薬のご利用は計画的に



 どうしてこう、嫌な予感というものは往々にして良く当たってしまうのだろう。
「ソル……その、せめて話をしてからにしよう、そういうのは。今なら怒らないから。どうしてそんなふうになるまでのんだくれて帰ってきたのかとか、そもそも私の仕事中に来るなとか、そういうお小言も全てなかったことにしてやっていい。話さえしてくれるのなら――ああ、もう! 無駄か!」
 ソルがへべれけで帰ってきた。時刻は二十一時を少し過ぎた頃。夜遅くまで執務室に残っていたのは確かだが、それでもまだ、パブで飲みつぶれた人間が家へ戻るには少々早い時間だ。
 そもそも、シンはどうした、シンは。そう聞くのも憚られるほど、ソルは傍目にも酔い潰れている。ここまでやって来られたのが奇跡だ。いや、そうでもないか。昔からこの男は、酔った時に人の家へ上がり込むことにかけては天才的だった。何度泣きを見たかわからない。
 ただでさえ人相の悪い大男が、酩酊状態で城内を徘徊しているのだ。しかも尋常じゃない戦闘力。ソルの厄介なところは、酔うと理性の抑えをなくす割に戦闘能力には何ら差し支えがないところにある。こんな状態でも、警護の兵士程度に止められるようなたまではない。
 兵士達には明日改めて事情を聴取し、ねぎらいの言葉と共に特別手当を出してやらねば……。
 そんなことを考えていると、そこでようやくソルが何かを言おうと口を開き始める。
 がさごそとポケットの中を漁り、懐から取り出されたものは小さな硝子瓶だ。
「何だと思う、コイツは」
 ――酒くさ!
 ソルの言葉を聞くや否や、顔に思いきりそう罵り言葉をのせてやりながら私は努めて冷たい声音をソルへ浴びせかけねばならなかった。
「知らない。棄てろ」
「そのへんの路地裏で買った。百五十ワールドドルだ。何だと思う」
 ――高!
 思いっきりぼられている額だ。しかもそのへんの路地裏とは。どう考えても怪しげな行商人にふっかけられて掴まされた怪しすぎる代物ではないか。
 朝になって酒が抜けたら、百五十ワールドドルもの無駄遣いをしたことを、私に言われるまでもなくソル自身が猛省するだろう。そのぐらい高く付く買い物だ。私は深々と息を吐き、ソルに反省を促すことを止めた。そもそも酔っぱらい状態のこの男に説教をしたところで何の意味もない。
 ケープの下、露わになっている脇の下に何かをねじ込んで来ようとしている不埒な手はぺしりと払い落とし、私は一つ咳払いをする。
「何と偽られて買ったのかは知らないが、どうせ何でもないだろう、そういうものは。怪しげな瓶の中身は水と大体の場合相場が決まっている。お前は酔って詐欺に引っ掛かった。冷静な判断能力がない状態だ。送ってやるから、早く寝ろ」
「行商人の言うことには、媚薬らしいな。とびきりよく効く類の。違法すれすれ大特価百五十ワールドドルだってよ」
「はあなるほど、媚薬…………は? 媚薬?」
「違法すれすれ大特価」
「そこじゃない。いやそこも聞き捨てならないが。違法すれすれと業者が謳うものの十割は違法だ。それで、なんだって? もう一度だけ言ってくれないか」
「媚薬」
「……眉唾もいいところだぞ、ソル……!」
 私はいよいよソルの判断能力が心配になり、思いきり彼の両肩を掴んでしまった。
 媚薬。媚薬って。素人に比べればそれなりに医学に精通しているソルが買ってくるとは到底思えぬ代物だ。というより、普段のソルなら絶対に買わないだろう。しかもタコ殴りにして押収してくるならともかく、法外な金額をむざむざ支払ってまで。
 一体どんな飲み方をしてきたのか、後で聞き出すのも怖い。何しろ酒に酔ったソルはろくなことをしないのだ。まずものすごく手が早くなるし、理性的ではないし、人の話を聞かない。いつもより倍増しで酷くなる。酔ったソルに抱かれた時、手加減をうまくされたためしがない。
 というか、そもそも……。
「先に言っておくが、私はそんな怪しい水は飲まないぞ」
「あ? ああ」
 先んじて釘を打っておくと、ソルは曖昧に頷く。まったく、わかっているのかわかっていないのか。第一本当に私に盛る気なら、酔っぱらっているとはいえ、堂々と「これは媚薬です」と見せびらかすべきではない。
 しかしそう言ってやっても、ソルは特に表情の変化を見せなかった。
「お前が酔っているというだけでお引き取り願いたいぐらいなんだ。とにかく、そんなわけのわからないものは処分して寝ろ。シャワーが先でもいい。冷や水を浴びれば多少は目も醒めるだろうからな。だから……」
「テメェが飲まねえのなんか織り込み済みだ。コイツは俺が飲むんだよ」
「だからさっさと……はあ?!」
 するとソルは私の小言を遮り、私の見ている目の前でいきなり怪しげな小瓶の中身を一息に飲み干した。
 私は己の犯した失態に激しく後悔をした。なんてことだ、まさか、自分が飲む気でそんなわけのわからないものを調達してくるなんて。完全に気を抜いていた。こんなことなら、最初に何が何でも取り上げておくべきだったのだ。
 酔ったソルは手が早い。そこに「媚薬と思っているもの」を摂取される。最悪だ。たとえ中身が本当にただの水だったとしても、プラシーボ効果のほどは侮れない。
 恐る恐るソルの下肢に目を遣る。股間は謂われのない羞恥で顔を覆いたくなるほど膨れあがり、張り詰めた布の中央は濡れそぼっている。思い込みの力が強すぎる。
「ま、手加減出来なくとも、テメェは死にやしねえだろ」
 焦点の合っていない目でソルが言った。まさか酔っている時も含めて普段は手加減をしているつもりなのか――と問いただす余裕は、残念ながらなかった。


「うう……ぐっ、く、ぅ、ふ、はっ……」
「おい、何唇噛んでやがる。声出せ、聞こえねえだろ」
「いや、だ、っ……!」
「そうか。なら、出るようにしてやりゃいいだけの話だな」
 結論から言うと、酒に酔ったソルは、それでもまだ私に優しくしてくれていたのだと思い知るはめになった。
 ソルは私を引き倒し、床に転がして、大して慣らしもしないうちに怒張した性器を内部へ押し込んだ。そうして私の上にまたがって猿のように腰を打ち付ける。普段なら要求してくるフェラチオもなければ当然キスの一つもない。ただ、肉欲がどうしようもなく溜まっていて、それをどうにかするために私の身体を必要としているようだった。
 性欲処理の道具扱いされていい顔をしてやれるほど私も愚鈍ではない。なんとか精一杯に抗議をしてやりたいし、なんなら、ソルの耳あたりを噛み千切ってでも止めさせたい。どうせ再生するのは知っている。
 だが大変悲しいことに、どうもソルが大金をはたいて買った怪しい液体はただの水ではなかったらしい。ソルのただでさえ旺盛な性欲は青天井に引き上げられ、酷い絶倫ぶりを見せつけてきていた。情緒も何も無い仕草で人の中へぐちぐちと肉を押し込み、かと思えばずるずる引き抜き、こちらの感じる場所を探るとかそういう手順さえなく、ただ自分のいいように往復を繰り返している。
 私は床に背を乗せたままそれに振り回されるしかない。それでまったく快感を拾えないのなら私も怒りに大暴れが出来たのだろうが、悲しいかな、全然気持ちが乗っていなくとも、中に性器を押し込められてしまうと、どうも私の身体はその気になってしまうらしい。全部ソルのせいだ。ソルの。私に散々そういうのを教え込んだのはソルだけだ。
 けれど、身体がその気になっていても、何故か私の頭は冷静に思考を続けたままで、これがなんとも嫌な感じだった。
 多分原因は、ソルが取り出した二つ目の瓶の中身だ。強引な挿入の直前に私の下肢へ雑にぶちまけられたそれが、精力旺盛なソルに対してほぼ素面の私という悲しい事態を作り上げているのに違いない。
(しかし、違法すれすれ合法ドラッグだかなんだか知らないが、ダウナー系とは……)
 痛みと快楽がないまぜになった複雑な感情を弄び、私は唸った。どうせ媚薬と銘打つのなら、時々警察に摘発押収されていた過激ポルノ小説並に効いて、私の理性も奪い去るぐらいの効き具合を見せてくれたら、こんな気持ちにならなくて済んだのだろうか。……いや駄目だ。何と言ってもここは執務室。自宅ではなく職場。この付近ではないとはいえ、城内にはまだ夜勤の兵士達が詰めている。
 ソルが乱雑に私を押しつけ、余裕なくがっついた動作のままかぶりついてくる。ああ、また、そんな場所に痕なんか付けて。もう身体中真っ赤だ。普段は服の下に隠れる場所を狙ってキスマークを付けるようにしているソルが、今日はまったくそんなことを考えていない。頬や首筋のきわどい場所、或いは内股、はたまた二の腕、ありとあらゆる所にべたべたと痕跡を残していく。
 挙げ句の果て、いきり立ったまま衰えを知らない男根は、殆ど凶器そのものだった。射精した直後はちょっと柔らかくなる……ような気がするが、すぐに硬度を取り戻してしまう。しかも私の中で。だから休憩時間がない。なけなしのプライドを盾に歯を食いしばり、ひっきりなしに上がろうとする嬌声を必死に押さえているため、ずっと呻き声ばかり漏れている。だがソルにはそれも気に入らないようで、ますます動きに容赦のなさが増すばかりだ。
「ああ、もう、少しはこちらに気を遣え……っぐ、あ、」
 潤滑剤になるものが流し込まれているだけ「多少は」マシだが、普段のようにセックスを楽しむ気分にもなれないので、相手を一切思いやらない交合は精神的な苦痛を極めた。なんというか痛ましいのである。肉体の方は大分限界が近く、もう随分前から射精がしたくて仕方がないというのに。
 けれどまったく射精には至れない。ソルの太い指先が根本を握り込み、咎めてきているのもあるが、何故か、波が来る――という限界までくると途端にそれが引いていってしまう。これもダウナー系ドラッグのせいだろうか。最悪だ。
 射精が出来ないので、抱かれ慣れている身体は次にせめてもと射精を伴わない絶頂を求める。ソルに抱かれるうちにすっかり身体が覚えてしまった快感を欲しがり、己を犯す男を柔らかな肉で食い締め、ねっとり絡みつき、先をねだって愛撫する。けれどそれさえ手に入らない。いつも通りの手順を追い、ドライオーガズムに至るその直前までは至るのに、最後だけは絶対手に入らないのだ。
 私は涙の滲む瞳でソルをきつく睨み付けた。
「いい加減に、しろ、この、色情魔!」
 何より最悪なのは、実のところ、酒と媚薬のダブルパンチで盛りの付いた野獣に成り下がっているソルより、クリアな意識を保ったまま肉体だけは行為に溺れ、しかし中途半端に放り出されている自分自身なのだった。
 身体は意思を離れ、征服者の乱暴な行いに歓喜し、力任せの稚拙な性交に媚びへつらう。すると快楽中枢が刺激されて生理的に――つまりシステム的に「気持ちいい感じ」になろうとする。しかし私の脳は冷え渡っている。理性は死んだ魚のような目をして「だけどこれは強姦だし……」と異を唱え、私自身が肉欲に浸ることも出来ないまま、挙げ句の果てに寸止めされ続けている。
「はあ? ケツの中ぐずぐずにして何言ってやがる。こんなぎちぎち締め付けてぎゅうぎゅうに吸い付かれてちゃ何の説得力もねえよ」
「それはお前が変な薬を垂らしたからで……私は怒ってるんだぞ。本当に……」
「顔が発情しきってんぞ」
「おまえが一人で楽しんでるだけだ!」
 つまり何が悲しいかというと、ソルが一人で盛れば盛るほど、ソルとの行為に慣れた身体はそれに追随しようとするのに、何故か私の自意識だけは置いてけぼりにされ、最後まで一回も行けないということだ。そんな状態でソルだけ気持ちよさそうにしているのを延々見せられれば不機嫌にもなる。
 私は得体の知れない薬を心底恨んだ。普段ならこうはならない。多少手荒な段取りで行為に至っても、肉体と共に精神も高揚し、なんとなくいい気分になって、要望通り甘ったるい声を出してやることさえある。なのに今日はそれがない。ソルが腰を深く打ち付ける。私の身体が跳ねる。肉体の深い場所、奥の奥にまでソルを迎え入れ、もう二度と離したくないとでも言わんばかりに食いつき、ハグをし、背筋を何かが駆け抜けていき――
 そこでぴたりと止まる。
 やがて数度目の射精を迎え、したたかに私の中に(無許可で)吐き出したソルは、そこまでやっても何一つ楽しそうな声を出さない私を訝しみ、ずるりと身体を引き抜いた。射精した直後にも関わらず外性器はがちがちに固くなったままで、カリ首は襞に引っ掛かり、後口を押し広げて出て行く。質量のあるものが引き抜かれたせいで喪失感がすごい。どろどろと体液が穴の外へ滴る感覚もある。
 私はものすごい虚脱感を覚えて疲れ切った溜め息を漏らす。あれだけ吐精しているのだから、精液が零れ出るのは当然のことだ。だけどこのぐらいの状態になれば、普段なら私も自分からソルを手招きして行為に及ぶぐらい気持ちよくなっている。
「……カイ?」
 ソルが初めて首を傾げた。一人で何発も出してからという遅まきぶりだが、事態の異常さにやっと気がついたらしかった。
「不感症にでもなったか」
「知るか! ……念のため聞いておくが、私にぶちまけたあの液体、何と言われて買った」
 尋ねるとソルはちょっと考え込むそぶりをして、首を捻る。
「イけなくなる薬だとか言ってたような気がするが」
「なんだって?」
「あー、今気がついたが、テメェのその様子じゃ、効果はマジだったらしいな」
 ソルが初めて気がついたといった感じで手を打った。
 私は絶句した。自分だけ好き勝手にやらかし、一人で何回も気持ちよくなるまで私に目を向けなかったこともそうだが、そんな、生殺しにするための薬を効能を知りながら平然と私にぶちまけたことにいたく腹が立った。酒に酔ってさらに媚薬を飲み干したという状況で正気に基づいた判断をしろというのも後から思えばかなり無茶な要求だが、とにかく、滅茶苦茶に腹が立った。
 ソルが気持ちよくなるのなら、私だって、一緒にそうなりたい。
「ソルッ、お前のそういうところが、私は――」
「まあ、なら、薬が切れるまでやってりゃいいだろ。あとは……そうだな……気休めだが、テメェも飲んどけ、最初のヤツ」
 するとソルは何を思ったのか、鬼気迫る表情の私に、破綻した理論を振りかざしてその日初めてのキスをする。
 抗議のために開けられた口の中に分厚い舌をねじ込み、反抗の隙を与えず徹底的に抵抗心をこそげ落とす。歯列をなぞり、こじ開けた裏側をまた舐め、舌と舌をもつれさせ、自分の唾液をめいっぱい私の喉奥へ送り込んでくる。
「ん、んん、うぐ、ふ、は、あ、」
 キスというよりは唾液を飲ませることが目的だったらしく、いつもしつこいソルのキスは、私が諦めてそれを飲み始めるまで更にしつこく続いた。私はやむなく流し込まれる液体を飲み続けた。ソルの唾液は、いつもと違い、薄荷臭いというか、薬臭い。
 大量の唾液を嚥下させられ、どういうわけか頭がぽーっとしてくる。ずっと脳裏に張り付いていた冷え渡った思考が少しずつ剥がれ落ちていく。もしかして――もしかしなくとも、これは口移しか。恐らくはソルが初めに飲んだ薬の。あれだけ人の中でいけしゃあしゃあと射精しておきながらまだ非常識にも天を向いているソルの下半身を仕立て上げた媚薬の? 私は恐怖しようとする。しかしもはや、それさえもままならない。
 そこから先の変化は劇的だった。
 どこまがプラシーボ効果でどこからが薬の効能なのか最早判別出来ないほど、効果は覿面だった。先ほどまでのソルをねだる肉体の動きが生理的反応と条件反射だけで出来ていたとはっきりわかるほど肉体は敏感になり、理性は一瞬で蒸発し、感覚は鋭敏になり、五感の隅々までソルに犯された。
 指で太ももをなぞられるだけで感じ入り、亀頭を押しつけられただけで潮を吹く。挙げ句の果てにキスをされただけで気をやりそうになり、ソルが再度の挿入に至り、奥へぴたりと突きつけた頃には何回か死んだのではないかというぐらいに絶頂を極めていた。
「おい、いくらなんでもイきすぎだろ。どうなってる」
 そんなことを言われても、身体が勝手に反応するものはどうしようもない。自分の身体がソルの肉を必死に食い詰め、貪りついているのを、茫洋と感じ取るので精一杯だ。ああ、どこにも行かないでほしい。ずっと中にいて。そんなことを言われなくとも、固く張り詰めて大きさを増し、存在を主張し続けているこの状態なら、大丈夫だと思うけれど……。
「こ……こっちが、知りたいぐら、ひゃっ?! ぁ、ぐ、あっ――」
「……まだ出してもいねえぞ。……出したらどうなるんだ」
「やだ……やめて……怖い……」
 流石のソルも、私の尋常でない様子に怪訝な声を出し始める。しかし下半身はまったく自重していない。どうしたと聞きながら休みなくピストン運動を繰り返している。あれだけ動いて息一つあげる様子がないのに、汗はだらだらと滴り落ちていて、不覚にも、欲情してしまう。
 ソルの身体を巡る血液、その身を滴る体液のひとつまで愛おしい。それらが全てどろどろに融け合って、私達を隔てるものを溶かし尽くしてくれるのではないかという錯覚さえ覚え始める。
「やだ、つってる割には、物欲しげだが」
「だ……だって……」
「さっきまでが嘘みたいに痙攣してるのは、事実だろ」
 耳元に余裕のない囁き声が落ちてくる。抜き差しの度に断続的に響いているいやらしい水音が自分の身体から出ていると思うだけで頭がどうにかなりそうだ。身体をよじり、ソルの背に手を伸ばした。怖い。怖いとも。こんなペースで絶頂を迎え続ければ、自分の身体がどうなるのかわからない。なのにおまえはちっとも手を休めないし、終わりのない無間地獄に放り込まれでもした気分だ。
 だけど同時に、一度も味わったことのない未知の感覚だからこそ、ここで止めて欲しくない、行けるところまで行きたい――というような衝動も確かに覚えている。つまり私はもうとっくに気が狂っているのだ。この状態で、今、したたかに内部へ吐き出されたらいったいどれほど気持ちよくなってしまうのだろう。それこそ、比喩でなく、情事の繰り言でさえなく、本当に善がり狂ってしまうかもしれない。気持ちよすぎて頭がばかになってしまう。震える肢体でソルを包み、奥へ誘い込む。早く。早くもっと奥へ。
 今までで一番気持ちのいいキスをしてほしい。
「だってこんなの……おかしくなる……でも……わ、笑うなよ。おかしくなりたい……」
 請うとソルは犬歯をちらつかせてにやついた笑みを浮かべた。乱暴に抜き差しを繰り返していたソルの腰つきがそこで不意に止まる。同時に肉の引き攣れる音もなりを潜め、世界中が静寂に包まれたような錯覚に陥る。
 しかしその中で心臓の音だけが激しい炎のように燃え盛っている。
「……もうとっくに俺もテメェもおかしくなってるだろうがよ」
 走り続けてそのまま死に絶えてしまいそうな心音を聞きながら、私はのど笛を噛み千切らんという勢いのキスに甘んじた。


◇◆◇◆◇


「悪い」
 目を覚ますなり謝罪されたのは人生で初めての経験だった。しかもソルからだ。あまりの珍しさに私は一瞬時が止まったかのような錯覚に陥り、それからすぐ、昨晩のことを思い出して再び固まった。
 途中まで目を覆うほど惨い生殺し状態だったのを覚えている。しかしその後、口移しで媚薬を飲まされてからは一転、酷い有様だった。生娘でもないというのに、あれほど欲情したのは人生初というほど肉欲に溺れ、ちょっと目もあてられないほど性交に耽った。しかも執務室の床で。過去最低の勢いだ。
 やってしまったと思ってずきずき痛む腰を押さえながら起き上がると、しかしそこはカーペットの敷かれた床ではなくスプリングの効いたベッドの上である。ソルに貸しているのとは別の客室だ。多分隣だろう。耳を澄ませると子供の――シンの寝息が聞こえる。窓の外はまだ暗い。
「何が起こったのか説明してくれ」
 髪を掻き上げ、胡乱な眼差しでそう尋ねるとソルはベッドサイドに置かれていた煙草の箱に手を伸ばした。あれだけ激しい行為の後だからか、髪はべたついていた。多分腸の中もまだぐちゃぐちゃだ。
「俺達は覚えたての学生カップルよろしく猿のようにセックスした」
 ソルの声は辟易した調子だった。
「そんな説明はいらない」
「数えてないから正確なところはわからんが、十何発か出したところでスッキリして俺が正気に返った」
「猿か?」
「猿だな。猿だ。自分でもこんなにやれると思ってなかった。あの媚薬は本物だ」
「そんなことはどうでもいい」
「で、ぐったりしたテメェを抱えてここまで戻って来た。この部屋は鍵が掛かっていたが、隣に行くわけにもいかないから強制解呪で開けた。寝かせるついでにテメェには水も飲ませた」
「なるほど、よくわかったよ。酒に酔ったおまえは馬鹿だ」
 私がきっぱりと言うと、いよいよソルが押し黙る。
「返す言葉もない」
 その次にぽろりと零されたしおらしい言葉に、嘘や打算はなかった。
 上出来だ。それで全て許すことにして、私は肩をすくめるとソルの頬へ啄むようにキスを落とした。
 身体を洗っていなかったのはソルもだったらしく、その後は、二人してシャワーを浴びた。烏の行水のように狭い部屋でシャワーを浴びるのは久方ぶりだった。何しろ、パリのあの家を離れてからというもの、私の住まいは極端に大きく広くなってしまい、本当に個人の邸宅につけるものなのかというほどの大浴場が家に備わっていたりするのだ。
 狭苦しいシャワールームの中で必然的に密着する中、背中を流したり流されたり、髪を洗ったり洗われたりしながら、ソルがぽつぽつと昨晩の顛末について話して聞かせてくれる。
 私はそれに静かに相づちを打つ。シャワーの水音が少しだけ響いていた。
「まあその、なんだ。アクセルとジョニーが来ててな」
「イリュリアにか? 珍しいな」
「ああ、珍しい。しかも会ったのも街中で偶然にだ。当然のように盛り上がり、ウワバミが三人集まった自然な流れで飲み比べからの潰し合いになった」
「後半の文脈が理解出来ないんだが」
 酒飲みの言うことはこれだから困る。しかしそこでキリキリと追求しても意味がないので、乳首に手を伸ばしてくる指だけ払いのけて続きを聞いた。
 とにかく度数の高い酒で互いを潰し合う地獄のような酒盛りは超ハイスピードで進み、なんと十九時に始まって二十一時になる前に結末を迎える。連絡なしで帰りが遅くなったジョニーを心配したジェリーフィッシュ快賊団の面々が小言を言いながらジョニーを連れ帰り、アクセルは千鳥足でパブを後にし、残されたソルもやはり千鳥足でそこらへんをふらふらしていた。そのせいで普段なら行かないような治安の悪いエリアに足を踏み入れ、スリの被害には遭わなかったものの、いかにもな怪しい小瓶を二つも言い値で買い取ってしまう。
 そしてへべれけに酔っぱらった状態のまま兵士達を押しのけて城内を驀進、兵士達は上へ報告したもののカイの賓客扱いで城内に滞在しているソルをどうにかすることも出来ず、対処は保留。その隙に執務室まで到達したソルは昨夜の行為に及んだというわけだ。
「テメェにぶちまけたほうの薬な」
 うなじにくっきり付いている鬱血痕を指先でなぞりながらソルが言う。
「なんだ」
「どうも俺が飲んだやつとセットだったらしく。ギリギリまで性感を押しとどめ、溜め込み、俺が飲んだ薬を摂取することでそれを一気に放出し未知なる扉を開く的な効能らしい。説明書によると」
「違法待ったなしだな。明日の内に検挙させよう。ドラッグの取り締まりに熱心な知人には事欠かない」
「まあ……そうだな……」
 声に悔しさというか、「もっと買っておけばよかった……」という後悔が滲み出ていたが、取り合わない。もっと買っておいてどうするつもりなんだ。使うのか。学術研究目的でないことだけは明らかだ。
「説明書を読む癖がなかったのは致命的だった」
「まずそんな怪しい薬を買うな」
「若いから好奇心に負けた」
「…………。張り合うのがばからしくなってきた……」
 息を吐き、あちこちに散らばる己の痕跡を撫でる手に甘んじた。鏡がないからよく分からないが、指先の移動している感じからして、また随分痕を付けたらしい。どことなく痛みというか違和感の残る箇所もあるので、噛み痕も混ざっているのだろう。怖々と後ろに手を突っ込んでみれば、ぼとぼとと流れ落ちていく精液も心なしか普段より濃い上に量が多い。
「もう二度とああいう怪しいものを使うな」
 ちょっと拗ねたふうに唇を尖らせると、ソルは目を泳がせて口笛を吹く。
「最初は確かにキツかったと思うが、そのぶん、後は良かっただろ」
「……それはな。でも、駄目だ。あれじゃ本当におかしくなってしまう」
「あのぐらい乱れたテメェも悪かないんだがな」
 しつこく乳首に触れようとしてきたので、またはたき落とす。しかしそうされることを読んでか今度は尻に手を伸ばしてきたので、容赦なく肘鉄を加えてやると、ソルが低く呻く。
 振り返ってその様を眺め、私はようやく溜飲が下がり、にっと笑った。やはり、酒と薬に酔って理性をなくしたソルより、手つきが不埒でも私の目を見て名前を呼んでくれるソルの方が一緒にいて嬉しい。
「おい、カイ……」
「私はやっぱり、いつものお前の方が好きだよ。どうやら、手心を加える優しさは持ち合わせていたようだしな。それにあんな絶倫を毎度毎度相手していられるか。……たまにで十分だ」
 少々悪戯心を込めてそう言ってやると、ソルもにっと笑い、ガードの堅い乳首を諦めて代わりに耳たぶを甘噛みした。