味合いを強く含んでいた。カイは確かに律儀だが、だからって何とも思っていない相手へあんなに手の込んだものは贈らない。それをシンが分かるんだから、ソルが分かっていないはずはない。
「ま、義理って言うとなんかヘンだけど、要するにオヤジがなんもしない理由もないだろってこと! オレは今年は、母さんと色々計画してるんだ。でも母さんにオヤジも混ぜねえの? って聞いたらオヤジはオヤジでやるだろうからって言ってたしさ」
「……」
「それでオヤジが別になんもしなくたって確かにカイは何も言わねえだろうけど……期待してないって俺に言い切ったぐらいだし……とにかく、俺は今年はカイを祝うぜ!」
 それだけ言い終わると、シンは気が済んだのか、「じゃ、母さんのとこ行ってくるから!」と言い残してぴゅーっとソルの前から消えてしまう。ソルは気難しい顔で腕組みをしたまま、深く深く溜め息を吐いた。心なしか、頭痛がする。好き放題言いたいだけ言ってどこかへ行ってしまったシンに、やはり教育の仕方が多少まずかったかもしれないという思いが強くなる。
「……頭、撫でてやるっつう年でもねえだろ、もう」
 それから、密やかにシンの後ろ姿に在りし日の彼の姿を重ねた。


◇◆◇◆◇


 鮮烈に記憶に残っているのは、まだ十五歳の幼いこどもだった頃のカイ=キスクの姿だ。今のシンよりもよほどあどけない横顔で、しかし戦場では誰よりも前に立ちこどもがするべきではない顔色を覗かせてギアを屠っていた彼は、その日はとても素直なこどもらしい表情で人々の輪の中に紛れていた。彼の誕生日なのだとは、聞かなくても誰もが教えてくれた。聖騎士団の中でもある種偶像崇拝的な愛され方をされていた少年の生まれた日を団員達は口々に祝った。パリの本部中が、その少年を慈しむ色とにおいであふれかえっていた。
 テーブルの上に山積みになったプレゼント・ボックス、部屋じゅうに飾られた愛らしい花々、ごちそう、拍手と祝福の言葉、それらが、彼が普段は努めて潜めさせようとしている少年らしさをありったけ引き立てていた。その日カイは紛れもないその場の主役だった。たくさんの団員がひとめ彼にお目に掛かろうだとか、プレゼントだけでも渡せたら、或いは、握手や言葉が交わせたらと彼のもとを訪れていた。
 いつもならば、男は彼が困っているだろうからとあんまりに多人数に囲まれていれば少年を外へ連れ出してやる。しかしその日ばかりは男もそうはしなかった。何しろ少年のための誕生日パーティなのだ。連れ出す方が野暮なのに決まっている。
 しかし男はその集団の中へ割って入る気にはならず、ひとまずその場を去って自室へ戻った。自分があの場にいたってなんにもならないか、しらけさせてしまうだけだろうと彼は思っていた。
 その後彼が少年の顔を見たのは夜が更けてからだった。
「……何しに来た?」
「いえ、あの。今日1日中、姿が見えないなと……またどこか抜け出してたりしないかって」
「生憎今日は出てねえな。なんだ、俺が自分の部屋にいちゃ、いけないのか」
「そういうことでは、ない、んですけど。……顔が見たかったんです。そ、それだけ……」
 言葉尻は恥ずかしがるように口ごもって発せられた。いつもなんでもはきはきと言い切る彼には珍しいことだった。
「俺の顔なんざ見て何になる。坊やのご尊顔なら泣いて拝む奴らが今日はそこらじゅうをごろごろしてただろうが」
「ソルの顔を見ると、安心します」
 問うとカイは今度はしっかりした言葉でそう答えた。彼の言葉は短かったが、その中に彼も気付かぬうちに多くの意味が込められているであろうことをソルは感じ取っていた。
 ソル=バッドガイの顔というのは、その時のカイ=キスクにとり、「死んでどこかへいなくなってしまうことのないもの」だったのだろうということは容易に想像が付いた。また同時にそれは、仮託された保護者のそれでもあり、彼が欲しがっている頼りがいのある強い男の象徴に近いものでもある。聖騎士団は常に死と隣り合わせの集団。今日少年を祝った顔のいくつが来年も彼の前に立っていられるのかさえわからない。その恐怖を無意識下に彼は持っている。
「安眠導入剤が要り用か、坊や? 怖い夢でも見そうなのか」
「相変わらず失礼なことを……今日はたくさんの人にお祝いしていただいてとても幸せな気分なので、きっとそんなものは見ないと思いますよ」
「ならいい。処方箋の持ち合わせがないんでな。こいつで勘弁願おうと思ってたところだ」
 そういう見立てもあって、ソルはその時、カイの頭を撫でるに至ったのだ。
 プレゼントの用意なんかもちろんしていなかったし(だって彼はそんなことを口にしないから、団員達が浮き足立って飾り付けをはじめた当日の朝までソルは彼の誕生日を知らなかったのだ)、かといってそこらにあるはずの飴玉をやっても彼が口にしないでポケットに入れてしまうことをソルは知っていたから、となると出来ることなんてそのぐらいしかなかった。頭を撫でる。父親が息子にそうするように、ともすれば、恋人にそうするように。少年の小さな頭はパーティの帰りだからなのか、いつもより少し乱れていた。だから遠慮無く撫で回した。
 その時カイはソルを拒まなかった。拒まない代わりに、少しだけ俯いて、赤みが差した頬を隠そうとした。
「そ……ソル。その、意外です。あなたに人の頭を撫でる趣味があったなんて」
「子供の頭ぐらい撫でることもある」
「また、私を子供扱いして」
「なんだ坊や、そいつは、子供じゃなくなった後も頭を撫でられたいって意味か?」
 ソルの無骨な手のひらを甘んじて受け入れた子供は小さく唇を尖らせるとどこかほっとしたような声音でそんなことを言う。記憶にない、覚えてもいない父親の手のひらに重ねているのか少年は安堵しきっていた。思えばカイの頭を撫でたことはその時までなかった。カイの十五歳の誕生日はソルが入団して数ヶ月した頃の出来事で、十六歳の誕生日はソルの記憶にはないのだ。彼が十六の祝いを迎える前にソルは封炎剣を持って出ていってしまったから。
「ソルになら、考えてもいいです」
 カイが言った。

 その日以来、何度か、よく頑張ったなと言う代わりにカイの頭を撫でることがあったが、カイはそれに対してはあまり文句を言わなかった。でも聖騎士団を移り、彼が国際警察機構に籍を移してからはそうする機会もそうそうなくて、そうこうしている間に彼は結婚しもうけた子供をソルに預けて……。
 そしてその子供が大きくなって「何故誕生日に何もしないのか」などと聞いてくる。年を食ったな、とソルは思った。お互いに、もう十五年も経ったのだ、でも、あの日子供だった彼がうつくしい横顔をソルに見せるのは今も変わらない。


◇◆◇◆◇


 その日のカイは例年になく忙しかった。午前は特別解放された庭園に押し寄せた国民達に向けて手を振るためにバルコニーに立ち尽くし、午後は要人との謁見に忙殺された。城下の方で行われているらしい催し事に足を運ぶ暇も与えらえないほど数多のお偉方が遙々イリュリアへ押しかけた。最早この日は外交の要の一つだった。イリュリアの若く美しい賢王、元老院や聖皇庁の干渉を除けば世界で最も強い権力を持っていると言えないこともない第一連王とのパイプを取り持っておきたい人間は決して少なくないのだ。
 そんな要人方の来訪が今年はとみに多かった。おかげでディズィーに予め伝えていた「夕方にはそちらへ」という約束を大幅に破らねばいけない羽目に陥った。
 妻と息子の元へカイが解放されたのは午後七時を過ぎた頃。日が落ちるのが早い秋の終わりの空はとうに夜の帳を降ろしきり、星々がちかちかと瞬いていた。
「うわ、すげーやつれてる。カイ、大丈夫か?」
「ええ、なんとか。でもディズィーとシンが用意してくれたものを見れば、きっと吹き飛んでしまいますよ」
「そりゃ結構! ……って言いたいとこなんだけど、ごめん、ちょっとだけお預け! オヤジがまだ来ないんだ。なんかどっか行っちゃったみたいでさ、オレとドクターで城中を方々探し回ってんだけどこれが全然。で、悪いんだけど……」
「わかりました。シンが探してもあの男が出てこないということは、まあ、私に探させたいということでしょうね」
「よろしく頼むぜ! ……って、え? カイに探させたい?」
 ……なんで? と可愛らしく小首を傾げた息子に笑いかけてカイは大聖堂へ向かうべく踵を返した。なんとなくだが、いるのならそこではないかとあたりをつける。シンは城中を探し回ったと言っていたし、シンが侵入を止められるような場所へはソルも無理矢理押し入ろうとはしないだろう。その理由がない。となると彼がいるのは城の外でほぼ間違いないだろう。
 そして外に出るのならば、彼がこの街で選ぶ場所は高い確率でそこ……のはずだ。何故ならあの場所は、カイがソルに「きっかけをもらった」場所であり、再会の思い出が連なる場所だからだ。
 城の裏手へ回って走る。しかし今日は本当に星が美しい。そういえば外へ出て交代に戻って来た兵士が、城下の中央通りもそれはすばらしい景色だと話をしていた。残念ながらそれは見ることが出来なかったな、と思いながら裏手へ続く階段に足をかけようとする。だが持ち上がった靴底はいつまで経っても石の上には乗らなかった。
 後ろから、大きな手が伸びて、カイを掴み上げたからだ。
「――ソル!」
 両腕で後ろから抱え込むように持ち上げられた態勢のまま勢いよく振り返ると、そこには今まさに探しに外へ出ようとしていたソルの姿があった。彼の両手はがっちりとカイを掴み上げており、じたばたしても多分降ろしては貰えないだろう。カイは大人しく抵抗を諦めた。
「相変わらず軽いな、『坊や』」
「そんなところにいたのか。私はてっきり城の外にいるのだとばかり……さあ、私を早く地面に降ろして、そして一緒に戻るんだ。シンやディズィーが待ってる」
「ディズィーの方には言ってあるから問題ない。第一、なんで俺がこんな茂みの中からのっそり出てきたか、わかるか? 俺が城下にいるとあたりを付けたテメェが城の外へ出ようとした時に必ずここを通るだろうと張り込んでいたからだ」
「な……えっ?」
「シンがいっちょまえに言うもんでな。『オヤジはそれでいいのかよ』だと」
 そのまま、ソルはぶら下がっていた下半身をふわりと持ち上げるとカイの肢体を横抱きにして飛び上がった。
「え、あ、うわ、ちょっと」
「黙ってろ。間違って舌なんぞ噛まれた日にはたまったもんじゃねえ」
 カイの頭の中を酷い混乱が襲い、疑問符が乱舞する。ソルがわざわざ張り込んでカイを待ち伏せていた? 一体なんのために。それにだ、この、両手で膝と背を抱え込む態勢は、絵本の中で王子様が姫君にそうするような、よしんば現実にやるとしても――そういえばカイはこの持ち上げ方を妻に対して過去に行ったことがある気がする――紳士が淑女にそうしてやるべきもので、まかり間違っても大人になったカイがされるべきものではないはずだ。しかしソルの方にそれを考慮してやるつもりはさらさらなさそうだった。仮に彼にそれを問いただしたとしても、きっと、「運ぶのにこれが一番楽だ」とか言うのに違いなかった。或いは「なら肩に担がれたかったのか」とも。
 およそ六十キロの重荷を抱きかかえているとはとても思えないような軽やかな足取りでソルはとんとんと高くへ上っていく。上へ――そう、言葉通り、「上へ」だ。足取りがどこへ向かっているのか、数分もした頃にはカイにもわかりはじめていた。塔だ。塔の上。セントエルモを受け止めるための避雷針として立てられたあの。
 例の作戦の折にソルが登った場所。
「着いたぞ、ほら」
 落っこちないようにとしがみついていた上から降ってきた言葉にいっぱいに目を見開いて世界を見た。
 眼下には裾を広げる城下街、頭上には満点の星空。街々は彩りよく法力灯でデコレーションされ、華やかに賑わっている。空はかかる雲も少なく、色とりどりにちりばめられた星達が月明かりに照らされて輝いていた。世界中が宝石箱になったみたいだ、と思った。三百六十度ぐるりと、どこを見回しても、パノラマの中で宝石がきらきらしている。
「……きれいだ」
 口を突いて出た言葉は、我ながらなんだかひどくこどもっぽい感想だな、と思った。思った通りにソルは「こどもみたいだな」と笑った。そうして彼は頭を撫で、カイを抱え直した。
「だってきれいなものは、きれいだ」
「そりゃそうだ。テメェが築いた景色だ、よくよく見ておくといい」
「私が? いや、それは違うだろう。城下の飾り付けに関しては私は何も口を出していない」
「イリュリアの広い国土の中でも最も美しいのは第一連王が治める首都イリュリアだ――とはもっぱらの評判だぜ」
 カイはまたたきをして城下と星、それからソルの双眸を順繰りに見た。褒めている。ソルがカイを面と向かって褒めるのは珍しい。この男は養い子のシンにはかけ算が出来たぐらいで上出来だとか言うくせに(たぶん、小さな頃から面倒を見ていたぶん欲目があるんじゃないかとカイは思っている)、カイがこの上なく美しく組めたと思っている術式を見せた時は「相変わらず小難しい手順が好きなんだな」と言って隣に簡略式をさらさらと書き出してみるようなところがあった。もう十五年も前のことだったが……それがすごく悔しかったのでカイはそのことを未だに忘れられないでいるのだ。本当に彼にとっては何気ないことだったのだと思うのだけれども。
 でもカイは同時にソルがとても優しい男だというのを知っていたから、そのぶん余計に、彼がくれたかたちあるものを大事にした。万年筆は今でも第一連王のデスクに仕舞ってある。キャンディは、もう流石に食べてしまったけれど。
「おまえは、私にこれを見せるためにシンやドクターから隠れて茂みの中に張り込んでいたのか?」
「思いついた中で一番上等なのがこれだった」
「ふふ……馬鹿だなあ。私はソルのくれたものならきっとなんだって喜んだのに」
「……でもテメェは俺のやった飴玉、食わなかっただろ」
 夜景を視界いっぱいに焼き付けながら尋ねると、ソルはぶっきらぼうにそんなことを言う。言葉少なだったがカイにはそれで言わんとすることが全てくみ取れた。照れ隠しに似ている、と思うと少しばかり表情筋が緩むのを止められない。
「あれなら、すぐに食べるのがもったいないから取っておいて、七日後に食べたんだ」
「なんで七日後だったんだよ」
「お守りにしてたから。おまえと別の方面へ出陣した時の。それで無事被害も少なく任務を達成したので、その時に口に入れた。……笑うなよ。あのキャンディを持ってる間は、おまえがそばにいない時でも、一緒に戦ってくれているような気がしたんだ。……嬉しかった」
 ソルがくれたものは、みんな。その中にはこの星空はもちろん、キャンディーと万年筆、いつかくれた野花、たくさんの言葉、シンに注いでくれた愛情、それからカイに向けられたもの、かたちあるものとないもの、ありとあらゆる全てが含まれている。ソルの方もそれが分かったようで、まんざらでもなさそうにそりゃよかった、と言った。やさしい声。その声が好きだと言うと、とっておきだからなとなんでもないことみたいに返ってくる。
「耳貸せ、カイ」
 背中を支える手が手伝ってくれてカイの上半身をぐっと上に押し上げる。言われたとおりに耳を彼の口元に寄せると、その中にするりと祝福の言葉が注ぎ込まれる。
 カイは花が咲いたみたいに破顔すると、もう少しだけ背伸びをして祝言を紡いだ彼の唇にキスをした。