ポケットにキャンディ



 大体のことは、オヤジと酒を飲みに来たんだっていう頭にバンダナ巻いた知らない人――だって名前を聞く前にオレはこうして知らん土地にぶん投げられちまったわけだし――がオレの肩に手を置いたことから始まった。
 触られたかと思ったら、急に視界がぶれて、そのブレッブレの奥にいるオヤジはなんか心当たりがありそうな顔で頭を抱えている。「おい、ちょっと待て、助けろよオヤジ!」そんな風に叫んだ頃にはもう世界が引っ繰り返っていて、それでオレはドサリと音を立てて地面に落っことされた。石畳の硬い床はオレの尻をしたたかに打ち、手荒い歓迎をする。頭を打たなかったことばかりを不幸中の幸いと捉え、オレは一人で悪態を吐きながら立ち上がった。
 人気のない街だった。
 イリュリアの、首都とかじゃなくてもう少しこじんまりとした地方都市から、活気というものを取り去ったらまあこんなふうになるんじゃないだろうかっていう街並みの中にオレは立っていた。建物の感じが似てるんだな。オヤジに連れられて世界中ぶらぶらしてたから、そのへんは結構詳しい。例えばここがアメリカなら、もっとワイルドな建物が並んでるはずだ。建築様式、ってやつか。オヤジがここにいれば、そいつで場所を割り出すことが出来たかもしれない。
 でも、いないので、仕方なくオレは標識とか、何か手がかりになるものを探した。それにしても本当、わびしい、寂れた街だ。石畳を蹴るコツコツという足音も俺一人分しかない。
 どうにもおかしな感じだった。というのも、あたりは人一人住んでないような廃墟……という様子ではなく、どちらかというと何か脅威から身を潜めて戸を閉め切っているような……そういう調子だったからだ。
 ……この状況なら、いいかな。
 オレは自分自身に言い訳をするようにして、眼帯をちょっとだけズラした。普段は抑えてる視力とか聴力を一時的に底上げして、あたりの音を拾う。
 そうして最初に耳に入ったのは、何枚かの扉を隔てた向こうで聞かれていると思われる、ノイズ混じりのラジオの音声だ。
『……ンス第十八地区の……ギアの軍団が襲撃中。現在……対応中。近隣エリアの住民は外出を控え、……』
 ……ギアの、軍団? 
 聞き取れた内容に、オレは首を振った。その言葉が、どうにもオレの耳には奇異に聞こえたからだ。オレの知る限り、オレが生きてる世界で、人を集団で襲うギア、なんてものはもういないはずなのに。
 確かに、時々は理性を失って暴れてるヤツもまあいて、そういうのをオヤジが賞金稼ぎの仕事として狩っているのを見たことはある。でも大体いつも、そういうヤツは単体だった。理由を聞くと、「司令塔がいない今、群れて人里を襲う理由は大抵のギアにはなく、暴走したギアには他の個体とコンタクトをとるだけの理性が残されていない」からなんだってオヤジは言っていた。
 それがオレの当たり前だ。ギアは集団で無闇矢鱈に人を襲ったりしない。
 けど、そうじゃなかった時代が過去にはあったんだっていう。それも百年もの間。オレが小さい頃、母さんとカイが教えてくれた「聖戦」の頃の話だ。
 その頃、世界は「ジャスティス」に支配されたギアと人間の戦いに苦しんでいた。ジャスティスの目的は人を滅ぼすこと。人の目的は、その脅威から生き延びること……。
 そこまで考えた時点で、もうオレの足は勝手に動き始めていた。索敵範囲を大幅に広げて、戦闘中と思しき方角を割り当て、一直線に走っていく。急がないと。幸い、オレが最初に落っこちてきた地点がそれなりに近かったらしく、目当ての場所はすぐに見つかる。この先の丘の上だ。そこでいくつもの力がぶつかり合って、弾け、次々と何かが倒れていっている――
 胸を掻きむしるどうしようもない焦燥感に駆られ、オレは丘を駆け上がる。てっぺんには教会が建っていた。でも、聖堂のてっぺんにつけられている十字架は何か鋭い爪のようなものでえぐり取られた後で、風見鶏は首から上がぽっきりと折れてしまっていて、遠目にも損傷が酷く、そこが戦闘の中心になっていることは明らかだ。
「――誰かいるのか?!」
 そうしてぼろぼろの教会の中に押し入り、瓦礫の山を押しのけ、礼拝堂の奥へ向かう。一人だけ、そこに生きた人間が立っていた。背格好はオレより低い。
 ステンドグラスから差し込んでくる光を浴び、顔の欠けたマリア像の下に立っているそいつのことを、オレは一目見て、血まみれの天使みたいだ、と思った。
 いや、別に羽が生えてるわけでもないし、頭の上にわっかも乗ってないし、ソイツはただ血まみれなだけの、金髪の子供だ。なんだか見覚えのあるような白い服をあちこち血染めにして、そいつは壊れた聖像に祈っている。腰には、これもやっぱり血まみれになった剣が下がっていた。
 オレは息を呑んだ。
「あんたは――」
「……増援ですか? でしたら、もう結構。ここら一帯は片が付きました。これ以上の敵の増援はないでしょう。それより、本部に連絡して警戒態勢の解除を……いえ」
 子供が振り返る。そいつは、オレの姿を認めると一瞬、ちょっと驚いたような顔をして、それから急に険しい声になると剣を抜く。そうして切っ先が、ほんの瞬きの間に、少し離れた位置にいたはずのオレの首筋に押し当てられる。
「あなたは敵ですか? 味方ですか? ――三秒で答えなさい」
 どっと冷や汗が流れ出る。顔つきはかなりマジで、本気でオレを疑っているのは確かだ。オレはソイツの顔を見て喉まで出かかった名前を呑み込むと全力でホールドアップをし、一切の敵対心を持っていないことをアピールした。命あっての物種という言葉が、脳味噌のなかでちかちか光っている。
「味方! 味方だってホント!! 少なくともオレは人間を襲ったり急に暴れたりしねえって、マジ!!」
 我ながらものすごい情けない行動だと思ったけど、背に腹は代えられない。一応武器は持ってるけど、武力行使の影でもちらつかせたが最後、目の前の子供はきっとオレの首を無慈悲に切り捨てるだろう。そんなのはゴメンだった。オレだってまだ生きてたい。
「――はい。こちらカイ=キスク。第十八地区の殲滅完了。異常は特になし、本部より次の指揮を待ち現場待機します。どうぞ」
 ちらりと、もう一度横顔を伺ってオレは生唾を呑み込んだ。やっぱ、そうだ。多分だけど……実の父親に斬首されるとか、嫌だろ、そんなの。



 オレに敵意がないってことが伝わったのか、ソイツは間もなくすると剣を鞘に収め、こんなところではろくに話も出来ませんから、とオレを教会の外へ誘った。こじんまりとした礼拝堂を子供の後ろについて抜ける途中で、入ってくるときに瓦礫だと思ったものがギアの死骸だってことに気がつく。こいつをやったのが、目の前にいる、この子なんだろう。恐らくは。半径十メートルに俺達以外に人の気配はない。
「先ほどは失礼しました。人型のギアもいるので、人間の姿をしているからと言って気を抜くわけにもいかないんです」
「いや、別に、気にしてないから。それより、あんた……」
「聖騎士団第一小隊の隊長を務めているカイ=キスクです。あなたは?」
「ええと――シン」
「けっこう」
 鷹揚な態度で頷いて子供――カイは丘の上に腰掛け、隣に座るよう、オレに促した。
 名乗られ、改めて子供の顔をまじまじと見る。カイ=キスクなんて名前のやつが世界にそういるとも思えないし、この服とか顔にはなんとなく見知った男の面影がある。多分コイツは、正真正銘、オレの父親のカイなんだ。オレには何故だかすんなりとそれが納得出来た。それにしちゃ随分ガキみたいだけど、もしここが聖戦のまっただ中だとすれば計算は合う。時空を飛び超える奴らのことは、オヤジが昔話してた。もしオレがあの時肩を触られた男がそういう力を持ってるんだとしたら、そういうことも有り得るのかもしれない。
 でも、なんだってこんな時代に? いやそれよか、コイツはどうしてこんなところに一人で? この身体中に染みてる血だって、全部返り血だろう。これだけの返り血を浴びるほどのギアを、こんな小さなガキが、一人で。そう考えるとすごく歪で、オレはへんな気がする。オレが知っているカイは、こんな、死に急ぐような真似は絶対しなかった。あいつはあんなんでも、自分の命の価値をある程度正確に理解している。
「あんた、一人で……あれをやったのか?」
「ええ、まあ、仕事ですから。でも普段から一人でやっているわけじゃありません。たまたま、今回は現場に居合わせたのが私だけだったんです」
 それで恐る恐る尋ねると、カイが釈明するように言った。相変わらず顔には血がこびりついていて、生乾きで変色しはじめているものだから、見た目に似合わずすごい迫力だ。
「それより、あなたは何故ここへ? 周辺地区には警報が出ていたはずです。一般人が外へ出ていたら、死んでも誰も文句は言えませんよ」
「あー、まあそれは、なんていうか……。話すと長くなるんだけど、オレ、ちょっとこのへんに迷い込んじゃって……。それにオレは簡単にくたばらないから。戦い方は一通り叩き込まれてるし」
「……失礼ですが、正規軍に属しているように見えないあなたに何の心当たりが?」
「オレの――オヤジ、が賞金稼ぎなんだ。二人で旅してるから、身を守る術は真っ先に教えられた。で、オレはそのオヤジとはぐれてここへきた。それでいいか?」
「はあ、なるほど。賞金稼ぎの息子さんですか」
 我ながら雑な言い訳だとは思ったけど、カイはなんだか不思議そうな顔で頷くだけで、それ以上のことは追求して来ない。本当にここが聖戦の頃だとしたら、みんな大なり小なり色んな事情を持っているから、深入りしないようにしているのだろう。オレもそれに倣って、あまり込み入ったことはこの子に聞かないようにしよう、と心に決める。
「で……なんで、こんなとこに一人で来てたんだよ」
 その代わりに当たり障りのないラインのことを聞くと、そこで初めて、カイは冷え切った仮面みたいな表情から、血の通った、子供らしい顔色を覗かせた。
「先ほど、私が聖騎士団に所属していることはお伝えしましたね?」
「ああ。聖騎士団って、あの聖戦を終わらせるためにギアと戦ってる……」
 聖騎士団……聖戦の最後頃には、カイが団長をしていたとかいう組織。教科書にも載ってるし、流石にそれは世界常識レベルに有名なのでオレも知っている。確か一年ぐらい、オヤジもそこにいたはずだ。
「ええ。実はそこから追い出されてしまって」
「は?」
 それを一人反芻して頷いていると予想外の台詞が飛び出してきて、オレは思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「でもさっき、本部に連絡してたよな」
「あ、その、あまり深刻な理由ではないですよ。準備が終わるまで、そうですね、日暮れ前ぐらいまでですか……外へ出ていてほしい、と言われて散歩に来ていたんです。その最中、ギアの襲撃にばったり」
「はあ……災難だったな、そりゃ。でもあんたを一人で外に放り出すような準備って……」
「実は今日、私の誕生日なんです。多分それででしょう。今年はなにやら、サプライズもあるみたいですしね」
 こんな時代ですから、そういうのはいいって私は言ったんですけど……と締めくくり、カイはオレに微笑み掛けた。緊張が取れたようなその顔は、オレの記憶にある、「ハッピーバースデイ、シン」とプレゼントを手渡してくれた父親の姿によく似ている。
「……いくつになるんだ?」
 それで思わず訊ねると、カイは何故かオレのてっぺんからつまさきまでをじっと見て、恥ずかしがるみたいに、「じゅ、じゅうごです……」と俯いて答えた。
「十五? 数え?」
「ええと……たぶん……孤児なので正確なことはわかりませんが、今年で満十五になります」
 確かに小さい子供だとは思ったけど、思ったより随分ガキだ。十五で、あれだけのギアをやっつけたのか? あんな仮面みたいな顔して? そんなふうに思ったが、オレはとりあえずその考えは引っ込め、素早くカイの年齢を引き算する。今年は丁度カイの誕生日あたりが啓示との戦いでごたついてて盛大には祝えなかったんだけど、これで三十になる、とか言ってたな。そこから十五引いて……残りも十五。つまりここはオレの認識から十五年ぐらい前、ってことになるんだろうか。それで聖戦が終わったのは確かオレが生まれる七年前だから……うん、とりあえず、口を滑らせないよう気をつけよう。
「あ、あなたは……?」
 指折り数えて計算しているオレに、カイが唇を尖らせてそう訊ねる。ちょっとむくれているふうでもあった。よっぽど年齢と体格のことを気にしているんだろう。本当のことを言うといろいろややこしいことになりそうなので、オレは見た目相応ぐらいの適当な年齢を取り繕って答えることにする。
「今年で十八!」
 答えるとカイは目に見えてがくりと項垂れた。
「ど、どおりで。いいなあ……」
「いいって、何が?」
「その……笑わないでくださいよ。背格好が……」
 カイの声は先細り、恥ずかしがって、消え入るように弱い。とてもじゃないが、つい数分前にオレの首筋に剣先を押し当て、脅しを掛けてきていた人間と同一人物には思えなかった。
 へんなの。声には出ないように独りごちる。なんだかこのカイは、奇妙に「振れ幅がデカイ」。数分前のソレが外ゆきの姿だとして、オレの知ってるカイにもそういう「外ゆき」の顔はあるけど、今目の前にいるコイツほど「普段」の姿とオンオフは激しくない。
 でも、背伸びしてるから、とかじゃないような気がするんだよな。なんだろう。オレは腕組みをして首を捻る。ソイツは例えば、感情を知る前の……出会ったばっかりのラムと、今の星がきれいだって言えるラムを、スイッチで切り替えているようなちぐはぐ感だ。
「背って、まだ十五なんだろ? これからいくらでも伸びるじゃん。聞いた感じ、声変わりも多分まだ前だろ」
「はあ……。そうなんです。でも、騎士団で私より年少の者はいませんから、私一人、いつも置いてけぼりみたいで。そういうのがどうしても気になってしまうんですよね」
 カイが思い切り溜め息を吐いた。返り血さえなきゃ、どこにでもいそうな、自分の成長について悩む子供そのものの姿だった。
 成長しきったカイは、声変わりもちゃんと終わり、身長だって今のオレと大差ない。だからこのカイも、そのうちどこかでにゅっと背が伸びるはずだ。でもそれを直接言うことは出来ないので、オレに出来るのは曖昧に「そのうちいつか伸びるって」と適当な慰めを言うぐらい。
 そんなんでも効果はあったのか、ずっと俯いていたカイが顔を上げる。父親だってわかっててもちょっとかわいい。母さんにも見せてあげたい。けど母さんがこんなカイを見たら、抱きしめて離さなくなっちまうかもしれないから、オレだけで良かったのかもしれない。
「ええ、そうだといいのですが。ありがとう、慰めてくれて。おかげで少し、気持ちが楽になった。……あの。もしよければ、もう少し愚痴に付き合ってくれませんか?」
「もちろん。オレ、話を聞くくらいしか出来ねえけど」
「それだけで十分、ありがたい。……あの、実は私の誕生日パーティのサプライズの内容、ぼんやりと、もう知ってるんです。それが目下、今の悩みの種で」
 オレが一も二もなく頷くと、カイは嬉しそうに目を細め、けど次の瞬間にはひどく憂鬱な横顔になって小声で言った。
「新しい団員が入ってくるんだそうです。いえ、それだけならしょっちゅうあることなんですけど、それがなんとクリフ団長直々の勧誘らしいんですよ。具体的にどんな方かは流石に知りませんが、団長のご友人ということですから、きっと筋骨隆々で逞しくて腕っ節の強い男らしい人に違いありません。それを考えると憂鬱で、ちょっと近所を散歩のつもりがこんなところまで来てしまって。どうせその人だって私を一目見て小馬鹿にするんですよ……大人のひとはいつもそうだ……私が子供だと思って……」
 一息に喋りきったカイの語り口は、オレがこんなの生まれてはじめて聞いたってぐらい、恨み辛みの籠もった声だった。その言葉の重たさは、カイが、実力を知らない新入りの大人達に数え切れないほど小馬鹿にされてきたという事実をいやというぐらいオレにも知らしめさせる。
「や、でもあんた、すげー強いじゃん。あのギアを一人でやるなんて相当だろ。オレだって腕に自信はあるつもりだけど、あんだけいたら、オヤジが一人で相手はさせてくれない。それにさっきだって、小隊長、とか言ってなかったか?」
「肩書きに意味はありません。どうせ名前だけだろうとか逆に舐められるだけです。だから私は、せめてあなたぐらいの力強い外見が欲しいのですが、この童顔では、どうにも……」
 ちょっと迫力が出ないんですよね、と血まみれの顔で言う十五歳にオレはぶるぶる首を振りかけたが、まあ普通顔合わせをする時は血まみれじゃないよなと思い直したので、それは喉の奥に押し戻した。
 その代わり、記憶の中から、オヤジが昔話してくれた言葉を思い出す。
『アイツはあんなナリだからな。今でこそ優男で済むが、俺が騎士団に顔出してた頃なんざ、ただの華奢なクソガキそのものだ。力量を見抜けないバカが度々突っかかって、で、返り討ちに遭ったり手柄を急いで死んだ。ヤツは騎士団のアイドルだったが同時に死神だった。尤もそんなことでくたばっちまうような輩は、そうじゃなくともどこかしらで死んでいただろうが……』
 たき火のそばで焼き魚を囓りながら適当に聞き流していた(だって当時オレはカイをまるで認めていなかったので、オヤジが時々オレに言い聞かせるカイの話には、まるで興味が持てなかった)その台詞の、死神、という言葉が引っ掛かって小さく唸る。あんまりいい言葉じゃない。なのになんで、オヤジはそんなことを言ったのか。
「……カイはさ、子供扱いされるのもそうだけど、もしかしてそう言って突っかかってきたやつが、死んじゃうのも、気にしてるのか?」
 それでふと思い当たって訊ねると、カイはびくりと怯えたようにオレの方を見た。
「……シン……あなたもしかして……エスパー?」
「や、違うけど」
 よっぽど驚いているのか、「人を指さすのは失礼に当たるのでやってはいけませんよ」と教えてくれたはずのカイがオレを思い切り指さしている。どうやら図星だったらしい。はあ、色々、気にしてるんだな。聖騎士団は人類守護の砦だった――っていうから、気負うものがあるのかもしれないけど。
「ええ、実は、それもあります。この前も……そういうことがあって。今度もそうだったら、どうしようって。そういえば今日来る方、賞金稼ぎらしいんです。あなたのお父さんと一緒ですね。しかも腕自慢の一匹狼だそうで。それが団長に頼み込まれて、渋々来る、なんて、いかにも……その、そういうことがありそうだなって……考えすぎだとは自分でも思っているんですけど」
「一匹狼の賞金稼ぎ……?」
 なんだか、まるでオヤジみたいな言われ方だ。オヤジを昔から知ってる奴らは、まだ小さかったオレを連れてオヤジが旅をはじめた頃、オレ達と会うと口々にオヤジへ「子連れ狼でもはじめたのか?」ってヤジを投げかけていた。
「あと個人的にやだなあと思ってるのが、いえ別に悪いわけではないのですが、その人、得意属性が炎らしいんですよ」
 炎が得意だなんて、ますますオヤジみたいだ。オレはオヤジが聖騎士団にいたらしいという一年がいつの頃なのか考え始めていた。これ、もしかして、マジでオヤジが聖騎士団に来る日なんじゃないか。そしたらオレは、オヤジとカイが初めて会う、そのちょっと前に飛ばされてきた、みたいな。
「炎が得意だとヤなのか」
「うーん。だってあんなの野蛮で醜いじゃないですか。システムが解放的すぎる。力任せで、大雑把にすぎません?」
 ホントに酷い言われようだ。
 でもそのあんまりな言い方に、オレは確信を得た。多分カイの十五歳の誕生日に来るやつっていうのは、オヤジのことで間違いない。
 そうだとすれば、なんとなく……だけど、オレがここへ飛ばされてきた意味も、わかる気がしたからだ。
 話を聞いている限り、カイには同年代の友達がいない。だからこういう、「オフの顔」でするような話も、出来る相手がいないのかもしれない。それを吐き出しておく相手がきっとこの日のカイには必要だった。それも、オヤジと顔を合わせるより前に。
 だとしたら、オレも一つだけ、言ってあげなきゃいけないことがある。
「オレも雷好きだけど……炎にもいいとこはあると思うぜ……」
「そうでしょうか……」
「そのうちカイもわかるって。それに、多分だけど、今日来るってヤツは死なないよ」
「そうでしょうか?」
「うん。だってオレのオヤジは滅多なことじゃくたばんねーからな」
「……え?」
 オヤジは、ソル=バッドガイは、カイが今まで見てきた何人かがそうであったように、カイに突っかかるかもしれない。小さい頃のカイとはそりが合わなかったってよく言ってるからな。けど、絶対に死なない。最後まで生き延びて、十五年先の未来でも、カイと一緒にいる。
 オレの言葉に、カイがきょとんとしてこっちを見てくるけど、それ以上は何も言わず、オレはすっくと立ち上がった。それからポケットに手を突っ込んで、中に入っているものを物色する。なんか持ってないかな。なんか――そうだな、どうせ渡すのなら、形にちょっとだけ残るようなものが、いい。
「それより、カイ、今日、誕生日なんだろ? せっかくの縁だし、オレもなんかやるよ。つっても大したもんは持ってないけど」
 そう言って、オレはポケットから取り出したアソートキャンディを三つ、カイの手にぽんと置いた。
「キャンディ……?」
「うん。あ、嫌ならなんか別のと取っ替えるけど……」
「い、嫌だなんて、そんな。でもダメですよ、甘い物はとっても貴重なんです。キャンディ一つだって、今どんな値段で取引されてるか、シン、知っているでしょう?」
「いーの! あ、チョコレートボンボンも持ってる。オレ酒そんな好きじゃねーから、これもやる。こっちは、今日来るヤツにあげたらいいし」
「え? うわ、ほんとにチョコレートボンボンだ。はじめて見た。あなたのそれは、まるで魔法のポケットですね。ええと……じゃあ……ありがたくいただきます」
 オレに倣ってかカイも立ち上がり、ぺこりと礼を言われる。オレが話を切り上げたのがそのためかはともかく、そろそろお互いに時間だってことがなんとなくカイにもわかったんだろう。あたりは、既に陽が落ち始めていた。夕暮れ前に本部へ帰るというのは、カイ自身が言っていたことだ。
「この後、あなたはどうするんですか」
「さあ。とりあえずはぐれたオヤジを探して、帰んないと。カイはパーティなんだろ。主役がいないと、誕生日パーティは始まらないからな」
「そうですね。あなたのお父さんに心配をかけてもいけませんし」
 カイが朗らかに笑う。その顔を見て、オレはなんとなく、オレがまだちっちゃかった頃、カイが仕事から帰ってくると「ただいま」と言ってオレの頭を撫でてくれていたことを思い出す。
「また、何かのご縁があればお会いしましょう。キャンディ、ありがとう」
 そう言って、カイはオレに手を振ると割合あっさりと丘を下っていった。オレはカイをしばらく見送ってから、カイとは反対方向を下りることにする。結局ここがどこだかよくわかってないし、行くあてもないけど、たぶんこの時代に来たのはカイと話すためだろうから――そのうち、元の時代に帰れるだろう。オレのやることは多分これで終わったはずだ。


◇◆◇◆◇


「おかえりなさい、シン」
 そういうわけで、次にオレの記憶が続いている先には、ベッドサイドの椅子に腰掛けたカイの姿があった。カイはフレームがピンクの眼鏡を掛け(この色は母さんのチョイスらしい)、長い髪の毛はてっぺんでひとつにまとめ、小難しいタイトルの本を手に持っている。
 不可思議な体験の記憶は丘を下る途中でぱったりと途切れていた。もぞもぞと身体を動かし、自分がベッドに寝かされていることに気がつく。ということは、どこかで気を失ってしまったのか。
「……カイ?」
「ええ」
「オレ、寝てた?」
「はい。ただ正確には、時空渡航から戻って来たら眠っていた、という表現が正しいのかもしれないな。それにしても驚きましたよ、急にあなたがいなくなったと言って、血相を変えてアクセルが飛んできたんですから。まあアクセル絡みで人があっちこっち行ってしまうのは、昔からたまにあることですからね。でも無事に帰ってきてくれてよかった」
 カイは穏やかに微笑み、本をチェストの上に置くとオレの手を握った。昔からたまにある、と言っていた通り、それほど心配はしていなかったのか、汗ばんでいたりするわけでもなく、いつも通りの優しい温度がした。
「アクセルって」
「頭にバンダナを巻いた、ユニオンジャックのシャツを着た男です。名前、覚えてあげてくださいね。彼は時空渡航能力者なんですよ。ソルに聞けば、もっと色々教えてくれるでしょう」
「そっか……」
 カイはまじめだ。どうやらオレは、本当に過去へ行ってしまっていたらしい。
 ふとあたりを見回すと、見慣れた、オレの部屋の景色が広がっている。壁に掛けてあるカレンダーは二一八七年の十二月を示していて、そういえば最近母さんがジンジャークッキーを焼き始めたな、ということをオレは思い出す。
「オレ――カイに会ったんだ」
「そうですか」
 思い切って告白すると、カイは静かに、けど少しだけ楽しそうな声でオレの頬を撫でた。
「聖戦の頃だった。カイはまだ十五歳になったとこで、背が小さくて、声変わりしてなかった」
「なるほど」
「誕生日のサプライズに、新しい人が入ってくるんだって不安そうに言ってた……なあカイ、カイの十五歳の誕生日に、聖騎士団に入ってきたやつって……」
「そうですね、シンもよく知っている無法者でしたよ」
 カイはいつもより弾んだ声で答え、オレから手を離すと、利き手をポケットの中に突っ込む。しばらくがさごそと探り、目当てのものを取り出すとオレの方へ放って寄越す。アソートキャンディだ。ちょうど、オレが十五歳のカイにあげたのと同じメーカー製。
「……カイ、オレがどこに行ってたか、知ってた?」
 それを確かめてから尋ねると、カイは人差し指を唇に当てて小首を傾げた。
「さあ。ところでシン、このキャンディは聖戦が終わって数年してから、イリュリアに新しく出来たメーカーが売り出したものなんですよ。あっという間に大流行して、世界中どこでも買えるようになったので、あなたにはありふれたものに思えるかもしれませんが。尤も……私がそれを思い出したのは、シンが生まれたあとになってからでしたけれどね」
 秘密の話をするように耳打ちして、カイがオレのほっぺたにキスをする。優しい父親の顔。その時、オレはふと思う。ああ、カイはきっと、オヤジと会って、母さんと結婚したから、あの頃みたいにオンオフが激しくはなくなったんだろう。オレの首筋に剣を当てていたカイは、なんだか怖かったのもそうだけど、何より、強張っていた。四六時中、色んなことに緊張してなきゃいけなかった。でも今はそういうのが昔よりよくなったのだ。
 それがすごくよかった、とオレは思う。
「キャンディありがとう、シン。おいしかったですよ。チョコレートボンボンの味は、ソルに聞いてくるといい。ただ……今頃は、あなたを危険に巻き込んだ罰と称してアクセルと酒盛りを強行しているはずですから、明日の朝になってから、ね」
 オレから顔を離すと、カイが悪戯っぽい顔をする。あーあ、こりゃオヤジ、明日になったらカイにめちゃくちゃ小言とか言われるな。でもそれはオヤジの自業自得なので、オレは特にオヤジの肩を持ったりはせず、明日は母さんの手伝いをすることにした。
 何故かって言うと、今年はカイの誕生日をちゃんと祝えなかったぶん、クリスマスを盛大にしてやろう、って今しがたオレの中でそう決まったからだ。それにラムとエルにとってもはじめての季節のはずだし、なんにしても、お祝い事は楽しい方がいい。
 カイも、母さんも、オヤジも、ラムもエルも――みんな笑顔の方が、オレも嬉しいからさ。