Home Sweet Home



 なんだか、今日は変だ。みんなそわそわして浮き足立っている。
 これがラムとエルだけの話ならまだわかるんだけど、オレが見た限り、どうもこのそわそわは二人だけに留まっていないらしい。母さんもきょろきょろしてたし、朝仕事へ行くと言って出掛けていったカイまで妙にうわついていた。
 それになにより――あのオヤジでさえ、落ち着かない様子なのだ。
「……なんかあったのかな?」
 庭に出てそのへんのリスと顔を付き合わせながらオレは首を捻った。リスもオレの動きに合わせて首を傾げる。きゅいー、という鳴き声は「知らないよ」と言っているみたいで素っ気ない。ごめん。そうだよな。庭にいるおまえが答えを知ってるはずもないか。
 手持ちぶさたになり、オレは振り返ってそわそわした人々が中にいる我が家を見上げた。
 近頃、もろもろの事が済んであちこち飛び回らなくてもよくなってきたオヤジは、イリュリア……というかオレたち家族の家に落ち着いている。もち、ラムとエルも一緒だ。オヤジが後を頼まれた二人は、便宜上、オレと一緒にカイと母さんの庇護を受ける形で日々を過ごしている。
 そんなに人が増えて大丈夫か? って感じだけど、今のやたらとデカイ我が家なら全然余裕だ。元々そこそこ広かった実家は、オレがバプテスマ13のあと帰ってきた時にはその三倍ぐらいの大きさになっていた。見慣れない生け垣、窓がたくさんついた白い壁、広々とした玄関。これほんとに普通の家か? ってぐらい、我が家は大きい。
 初めて見たときはあまりの規模に呆れてしまって、オレは思わず「こんなに広いと母さんが掃除すんの大変だろ」なんて言ってしまった。言われたカイはというと、「こういうのは威厳のために必要らしいんですよ」と困ったような顔。そりゃ、そうか。カイだって別にむやみやたらにデカイ家が好きなわけじゃない。どっちかというと……家族三人慎ましく暮らしていけるような、森の隅に立っている小さな一軒家ぐらいが好ましいと思ってる人だ。多分、ホントに王様やめて、みんなで隠居することになったら、そういう家を建てたんだろうな。でも結果的にカイは(今のところ)まだ王様をやめていないので、オレ達は今日もこのでかい家に住んでいる。
「あ。そういや一度だけ、家がでかくてよかったなんて言ってたこともあったっけ」
 そんなわけで基本でかい家をもてあまし気味のオレ達一家なんだけど、ふと思い出したことがあってオレは目を瞑って唸った。えーっと、去年のクリスマスの時だっけ。パラダイムのおっさんやエルにラムはもちろんのこと、書類が月になったとか言ってまだ本国へ帰ってなかったレオのおっさんとか、時間が出来て母さんの顔を見たくなったらしい快賊団の人達とか、オヤジに引っ張られてきたアクセルのおっさんとか……とにかくいっぱいの人を呼んで、クリスマス・パーティを開いたのだ。
 あれだけ人数が集まったのにもかかわらず、その日はパーティ参加者みんながちゃんと家の中に収まった。そんで確か、それを見たカイが「こういうことが出来るのなら、家が広いのも悪くはないですね」とか言って母さんと笑っていたのだ。
 そういやパーティ、あれからしてないな。まあ、母さんやエルの誕生日を兼ねたクリスマスが終わっちゃうと、そのあとあんまり祝うことないしな。
「なあリス、去年のクリスマスさあ、みんな朝どんな感じだったっけ。オレも手伝いしてたからみんながどうだったかなんて覚えてねえや。おまえ、どこいたんだ?」
「きゅきゅい〜」
「あー、そっか、母さんの肩か! あの時母さんに乗ってたのおまえだったんだな!」
「きゅいぃー」
「へー。そうなんだ。母さんを追って魔の森から先祖代々…………って、あだっ?!」
 そうして思い出に浸りながらリスと話に花を咲かせていたオレの頭を、後ろからいきなり誰かが殴った。
 いってーな! あーでも、振り返らなくても、誰に殴られたのかはすぐわかる。この角度、速度、絶妙な重み、拳の硬さ……間違いない。こいつは……
「オヤジィ!! いってーよ、何すんだよ!!」
 両手で頭を抱え、勢いよく振りかぶった先には目つきの悪い茶髪の男が立っている。オレが抗議をすると、見慣れた男――じいさんって呼ぶとすげー怒られるから結局オヤジ呼びに落ち着いた――は軽く右拳を振り、盛大に溜め息を吐いた。
「ド阿呆。リス相手に会話を成立させてんじゃねえ。またテメェの親父殿のお小言が増える」
「カイ曰くそれはオヤジの責任だからオレは気にしなくていいって――あいてっ! カイには殴られたことねーのに!」
「知らん。……フン、まあいい。今日テメェが庭をちょろちょろうろついてると邪魔だ。ツラ貸せ、シン」
「え? どっか連れてってくれんのか? それならオレ、ラムとエルも連れて街に行きた……」
 ツラ貸せだなんて、オヤジらしくもない珍しい口ぶりだ。オヤジにぶん殴られた痛みをコロッと彼方にぶっとばし、俺は勢いよく立ち上がった。旅をしている時分ならともかく、イリュリアに居着いている時にオヤジが自分から誘ってくれることは滅多にない。久しぶりにオヤジと外出! テンションが上がりまくって、オレは期待に目を輝かせて叫んだ。
 でも、そんなオレの言葉は最後まで言い終わることを許されず、遮られてしまう。
「ラムレザルとエルフェルトはディズィーと一緒に留守番だ。街の買い出し係は俺とカイで埋まってる。テメェは寝てろ」
 ゴスン、というかなり派手な音を立ててオヤジの拳がオレにめり込んだのはその直後のことだった。
 あまりのことに意識が追いつかない。え? なんでオヤジ、さっきより強い力で殴ってんの? これじゃオレ、マジ、気絶しちまうんじゃ…………。
「……やりすぎたか。カイにばれる前に治癒はしといてやる、よく寝ろ」
 って、待って、ホント。これ……本気で気絶しちまう奴だぞ、オヤジ。
 オヤジの独り言が遠くなっていくのを感じながらオレは意識を手放した。なんで? とか痛い! っていうあれこれを全部差し置いて猛烈なスピードで瞼が落ちる。
 ……というか。
 カイに怒られるのが分かってるんなら、はじめから渾身の力で殴るの止めとけよ、オヤジぃ……。



◇◆◇◆◇



「きゅーい! きゅい!!」
 顔の上にもふもふした何かが乗っている。あったかい。動くもふもふ。ソイツが、きゅいきゅい鳴いて、オレの頬をつっつく。
「あはは、あは、くすぐってえよぉ……」
「きゅい〜!」
「やめろってぇ、だれだよ……って、ん? んん? あ、おまえ、庭のリス!」
 むくりと跳ね起きたせいで、オレの顔に乗っていたもふもふはぽとりと膝に落ちた。目を向けるとリスが掛け布団の上で引っ繰り返っている。うわ、マジごめん。慌ててリスを表に返し、オレはきょろきょろとあたりを眺め回した。
 見慣れたオレの自室。その窓際に備えてある、オレのベッド。カイと暮らしていた小さい頃のデザインのまま、サイズだけ今のオレに合わせて用意されてたものだ。野宿は当然のこと、オヤジと渡り歩いていた安宿のベッドと比べると遙かに上等なふかふかのやつで、オレはこのベッドがかなり気に入っている。
 窓から見える景色の中にもう太陽は見えない。え? もう夜なのか? オレ、今日、何してたんだっけ。そこまで考えて、まだ午前のうちにオヤジにぶん殴られて意識を失っていたことを思い出した。
「やっべ。母さんに何も言ってないのに昼飯食いに行けなかった。……でも、オヤジのせいだしな。カイも許してくれるよな。で……どうしたんだ?」
 まだ微妙に重たい瞼をこすって、オレの裾を引っ張るリスに訊ねる。リスはなんだか浮き足だった調子できゅいきゅい鳴く。おまえもか、リス。なんだか今日はホント、そわそわしたやつばっかだな。
「きゅー」
「え? なんだよ。ダイニングにみんないるから早く来いって? ええと……時計……夜七時過ぎ……なるほど。そりゃみんなダイニングにいるだろ。夕飯の時間だもんな。でも、そんな慌てなくても母さんはオレのぶん残しといてくれてるよ」
「きゅー! きゅきゅー!」
「ええ……? ああもう、しょうがないなあ。そんなに言われたら、行かねえと」
 そわそわしたリスに「いいから行く!」と一際強く裾を引っ張られてオレは仕方なしに首を振った。ベッドから起き上がると軽く服装を整えて、走り出したリスの後を足早に追いかける。この家、結構複雑な構造になってるはずなんだけど、リスの足取りに迷いはない。去年母さんの肩にのってたやつだしな。もしかしたら母さんに色々仕込まれてるのかも……
 そんなことを考えているうちにダイニングにつき、扉を開けた瞬間、オレは圧倒された。
「――シン! 誕生日おめでとう!」
 割れるような拍手。それから、薄明かりに慣れた目に飛び込んでくる明るい光。
 しかも、いきなり部屋の照明が目に入ったかと思うと四方八方からクラッカーが鳴り響く。ぴかぴか、きらきら、どかん、って感じだ。え? ええ? なんだこれ、どういうことだ? いきなりのことに全然頭が回らないオレの手を、にゅっと現れた二つの手が掴んで部屋の奥へ引き摺って行く。
「シン、お寝坊さんだね。おはよう。みんなで待ってた。プレゼント……エルとふたりで選んだの……すぐ渡したいんだけど、まずシンのお父さんとお母さんが話があるって」
「ら……ラム。お、おはよ。プレゼント……ってなんで」
「もうシンったら、もしかして本当に気がついてなかったの? それなら爆睡も納得かも。……でも、思い出して! 今日はシンのお誕生日でしょ! カイさんとディズィーさんがそれはも〜はりきって……」
「え? ええ? 二人はオレを、どうするつもりなんだよ?」
「そりゃあもう、主役を送り届ける役目です! やっぱりお誕生日はまず、お父さんお母さんとはじめないとね!」
 ラムはオレの顔をちらちら見ながら顔を赤くしてるし、エルは割れんばかりの笑顔でテンション高くはしゃいでいる。
 オレは引き摺られながら頭を捻った。誕生日? オレの? うーん、ああいやでも、言われてみれば……そっか。もう、そんな時期だったのか。
 あんまりカレンダーを見る習慣がないうえ、一年の密度が濃すぎるオレは気にしてなかったんだけど、この部屋中に満ちている空気は確かにそういうアレだった。いつもと違う服を着てオレを引き摺ってるエルとラム、壁にもたれてるいつも通りのオヤジ、胃痛とは無縁そうな朗らかな表情でこっちを見てるパラダイムのおっさん、それから……二人揃って楽しそうにニコニコしてる母さんとカイ。
 ダイニングのテーブルいっぱいには山盛りの料理が何種類も載せられ、ほかほかの湯気を立てている。天井からはカラフルな飾りが吊り下がり、テーブルの上座には、巨大なホールケーキまで鎮座しているのだ。これでパーティがなかったら逆に問題ってぐらい準備万端の態勢である。
「よかった、間に合いました。ケーキの準備に意外と時間が掛かって、どうなることかと思ったけれど」
「でも、リスさんが丁度いい時間に起こしてくれたみたい。さあシン、こっちに来て?」
 そうして視線を正面へ戻せば、ほっと一息吐いたカイと、カイの隣ではにかむ母さんが手を広げて待っている。
 だからエルとラムの手が離れた瞬間、オレは二人めがけて駆け出した。理屈とかはないけど、そうしなきゃいけないと思った。オレと二人の距離はたぶん一メートルも離れてなかったけど、そこを駆け抜ける間にたくさんのことをオレは思いだした。
 オレは今年で六つになる――らしいんだけど、オヤジに預けられた時は生まれて半年ぐらいだったから、実は家族みんなで誕生日を過ごしたことがない。五つの誕生日まで、オレはカイのことが大嫌いでイリュリアに寄りつきさえしなかった。五歳の誕生日の時も、オヤジに連れられて神器回収の旅に出てたし……その時はまだ母さんが封印から目覚めていなかった。
 カイはオレの誕生日の時期になると毎年電話と一緒にプレゼントを贈ってくれたけど、オレは電話に出たがらないしプレゼントも実用的な旅の物資が殆どで、あんまり誕生日っぽいことはしてこなかった。一応、オヤジは気にしてたみたいで、年に一回妙に食事と宿が豪華になる時があって、訊ねると「そろそろ誕生日だったろ」とか素っ気なく教えてくれたんだけど、旅をしている以上それが誕生日ぴったりだったこともあんまりなく。
 だからつまり、こういうふうな誕生日パーティなんか見たことさえなくって――そんな可能性考えたこともなくて、だけど今年はみんながイリュリアにいて、それで感極まってオレは走り出さずにはいられなかったのだ。
「母さん……父さん……!」
 勢いよく飛びついたオレを受け止めたカイはちょっとよろけそうになったけど、母さんが背中の羽根で抑えてくれて、オレ達親子は揃って床に倒れ込んだりせずに済んだ。両親に抱きすくめられ、あたりがふわふわしたいい匂いでいっぱいになる。
「誕生日おめでとう、シン。大好きよ」
 母さんが優しい声で言って、オレの左のほっぺたにキスをした。
「誕生日おめでとう、シン。生まれて来てくれてありがとう」
 カイもやっぱり優しい声で、オレの右のほっぺたにキスをする。
「……うん。二人とも、ありがとうな」
 嬉しい気持ちが気恥ずかしさに勝って、オレはしばらくのあいだ、母さんとカイにハグされていた。二人ともすごく距離が近い。こんなに近いの、いつぶりだろう。……やっぱり、オヤジに預けられる、あの冬以来、だろうか。
「あ」
 世界で一番あったかい場所にいる幸せに包まれてふと見ると、母さんの肩にあのリスが乗っていた。やっぱおまえ、母さんのリスだったんだな。そこ、定位置なのかな。今度、また庭で聞いてみなくちゃ。
 同じようにカイの方を見る。カイの肩にはリスも何も乗っていない。まあカイ、リスとか撫でてるタイプじゃないしな。カイが撫でてんのは、だいたい、母さんか、オレの頭か、オヤジだ。
「……あ!」
 そうして見ているうちにカイの頬に何かくっついてることに気がついて、オレはカイのほっぺたに口をくっつけた。
「……し、シン?」
 さっき母さんとカイがしてくれたみたいにキスしてから、舌を差し出してぺろりと舐め取る。甘くて柔らかい。クリームだ。
「ははっ、カイもそーいうの、あるんだ」
 ケーキのクリームがカイのほっぺたについてると思うとちょっとおかしくて、オレはカイの頬を舐め取ってからくすっと笑ってしまった。カイってそういうとこ、いつも綺麗で完璧だと思ってたんだけど、そうだよな、全然、そうじゃないんだよな。さっき、ケーキ作るのに時間かかったって言ってたもんな。
「シン、どうかしましたか?」
 オレが急に笑い出したもんだから気がかりだったのだろう、訊ねるカイの声はちょっとだけ堅い。いや全然、大したことじゃないんだ。そう言う代わりに、クリームが付いていたところに指をさす。
「カイ、ほっぺたにクリームついてたぜ。ケーキ焼いてくれたの、もしかしてカイ?」
「え? ええ。大体の料理は母さんやラムレザルさん、エルフェルトさんが作ってくれたんですが……私は最初の買い出しだけ手伝って、その後は仕事を多少片付けないといけなかったのでケーキだけ手伝ったんです。……参ったな。クリームが頬に残っていたとは……」
「あはは! カイでもそーゆーこと、あるんだよな。うまかったぜ! ごちそーさん!」
「シン……人の頬を舐めてそういうことを言うのはダメです。特に女性にそういうことをしないように気をつけて。それから」
 思った通りのことを言うと、カイが何故か微妙に顔をしかめて、オレにそっと耳打ちをした。あれ、なんかいけなかったのか。クリームが甘かったのかカイのほっぺたが甘かったのかわからなかったっていうのは、じゃあ言うのをやめておこう。
「キスを返してくれるのはとても嬉しいんですが、私にだけじゃ、不公平かな。ほら、母さんがちょっと寂しそう」
 カイの耳打ちがひそひそと続く。言われて振り返った母さんは、どことなく羨ましそうな顔でカイを見ていた。肩に乗ったリスもきゅいきゅい鳴いている。「おんなじのをもう一回!」――なるほど。サンキューカイ、そして母さんのリス。オレとしたことが大切なことを忘れていた。
「もちろん、カイにしたら母さんにも、だ!」
 カイに背中を軽く押され、オレは母さんのほっぺたにキスのお返しをした。
 オレを抱きとめてくれた母さんの手はやさしい。その上から二人まとめて抱きすくめるようにカイの手が回される。でもそれだけでは終わらない。その上から更に、どこからか現れた一番大きな手が……カイとオレと母さんを一緒くたにハグしてくる。
「――、」
 ――オヤジ、いつの間に、という声はうまく出て来なかった。だって見上げたオヤジの顔は、ちょっと拗ねてるような、でもどこか恥ずかしがっているような、あんまり見たことのない表情をしていたのだ。知らないオヤジの顔! でもわかる気がする。あの、大体なんでも「勝手にしろ」「好きにしろ」「知らねえ」とかで遠巻きに済ませがちなオヤジが、誰に言われたわけでもないのにこういうのに参加するなんて……確かに滅多にないことだもんな。
 リスが母さんの肩の上から鳴いている。オッケー、大丈夫だ。わかってる。カイにキスして、母さんにキスして。そしてそこに「俺も入れろ」みたいな顔でやってきたオヤジがいる。そしたらオレがするべきことは一つしかない。
 オレは気を良くして背伸びをした。オヤジの目が「何のつもりだ」ってオレの方へ向けられる。まあ、見てろって。オレはもうそれほど子供じゃないので、こういうことも出来るのだ。
「オヤジッ、オヤジも、オレたちの大事な家族だからな! いつもサンキュー!!」
 そうしてオレは、カイと母さんにしたのと同じように、オヤジのほっぺたにもキスをした。