恋するチェリー



 ――なんで?
 わけがわからなくなって、頭の中が一気に真っ白になって、疑問符だけが埋め尽くす。なんで? いや――何故? 今、何が起こって、私は、なにと、
「ッ、……ぅ、ん、むぐ、」
 明滅する思考を、次に襲ってきた生理現象がどっと上書きしていく。どうしよう。息が出来ない。どうして息が出来ないのかというと、ソルが――あの無法者を絵に描いてデリカシー欠如をトッピングしたような男が、私の口を塞いでいるからだ。なんで。そこまで考えて、また思考が振り出しに戻った。なんで……ソルは、私の口なんか、塞いでいるんだろう。
 だって理由が思いつかないのだ。今日もいつも通りソルに勝負を挑んだ。ソルは最初ものすごく嫌そうな顔をして逃げ出そうとしたけど、場所と巡り合わせが悪く、そういうわけにもいかないと悟って私の相手をしてくれた。まあ結果は……私の負けだったわけだけど、今日はいつもに比べるとなかなか善戦したなと感じていて、私はいつもよりちょっと機嫌が良かった。
 その分、ソルは何か気にくわなかったのだろうか。試合後、なんだかむっすりしていたような気もする。どうだっただろう。うまく思い出せない。ほんの数秒前のことのはずなのに。息が苦しい。わけもわからず口を塞がれてるせいで、呼吸が止められてるみたいで、現実から目を逸らすようにして考えていた思考がそこで止まる。――息が出来ない!
 私はソルを突き放そうとする。でもダメだ。直前まで全力で勝負をしていたのと呼吸困難とで力が出ないし、だというのに私を拘束しようというソルの力は異常に強い。この、ばか! あほ! 普段は努めて使わないようにしているような言葉まで喉までせり上がってくるけれど、悲しいかな、結局口が動かせないので、その言葉がソルに届くことはない。
 酸素がどんどん失われていく。このまま、ソルに口を塞がれたまま、もしかして私は窒息をしてしまうのではないだろうか。そんな恐ろしい予想さえ脳裏を過ぎり始める。だって、ほら、ソルの分厚い舌が私の口の中を好き勝手暴れていたりするのだ。こんなの、手に負えない。歯の裏側とかものすごい執拗になぞっているし、いや本当に、なんでこんなことをされているのか全然理解出来ない。
 わかっているのは、このままだと意識が危ない、ということだけだ。
 言葉が出ないから、薄れ始めた意識の元、目線や指先で必死にそれを訴えた。無駄だと思いつつもソルの背中にスペルを綴ってみたりなんかする。お願い、口を、離して。ああ、意外とまだ余裕があるな……なんて考えてる内に視界が白みはじめる。
(……もうだめかもしれない……)
 私はそこですっと諦め、目を閉じた。ソルと口をくっつけたまま意識を失うなんて、酷く屈辱的な思いを覚えそうなものだったけれど、意外と嫌な気持ちにはならない。多分驚くことが多すぎて脳の処理が追いついてないのだ。だから嫌とか困るとかの前に、ソルがすごく近くて、頭の中がソルでいっぱいになって、それ以外のことが全部どこかに吹き飛んでしまう。


「――はっ!? ゆ、夢ですか!?」
 その後、次に私が目を醒ましたのは何処か知らないベッドの中だった。
 私は大慌てで周囲を見回し、壁際に腰掛けている男の姿を認めて何もかもが現実であったことを把握する。本当に意識を失っていて、その原因が自分でなければ、あの男が私が目を醒ますまで待っているなんてことがあるはずもない。
「お目覚めか、坊や」
 私が勢いよく跳ね起きたことに気がつき、ソルは立ち上がるとこちらへずかずか寄ってきて、ぺたぺたと額に手を当てた。その後、熱はないなとか勝手なことを言って、私の唇を人差し指でなぞった。
 その行為に、何故だか顔がかあっとなって、私はソルから顔を隠すように俯く。
「こ、ここは……」
「そのへんの宿だが」
「なぜ……」
「坊やは気絶した。その辺に放っておいてやっても良かったんだが、警察機構の人間がわらわら寄ってきて文句を付けられても面倒くせえ。寝かせるのにベッドが必要だから手配した。まあ、ざっと一時間ほどか、寝てたのは」
「そうか。やはり気絶して……いや、そうじゃなくて。その、まだわからないんだけど」
「なんだよ」
「そもそも私が気絶したのは、お前が……急に、私の口をずーっと塞いだりなんかしたからだ。なんでそんなこと」
 俯いたままやや支離滅裂に事を尋ねた私にソルが鼻で笑う。むっとしたが、それよりも顔を見られるのがなんだか嫌で、私は顔を上げなかった。ソルはそのあたりには頓着しないらしく、安っぽい掛け布団を握りしめている私の頭を撫でると耳元に口を寄せる。
「そんなもん、答えは決まり切ってるだろ。迷惑料だよ」
 ソルの答えは短かった。
 迷惑料? 納得出来ない単語の出現に、私は訝しげにその言葉を反復する。普段迷惑を掛けられているのはむしろ私の方だ。賞金稼ぎだからといって法も秩序もあったものではない行いをし、時には警察機構の捜査と衝突することさえある。だから私がソルに迷惑料を貰う理由があっても、ソルに私が迷惑料を払う謂われなどない。
「め……迷惑料?」
「なんだかんだと難癖を付けて勝負したがっては、こっちを見ろだの言ってくる小うるさい坊やへのだな」
「な……だ、だって。お前はいつも、よそ見ばかりしてて……騎士道を心得たものなら、勝負中に他のことは考えない。そのことを言っているだけだ」
「ほう? なるほどな」
 なのにソルはまったくそんなことは思っていないようで、「坊やがそう思ってるんなら今はそういうことにしておいてやるよ」なんて嫌味っぽい声を出す。これには流石に我慢出来なくなり、私は顔が赤いのも忘れてむきになってソルへ顔を上げた。プライドが勝ったのである。文句の一つでもしっかり目と目を見て言ってやらないと、気が済まない。
 でもそれが間違いだった。
「――むぐっ!?」
 待ってましたとばかりに、ソルは私の唇をまた塞いだ。私の背を逞しい手のひらが支え、逃げ場をなくす。息が吸われ、頭がふらふらして、まともなことが考えられなくなる。
 ぴったり唇と唇をくっつけたまま、今度はソルが私の背にスペルを綴る。次は、一晩、付き合え。私は意味が分からず、ソルの舌に自分の舌を当てて抗議をしようとした。するとソルが次のスペルを綴る。意味が、わからないか、坊や?
「ん……んっ、んぅ、ぅーっ」
 わかるわけないだろう、とくっついたままの口で無理矢理発声する。それで意図が伝わったのか、ソルが新しいスペルを私の背に更に綴った。その内容を確かめ、私は絶句する。
(な――なに、それ)
 愕然として抗う力もなくなり、されるがままになってしまうが、頭の中は新しいスペルでいっぱいで、うまく頭が回らない。だってこの男は今何と書いた? 勝負の末ぼろぼろにした私を迷惑料だとか言って気絶させ、宿のベッドに寝かせ、その状況下で、「俺を、その気にさせた、責任は、取れ」、だとか。
 さっぱり全然、理解が付かない。私を支えていたはずのソルの手が、今度は私を押し倒す。理性と思考とはほど遠い場所で事が進んで行く。いつの間にか再びベッドに横たわり、天を仰ぎながら私は自分を組み伏している男の顔を見た。迷惑料が欲しいのはこっちだ、とよほど言ってやりたかったが、唇にソルが吸い付いて、やはり言葉は出なかった。


◇◆◇◆◇


 昔、私がまだ言い逃れ出来ないくらい子供だった頃、ソルの私に対する子供扱いは、本当に酷かった。今も頑なに坊や呼びを続けているあたり、ソルの中で私の立ち位置は本質的に変わっていないのだろうけれど、でもそんなものとは比べものにならないぐらい、本当に、本当に、酷かったのだ。
「あの人達は何の話をしているんですか?」
 猥談に花を咲かせている団員達の横を素通りした時、私がそう尋ねると、横にいた彼はあろうことか私のことを鼻で笑った。は、んなこともわかんねえのかよ、坊や。そうしてけらけら品のない笑いを漏らすと私の鼻をちょんとつまんでこう言う。坊やは知らなくていいことだよ、まだな。
 彼らの話が男性の本能的なものというか、性的欲求に基づいた雑談だということをソルはその時教えてくれなかった。だけど私だって――その時はまだ精通してなかったんだけれど――あの組織の中では立派な役職持ちだったのだ。肉体は子供だったかもしれないけれど、精神は、努めて大人であろう、としていた。そんな私の気持ちを分かっていたから、他の団員は私をあまり子供扱いしないようにしていた。ソルだけだった。私のことを子供だからと言って、キンダーガーデンの生徒みたいな特別扱いをしたがったのは。
 私を腫れ物のように扱いたがる人達は一定数いたが、ソルの子供扱いはそれらとは異なるものだった。ソルは、極力、私の周りから俗っぽいものを取り去ろうとしているようだった。精通を迎えた私の世話を他に適任者がいないからという理由で致し方なく決めた時でさえ、彼らしくもなく、何時間も悩んだ挙げ句、出来るだけ私から目を逸らしてさっさと終わらせようとした。
 それなのに。
 今、私の上にまたがっているこの男は、一体何を考えて、私の身体に触れているのか。
「ソル、やめて、そんなとこ、汚い……」
 私のか細い抗議を無視して、この男は先ほどからずっと肛門の中に指を突っ込んでねちねち引っかき回している。引き出しの中に入っていた怪しい小瓶の中身を塗りたくり、中身を押し広げるようにして皺を伸ばし、安宿に連れ込まれる前にされたキスみたいに執拗に指を挿し入れ、こねくり回す。
 ソルは私をベッドに押し倒したかと思うと、抵抗をしようとか、逃げよう、一撃お見舞いして隙を作ろう、そういった答えに私が辿り着くより早く、手早く事を進めた。何が起こっているのか頭が理解するよりソルが私の尻をまさぐる方が早かったし、声を上げるよりも、グローブを外したソルの手が尻を割り開いて、その真ん中に指をねじ込む方がよほど早かった。
「ソル、ほんと、わけが……わからないから……」
「何が」
「ぜ……全部。だっておまえ、昔は、私の周りから……こういうこと、遠ざけようとしてた……のに」
 ぼんやりしてうまくろれつが回らない中、必死に問いかける。さっきから、身体がやけに熱いのだ。急に熱でも出してしまったみたいになって、身体中にうまく力が入らず、遅まきに「大変なことになっている」と理解した今もソルをはね除けることが出来ない。どころか、ソルがしつこく続けている行為に耐えるので精一杯で、こうして質問をするだけで酷くエネルギーを消耗する。
 ぐちぐちと変な音をたてて私の中をかき回していた男は、私の身体の中に太い指を三本ほど突っ込んだまま一度動きを止めると、なんだかあまり余裕のなさそうな顔をして私の顔を見た。
「昔……昔、な」
「そ、そう。昔……お前が騎士団にいた頃……」
「我慢してたんだよ」
「……我慢?」
「坊や、マジでガキだっただろうが。爺さんもいた手前、まあ、あんまりそういうのはよくねえだろうと、我慢してた。手ぇ出して壊しちまったら取り返しがつかないからな」
 我慢? 壊してしまったら、取り返しが付かない?
 一体何の話をしているんだろう。わからない。わかりたくもない……というか、あまり、分かってはいけないような、気がする。その本質を理解してしまったらもう後戻りが出来ないんじゃないか、という気がして。
「わかんねえって顔してるな」
 目を白黒させている私にぐっと顔を近づけて、ソルが言った。それから私の中に突っ込んでいるのとは逆の方の手で私の顔に触れ、まだ着たままのインナーに手を掛けようとして、だけどそこで手が止まる。
「まあ、坊やが思ってるほど俺はいい人じゃねえってことだな」
「お……おまえがいい人だと思ったことなんか一度もないけど……だって模範と一番縁遠いじゃないか、おまえ」
「……。平たく言えば、頑張って自制してただけ、ってことだ。あの時も、あの時も、あの時も――何度も、こうしてやりてえと、思ってた……」
 止まったはずの手はまさぐるようにしてインナーの下に入り込み、私の胸の上に、あるスペルを綴る。
 私はそのスペルを確かめて絶句した。今日ソルに綴られた中で間違いなく最低の内容だった。「テメェを、性的に、見ていた」。「テメェで、抜いたことも、ある」。「だから、責任を、取れ」。
「せっ、責任、取れ、って――」
 やっとのことで、全ての意味が繋がっていく。どうしてソルが私の肛門の中に指なんか入れているのか、もっと言えば、どうして迷惑料だなんて言い棄てて私の息を吸い取るようにキスをしたのか。昔私の鼻をつまんで「まだ知らなくていい」なんて言い放ったその理由も、全てが詳らかになり、一本の線で結ばれる。
 だけどとてもじゃないがすぐには信じられなくて、私は縋るようにソルの顔を見た。彼はとても獰猛な顔つきをしていた。長い間、ぶら下がった肉の前でお預けをされ、ようやく許しが出たライオンがいたとしたら、多分今のソルと同じ顔をしているのだろうと思った。
 私の身体の中から、ソルの指が抜き取られる。急に異物が消え、ぽっかりと穴が空いたみたいに肛門の出口がすうすうする。やっと終わったのか? 一瞬、そう期待仕掛けるが、それを訊ねる前にソルが自分の腰に手を掛け、ベルトを外し、スラックスをずり降ろす。
 その下から出てきた赤黒いものに、私は生娘のような震え声を漏らした。
 ソルの――男性器を見たことがなかったわけではない。聖騎士団に彼がいた頃、大浴場で一緒になったらどうしても視界に入ってしまうことがあったし、私が初めて精通を迎えたその日も、彼が自分を手本にして自慰の仕方を教えてくれたので――そういう流れだったので、凝視したことさえ、あると思う。だけどこんなにぱんぱんに膨れあがったところは見たことがない。大きくてグロテスクで、上を向いてぴんとそそり立ち、いかにも衝動が抑えきれないというふうに涎を垂らして……。
「ひゃっ?!」
 それをソルは、私の身体を強引に起こすとあろうことか顔近くにまであてがい、びたりと頬を叩いた。
「な、なに、す……」
 ソルの男性器が触れた頬が火傷でもしそうなぐらいに熱い。私の身体が発熱しているのか、ソルの身体が熱を持ちすぎているのか、うまく判別が出来ない。むっとした臭気が立ちこめ、私は涙目になりながら横目で押し当てられているものを見る。大きい。これを一体どうするつもりなんだろう。何となく、諸々の知識と先ほどまでのソルの行動を照らし合わせて推測は立ったが、明確なことは考えたくなく、いやいやと目を瞑る。
 するとソルは、何をする、と言いかけた私の口が開いたのをいいことに、その中へ強引に性器を押し入れた。
「ッ――むぐ、ぐ、ぁぅ、」
 キスをされていた時も大概息が出来ないと思ったものだが、今度の衝撃と圧迫感はそれ以上だった。口の中に入りきらないほど大きなものが突っ込まれ、喉の奥を固くなった肉がつついている。味蕾が苦みと臭みを感じ取り、息苦しさとで嘔吐きそうになる。
「歯ァ立てんな、いいからゆっくり舐めろ」
 人の口の中にとんでもないものを突っ込んでおきながら無茶苦茶なことを言うが、逆に歯を立ててやろうとして寸でのところで思いとどまる。ソルが男なら私も男だ。性器に歯を立てられたらどんなことになるか容易に想像が付き、なんだかかわいそうになって、言われた通り舌を這わせようとした。当然だがうまくは出来ず、しかも変な味がするし、どうしてこんなことに、という気持ちがまた喉までせり上がってきていたが、歯を立てたことでソルに激情される方が多分厄介だから、私はぐっと文句を堪える。
 そうやって拙くちろちろと舐めていると、やがてソルは小さく呻き、私の頭を抑えていた手を少し緩めると次の瞬間息を詰めたまま射精した。
 口の中にどろりとして粘ついた感触が広がる。しかも異様にまずい。呑み込む気にはとてもならず、手を合わせて受け皿を作り、そのまま吐き出した。ぼとぼとと手のひらに零れていく粘液は白く濁っていて、どう考えても、ソルが出した精液以外の何物にも見えなかった。
「……にがい……」
「だろうな」
 ぼうっとした思考で思ったままのことを口にするとソルが頷く。
「俺は舐めたことねえけど」
「ひ、ひとの口にこんなもの出しておいて、なんだその言いぐさは。私だってこんなの、人生で初めてだ……」
「そうか。それを聞いて安心した」
「いや、安心したって、私は……あっ、ま、待て!」
 安心したなんてわけのわからないことを呟くと再びソルの手が私をベッドに押し倒す。安っぽいベッドのスプリングがこれまでで一番派手に軋み、いやな音を鳴らす。ソルは私の下半身に指を添わせると、数分前までしつこくしつこくこね回していた場所に手を当て、二本の指先で今度は口を押し広げるようにぐいと外側へ引っ張った。恐ろしいことに、私の皮膚はこの無法者の指先が思った通りに伸び、皮が切れたりするなんてこともなかった。
「……ソル、多分もう、止めても無駄だろうが一応確認したい」
 私はこわごわと口を開いた。出てきた声は、諦観の色を含みつつ、これから先に起こるであろうことへの怯えから震えていた。
「なんだよ」
「その……これから……一体何をする気で……」
 指が肛門から離れる。代わりに、指よりもっと大きなものがそこに押しつけられる。私は反射的に次の瞬間襲い来るであろう衝撃に身構えて息を呑む。
「何って、決まってるだろ。セックスするんだよ」
 ソルがそう告げるのと、信じられないほど巨大なものが私の身を割り裂くようにして体内への侵入を無理矢理果たすのが殆ど同時だった。
 あまりの質量と圧迫感にまともに声も出せず、歯を食いしばり、痛みに耐える。耐えられないほどの激痛でないのは、ソルが時間を掛けて指を入れていたからなのか、それとも、宿の引き出しに入っていた怪しい薬品のせいなのか。ただ、本来入ってはいけない場所にソルが押し入っているという感触だけが全身を駆け巡る。
 先端数センチをねじ込んだだけでこの有様なのに、ソルは私の身体をベッドに固定してまだ奥へ入り込もうと腰を押し進めている。ずるずるとソルの性器が奥へ進む度、私は喉から押し殺したような声ばかりをひりだした。ぎちぎちという肉が引き攣れる音に自分の声が重なり、今まで知識としてしか知らなかった性行為を本当にしているのだという奇妙な実感が訪れる。
「聞きてえから、あんま声我慢すんな」
 あまり余裕のないソルの声。――余裕のないソルの声なんて、はじめて聞いたような気がする。いつも私が戦いを挑む時、ソルは嫌そうにしこそすれ、余裕綽々で、そうして手加減なぞしながら私を叩きのめした。いつかこの男から余裕ぶった顔をはぎ取ってやりたいと密かに思っていたのに、まさかこんな形で聞くことになるなんて、ひどく複雑な心地だった。
 さっきも人の口に好き勝手したくせに、なんでこんなに余裕がなさそうなのだろう。しばらくそういう機会がなくて、性欲をもてあましていたから? ……なんとなく違う気がする。
 引っ掛かるのは、先ほどの、私をずっと性的な目で見ていた、という彼のスペル。ずっとって、私が子供の頃からか。本当に? じゃあ私が精通を迎えたあの瞬間も? だとしたら、八年間、生殺しの憂き目に遭っていただとかこの男は言うつもりなのだろうか。
「ぁ、ひ、ひぁっ……あ、や、うそ、」
 いつの間にかずぶずぶと根本まで埋まっていたソルの男性器が、身体のどこかをかすめると、自分の口から信じられないような声が飛び出て、思わず口を両手で押さえる。でもすぐにソルの手でそれを取り払われてしまう。耳元で「いいから喘げよ」とか勝手なことを囁いて、私の中に入っているものを、ゆっくりと引き抜き、かと思うと急激に押し戻す。
 その度に甲高いおかしな声が私の喉から上がる。最早何が何だかわからない。身体の中にソルがいる。とんでもないところでくっついて、全身は燃え盛るように熱く、意識は朦朧として、感覚がどろどろに溶ける。
 背筋をぞくぞくと駆け上がってくるような感触がそのうち身体中を支配して、無意識に、ソルを咥え込んでいる部分を締め付けた。そうすると、より一層お互いの境目がわからなくなっていくみたいで、頭がふわふわしてきて、ろくに思考が回らないままソルの背中に両腕を回す。抱きつくと、身体が密着して、ソルの憎らしいほど男らしい胸筋や腹部が自分のそれと重なる。何かが擦れる感覚にまた上ずった声が出る。いつの間にか痛みはどこかに消え去り、わけのわからない多幸感に包まれている。
 この感覚はなんだろう。動かない頭で一生懸命考えて、私はソルと顔をくっつけたまま、その言葉を口にする。
「きもちいい……」
 それを聞いた途端、ソルはなんでだかびっくりしたような顔になって、今日何度目かわからないキスをした。息という息が吸い取られ、言葉が奪われ、全部ソルの中に消えていった。キスをしたまま、ソルが一際強く腰を打つ。口の中で、ソルの舌が、何か伝えようとしている。わからないのでキスしたまま首を振ると、私を抱き抱えていた腕が一本だけ離れ、私の背にスペルを綴る。
 ――もう、出る、というスペルをソルが綴り終わるのと、熱いものが私の中にどっと吐き出されるのは殆ど同時だった。さっき口で舐めたあの苦いものがどくどくと吐き出されているのを感じ取りながら、こんなにくっついているのに、言葉にしないと伝わらないこともあるのだろうかと漠然と考え、私は意識を手放す。


◇◆◇◆◇


 目が醒めるとソルは私の手を握りしめ、こちらをじっと眺めていた。私達はお互いに下半身を露出したまま安物のベッドに横たわっており、生臭い匂いがあたりに立ちこめていることから、シャワー一つまともに浴びていない状況であることは考えるまでもなかった。
「起きたか」
 ソルの言葉はどこかばつが悪そうだった。熱が引き、自分がしでかした事に、少し反省をしているらしい。私はソルの中にそういった自省の感情が存在していたことに大変に驚き、手を繋いだ状態のまま、ゆっくりと身体を起こす。途中で腰に鈍い痛みが走ったが、自分の身体に起こったことを考えれば、致し方ない。
「何時間ぐらい寝ていたんだろう」
「三時間ぐらいだな」
「ああ、なら、明日の仕事には差し支えなさそうだな。シャワーを浴びたい。先、借りてもいいか?」
「……他に言うことねえのかよ?」
 この仕事人間が、という毒づきと共にソルが信じられないものを見る目で私を見てくる。その言葉で、どうしてこの男がばつ悪そうに顔をしかめているのかがわかり、私はううん、と小さく唸った。要は詰られたいのか。あんなに強引に事を進めたくせに、ひと心地付いた今は、自分がやらかしたことについて一応責められておかないと、気分が悪いのだ。
「お前は時々わけのわからないところで偽悪的になるな」
 そのことがちょっと面白くて小さく笑うと、ソルはますます懐疑的な顔つきになる。
「何のことだ?」
「責任を取れとしか言わないから最初はお前が何を考えていたのかわからなかったけど、途中で全部筋道立って理解出来たから、別にいい。まあ……腰は痛いけど……」
「何がいいんだよ」
「要するに、ソルじゃなきゃ感電死させてたが、お前ならまあいい、ってことだ」
 それを答えるとソルはきょとんとして、目を丸く見開いた。今度はソルの方が私の言葉の意味を理解出来ないらしい。
 仕方ないので、私はソルのために順を追って説明をしてやることにした。
「まず、私がお前を追い回していたことで非常に迷惑を被っていた――とお前が考えていたことがわかった。私は迷惑を掛けていたつもりなんかなかったんだが、お前が迷惑だと言うんだから、そうなんだろう。それで最初はその迷惑料というのにああいった行為をしてくるのが理解出来なかったんだが、途中でものすごくわかりやすく言ってくれたので、納得がいった。まあ、今回ので迷惑料は払いきったんじゃないかと思うけど……」
「……納得がいったのか? 一体どこで」
「うーん。私をずっと性的に見てたのあたりでかな……どうも冗談じゃないらしいというのは顔を見て分かったし……」
「坊や、テメェ……馬鹿だろ」
 ソルは一呼吸置くと、私の頬を小さくつねった。痛い、と抗議すると心底驚いた声で「現実なのか……」とかなんとか言う。
「テメェ警官なんだから、この場で逮捕出来るんだぞ、俺を」
 それから彼は考え込み、しばらくして、そんなことを私に尋ねた。
「お前なんか逮捕してどうするんだ」
「婦女暴行罪とかで……」
「あのなあ、自覚があるのなら、そもそもするな。……私相手じゃなくてもしたことがあるというのなら、父と子と聖霊の御名において現行犯逮捕した後弁護士も付けずに裁判に掛けてやるのもやぶさかではないが」
「坊や以外にするわけねえだろ」
「うん。ならいいよ」
 あっけらかんと言い放つと、ソルはますます懐疑的な眼差しで私を見る。普段私を手玉に取っている男が、私に翻弄されている。それに少し気を良くして、私はぐいとソルの方にしたり顔で身を寄せる。
「だって私のことを性的に見てたということは、翻って、私のことだけを、考えていたってことになるだろう。今目の前にいる私をだ。お前はいつもいつも勝負の最中にどこかを見ていると思って憤慨していたけど、それなら、まあ、いいかなと。もっと早く普通に言ってくれれば他にやりようがあった気もするけど」
「言えるかよ、俺の剣を受けて血を流してる坊やを見ると股間にくるとか」
「だからといって限界まで我慢して安宿に連れ込むのは感心しないな。……あ、そうだ」
 そこであることに思い当たり、もぞもぞとベッドを抜け出すと、服やら武器やら私物がまとめて積まれているテーブルの方へ向かった。制服のポケットに手をつっこみ、中から鍵を一本取り出す。
 それをソルの方に放ってやると、放物線を描いた鍵をキャッチした後ソルは怪訝な顔をした。
「なんのつもりだ」
「家の鍵。前から渡そうと思ってたんだが――お前というやつは断り無く人の家に上がり込んでは器物を損壊していくので――いい機会だと思って。今度からこういうのは宿じゃなくて、自宅にしてくれ」
「……ハア?」
「だって私の家の方がベッドが柔らかいし」
 そこまで言ってやると、やっとソルの方も諸々の意図が呑み込めたらしく、今度は盛大に溜め息を吐く。私は軽い足取りでソルのところへ戻ると、鍵を握りしめているソルの手を取り、申し訳程度に備え付けられているシャワールームの方へ誘った。