※ソルが騎士団に入る前くらいの頃
※まあ脂ぎった怪しいおじさんたちにさらわれたことはあるよねというやつ
※魔性の子ということを一緒に書こうとしたらちょっと後味悪くなってしまった
「道具は賢く使わにゃならんでしょう」
でっぷりと肥え太った、脂ぎった男の言葉だった。私利私欲だけで五体を満たしているようなその男は、この戦乱の時勢に似つかわしくない清潔でのりのきいた衣服に身を包み、その隙間から、やにのついた汚らしい目つきで一人の老人を見ていた。瞳の中には隠しきれない下賤な好色が覗いている。それを見、老人は溜め息を尽きたい気持ちを堪えて曖昧に頷いた。
「はて、わしは、斬竜刀のほかには賢く使うべき道具は持ち合わせておらなんだが」
「とぼける必要はないと思いますぞ、ご老体……失礼、『聖騎士団団長殿』」
「左様、竜殺しの英雄が今や肉体と共にその知能まで老いを迎えた――とは我々も言いたくはありませんなあ。あの『殺人機械』は、知恵が付く前に我々が『賢く』管理してやらねば。聞けばまだ十五の幼子だとか。一度我々にあれを預けてみては、ご老公」
「ご免被る。あの子が貴公らに学ぶべきことはないと判ぜられる故――おお、失敬。一つだけありましたな。貴公らのような生き方にあの子が追い求める正義は何一つない、というその一点だけは、まあ反面教師として大いに役立つやもしれぬ。そんなくだらない事実を学ばせるために手放すつもりは、勿論ありませぬがな」
「……貴様ッ、言わせておけば……!!」
末席に座らされていた老人がそう答えると、長テーブルを囲んでいた男達はざわめきたち、上座にほど近いはげわしのような出で立ちをした男など、立ち上がって老人を睨み付ける始末だった。だが激情したその男を、周囲に座っていた他の役員達が慌てて諫める。老人にはまだ利用価値があり、また、今の時勢、失うわけにはいかない貴重な戦力であると同時に人心を集める旗頭だ。そして第一に老人には力がある。生ぬるい手段ではくたばらないぐらいの、生き残るための力が。
だからこそ彼もこの場で剣呑な切り返しを選んだのだ。絶対に自分は殺されない。その自信があって、敢えて強気に出たのである。
「座りたまえ、フランシス公」
「しかし、オクタヴィア公!!」
「喋るなと言っているのだ、わからないか」
老人の対面(とは言ってもテーブルが長大すぎる故、老人の席からでは彼の顔はあまりに遠く見えた)に座っている顎髭を蓄えたこの議会の主が激情した男を宥める。声を掛けられた男はびくりと図体に反して小心ものめいた動きで身体を揺らし、大慌てで再び席に着いた。
やれやれ、だ。権力構造の縮図、しかもそのいやらしい部分だけを上澄みから汲み取ったようなこの会議に顔を出すのが老人はいつも大変に嫌だった。しかし今日だけはこの席を断るわけにはいかなかったのだ。老人の肩に、全ての責任が掛かっていた以上。
「ではそれが貴殿のお答えなのですな、クリフ・アンダーソン翁」
「何度も言わせるでない。あの子を貴公らにはやれぬ。戦争はまだ続いている。人々は脂ののった豚などもう百年も口にしておらぬ。あの子は希望じゃ、希望の鼻を曲げるわけには、わしゃ、いかぬよ」
「ふむ、随分と自信がおありのようだ。わかりました、翁の意思は固く、了承は取り付けられそうにない。では我々も相応の手段に出るしかありませんな……」
今宵の会食は簡潔に言えば、国連理事会からの「カイの引き渡し要請」の場だった。聖騎士団が大事に育ててきたかの少年を、五年も経って熟した頃だろうからと身勝手に要求してきたのだ。当然こんな馬鹿げた話を受けるわけにはいかない。聖騎士団を預かるものとして、また、カイを息子同然に育ててきた養父代わりの身としても。
第一、この老人達がカイに何を望んでいるかなど、見え透いている。彼らはカイが怖いのだ。たった十五歳の幼い身で、百万都市を更地に変えるメガデス級ギアでさえ条件が整っていれば容易に葬ることが出来るカイを恐れている。彼らはカイを人間だと思っていない。自分たちにない力を持つものを人は恐れる。それが操縦の効かない、いつ牙を剥くかもわからぬものであればなおのこと。
だからものわかりのいい操り人形にしてしまいたい。自分たちに従順な道具に躾けたい。そのために取ろうとしている手段もまた下劣極まりなく、悪趣味そのものであろうことはまず間違いなかった。金と時間と権力をもてあました阿呆共は、何故かいつも似たような方向に拗らせる。
「好きにすれば良い。最後に勝つのは何かなど、相場は常に決まっておる」
だからそのために手は打ってきた。この場にクリフが出向いた時点で保険は動いている。恐らくクリフが帰還した頃、団の敷地にもうカイはいないだろう。クリフがカイのそばにいるうちには絶対に手出しは出来ない。カイとクリフを一時的にでも引き離すため、彼らはクリフに選択権のない誘いを掛けてきたのである。
クリフが挑発するように言い棄てると、オクタヴィア公は冷笑した。
「ではこの勝負、我々の勝ちでしょうな、クリフ殿」
「馬鹿言え。正義以外が勝つなんぞということがあってたまるものか」
◇◆◇◆◇
――ここはどこだ?
目覚めて一番にカイは自問自答をした。ここはどこだ。知らない天井、部屋中に充満した砂糖菓子のようなあまったるい匂い、不愉快な衣擦れの感触。少し視線を動かすとこれまた見たこともないような調度品の数々が目に入った。どれもこれもあまったるい、少女趣味が浮き彫りになったような意匠をしている。それからカイははっとして自らの身体を確かめた。やはり、見たこともないような衣服が自分の身体にまとわりついていた。
「お目覚めかね」
知らない男の声。耳に入れた瞬間得体の知れない不快感に襲われてカイは咽せた。本能がその男の声を拒絶しているのだとわかる。「気分が優れないようだね」と男が伸ばしてきた手をカイは反射的に払いのけていた。
「何者です、あなたは……!」
「とんだじゃじゃ馬だな、これは。騎士団で蝶よ花よと育てられているとは聞いていたが」
「質問に答えなさい。あなた方の目的は。私に……」
「なに、難しいことではない。我々国連理事会は君という兵器を教育することに決めた。それだけだよ」
当然のようにそんなことを宣う男にカイは血の気が引いていくような思いを覚えた。国連理事会。今朝方――もうそれからいくらか日が経っているのだろうけれど――クリフ団長が仕方ないので出掛けてくる、とカイに言った招集の相手だ。聖戦という国の境が崩壊しかけた時代において、世界中で最も強い権力を持っている組織の一つ。聖皇庁に紐づけられた元老院が得体の知れぬ特権委員である一方で、非常にわかりやすい「旧時代の権力体勢の頂点」として君臨している機関。
以前からきな臭いところがあるとカイも思ってはいたが、まさか本当にこんな――人道を無視し、それをまるでなんとも思っていないような、そんな人間がいるとは。しかしそれがわかってみれば、カイが閉じ込められて(いるのだろう、恐らく)この空間の悪趣味さも全て説明が付く気がした。
「あなた方に請う教えなど何もありません」
「兵器は野放しにしておくべきではない。鎖を付け、誰が主人であるかを覚え込ませ、なんならば、命令に従順に尻尾を振る犬でさえあってもいい。制御出来ない兵器などギアと何も変わらん。君はとても賢い子だと聞いているよ。ならばこの意味が、わかるだろう」
「わかりかねます。私は兵器などではない。ただの子供です。クリフ様は常々そう仰っていました、己が特別だと思うことなかれ、と」
反吐が出そうだった。吐き気を押さえながら突っぱねると、男の唇がにんまりとつり上がる。止めどない悪寒。にじり寄ってくる男から逃れようと試みたが、状況はどうしようもなくカイに不利だった。
「なるほど、志は大層ご立派なようだが、残念だ……君の逃げる場所などどこにあると言うのだね。観念して素直になりたまえよ、どうせなら楽しんだ方が有益だろう」
「……これ以上近づけば、私は法術をもってあなたを迎撃せねばなりません」
口から牽制の言葉を流しながら、後ろ手に組んだ指先に法力を集中させるべく意識を移す。だが、いつもなら即座に意思に応えて発動する術式がいつまで経っても起動する兆しがない。まさか。いや、当たり前だ。カイは目の前が真っ青になっていくのを感じた。監禁するにあたり、武器は当然として、カイの最大の獲物である法力を封じないはずがないではないか。
カイがそれに思い当たったのがわかったのだろう、男はますます卑しい笑みを浮かべてとうとうカイの額をねっとりと撫で上げた。
「おお、怖い怖い。これだから言うことを聞かない兵器はいけないな。先に言っておくが、君の首にそれが填っている限りお得意の雷も何も出せんよ」
「下劣な……!」
「何を馬鹿なことを。道具にはセーフティを付けるべきだ。我々に言わせれば、君のようなものを野放しにしている騎士団の方がいかれている。ああ、助けなど期待しないことだな。ここは理事会が所有しているゲストハウスの地下だが、まさかパリのど真ん中に君を監禁しているなどとは誰も思うまいよ。例え気がついたとて、ここへは騎士団の連中は来られん。人類と君を秤に掛けて人類を見捨てるというのであれば話は別だが……」
ひどく上機嫌な様子で、男は聞かれてもいないのにべらべらとひとりでにあらゆることを話した。その饒舌ぶりは彼が絶対優位に立って気をよくしていることの表れでもある。突く隙があるとすればそこだったが、カイには手段が何もない。万事休す。首にはめられた枷を忌々しげに見下ろした。フリルとリボンで彩られたチョーカーは指を掛けてもびくりともしない。
「君の『教育』を最初に誰が担当するか、についてはこれはもう大変な議論が巻き起こった。予算会議などよりもよほど長引いて白熱したものだ……そして私は君を一番に手なずける権利を得たというわけだ。一生分の幸運を使い果たしたかと思ったが、君のその穢れを知らぬ無垢そのものという顔を歪めることが出来るのだ、安い代償だろう。まったくもって君は魔性の子だよ。君を手に入れるためにどれだけの醜い諍いが起こったか、最早考えるまでもない」
そしてそれは理事会の老人達の間だけに及ばないだろう、と眼を細めて男が笑った。更に、今に君を巡って世界中で争いが起きるかもしれなかった、と嘯く。下卑た欲望を隠そうともしない脂ぎった顔がカイの間近に迫る。
それはカイがこれまでの人生で一度も味わったことのない類の恐怖だった。戦場で、ギアを前にして、命の危機に見舞われて、幾度もカイは恐怖という感情を抱いてきたが、こんな気分になったことは一度もなかった。足が竦んで動けない。ギアを前にした時はそれでも剣をふるえたのに。抗う術を奪われ、生理的嫌悪というものを全身に張り巡らされ、カイは強張った顔で瞳を閉じる。
「――なるほど。確かにテメェはそれで、人生における全ての運気を使い切ったってワケだな」
すると不意に誰か知らない男の声が割って入ってきて、まぶたの奥が真っ赤に弾けて染まった。
「怪しいとは思ってた。あの爺さんがわざわざ事務局を経由して俺以外食いつかなさそうな依頼を出してきた時点で、まあ、こんなところだろうなとは思っちゃいた……」
部屋中が燃えていた。レースのカーテンや趣味は悪いが金は掛かっていそうな調度品、綺麗に磨き上げられた虚飾の設え、それら全てがぱちぱちと爆ぜる炎に呑まれていた。それらの中央にカイはいて、その目の前に一人の男が立っている。先ほどまでカイに迫っていた男とは違い余計な肉や脂肪のたぐいは一切無く、引き締まった男らしい肉体を彼は持っていた。
「……燃えてる」
「そりゃ燃やしたんだから、燃えるだろう。酸素がなかろうが燃えるべき物質がなかろうが爆ぜ散る法力の炎だ、酸素も物質もふんだんにあれば、火の海になるのも早い」
「依頼を受けたと言いましたね。賞金稼ぎの方ですか」
「ああ。思ったよりは利口そうだな。で……気になることはそれだけか?」
「ええと……」
呆然と口を開いたまま、カイはぐるりと一面炎の渦と化した部屋をベッドの上から見渡した。ベッドサイドに立っている賞金稼ぎの男のかたわらに、国連理事の男が倒れ込んでいる。「その男は」と問えば「もう死んでるか、これから死ぬか、どっちかだ」という素っ気ない返事。カイは「はあ」と曖昧に頷くとベッドから起き上がった。
「私を連れて行ってくださるんですね」
「……まあ、そうなるな」
「依頼人がクリフ様だということなら、私はあなたを全面的に信じます。どうぞどこへでも連れて行って。本当はこの、ひらひらして……心許ない服だけはどうにかしたかったのですけど、そんな時間はどうもないみたいですし。あ、この首輪だけはどうにかしていただけると助かるんですけれど……」
チョーカーを指さすと男が軽くそれに触れ、法程式をざっと読み取る。拘束術式と捕縛術式、それに法力封印術式が掛け合わせられた複雑な式で記述されたそれは、非常に高度な代物だ。男が依頼元から聞いていたところによるとこの少年はまだ年端もいかぬ幼子だという話だったはず。そんな子供にメガデス級ギアに掛けるような術式をあてているという事実にうんざりして男は深々と溜め息を吐いた。兵器として徹底的に恐れていた上で性欲処理の道具として弄ぼうとしているような輩が国連理事会にゴロゴロしているとは、これだから百年戦争は未だに終わる兆しが見えないのだ。
「すぐには取れねえ。ここを出るまでは我慢しろ」
「そんな、でもこれが付いたままでは多分私はろくに動けないと思うんです」
「問題ない。いいか、口を噤んでしっかり俺に捕まってろ。すぐに終わる。めんどくせえから本部にそのまま届けてやる。今頃爺さんはテメェの帰還パーティでも準備してる頃だろうよ」
えっ、と素っ頓狂な声を出したカイを強引に引っ掴んで担ぎ上げると、男は開きっぱなしの入り口に向かって走り出し、猛烈な勢いで廊下を駆け抜けた。直後、後方で大きな爆発音が響いて耳をつんざく。それらの事象があまりにも突拍子もなくて、明日の朝刊は謎の爆発炎上が一面に載るのかな、と漠然とカイは考えたが、地下という立地もあるしなによりここは国連理事会のテリトリーらしいから、誰にも気付かれることなく隠蔽されてしまうのかもしれない。
「ジジイも聖騎士団を預かる身で国連の膿を潰してこいなんぞ、よくもまあ言いやがる。そのうえ『うちの秘蔵っ子が傷物になったらただでは済まさん』と来た。まあ……正直胸くそのいい話じゃねえ。おい坊主、身体の方は、その拘束術式以外はなんともねえんだろうな」
「え、ええ……寝ている間に何かされた、ということも、ないはずです。どうも雰囲気というか手順を気にするタイプみたいでした。もうそれを問いただす機会もないでしょうけれど」
それを答えると、男はそうか、とだけ言ってなにがしかの言葉を喉の奥に飲み込んだ。
カイに手を掛けようとしていた男が死んだか、或いはこれから死ぬらしいということについて、カイは彼に尋ねることをしなかった。人々の安寧を守り、守護し、ギアを打ち倒すことを信奉してきたはずのカイだったが、告解の時間も罪滅ぼしの間もあの男には与えられなかったのかな、と思うぐらいだった。私利私欲を肥やして、民草が飢えているのを眺めながら悠々と豪遊を続けていれば、そのような末路もありえるだろうとぼんやり思っていた。つまり国連の膿と形容されたものは、カイの正義にもとっていたのだ。正義にもとるということは即ち悪だ。悪はいつか滅びる。カイがギアを滅ぼそうとしているのと同じで。
勝利すべきは常に正義でなくては。
「あ。……あの、あなたの名前!」
「ああ? んなもん聞いて、何になる」
「お礼がちゃんとしたいんです。だから」
しばらくして、カイはふと思い立って彼に名を尋ねた。これからこの男と長い付き合いになるような予感がしたのだ。
男はカイの問いかけにはじめ渋ったが、しかしカイが少し食い下がってみると男は逡巡の後、名乗った。
「……ソル。ソル=バッドガイ」
「ソル……ソル、はい、覚えました。わたしは――」
「いらねえ。テメェなんざ坊やでじゅうぶんだ」
「え、ええっ?!」
◇◆◇◆◇
「あまりいい思い出ではありませんが、今となっては、懐かしささえありますね」
カイ=キスクはパリの中央に立地しているある施設の中央ホールに立っていた。あれから十年あまりの月日が経っていたが、建物は綺麗なもので、よもやその地下でかつて炎上爆発があったことなど見ただけではわかりもしないだろう。国連理事会の会合場所としてまだ利用されていたそこにカイが立ち寄ることになったのは、長年押し進めてきた理事会の解体が正式に決定し、その通達をカイが請け負ったからだ。
「我々の首を取って満足かね?」
テーブルを囲む老人達のうち、最も上座に位置する顎髭の男が忌々しげに口にした。カイは素っ気なく「やっと成果が出せましたので、部下達も一息ついています」とだけ答えてやった。
「昔、クリフ様が仰っていました。最後に勝つのが何か、その相場は常に決まっている、と」
「戯れ言を。我々にも我々の正義はあった」
「十五歳の子供に首輪を付けて搾取の対象にしようとすることがあなた方の正義なのだとしたら、やはり、裁かれて妥当だったと言わざるを得ないでしょうね」
ぴしゃりと言いのけてやると、それ以上は言及してこなくなる。あの時カイの首に付けられた術式はそれなりに高度な法術の知識を要するもので、とてもではないが一般に流通しているものではなく、権力のあるものが金と時間を掛けさせて用意した一品であったことはまず間違いなかった。あのあと首輪はソルが粉々に破壊してくれたが――彼は正確なディスペルを面倒がってバグホールを一点突破する形で無理矢理それを外してくれたのだった――出所を解析して調べることになったソルは(そのまま成り行きで騎士団に入団したソルの最初の仕事がそれだったらしい)、事の顛末について非常にいやそうな顔をしてカイにはかいつまんで教えてくれていた。
「確かに正義とは一面的なものです。誰かの掲げる正義が同時に誰かにとっての絶対悪だということもある――かつて、かのギアの女王は私にそれを問いかけました。以来、私はずっとそのことを考えていた。正義とは何か。私がすべきことは……しかし」
チョーカーからは芋づる式に理事会の不正が明らかになった。違法薬物の流通、外法の悪用、挙げていけば枚挙に暇がなく、ソルに依頼を出す段階であぶり出されていた以上の悪事が明るみになった。しかし何分相手が悪すぎた。聖騎士団は大した権限を持った組織ではなかったから、結局その当時は理事会をまとめて潰すところまでは至らなかったのだ。
「悪事が詳らかになる時は必ず訪れる、ということについて、私の持論はいつも同じです」
転機が訪れたのはカイが国際警察機構の長官に就任してからだ。カイは何かと元老院の干渉を悪い意味で受けていたが、どうやら元老院の方でも、何ら利益をもたらさず浪費を重ねるばかりでそのうえ古い階級制度を引きずっている理事会は邪魔な存在であったらしい。理事会への手回しについてばかりは彼らも一切の干渉をしてこなかった。
「多数の支持を持つものが必ずしも正義だとは限らぬ」
「ご自分のことですか? オクタヴィア公」
「君にもいつか分かる日が来る。いいや……もしかすると、君には、君にだけは、永久に訪れぬものなのやもしれんな。あの《ネームレス》をさえ手なずけた君だ。人心を惑わした次にはついぞ世界をも惑わしかねん。考えてもみたまえよ、進んだ先に常に正義しかない人間なぞ、いるわけがないのだ。私とて……私とて、一度は、君のように志したことがあった……いつのことだかはもう思い出せないが……」
「……」
「……やはり君という存在は魔性だな。あの時、我々は君を欲しがるべきではなかった。思えばそれが全ての転落の始まりだった。君には掛け値なしに世界を動かす力がある。一時ヨーロッパを牛耳っていた我々がそう言うのだから、これはもう間違いあるまい」
声は自嘲に満ち、諦めが色濃く浮かび上がってきていた。栄枯盛衰の常というべきか、滅びは一瞬だ。何の力も持たぬ幼子は今や国際警察機構の頂点に上り詰め、正しく悪事を裁くための権力を手に入れた。金で買収できるような人間でもない。理事会は報いから最早逃れる術がないのだ。
あの時のカイのように、横から誰かが助けに来てくれるなどということもない。カイにその気はないのだろうが、殆ど性質の悪い意趣返しのようだった。
「君は美しくなった」
「お褒めの言葉と受け取っておきましょう」
「十五歳の時分から君は恐ろしいほどに秀でていた。故に我々は君の美しさを恐れた。これを放っておいては、どうなるかわからない、と……しかし今思えばそれは誘蛾灯に群がる虫の動きにすぎなかったわけだ。撒き餌に見事引っかかり、我々は道を誤り、やがて君は危惧を更に上回って美しくなった。その美しさの中にはどうしようもない君の甘さと、そして残酷さが内包されている。世界中に君を信奉するものたちがはびこっており、今もどこかで、誰かが君にその生涯を狂わされていることだろう。我々は君とさえ出会わなければこの末路を迎え得なかった」
「それは理想論であり、結果論でしかありません。私が居らずともいずれあなたがたは失脚したかもしれない」
「いいや、これは純然たる事実だよ。……カイ=キスク。我々が憎いかね? 一度でも、我々を憎んだことはあったかね?」
カイは首を振った。
「いいえ、おぞましいと思ったことはありますが、憎んではいませんね。その価値もない」
「そうか。我々は君が憎い。手に入れることが叶わず、他の男の手で磨き上げられ、そうして我々の前に再び姿を現した君が憎くないはずがなかろう。だが同時に感謝もしている。より危険な賭に手を出す前に身を滅ぼすことが出来たのだから」
「なるほど。では私も一つだけあなた方に感謝していることがあります。クリフ様が言っていました。あなた方が妙な気を起こすから、ソルを呼ばねばならなくなった、と」
だから私はソルと出会えました、とこれ以上ないぐらいの笑みと共に言ってやると、オクタヴィア公は少しだけ狐につままれたような顔をして、そして手を叩くと大笑いをし始めた。
「それはいい。傑作だ! つまるところ、君という道具を欲しがった時点で我々はクリフ・アンダーソンとの勝負に負けていたということか。狸め。……覚えておきたまえ、これが君に滅ぼされるものの一つの末路なのだ」
公はいつまでも笑い続けていた。笑い声はカイが通達を読み上げ終え、待機していた国際警察機構の者達が彼らを然るべき場所へ連行している間も、ずっと、止むことはなかった。