塔の上のラプンツェル



 オレの父さんは高い塔の上に幽閉されている。
「父さん、ごはん」
 ここにあるから、と机の上にオートミールの入ったトレーを置くと、父さんはか細く笑う。オレは、この世界で一番最後に残った人間であるこのひとが、か細く笑う以外の表情をしているところを見たことがない。母さんは寝物語に毎晩「勇敢な最後の人間の話」を聞かせてくれるけど、丸っきり全部、母さんの創作なんじゃないかなってぐらい、この人の見せる顔はいつもか細い。ついでに身体もか細い。塔の上の一番高い部屋で、オレが産まれた五年と少し前から幽閉され続けているから、筋肉はすっかり落ち、頬は痩け、今にも死んでしまいそうなかたちをしている。腕なんか母さんよりよほど細い。当然オレよりも。
 五年と、少し前。聖戦……と呼ばれ長い間続いていた戦争が終わった。聖戦は、ギアの勝利、人類の敗北、というかたちで決着がついた、らしい。オレは聖戦が終わったあとに産まれた子供だから聖戦のことはよく知らないけど、なんでも気が遠くなるほど長い間ギアと人間が殺し合って、その果てに人間が全滅して、一人残らず死んだので戦争もおしまい、ってことだそうだ。
 聖戦最後の戦いは、ローマのど真ん中で行われ、最後は母さんと父さんの一騎打ちになったんだっていう。父さんが連れてきた最後の人間達は母さんから父さんを護る盾になり、蒸発するみたいにこの世から消えた。その隙に、母さんを取り囲んでいたギア達を父さんが皆殺しにした。あの日は血で血をあらいあったものよ、と母さんはその話をする度に微笑む。母さんは立派な大人だったけど、そういう話をする時は、なんだかオレよりも随分と、幼いような気がする。
 ローマの、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(めちゃくちゃ長い名前だけど、毎晩聞かされてたら覚えてしまった)で行われた最終決戦は、父さんの握り締めた血まみれの宝剣が母さんの喉元に突きつけられ、同時に、母さんの羽根が父さんの四肢を貫いたところで終わりをみた。父さんは、あと一歩のところで母さんに及ばなかった。けれど……四肢を破壊され、動けなくなった父さんを母さんは殺さなかった。心臓を抉らなくともあの人はもう死んだようなものだったから、と母さんは言った。
 勝者となった母さんは血に染めた頬を紅潮させ、四肢が欠損しかけていた父さんを抱き上げるとキスをしてそこから飛び上がった。大聖堂の天井は隕石でも落ちたみたいに穴が空いていたから、そこからの出来事はあっという間だった、と父さんが言う。そこから……そこから、母さんは生き残った人間達に、宣告をしたのだ。宣告って言っても大したことじゃない。もう、その時点で大半の人間は死滅していて、戦える力を持っていない女子供を含めても、ローマの周辺にしか残っていなかったらしい。
『さよなら、人間たち。おまえたちの希望はもう死んだわ』
 見せつけるため、母さんは抱き上げた父さんの頬に再びキスをした。でも父さんは、その独り善がりな行為を見た人間なんか一人もいなかっただろう、と言う。とにかく母さんは父さんにキスをした。自分のものだというマーキングと、それから、敗者は勝者の好きなように扱われるものだ、という証明。
 そうして母さんは、父さんにキスをした唇で、『じゃあみんな死んでね』と微笑み聖戦を終わらせた。
「食べられる? 腕の調子、今日はどう?」
「ええ、スプーンを持つぐらいでしたら、なんとか」
「そっか。じゃあオレ、ここで座って見てる」
 オレがベッドサイドに腰掛けると、父さんはまず首から提げた十字架を手に取り、何かに祈る。誰に? と一度だけ聞いたら、もう生きてはいないひとですよ、と言っていた。オレはその人の名前も聞いたけど、それは教えて貰えなかった。いない人の話を訊ねることは、それからオレの中での一つのタヴーになった。
 母さんに一度壊された四肢だけど、生きていく上でいろいろ不便だろうから、と両腕だけはまあまあ使えるようにしてもらってる、らしい。世をはかなんで自殺とかされると困るので、使える用途は限定されてるけど。この両腕は、スプーンとフォークと紙とペン、それから十字架しか持つことが出来ない。しかも塔の上のこの部屋は常に監視されていて、フォークやペンを自分に向けようものなら、すぐさま、取り上げられてしまう。
「……おいしい?」
「非常にまずい」
「オレは好きだけどなあ」
「生きる意味がわからなければ、どんな食材も味を失ってしまいますから」
 いつ聞いても、父さんは料理がまずいって言う。この料理、母さんが毎日作ってるのになあ。最近はオレも手伝う。母さんは父さんのごはんを作るとき、いつも楽しそうに、心をこめてキッチンに立つ。オレはその姿を見る度、本当に母さんと父さんは殺し合っていたのかどうか不思議に思うんだけど、何を食べてもまずいとしか言わない父さんを見ると、すーっと気持ちが下がって、やっぱ殺し合ってたのかも……という気がしてきてしまう。
「父さんは塔からは出ないんだ」
「出られないので」
「足の問題じゃなくて……オレ大きくなったから、父さんのことだっこしてずっと運んでけるよ。空だってちゃんと飛べるし……」
「ううん、出られないんです。シン、私の髪が見えるでしょう? これはね、私をこの塔へ縛り付ける枷ですよ。この髪が部屋中を埋め尽くすようになっても、きっと私は、一歩もこの部屋から出ることがないでしょう」
 そっか、と寂しく頷いて父さんの髪を梳いた。ひょっとすると母さんのそれよりもずっとずっと長い金色の髪は、既にベッドを覆い尽くすほどの長さになっていた。つやつやしたブロンドは、オレが父さんから受け継いだ特徴の一つ。オレはこの金色が好きだ。だって空に浮かぶ太陽みたいだから。
 そう言うと、父さんはいつも苦しそうな顔をする。
「父さんは……母さんに会いたくはないの」
「いいえ」
「でも母さんは、父さんに会いたがってるよ。毎晩…………」
「……すみません。それは私には、耐えられない」
「どうして?」
「私は、あなたのお母さんが、恐ろしい」
 応えられないではなく耐えられない。父さんは母さんに会わない理由にいつもその言葉を使った。母さんという存在が、父さんには耐え難いのだった。
「彼女は純粋にすぎる。人は悪しきものだと教えられたから、それ以外の答えを知らない。私が、あなたたちギアを悪しきものだと信じているように。ギアの姫として育てられた彼女は、悪辣と放埒、そして少女の残虐しか持っていない。彼女には私の言葉が届かない。だから剣で殺すしかなかった。けれどその剣をも奪われた、今……私は彼女と相対することに耐えられない」
 父さんの震える指先がオレを抱きしめる。あなたに罪はないのにね、と唇が紡ぐ。母さんは花を摘むのが好きだ。父さんは花を植えるのが好き。母さんは髪を結うのが好き。父さんは髪をほどくのが好き。母さんはギアが好き。父さんはギアが嫌い。母さんは人間が嫌い。父さんは人間が大好き。
 でも二人とも、オレのことは、抱きしめて愛してるって、言ってくれるのにな。
「ソル……どうして私を置いて死んでしまったんだ……」
 オレを抱きしめたまま、父さんが太陽のことを口にした。塔の窓の向こうで、太陽は今日も燦々と輝いていた。太陽の名前を呟く時、父さんはいつもオレの顔を見ながら、オレではない誰かをその奥に探していた。だからオレは父さんを抱きしめ返す。太陽は今も外で輝いているのに、と言う代わりに……。
「母さんは父さんを愛してるよ」
「もっと違う出会い方をしていれば、私も彼女を愛せたかもしれませんね」
「母さんがギアじゃなければ?」
「いいえ。彼女がギアの姫ではなく、一人の、ありふれた少女であったのなら、それにはギアも人も関係はなかったんです。本当は……」
 こんなことになるまで気付くことさえ出来なかったけれど、と父さんはやはりか細く笑った。
 いつかこの人のか細くない笑顔が見たい。でもどうしたら母さんみたいに笑ってくれるのか、その方法はろくすっぽわからない。






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 この時空の場合シンはディズィーが動けないカイを逆レイプして産まれたんですけどカイはそのことをシンに伝えてないし永遠に言わないと思う
 泥沼の聖戦がやっと終わろうとした頃、カイは20を過ぎたかどうかぐらいで、髪はたぶん短くて、四肢を壊され何一つ抵抗出来ないままディズィーに犯されて、彼もおとこのこだから、生理的に身体は反応して、辱めを受ける中人類を殲滅した残虐無垢な少女の中に種を実らせてしまうんだけど、生まれてきた子供はひととおなじかたちをしていて、しかも自分によく似ていて、よほど死にたかったろうけどシンがいる限り(許されたとしても)自殺はしないのかもしれないね……
 たぶんこの時空のカイはディズィーを憎んでるわけじゃないと思うんです 心が折れてるというか、カイを残して人類が死滅した時点で、憎む力も奪われてしまっていて だからといって受け入れることも難しく だから彼女の用意したごはんはちゃんと食べるけど、いつも砂を噛んでるみたいな気持ちがしている

 ギア姫ディズィーは、なんだろう、すごく怖い存在で、ドラマCDぶらっくのディズィーの声がわたしはほんとうにほんとうに恐ろしいんですけれど、(だって純度百パーセントの憎悪だもの、)あれは人が造り出した悪鬼だから、それを悟ってしまっているカイは、彼女を糾弾出来なくなってしまう、みたいな。
 カイは白馬に乗ってやってくる星の王子様なので真っ当な出会い方をしなくてもディズィーは恋に落ちるんだけど、この時空の場合、ディズィーはその感情が恋だと知らないし、愛もちゃんとは理解出来ていないし、なんていうか、やっぱ正史がいちばんやなっていうか、親切なおじいさんとおばあさんに拾われて愛を教えて貰えて魔の森でカイに出会えてよかったなというか、正史はすごい綱渡りみたいな超低確率の出来事を繰り返して今に至っている気がしてなりません。