お気に召すまま



 なんというか酒は駄目だ。
 嫌いではない。かといって好んでいるわけでもない。アルコールに弱いので、摂取しすぎるとしんどい。だから平素はたいして益も害も生まないこの「酒」というものが、パーティの場ではとたんに牙を剥き、私を襲う刺客となる。返事も待たずグラスに注がれる液体を横目で睨み、私は気付かれぬよう密かに嘆息した。でっぷりした体格のご老人は、先ほどから、どうも私のグラスへ無闇矢鱈と酒を注ぐことにご執心のようだった。
「いやはや、カイ様がワインがお嫌いでなくて安心いたしました。麗しの君に飲んでいただけるのなら我が家の家宝も本望でしょうて」
「はあ、しかしロチルド卿、流石に三杯目は、他の方にお譲りしますよ。『聖戦前もの』が稀少な品であることは浅学な私でも存じております。私ばかりが独占するというのも、気がひけて……」
「遠慮なさるな! カイ様のためにと蔵から出させたのです。貴方が飲まなければ、どうせ永劫我が家の蔵で眠る運命でしたとも」
「それはそれで、勿体ないというか……そうです、ロチルド卿もお飲みになっては」
「いやあ、私はカイ様が飲まれるお姿を拝見するのに忙しいですからな」
 藪をつつくと蛇である。私は失礼でない程度に限界ぎりぎりまで眉をしかめ、困ったなあという顔をつくって見せた。ロチルド卿は動じなかった。グラスになみなみ注がれた葡萄酒は減るきざしを見せない。ああもう、こっそりグラス内部の温度を操作して蒸発させてやろうかな。――しかしその行為は別種の被害を生みそうなので想像だけに留めた。
 国際警察機構に移籍して以降、平和な時代になったこともあり、式典やらパーティやらがあるごとに乾杯の場で酒が振る舞われるようになった。酒に弱い私も、組織の代表として参加することが多かったため、グラス一杯は飲み干さなければいけないようなことが続いた。しかも飲んだあと、アルコールに弱いことが悟られないよう立ち回らなければならない。国際警察機構パリ本部のカイ=キスクは酒で潰せる――なんて噂にでもなったら、私は到底認可出来ないような内容の書類を大量に決済させられるはめになるだろう。そんなことがあってなるものか。
 まったくどうしてこう、乾杯の酒は度数が高いものが多いのか。そんな嘆きを呑み込んで密かに飲酒の特訓を積み、ある程度は素面のふりが出来るようになったのが一年ほど前。その甲斐あり、パーティのたびに執事を会場まで呼びつける必要はなくなったが、酒に対する弱さが克服出来たとは到底言い難い。パーティの翌日はいつも酷い頭痛に襲われたし、寝覚めは常に最悪だった。赤子の夜鳴きよろしく、もう二度と式典に出たくない、式辞だけ読んで帰りたい、と泣きつく度、真夜中に通信で叩き起こされたレオは、苛立ちに同情が勝ったような微妙な声で「おまえもつらいな」と私を慰めた。
(いや、しかし、でもこれは、)
 つらい。本当に辛い。レオは優しいからいつも同情してこう言ってくれるけれど、今日ばかりは本気で駄目だ。まだ二杯しか飲んでいないのに、意識が天国――地獄かもしれない――に旅立ってしまいそうな気配が近付いて来ている。
 ロチルド卿自慢のワインの度数は、いったいいくつなのだろう。猛烈な不安に襲われ、大事そうに握り締めているワインの瓶に視線を滑らせた。……二十四。――二十四?! 道理で、甘いとは思ったが。こんなものをあと一杯以上飲まされたら、本当に潰されてしまう。
(恥を忍んででも、ベルナルドを呼ぶしか)
 グラスを握っていないほうの手で密やかに通信用のメダルを探す。手探りで適当にコールを掛け、一先ずの安堵。ワンコールで切れる通信は、「SOS」のサインだ。彼は全てを了承し、パーティ会場に駆けつけてくれるだろう。
 とはいえ、本部で待機させていたベルナルドがどれほど急いだとしても、ここまで一時間はかかる。薄氷の如き安堵はすぐに割れ、私は再び恐怖に包まれた。ここから一時間、私は適当な会話でロチルド卿の注ぐ酒をかわし続け、なおかつ、不自然でない程度に酒も飲まなければならない。出来るのだろうか。酒は斬っても死んでくれない。正直これは、聖戦中のどんなミッションよりも強敵だ。
 でもやるしか道がない。
「どうかなさいましたかカイ様、もしや本当はお口に合っておられませんか」
「いえ、これほどの高級ワインを口にする機会はそうありませんから、香りを楽しんでいたのです。ロチルド卿のご好意があるとはいえ、流石にこの三杯目で最後になるでしょうから……」
「いえ、いえ。この瓶一つ、全て差し上げますとも。どうかゆっくりお愉しみいただきたい」
「はは……」
 笑い声がどんどん引きつっていく。もう逃げたい。本当に式辞だけ読んで帰ればよかった。貴族がたくさん出てくる親睦パーティで顔を売るとか、別に私がやる必要のある仕事じゃないだろう。どうせどの貴族も私の名前は知っているのだし。一方的に私が貴族の顔と名前を売られ、ついでに媚びを売られ、心底うんざりだ……。
「んんっ?!」
 半ば諦めながらグラスに口をつけようとしたところで、ぐいと腕を引っ張られる。突然のことで大仰に体勢を崩し、ワインの中身が飛び散る。ロチルド卿の顔が見る間に青ざめ、しかし一瞬で茹で上がった。ワインが飛び散った事に対する嘆きと怯え、それから、面目を潰された怒り。ロチルド卿の顔面の意味はすぐさま推察がついたが、私が体勢を崩した理由はまるで分からない。
「き――貴様! SPふぜいが、私の客人に何をしてくれる!」
「オーナーからのお呼びだ」
「あ、な、お、オーナーの」
 オーナーの名を出されロチルド卿が狼狽したところで、誰かが私の身体を腕ずくで引っ張っていく。声も出せぬまま呆然と引き摺られ、私は天を仰いだ。豪奢なホールの天井には宗教画が填め込まれ、神の使い達に人々が跪いていたが、今の私にはどんな美術品であろうと一インチと響かない。
 思考が覚束ない。オーナー? 何故オーナーの名がここで出てくるのだろう。……もしかしてオーナーの元に連行されるのか? 私が? 何かやらかして? けれど一切覚えがなかった。
 気が動転していてものごとの処理が追いつかない。私はすっかり固まったまま、口だけぱくぱくさせて誰とも知らぬSPにずるずると会場を引きずり回された。酒と貴族からは逃げおおせられたが、謂われのない容疑でオーナーの元に連行されているとなると、助かったとはとても言い難い。
 せめて身の潔白を証明しなければ……とうまく働かない頭で考え、落ちそうな意識を叱咤した。パーティ会場の熱気から離れていくほど、気がゆるみ、素面のふりをして耐えていたアルコールがどっと意識に回り始めたような気がする。
 どうにかしなければ。そうは思うが、度数二十四の酒相手に下戸の私がどこまで健闘できるだろうか。ものすごく不安だ。不安でどうにかなりそうだし、床を擦っているせいで制服は薄汚れ始めていた。これは、明日、クリーニングに出さなければ……。


「……あれ?」
 混濁し沈み込んでいた意識が、ばたんと扉を閉じる音で一息に浮かび上がってくる。
 私は慌ててあたりを見回し、素知らぬ部屋を確かめた。いつの間にか、きれいにメイクされたベッドの上に腰掛けている。落ち着いた調度品と清潔な空間、ほどよい広さ。どこからどう見てもホテルの一室といった調子で、とてもオーナーの待つ部屋には思えない。
「すみません、SPの方」
 私は混濁しそうな意識をぎりぎり押さえつけて振り返った。
「これは一体どういうことで?」
 私を引き摺り回したSPの男は、そこでようやく私が意識を取り戻したことに気がつき、顎をしゃくりあげる。大柄の男だった。武道でも修めているのか、のりの利いたフォーマルウェアの上からでもその肉体の逞しさが伝わってくる。切りそろえられていないざっくばらんの髪は肩口でまとめられており、威圧感のある顔つきをしていた。要人警護にはもってこいの風貌だが、スーツを着慣れていないのか、きゅうくつそうでもある。しかし容貌は整っており、男であるカイの目から見ても、さまになっており格好がいい。
「どうもこうもねえ。下戸の客が悪絡みされてたら引き離してやるのも業務契約のうちだ。ここは気分が悪くなったパーティ客用に確保してあった休憩室」
「あ……あー、なるほど、そういうことでしたか。それはご迷惑をお掛けしました」
「……坊や、相当酔ってるな?」
「え? いえ、この通りぴんぴんしていますが? 確かにロチルド卿の執拗な勧めには困っていましたが……何か?」
「ここまで言って気付かないってことは、アホほどアルコールが回ってやがるな。ったく、素面のフリだけうまくなってもしゃあねえだろうがよ」
 私が素直に礼を言うとSPの男はぞっとしないものを見たような顔つきになり、妙に馴れ馴れしく私を呼んだ。どこかで聞いたことのある声のようにも思えたが、意識が限界に近く、よくわからなかった。視界が霞み始めている。世界がぼんやりして、ふわふわ浮つき、頬が熱い。
「こっちを見ろ。誰だかわかるか」
 汗ばんだ身体をごつい手のひらが無理矢理引き寄せ、顔を寄せる。近い。焦点が合わない。私はぼやけた世界に向かって尋ねかける。
「え、いや……誰ですか?」
「俺だ、俺」
 新手の詐欺か?
 最近、そういうのが流行っているらしいという通達を生活課の同僚から聞いたばかりだ。いやしかし、パーティで雇われたSPが詐欺を働くというのもよくわからない話ではあった。それもホテルの部屋に連れ込んで。これはどちらかというと、連れ込み強姦でよく見る手口のような……。
「ん――んむっ?!」
 しかし次の瞬間、酒に浮かされてぽやぽやしていた私の意識のうちに強烈な電流のようなものが走り、生活課の同僚と、連れ込み強姦の手口についての調書が全て消し飛んでしまった。
 というのも近付いて来た顔に唇を塞がれ、強引な動きで舌までねじこまれたからである。たちまち息を奪われ、分厚い舌に何もかもを翻弄される。喉の奥を突かれるんじゃないかというぐらい差し込んで来て、かと思えば少し引いて執拗に歯列をなぞり、私の口から酸素という酸素を吸い尽くそうとする。
 あまりにも執拗なキスの嵐。キスは非常にしつこく、ねちっこかったが、不快感はまるでない。どころか慣れた感触さえある。そう、よくよく知っている男が私にするキスが、いつもこんな調子で……まさか。いや、そんな馬鹿な! 私は驚き、まだ焦点の定まらない両目で男を追いかけた。
「――はぁ、はぁ、は、……、そ、ソル?!」
「気付くのが遅ぇ」
 やっとのことで解放され、根こそぎ持って行かれた酸素を吸い直し、がたがた震える指先で男を指し示す。彼はすぐさま問いかけを肯定した。私の唇を好き放題貪った男は、不機嫌さを隠しもせず首を鳴らし、唾液でてかった唇をぺろりと舐め取った。妙にセクシュアルなその動作にごくりと喉を鳴らしてしまい、はっとして胸を押さえる。さっきまであの分厚い唇や舌が私を舐め回していたと思うと、胸がざわついて仕方がない。
 ソルだと分かって見ても、彼の今の姿は、粗野で筋肉を剥き出し誇張する普段の装いとまるで異なり、酷い混乱をもたらした。ただでさえ使い物にならなくなってきていた脳味噌に残された最後の思考領域がショートしていく。襟はぴんと正され、袖もきっちりしているし、タイによれ一つ見あたらない。仕立てのいいタキシードは、昔、私が勝手に想像したものよりも遙かにソルに似合っていた。
 押さえた胸がどんどん鼓動の激しさを増していく。かっと顔が赤くなるのが鏡を見なくてもわかる。きっとアルコールの仕業だ、と私は努めて自分へ言い聞かせた。今になって余計にアルコールが回ってきたのだ。そうに違いない。だってそんな、フォーマルな姿のソルが、こんなに格好良くてさまになるなんて、私は知らない!
「だって、服、赤くないし」
「服装でしか他人を識別出来ねえのかテメェは」
「おまえがそんな……全身黒づくめでいるところなんか、滅多にないし……第一なんでこんな場所でSPなんか!」
「仕事だ仕事。わりのいい、きなくせえ話があってな。それで受けてみりゃどうだ、まんまと酔っぱらわされた坊やがちんけな貴族にお持ち帰りされる寸前ときた」
「は? ――うわっ!」
 強引にベッドへ押し倒され、上からソルが乗りかかってくる。朦朧として落ちつつある意識でも、ソルがどうやら怒り心頭らしいということはなんとなくわかった。声も手つきも面差しも、何もかもが不機嫌の塊だった。だというのに、ソルがどれだけ不機嫌な素振りを見せても、礼服を着た格好良さが少しも色あせず、心臓がどうにかなりそうだ。
「さっき、休憩室と言ったが」
「は、はい」
「どういう用途の『休憩』に使うべきかは、定められてない。テメェに酒盛った貴族は、はなからそのつもりだったんだよ。調べもついてる。アルコールに弱い賓客へ無理に度数が高い酒を飲ませ、しけこむ。奴ら、坊やとこういうことに及びたくてパーティを主催してたわけだ」
 服を剥がれる。首筋を撫でられ、無骨な手のひらが肢体を上から下へなぞりあげる。
 抵抗する気力が、生まれてはへそのあたりでしぼんで消えて行った。私は最早何を考えることも出来ず身体をソルに明け渡す。相手がソルだとわかり、緊張の糸がぷつりと切れたことで、はっきりした言葉を喋る気力はすっかり失われてしまっていた。ソルの言っていることも、全然耳に入ってこない。殆ど右から左に流れていって、でも、
「冗談じゃねえ。誰がテメェをやるかよ」
 熱に浮かされた世界の中でそれだけがはっきりと私の脳裏に響いた。


◇◆◇◆◇


 確かにカイは酒に弱い。見かけだけ大丈夫なふりをするのは近頃かなり上達しているが、この前自宅に押し入った時、口移しでウォッカを飲ませたら一発でだめになっていた。カイの酒の強さなんて所詮そんなものだ。
 とはいえ、口移しで落とした日だって、こんな姿を晒したりはしなかったのに。
「ひぅ、ぁ、ふぁ、あぅ……」
 むかっ腹が立った勢いのままカイを押し倒し、ちょっと手を出してやると、カイはあっという間に蕩けた。脱がせたばかりの身体は薔薇色に染まり、乳首は少し摘んでやっただけでぴんと立ち、固くしこっている。それに合わせてペニスもゆるく勃ちあがり、蟻の門渡りをなぞって辿り着く尻の入り口は物欲しげにひくついていた。……こいつ、仕事でここに来てたんじゃないのか? そんな疑問を抱きつつもベッドサイドに用意されていたローションを手に取り、入り口に宛がって塗り込めてやると、カイの身体はいじらしく指を食んでそれに応えるではないか。
「何飲ませたらこうなるんだよ」
 薬でも盛られたんじゃないかという準備万端ぶり。こうなるのも含めて、あの貴族共の計画だったのだろうか? パーティ自体、これを喰らうつもりで仕組んだ罠。可能性は大いにありえる。
 ソルは辟易して眉間の皺を深めた。嫌な仕事だと思ったが、受けておいてよかった。様々なものが未然に防げたし、明日には、このパーティを主催した良家のお坊ちゃまも廃嫡されているだろう。
「発情期か、ったく」
 舌打ちをして、肩を喘がせるカイのうなじにかじりつく。色づいた肌はいつにも増して柔らかく、生まれたての赤子同然だった。しかし、淫猥に濡れそぼった秘所と男の劣情をこれでもかと刺激する淫蕩極まりない表情が、カイの印象を赤子とは正反対の方向に押し込んでいる。酒はもう完全に回りきっていた。パーティ会場に立っていた時はまだなんとか押さえていたものが、ここにきて箍を外されてしまったらしい。
 しかしそれにしても、だ。
 うなじの噛み痕を長め、ソルは溜め息を吐いた。あの、すれ違っただけでやれ勝負だ逃げるなソルソルソルとやかましい坊やが、自分を乱雑に引き摺った男の正体をすぐに看破出来ないなんて異常だ。そりゃ、ソルの方も身なりを整え、髪型も少しいじり、印象は変えてきていたが。完璧な変装にはほど遠い。ワインの二杯や三杯だけでこんなに出来上がってしまったとはとても思えない。
「そんな顔して誘うんじゃねえよ」
 必要な部分だけ脱がせてあとはカイの身体に脱げかけの服を引っかけたまま、予告なく、二本の指を中へ突き込んだ。躊躇なく強引に突き立てたはずのそれを、既にぐずぐずに蕩け切っていたカイの身体が従順に迎え入れ、主人の脳に悦びだけを伝えていく。腰がびくりと震え、色づいた外性器ははしたなく蜜を零した。間髪入れずもう一本指を突き入れる。暖かな肉襞は征服者の指先を歓迎した。
 普段、自宅のベッドでやる時はなんのかんの理由をつけて断ったり先延ばしにしてこようとする事の多いカイが、一言の「嫌だ」もなく、ソルの求めに恭順している。その事実にますます腹が立ち、苛立ちのまま乱暴にカイの中を抉った。相手を思いやることの一切ない、前戯と呼ぶのもはばかられるような行為を、しかしカイの身体は常以上に喜んで受け入れた。内部はしっとりと潤み、みっちり詰まった肉は熱く、指を食い締めて離そうとしない。襞という襞が絡みつき、ソルの指をより深い場所へ誘い込もうとしている。
 仕込まれ、淫靡に育った身体で雄を誘い込む。この痴態を、あと一歩遅ければソルではない男が見ていたかもしれない。それを思うと心底ぞっとしない。もしカイが、あの肥え太った野卑な男に組み敷かれていたら。最悪の想像だった。ソルは頭を振る。己のものが苛立ちに比例して起き上がり、そそり立つのがわかり、ものすごく複雑な心地だった。
 勝手知ったる泣きどころを指の腹で押し擦れば、カイが腰をくねらせ甲高い悲鳴を上げる。喘ぎ声をひとつ上げるたび、カイの身体も顔つきも、より淫らになる。ぐしゃぐしゃになった顔に嵌められた両の瞳は焦点が定まっておらず、ただ、ソルのタキシードを映している。
「感度良すぎてひくぞ、流石に」
 詰るようなことを言ってみても言葉が返ってこない。諦め、指を引き抜く。じゅぽんと音を立てて消えて行った指を、カイのぼんやりした瞳が追いかける。しかし視線はすぐさまソルの張り詰めた下肢に向けられた。頭がろくすっぽ回っていなくとも、次に何が起こるのかということを、カイの身体は正確に理解していた。
 スラックスを寛げさせ、きゅうくつそうに存在感を主張しているものを取り出す。普段ならカイに口や手で愛撫させるのだが、その必要もなさそうなぐらいにいきり立っている。第一、カイの方がそれどころではない。命じたわけでもないのに幼児返りのように自分の親指を食み、もう一方の手で己についたペニスや穴を慰めているカイに、ソルに奉仕するだけの余力が残されているとはとても思えない。
 けれどそこで意地悪い気持ちを押し留めることが出来ず、ソルは見せつけるように己のものを手で扱き、その体勢で止まってカイを見下ろした。
「おい、坊や」
「なに……? ね、も、いれて……」
「いや、駄目だ」
「! なんで……こんなに大きかったら、いいでしょう……?」
「駄目だ。俺が納得出来ない。坊や、酒が入ってるにしても出来上がりすぎだ。ついでにちょろすぎる。俺の知らないところで何かあったんじゃねえかと思い始めると気が気でない」
 ソル自身どうかと思うほど口から出ていく言葉が冷たい。蕩け顔を惜しげもなく晒していたカイも、冷や水を浴びせられた心地がしたのか、その瞬間ほんの少しだけ面差しに怜悧さを取り戻した。
 そうしてまず、カイは気まずそうに目を泳がせた。その態度が気に入らず無理矢理顔を掴んでこちらを向かせると、今度は観念したように息を呑み、逆にぽうっとした眼差しでソルを熱烈に見つめてきて、わけがわからない。
「だ、だって……」
 絞り出されたアンニュイな掠れ声は、艶と恥じらいを同時に含んでいた。
「なんだよ」
 なんだかよくわからない反応に、問いただす声も怒りより困惑の色が強くなる。カイにこんなに熱烈に見つめられた経験は殆どない。大昔、大浴場で羨ましげにソルの身体を見てきたことはあったが、あまり人をじっと見てはいけないと教えられているのか、ソルと目が合うとすぐに視線を逸らしていた。セックスの最中に見つめ合うことは多々あったが、そういうのとも趣が異なっている気がする。
 カイが再び、「だって」と言って口ごもる。ただでさえ欲情して赤くなっている頬に別種の色が差し、二十三の男がしているとは思えないほど可憐な面持ちで、カイが恥じるように口走る。
「そりゃ、酔ってた、けど。お酒なんかよりずっと、ソルが……かっこよすぎて……びっくりして……ちゃんとした服を着たらこんなに格好いいなんて、知らなかった、から……!」
 その言葉にソルは虚を衝かれたような心地になった。
 それから、あまりのことにらしくもなく目を見開くと、二度三度瞬きまでした。 
「わ、笑うな!」
「馬鹿言え、これが笑わずにいられるか」
 ソルの反応を馬鹿にされたと受け取ったのか、カイがせいいっぱいの声を絞り出して抗議する。しかし本当に笑わずにいられない。たちの悪い笑顔が押さえきれず顔に浮かぶ。この感情は喜びだ。不安は綺麗さっぱり払拭され、更には独占欲を満たされた。これで満面の笑みを浮かべずにいられるほど、ソルは無感動ではない。
 子供の頃に比べて嫌がることが増えた(翌日の仕事に響くというのが主な言い分だった)カイが、一人でにこれほど乱れるなんて事態、酒のせいだけではないはずだと思ってはいたが、まさかそんな理由だったとは。聖騎士団の頃は肌のほぼ見えない格好をしていたはずだが、四肢を覆う布はぴっちりしていたので体格は丸わかりだった。加えてスーツも滅多に着ないので、ソルのタキシード姿は、よほど刺激が強かったのだろう。
 くつくつと笑いながらゆっくりとカイに覆い被さる。ひくつく入り口に猛るものを宛がい、耳元に唇を近づける。その過程で付けたままのタイがカイの乳首を掠め、ひぅ、と押し殺したような声が喉から直接届く。
 ひどく気分がいい。精力も有り余っている。とびきり気持ちのいいセックスをしてやりたい。お互いに、準備はもう出来ている。
「あとな」
「は、はい……?」
「俺は何着てても格好いいだろうが」
「――っ、自分で言うな、ばか……あ、ぁあ、あっ!!」
 カイが目尻に涙を浮かべ、真っ赤になってばかと罵ったのと、ソルが先端を内部へ挿入したのがほぼ同時だった。
「あ――あ、ぁ、あぁあっ、ひ――」
 敢えて奥に進まず、入り口を浅くゆすりたてる。当然奥深くまでもらえるものと思っていた内壁はソルをぎっちりと包んでは深奥へ誘い込まんとするが、そこは根性で耐える。ゆるく掻き回し、浅い場所を擦って焦らせば焦らすほど、熟れた肉体は悲鳴を上げてわなないた。ちゅぱちゅぱという軽い音に対し、カイの嬌声だけが懇願の色を増し、艶めいていく。
「なん、で、」
「焦らした方が最後がいいだろうが」
「やだ……いまの、ソルに……言われたら、全部ずるい……」
 媚びてねだる襞たちを宥めるようにうなじや鎖骨のあたりへ噛みつき、胸を啄む。舌の先で固く尖った乳首を押し潰すようにしてやると、ちょっと過剰なぐらいにびくびくと震えて下肢を締め付けてくる。
 面白くなって胸をいじめ倒してやると、びくん、と腰が跳ね上がり声にならない悲鳴が喉から漏れ出る。頬をさすり、触れるだけのキスをして呼吸を整えてやると、とろりとした目がソルを捉えた。
「胸だけで空イキしたのかよ」
 意地悪く訊けば溶けた海色が揺らぐ。唇は必死に結ばれていたが、答えは明白だった。
 思えばあれほど性に淡白(というより無知極まっていた)カイが、今日はソルよりもずっと強く欲情して惜しげもなくそのさまを見せているのだ。ばかりか、入り口で焦らされて胸をいじられただけで中イキしてしまうときた。十五のカイに今の姿を見せたら泣きわめくだろう。八年でこれなのだから、このぶんではあと十年もすれば更にとんでもないことになっているかもしれない。
 考えるほど何もかもが楽しい。ぐずぐずのどろどろになった肉壺の中から一度陰茎を引き抜き、奥に来るどころかいなくなってしまったことに目を細めて泣き出すカイをあやした。目の周りをぺろりと舐めると甘じょっぱい。ふと思い立って腋を舐めると、こちらの方が幾分か塩味が濃かった。
「腋の方が濃いな」
「?! へ、へ――変態!」
「坊や、たまには腋の出る服を着ねえから汗が溜まるんだよ」
「適当なことを……あぁっ!」
 再びべろりと腋を舐め上げてやればそれだけで震えるような声が上がる。このまま舐め続けたら、腋だけで達するようになるのだろうか? ……魅力的な思いつきではあったが、すぐさま結果が出るようなことでもないと考え、意識を下に戻す。
「は、はぁ、ん、んんっ……」
「ちょっと口閉じてろ」
「え? なに? ソル?」
「お待ちかねだ、舌噛むなよ」
 そうして、カイの意識がまだ腋に胸にと散漫になっているうちに、いきなり奥深くまでの侵入を果たした。
「ッ――、ぁ、あぁ、あ、あっ――……」
 出来上がった身体を更に焦らし続け、準備は万全に行っていたはずだが、やはり内部は酷く狭く、強引な挿入は双方に痛みをもたらした。奥歯を噛みながら無理矢理直腸を掘削して進み、腸壁を擦り上げる。カリ首が前立腺に当たると、カイの顔に浮かぶものが苦痛から快楽に移り変わっていく。
 ソルのペニス全体をずっぷりとカイが咥え込み、陰嚢が尻たぶにひっつくようになる頃には、カイはすっかりだらしのない様子で相貌を崩し、口から涎を垂らしながらソルにしがみつき、足を絡め、びくびくと内部を痙攣させていた。行き当たりまで届いた亀頭は肉厚の襞にぎゅうぎゅうに吸い付かれ、強烈な締め付けと射精感をもたらす。浅く息を吐き、しばしその態勢のままカイを抱きしめていると、カイがきれぎれに吐息を漏らしてソルに目を遣る。
 カイの両眼は、はっきりと熱に浮かされているのに、それでもまだ澄み渡って美しかった。気がやられて息を呑む。うつくしいかたちを保ったまま、カイが腰をソルに押しつけ、身体をゆすり、淫猥なまねに及ぼうとする。
「おく……こじあけられて……すご、も、わけわかんない……」
「俺もとんでもねえ締め付けの上にちゅうちゅう吸い付かれてどうにかなりそうだ」
「なら、もっと、おかしく……して、くれない、か……?」
「……ああ」
 こんなふうにせがまれて拒む理由などどこにもない。
 まかせろ、と一層低い声で囁き、止まっていた時を解放するように、いきなり律動を開始した。結合部は派手な水音を立ててじゅぷじゅぷと泡立ち、肉が引き攣れて擦れる度に乾いた音が響く。激しい抽挿にカイは身をよじり、しかしそれさえも全てソルの腕の中で、逃れる術はどこにもない。ソルもソルで、出ようとすれば必死にしがみつき、奥まで貫けば全身全霊で食らい付いて亀頭を舐め回し吸い尽くしてくる腸壁のいじらしさにどうしようもなく引きずり込まれていく。
 互いが背に指を立てあい、しかし皮膚に爪が食い込み血が流れ始めているのにも構わず求め合っては貪り喰らい尽くすだけのセックスに興じた。カイはソルの全てを取り込もうとしたし、ソルはカイの全てを奪い取ろうとした。ソルがカイの奥深くを突き立て犯す間に、カイは小刻みに絶頂を迎えていた。そのどれひとつ射精を伴っていなかった。四肢の全てを走る稲妻のような快感で思考は焼き切れ、ただでさえ摩耗していた理性なんてものはろくすっぽ形を保っていなかった。
「ソル、ソル、ん、ぁ、そる……」
「ああ、くそ、出る……!」
 そうしてカイの身体が何度目かの絶頂を迎え、強烈な締め付けに襲われ、とうとうソルも射精を迎える。吐精は長く続き、それと同じぐらい、カイは抱きついたまま身体をびくりと震わせた。しとどに吐き出した精が呑み込み切れなかったのか、結合部から漏れ出す。それを感じてか、カイがこれ以上漏らすまいと下肢をきゅうと反応させる。
 その様に、たった今精を放ったばかりのものが再びむくりと起き上がってくるのを感じ、ソルは了承を取る代わりにカイの耳たぶを甘噛みした。仕事がまだ終わっていないので夜通しやるわけにはいかないが、ともかく、この一回で終わらせるには、今日のカイはあまりに惜しい。


◇◆◇◆◇


 足腰が立たない。
 ベッドの上で呆けていると、シャワールームからソルが戻って来て、白濁液まみれの私を見るなり一人で頷いた。身体中べとべとになった私を差し置いて「シャワー浴びてくる」とひらひら手を振って消えた男は、行為の最中も股間だけ出して上着一枚脱がなかったくせして今は何故か全裸だった。
「出たぞ」
「いつまでも脱いでないで、早く着替えて仕事に戻るべきじゃないのか、SP殿」
「酔いが醒めた途端に可愛げのねえ」
「いや、よくよく考えてみれば、職務中にしけこんでるお前も十分悪質だと思って」
「そうかもな」
 正論で殴りかかってやったというのにまるで堪えた様子がない。いや、まあ、この男はそういうやつだ。私は諦め、続けてシャワーを浴びようとベッドからの離脱を試みたが、駄目だった。足が動かないので下に降りられない。
「子鹿か」
 そんな私を見てソルが笑った。
「お前のせいだぞ。抜かずに三発とか人間のやることか……」
「坊やの具合が良すぎたんだよ」
「――っ!」
 非常にむっときてきゃんきゃん噛み付いてやると、あっけらかんとそんなことを言われる。いや……確かに、今日はなんだか、すごくよかったけど……。ソルが格好よくて、いつもよりずっとときめいてしまって、ああ、いけない。考えただけでまた変になりそう。
 一人百面相を始めた私を見かねたのか、ソルはこちらに寄ってくるとおもむろに私を持ち上げ、そのまま両腕で抱えてシャワールームに運んでくれる。いわゆるお姫様だっこなる持ち方をされているのはこの際気に留めないことにして、私はソルに全身を流される道を選んだ。足腰が立たなくなると妙に優しくしてくれるというのは、ソルの持つ密やかな性質の一つだった。自分がやらかした、という責任を、彼は本当のところ、言動以上に持っているのだった。
「パーティには戻るのか」
「いや、もう、ちょっとな。これで戻れとか、鬼かお前は」
「ならこっちを手伝うか?」
「……いや、何故?」
 腰を腕一本で支えたまま、存外器用にもう片方の手で私にシャワーを浴びせながらソルが問う。何故私がソルの仕事を手伝わねばならないのか甚だ疑問だが、そういえば、ソルがこんな形で潜入してきている理由をちゃんとは聞いていなかった気がする。
「そもそもこれ、警察機構が出してる仕事か?」
「ジュネーブ支部からの極秘Sレート業務だな」
「うわ。国連絡みじゃないか。道理で知らないわけだ」
「ああ。やっこさん方、パリ本部の坊やに覚えがよくねえからな……計画立案書を読んだ限りじゃ、テメェの役回りは殆ど囮同然だったぞ」
「……。で、摘発は出来そうなのか」
「坊やとしけこむ前に証拠は送信済みだ。囮のカイ=キスクはへべれけに酔わされて潰される寸前、と書き添えておいたのが効いたんだろうな……つい今しがたゴーサインが出た。燃やして構わない≠セと」
 太い指先が中に溜まったものを掻き出していく。ソルが話している内容もひどいが、事務的に掻き出す動きに欲情しそうになる自分の身体もかなりひどい。
生死問わず Dead or Alive =H」
その通り That's right. =v
 にんまりとソルの口端が釣り上がる。ああ、これ、本当に燃やすな。骨も残らず灰にするつもりだ。ロチルド卿、彼も、私に度数二十四の酒なんか飲ませたばかりに……。
 私は生唾を飲むとかぶりを振った。
「……。ああ、なら、ジュネーブ支部の仕事を手伝ったと言えば明日は午前休が降りるだろう。たまには手伝ってやってもいいぞ」
「ほお。腐れ貴族共でも憐れんだか坊主」
「後味が悪い。私はお前みたいに思い切りがよくないんだ。お前が燃やす代わりに、私が自発的な後悔を促してやろう。ひょっとしたら灰にされた方がましと思うかもしれないが、ジュネーブに目をつけられるぐらいだ、さぞ素敵な事業に手を染めていることだろうな。自業自得だ」
 出来るだけ低い声で囁いてやると、ソルはますます笑みを深め、私の身体をつるりと撫でる。手つきには性的な意味合いが込められていたが、それには応えてやらない。これ以上の続きはもう持ち帰りだ。
「後始末まで全部片付けて、ジュネーブに売れるだけの恩を売ってやろう。お前の報奨金も弾むように掛け合っておく。悪くない話だろう?」
「俺は構わねえが、坊や一人で処理してたら時間が掛かりすぎるだろ。お楽しみが減るんじゃねえのか」
「問題ないな。そろそろ、ロチルド卿から逃げようと思って呼んでおいたベルナルドがここに着く頃だ」
 しれっと言いのけると、ソルがくつくつと喉で笑った。悪いことを考えている時のソルの顔。空恐ろしいことに、私は、彼と向かい合っている自分自身も、今の彼とまったく同じ顔をしていることに自信があった。
「久しぶりに気が合ったな、坊や」
「ああ、まったくだ。今夜の私達はいやに気が合う。だから一つだけお願いを聞いてくれ」
 指を一つたて、ついでに伺いを立ててみる。ソルは「言ってみろ」と私の発言を許した。こういう時に口を挟んでこない時、大抵の場合、ソルの中では私の数少ないお願いを聞いてやる準備が整っている。
「シャワーを浴びたら、仕事が片付いてここを出るまでずっとあのタキシードを着ていてくれ」
仰せのままに As you wish =v
 思った通り、ソルはあっさりと私のおねだりを受け入れた。しかも言い方が妙に大仰だ。こんなにご機嫌なのは、三発も出したあとだからなのだろうか。では今度からソルへの陳情は三発ぐらい出させたあとに……いや待て。割に合わない。今の考えはなしだ。
 気を取り直し、ソルのセリフに合わせて手の甲を出すと、彼はとうとう傅いて私の甲にキスをする。しかし今のソルはタキシードはおろか聖騎士団の制服姿でさえなく、生まれたままの真っ裸であるためにとんでもなく似合わない。
 私は耐えきれず、ぷっと噴き出すと彼の肩に飛びついた。