ダニーミサイルズでハンバーガーを



 バプテスマ13のあおりで城下町が損壊し、街を直すついでに幾つかの店が入れ替わった。その流れで、とうとうイリュリアにもダニーミサイルズがやって来たらしい。
 ダニーミサイルズと言えば、数あるファストフードチェーンの中でも特にオレが気に入っている店だ。それに最近、復興指揮やら何やらで大忙しだったカイもやっと仕事が一段落してきて、久しぶりの休暇が取れそう……だとか何とか言っていた。
 そこで最近父親と和解したばかりの反抗息子であるところのオレは少し考え、オヤジにそっと耳打ちをした。なあ、出発の予定をちょっとだけ延ばしてさ、カイをダニーミサイルズに連れて行けないかな。オレが好きなものは、カイにも食べてみて欲しいし。
 オヤジは少し考えこむ素振りを見せて――カイはお上品ってヤツを型に流し込んで作ったみたいな人間だから、ファストフードチェーンの食事なんてものが口に合うのかどうか考えてるのかもしれない――五秒くらい経ってから、ああ、と頷く。やりぃ! オレはぴょんと跳ねて、オヤジにハイタッチをした。
 それが昨日までの事のあらましだ。

 その日の朝はいてもたってもいられなかったおかげで随分と早く起きてしまい、寝てるオヤジに襲い掛かって見事返り討ちに遭った。それから身支度を整え、時間を潰し、集合場所に向かう。
「カイ! おまた……………せ……………」
 けど、店内に入り、意気揚々と手を振ったオレの言葉は、その瞬間尻すぼみに縮んでいってしまった。一階の壁際付近に、暇つぶしに文庫本を捲っているカイが立っていたからだ。いや、現地集合でって約束してたんだから、そこにカイがいること自体は当たり前なんだけど……。
 そういうわけで、オヤジと連れだって約束の時間にやって来たオレを待っていたのは、いつもよりややこざっぱりした服装のカイと、それを遠巻きに見守る何らかの人だかりだった。人だかりについては……ホントに、人だかり、としか言い様がない。みんなカイからはじりじりと距離を取り、ひそひそきゃあきゃあ会話を交わしている。中にはカメラを手に持っているやつもちらほら見られた。なあアレ、パパラッチってやつじゃないのか? オレが目線でオヤジに尋ねると、オヤジはまるであと一撃で狩れる予定だった獲物にするりと逃げられた時みたいな表情をしてぶっきらぼうに頷く。
 あ、これは、すげえ機嫌悪い時のやつだ。カイに不特定多数の視線があんまりにも集中すると、オヤジは途端に機嫌が悪くなるのだ。こういう時は触らぬ神に祟りなし、なのでオレはそれ以上の言及をしないことにして、オレ達に気がついてこちらへ手を振っているカイの方をおっかなびっくり見た。
「ええと……カイ……その服、何? いつものやつじゃないんだ」
 声を掛けると、カイがええ、とオレに頷いてみせる。
「今日は休みですからね。私だって私服ぐらい持ってます。あなたが小さい頃は、割とラフな格好で公園など行ったものですよ」
「あー、そういやそうだったような……っていや。その……そうじゃなくて。誰が選んだんだよ、それ。サングラスとかキャラじゃねえだろ」
「ああ、これはですね、一応変装をと思って……」
 私も大分顔が売れましたからね、と何か感慨深いように一人で頷いてカイが言った。
 オレはその言葉を受けてもう一度カイの装いをてっぺんからつま先まで見直す。シンプルなワイシャツに薄い紺のセーターを重ねて、黒いズボン。ものすごくラフな格好だ。それだけに、普段から重装備(オレにはそう見える)を決め込んでいるカイが着ているとなんだかめちゃくちゃ新鮮に映って仕方がない。
 その上、掛けているサングラスは似合っていなかったりする。髪が伸びてポニーテールになったので、なお似合っていない。それなのにサングラスを掛けて変装が出来ていると本人は思っているのだから、なんというか……すごい。ホントに変装できてるんなら、あそこに人だかりは出来てないはずだ。
 それで恐る恐る隣のオヤジをちらりと見ると、さっきまでものすごい殺気丸出しだったのに、今度はもう笑いを抑えるのに必死みたいな顔をしていた。ああ、オヤジも思ってること、オレと大体一緒なんだな。でも本人に言ってやるつもりはなさそうなので、オレもそれ以上しつこくは聞かないことにして首を振った。
「とりあえずそのサングラス、あんま似合ってねえから外せよ。オレ、カイとサングラス越しで話すんの、ヤだし……」
「え? ええまあ、シンがそう言うのなら……。そうそう、先に着いたので、席は取っておきましたよ。メニュー表から大体注文したいものは決めましたから、カウンターに行きましょうか」
「……カイ、こーゆーとこ、ちゃんと注文出来んの? カイって母さんの料理かすごい高級そうな飯しか食ってないイメージあるんだけど」
「一人暮らしの時はたまに持ち帰りで買いましたよ。ソルがこういうの、好きでしたから」
「へー、オヤジが」
 ちょっとだけ意外に思ったけど、まあ考えてみれば、バランスよく作られた母さんの手料理しか食べたことがなかったオレに、ダイナーだのファストフード店だののジャンクな飯をはじめに食べさせたのはオヤジだ。言われてみると、オヤジに付き合ってカイもそういうものを食べたことがある、というのはしっくりとくる。
 母さんは好きなのかな? わかんないな。母さんと一緒にいた頃は、こういう食事があること自体、知らなかったし。起きたら今度は母さんも連れて家族で行こうかな。そんなふうに考え、オレはオヤジの手を引いた。カイはメニュー表を見てじっくり選んだみたいだけど、常連であるところのオレとオヤジは、頼みたいものが大体もう決まってるからすぐ注文出来るってわけだ。


 カイがそのあたりの売店で買ったらしい新聞で抑えておいた席にトレーいっぱいのハンバーガーを置き、オレはカイの隣、オヤジはカイの正面になるように座り込んだ。オレの注文を聞いている間、なんだかカイの顔色がどんどんぎょっとして青ざめていっていたような気がしたんだけど、今はもういつもの顔つきに戻っている。オレはトレー一杯のハンバーガーを心の中で数えた。ダブルチーズと、ベーコントマトと、バーベキュー、スモークチキン、フィッシュフライ、あとそれからエビのやつ。それにポテトのLサイズと炭酸ジュース。ジュースは、まあだいたいおかわりをすることになるので、今回もそうだろう。
 一方のカイはと言うと、プレーンのバーガー一個と小さめのポテトにミドルサイズの紅茶だけだ。いつも思うけどカイって小食だよな。昔、どんなに鍛えても筋肉が付かないってオヤジにぼやいたことがあるらしいんだけど、多分食事量が少なすぎるせいだとオレは思う。
 ウェットティッシュで手を拭き、オヤジとカイとを順繰りに見て、いただきますの挨拶。続けてカイもいただきます。オヤジは、言わない。カイがそのことに「食前の祈りをしろとまでは言わないがせめて……」と小言を付けかけるけど、オヤジはまったく聞いてなくて、言葉の途中でメガミサイルズ・ハンバーガーにがぶりとかぶりついた。
「ちょ……相変わらず雑な食べ方を……というか、グローブぐらいは外せ。ソースが染みになったとして誰が洗うと思ってるんだ」
「ふぁ? ほはへはろ」
「そもそも食べながら喋るな。子供が見ているのに、真似したらどうする」
「あ、カイ、オレはそれ大丈夫。母さんが昔、喋るのはごっくんしてから! って言ってたし……」
「つまりお前はシン以下ということか、ソル……」
 お小言を聞き流してもぐもぐ口を動かしているオヤジに、カイが頭を抱えて息を吐く。そういやオヤジ、もの食う時に手袋外してねえな。ずっとそうだったから全然気にしてなかったんだけど、カイにはそいつが我慢ならなくて仕方がないらしい。
 指先出てるし、別によくないか? と考えてるオレの隣でカイの腕がにゅっと伸びて、丁度ハンバーガーが口の中に呑み込まれて空っぽになったオヤジの手を掴み取った。かと思うとそこからは目にも止まらないような早業でオヤジのグローブをすっぽりと脱がせてしまう。やり口が手慣れている。まず間違いなく、今初めてやったことじゃない。
「もうお前の服を洗ってやれるほど暇じゃないんだから、こういうのは日々の心がけだ。いいな? シンも」
 オヤジの手袋をぷらぷらさせながら、カイがオレを名指しで言った。いや待て、オレは手袋外してるぞ。だって母さんが、そういうふうに教えてくれたんだ。オヤジのめんどくさがりと一緒にされるのは、そこはちょっと心外である。
「だからオレはしてないって! オヤジと違って指出てねーから食べにくいもん!」
「指が出ている出ていないの問題ではありません。よく言って聞かせるように」
「は、はい……」
 でもカイが言ってるのはそこではなく、「一緒にいるんだから見ておいてくれ」ということだったらしい。そのあたりをやや厳しめに言い含めると、カイは紅茶を先に一口含むと自分のハンバーガーに手を掛けた。
 人のマナーにあれだけうるさいんだから、一体カイはどんな食べ方をするんだろう? もしかしてハンバーガーでさえ、昔オレにテーブルマナーを教えた時みたいにナイフとフォークで切り分け始めたりしやしないだろうな……とちょっと身構えたんだけどそんなことはなく、カイも普通にバーガーにかぶりついた。ただ、オレとかオヤジより口が小さめなので、食べ進みが遅い。そのせいで同じ食べ方をしているはずなのにカイの方がお上品に感じてしまう。
 三つ目のバーガーに手を掛けつつ、でもハンバーガーを無心に囓るカイの横顔が妙に気になって、オレは口を半分開けたまま、カイをじっと見ていた。視線の向きからして、オヤジも多分そうだ。カイがちょこっとずつ噛んだ後から、肉汁が滴ってトレーに敷かれたペーパーに染みを作っていく。
 ああ、カイ、こういう料理食べるの微妙に下手なんだな。多分昔からそうなんだろう。オレは一人で納得してしまった。だってオヤジがオレを――子供を見る時みたいな目をしてカイを眺めてるんだ。それって、そういうことだろう。
 ぽたぽたと汁を垂らし、シートに落ちた染み達が広がって一個の大きな染みに合体しかけたあたりでカイの手からハンバーガーが消えてなくなる。食べ終わったので手を拭き、ポテトに手を掛けようとしたところでオレ達の視線に気がつき、カイは不思議そうに首を傾げた。
「……シン? ソル? 私の顔に、何か?」
「ああ。頬にパティの欠片が残ってるぞ」
「えっ! ……いや、付いてないみたいだが」
「嘘だからな」
 あっさり嘘だと認めたオヤジに、カイが「なんで嘘なんか……」と頬を膨らませる。そこにすかさずオヤジの人差し指が突き刺さり、カイのほっぺたはたちまち萎んでしまった。オレはその光景にぎょっとしてカイを見た。カイはこういう悪意のある悪戯が好きじゃない。いくらオヤジが相手でも、こんなことをしたら……!
「……へ?」
 オレは大慌てでカイの顔色を覗き込み、でも、そこで思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
 だって覗き込んだカイの顔は、面白おかしそうに笑っていたのだ。え、そこ、笑うか? だってカイだろ。フツー、怒るとこじゃないのかよ、そこは。
 オレがまだちびだった頃、カイはそういう悪戯をされると、相手が自分だからいいが、他人がそういう悪戯をされるとどうなるか……ということをとうとうと説き伏せ、大体いつも厳しくオレを躾けた。だからオレには今のこの、カイの笑いどころがさっぱりわからないのだ。
 なのにカイはやっぱり、何度確かめても、くすくす楽しそうに笑っている。
「そういうところは本当に変わらないな。ではお前が何度か私の方を見ていたのは、『私にファインダーを向けている方々のカメラが一斉に不調になる』ことにも関係しているということで間違いないのか」
「どうだろうな? シンは単純にぼんやり見てただけだろうが、他までは知ったこっちゃねえよ」
「ふうん? まあいいけど」
 カイは含みのある言葉を残すとポテトをつまむ作業に戻って行く。ちょっと待ってくれ。カメラ? 不調になる? それってどういうことなんだ? 浮かび上がってきたそんな疑問が、次の瞬間わっと上がった悲鳴で解決する。
 急に、周りの客席から、カメラが壊れたとかおかしいみたいな声が上がり始めたのだ。ネガが、せっかく撮った写真が、なんて悲痛な叫びが次第にそれに取って代わる。カメラが壊れて、写真がダメになる。その叫びにオレはさっき聞いたばかりのカイの言葉をつなぎ合わせた。――カイを撮ってたカメラが、全部、一斉に壊れる。
「お、オヤジ……まさか……」
 やや震えながらオヤジの顔を見上げると、オヤジはにっと笑って舌を小さく突き出した。めちゃくちゃ下品なスラング。それをカイも見ているはずなのに、オヤジに一つも文句を言わない。オヤジはたった今何らかの力を使ってカイを盗撮していたカメラを全部ぶっ壊したことになるので、そのぶん多めに見ているのだろう。
 すげえ。オレは純粋に、まずオヤジのやったことに感服した。オレだって直接触ることが出来ればカメラなんかすぐに壊せるけど、オヤジの手はずっとハンバーガーを持っていたのだ。まるで魔法みたいだった。オヤジもカイも大得意な法術でどうにかしたってあたりが真相だろうけど、オレには理屈はサッパリ。気になるけど、後で聞いたら教えてくれるだろうか? オレは尋ねる代わりにオヤジの目を覗き込む。すると鼻で笑われる。あ、これ、内緒の時の顔だ。無理だな……。
 でも、なんか腑に落ちないというかもやもやしたままのこともあって……そんなことを考えているうちに、カイの手はもくもくとポテトを口に運んでいき、大して多くなかったポテトは全部胃袋の中に収まってしまう。気付けば、トレーに食べ物を置いているのはオレ一人になってしまっていた。量は違うのに、オヤジとカイは何故か、食事を終えるペースってやつが妙にぴったりなのだ。
「どうしたシン、多かったのか? 残すようなら……私も多少善処するが」
「あー、いや、全部食える! へーき!」
「そうか? その割には、いつもより食の進みが遅いように思うけれど」
「そういうんじゃないって。ただ、カイがこういうところで食事してるの、珍しいからさあ……」
「……そうかな?」
 そうなんだよ。オレは激しく頭を上下に振り、フィッシュフライ・バーガーに手を掛けた。
 ファストフード店のカウンターでちゃんと注文をして代金を払うカイとか、両手でハンバーガーを持ってかじりつくカイとか、ほっぺたつつかれても怒んないカイとか。全部、オレにとっては初めて見たものだったんだ。父親の知らない面。オレは元々カイとは疎遠だったからそういうのは和解してからしょっちゅうあったはずなんだけど、今日のはその中でも飛び抜けてショッキングに感じたような気がした。城で生活してたら見られない姿ってやつだ。見られて良かったと思うし、カイをダニーミサイルズに連れてきて良かった! とも思う。
 けど、オレが気になってるのはそこじゃなくて、オヤジは全然、カイのそういう面に動じてないってことで。
 むしろ昔から知ってたみたいな顔して(実際知ってたんだろうけど)にやにやしてるとこで。
 カイは、オレの父親なんだけど、そうなる前からずっとオヤジと友達やってたんだなあっていうのを、なんだか見せつけられたみたいな気がしたのだ。
 ごくんとフィッシュフライ・バーガーを丸呑みし、エビカツ・バーガーを手に取る。こら、行儀が悪いぞ、と窘めてから、カイが一口食べたい、と手を伸ばした。カイの細くてささくれ一つないのにたこは沢山出来てる指先にエビカツを渡す。カイがそれを一口囓る。オレに返して美味しい、って言う。オヤジがそれを見ながらにやついている。
(な……なんだよ、このよくわかんねえ微妙な気持ち!)
 オレは自分でも何と戦ってるのかよくわかんないまま、次は絶対負けない、という気持ちを新たにした。エビカツバーガーの、カイが囓った場所にそのままかぶりつく。オヤジには、やんねーからな。オヤジの方を目でだけ追って、内心独りごちる。心の中でぐるぐるしてるもやもやの正体はよくわかんないけど、カイと食べたエビカツバーガーは、いつも食べてるやつより、美味しかったような気がした。