スカボロー・フェアにて



 けだものが唸り声を上げている。地を揺るがす不協和音が鼓膜を震わせ、苛立ちがいや増す。ソル=バッドガイは大地を蹴って飛び上がった。石を切り出して作った粗雑な得物を握り、羅刹の如き相貌を隠しもせず、化け物どもの唸り声を掻き消さんばかりに声を張り上げて雄叫びを上げた。
「しゃらくせえ……」
 一薙ぎで飛沫が上がり、二薙ぎで断末魔が地を満たす。狂戦士のような戦いぶりに、出立の頃は「新入り」に目を掛けてくれていた連中も、いつの間にか姿を消している。荒ぶる鬼神の様相に畏れを為したのか、あるいはもう死んだのか。どちらにせよ好都合だ。ソル=バッドガイは一人で生きて来た。この名前を与えられて生まれた時から、ずっと一人だった。たまに物好きな奴がいて寄り添おうと身を寄せてきたこともあったが、鬱陶しいと振り払えば、そのうちいなくなった。
 まだ忌々しい呻き声が聞こえている。黙って死ね、ともう一薙ぎ。命という命に対する虐殺。ギア殺しは、ソルにとって虫を殺すより容易いことだ。殺られる前に殺る、というだけのシンプルなルール。酒場で追い縋ってくる娼婦をあしらうより、よほどこちらの方が気が楽だ。
「くたばってろ……永久にな……」
 ひときわ甲高い断末魔を上げる最後のギア、その喉元を深々と刺し貫き、死骸を後方へ投げ捨てるとソルは踵を返した。
 人類を守護する砦、聖騎士団。この組織に招かれ、様々な思惑の元にそこに加わって早十日が経っていた。たった十日の間に、もう片手を超える数の出撃をこなしている。独り身の気軽な賞金稼ぎをしていた頃も毎日剣を振り回してはいたが、こういう統率の取れた組織でさえ頻繁に同じ兵を戦地へ送り込むという事態は、ソルが思っている以上に人類が疲弊しきり限界を間近に迎えているという現実を垣間見せていた。
 はじめのうちはパリの近場だった出撃場所も、あれよあれよという間にイングランドだ。一昨日はロンドンだったからまだそれらしい宿もあって部隊の安全も保証されていたが、昨日はリバプールで、今日はもう海沿いのスカーバラまで流されてきてしまっている。馬を走らせ、ギアの痕跡を追い、これを殲滅する。足の届く限り地の果てまで追いかけて行く。聖騎士団のやっていることはまるっきりゴミ掃除屋だ。そのお題目に騎士道なんぞ掲げているのだから、片腹が痛い。
 血みどろになったケープの裾を重たくたなびかせ、あてもなくゴミ山のようになった丘を歩いた。血なまぐさく蔓延る死臭に磯の香りが混じり、鼻が曲がりそうだった。通信機が生きていればクリフに文句の一つでも言ってやるところだが、乱戦の途中で落とし、踏み潰してしまったので、どうすることも出来ない。
 せめて海風に当たることが出来れば。そう考えてざりざりと地を踏みしめていると、不意に背後から透き通った声がしてソルを呼び止めた。
「独断専行は感心しませんね。それにあなた、メダルは? レーダーに反応がありません。もう壊したんですか」
 子供の声だった。第一小隊隊長、守護天使≠フ一人、カイ=キスク。ソルより頭一つも背の低いこの子供のことが、ソルはあまり好ましくなかった。まずこいつは何を考えているのかよくわからないので、気持ちが良くない。その上口を開いたと思えば小言ばかりなので、もう最悪だ。
「ギアに壊された。仕方ないだろ」
「支給品の中でもとくに高価なんですよ、あれは。あとで反省文。それにあなた、同じ班の仲間は?」
「いつの間にか消えてた。向こうからいなくなったんだ」
「……まったく。あんな戦い方をしていれば、誰も寄りつかなくなるのは当然のことですよ」
 カイが辟易した調子で言った。いつも通り、カイの口ぶりは諫めるようだった。この幼い少年は、組織の縦割り図上ではソルの直属の上司ということになっているから、こうして頻繁にソルの行いを咎めたがった。
「知った事かよ」
「一人で戦えば様々なものごとの効率が落ちます。こんな世の中ですから、意図せず一人になってしまうことはままありますが、最悪でも連絡用の人員は後方に残しておかなきゃ。でなきゃ、死体を拾ってくれるひとさえいなくなってしまいますよ。それに背中を預ける人間がいた方が安全だと思いませんか?」
「そんな戦い方をしたことは一度もねえ」
「はあ。困りましたね。自殺志願者を採用するのはやめてくださいとクリフ様に上申してあったはずなんですけど」
 自殺志願者。いやな言葉だった。この死骸の山を見て、こいつはまだ、ソルが死にたがりだとか思い込んでいるのか? 胸糞が悪い。身の程知らずが、と言いそうになり、舌打ちで掻き消した。
 目の前にいる少年が、齢十四にして小隊長という位につけられている理由をソルは一応把握している。団に来る前から、「天才剣士」の噂はクリフに聞かされていた。それに初陣で彼の実力の一端は認めている。確かに彼の実力は天才剣士の名に恥じぬものだ。しかしそれはぞっとしない力でもあった。カイの戦い方は、極めて機械的な、プログラムのそれによく似ていた。
 効率と成果とをのみ目的に掲げ、それを果たすための労力や犠牲というものは一切厭わない。そして彼の周囲に侍る人間達はみな、彼のその過大なリソースを必要とする作戦を礼賛した。作戦書の段階で実質死ねと書かれているような内容に、カイの部下達はこぞって参加したがった。カイが統率する第一小隊というのは、つまり狂信者達の群れだった。そこに自分も籍を置かされているのに嫌気が差すというのも、ソルの独断専行を後押しした理由の一つだ。
「勝手に人を自殺志願にしてんじゃねえよ。俺は死なねえ。単に誰かに背中を預けたいなんて思ったことがないだけだ」
 吐き捨てるように言ってやると、カイは困ったなあと肩をすくめて首を横へ振る。
「みなさんそう言いますよ、すぐ死ぬ人ほど、特にね」
「ざってえな……第一テメェは? 人に偉そうに説教するわりには、テメェだって背中預けて戦ってる仲間の姿が見えねえが?」
「ああ、それはちゃんと理由があるんです。私についてきたがる人は多いのですが、大体みなさん死期が早まってしまうので。だから後方支援に徹していただいています。でも今日は、あなたを追いかけてる間にはぐれてしまいました。これで満足ですか?」
「……そうかよ」
 何もかもが鼻につき、ソルはかぶりを振って再び歩き出した。喉を嘔吐かせるような臭いが酷い。ソルは人よりずっとすぐれた器官を持っているから余計につらいが、人間並みの嗅覚でも、この場所の臭いは耐え難いレベルに達している。その中に立って平然と説教を続けてくるような「機械人形」様とこれ以上話をしているのは無理だ。気が違ってしまう。
「あ、ちょっと、どこへ行くんですか!」
 ソルがずかずかとどこぞへ歩き出してしまうので、カイが慌てて追いかけてくる。なにしてんだ、部下の方へ行けよ、と悪態を吐くと、「はぐれたって言ったじゃないですか!」と困りきった声が返ってくる。ソルは仕方なく足を止めた。子守りをするのはごめんだったが、部隊員が二人っきりしかいない以上、カイがソルを放っておいてくれる見込みは限りなくゼロに等しかった。つまり自由を諦めたのだ。


◇◆◇◆◇


 死骸の王国と化していた湾岸エリアを徒歩で抜け、港の方まで出てくると、やっとのことで人が住む集落にありつくことが出来た。ソルもカイも血みどろでひどい悪臭を放っていたから通行人にはぎょっとした顔で見られたが、二人が身に纏っている聖騎士団の制服を見るとすぐに全てを察した顔になり、集落にたった一つだけ残っているという宿屋を紹介された。
 集落最後の宿屋を経営していたのは気立ての良さそうな老夫婦で、宿代は取らないからどうかよく休んでいってくれと言って、一番いい部屋を開けてくれた。とはいえ他に泊まる客もいないのだけれど……と微笑む老夫婦にカイが留め具のボタンをはぎ取って渡す。そういえば、このボタン一つ一つがそれなりの金属で出来ているから路銀の代わりになる……という説明を初日に受けたいたなということを、ソルはぼんやりと思い出した。
「よかったですね、親切にしていただけて。シャワーも貸していただけたうえ、ご飯も用意してくださるって」
 感動的なことに蛇口を捻ると湯が出てくるシャワーを浴び、戻ってくると、先にシャワーを借りたカイがだぼついたシャツを羽織ってソルを待っていた。着替えなんか持って行軍に来ていないから、老夫婦が好意で貸してくれた服を借りているのだ。状況はソルも一緒だった。街を出て行って久しいという老夫婦の息子が置いていった服は、カイには大きすぎたがソルには少し小さかった。
「本部には」
「ええ、通達済みです。馬をなくしてしまったので帰還が遅くなりそうですと伝えたら、よさそうな馬を見繕うか、路銀を渡して船を動かして平気だ、と」
「行きに乗ったみてえな飛空挺は出ないのかよ」
「二人ぽっちに動かすにはお金が掛かりすぎますよ」
 尤もな話だった。費用対効果が見込めない場所へ船を飛ばさせるのは、守護天使殿の人望(ソルにとってこの表現は信仰と同意義だ)をもってしても難しかったらしい。
「いいところですね。すぐそばでギアを皆殺しにしていた人がいるとは思えないぐらい」
 窓の外を仰ぎ見てカイが呟く。好立地好条件の部屋からは、スカーバラの港が一望できた。陽の沈み始める少し前の空を、かもめが飛んでいる。ギアを皆殺しにしていた男はフンと聞こえよがしな溜め息を吐く。すぐそばと言ったって、人が殆ど住んでいない見捨てられた丘の周辺だ。そもそもにおいて、人が住んでいる土地は少ない。なればこそ、人里に被害が及ばないという前提を守りながらギア共を気兼ねなく屠ることが出来るというに。
「ギア殺しの立案をしてくるのは坊やだろうが? 俺みてえな下っ端は、それに従ってるだけだ。そういう言い方はいただけねえな」
「ああ、すみません。でもあなた、ギアを殺すの、好きでしょう。ああいう戦い方をするひとは、戦うことが好きだって大概言います。生と死の隣り合わせになった瞬間が興奮するのだって。そういうのが一番、自殺志願に近いのだと、私は経験上そう思う」
「……勝手に言ってろ」
「死なないでくださいね、出来たら」
 文句をつけてやったものの、カイはといえば平坦な声音で好き勝手言った挙げ句、そんな締めくくり方をされる。どう返してやればいいのかわからず、悪態もうまく喉から出て来なくて、ソルは押し黙った。まんじりともしない沈黙。それっきり喋らなくなってしまったカイの顔色をうかがうと、特に気分を害したとかくさした様子は見受けられない。ただ、カイは窓の外をじっと眺め続けているのだった。窓の向こう、港にたち並ぶ屋台たちから、少しも目を離さないでいる。
 それを五分も続けていると、戦場では一ミリも理解出来る気のしないカイの考えが、ソルにも分かってしまう。この子供が、まさか理解の及ぶ行動を取るなんて。ソルは僅かな驚きを唾と一緒に呑み込んで立ち上がる。いや、案外……あれほど人形めいているからこそ、こういうところにだけは、年相応の子供っぽさが出てしまうのか。
「行きたいのか」
 尋ねるとカイはぱっと振り向いて、きらきらした眼差しをソルへ向けた。
「はい」
「少しだけだぞ」
「……はい!」
 嬉しそうに立ち上がり、ソルの手を取るとぶかぶかのシャツから素肌を豪快に覗かせる。ソルは逡巡の後、宿屋の老夫婦を呼んで前が閉められる上着がないかを尋ねた。こんなのを野放しにして外を歩かせるのは、ソルの中でぎりぎり生き長らえていた良識というやつが許してくれそうにない。


 宿を出るなり駆け出してしまったカイを追いかけて辿り着いた港では、慎ましくささやかに軒市が連なっていた。旅人もろくに来なくなった中、それでも市が成り立っているのは、ひとえにここが港街であるからだろう。配給品と中古雑貨に紛れて並んでいる鮮魚に目を惹かれ、カイが落ちつきなくあちこちを見回している。それに引き摺られるように歩きながら、決して悪意はないもののちくちくと刺さる奇異の視線に、ソルは早くも疲労を感じ始めていた。
 雨でもないのにぶかぶかのレインコートをきっちり閉めて着せられた子供と大男の組み合わせは、当然のことながら、明らかな余所者のにおいと相まってべらぼうに目立った。しかも物色するばかりで全然品を買い上げて行かないので、なんだか肩身が狭い。
「おい、坊や」
 ソルは身をかがませてカイの耳元に口を寄せると、小声で囁いた。
「冷やかしはもう済んだろう。視線がいたたまれねえ、帰るぞ」
「え。お願いです、も、もう少し待って。まだ見つかってないんです……」
「何探してんだ?」
「パセリ、セージ、それから……ローズマリーとタイム」
 カイが小声で、秘め事のように言う。ソルは虚を衝かれ、返す言葉が少し遅れてしまった。そんな情緒深い言葉を、カイの口から聞くことがあるとは思っていなかった。
「……なんでだ?」
「だってここ、イングランドのスカーバラでしょう。以前、私の隊にいた部下に言われたんです。スカーバラに行くことがあったら、よろしく、って……」
「よろしく、たって。坊や、そりゃあ……」
「――スカボロー・フェアだ、坊ちゃん、旦那さん」
 なおも戸惑い続けるソルの言葉を、軒先から聞こえてきた声が割り込む。二人して振り返ると、鮮魚をかごに入れて並べていた老店主がこちらへ笑いかけている。
「スカボロー・フェア?」
 カイはぱたぱたと走り寄って行き、食い入るように店主に先の言葉を復唱した。
「おお、そうとも。懐かしいねえ。旅人さんの口からそれを聞くとは、長く生きてみるもんだな」
「知っていらっしゃるんですか」
「このあたりで生まれ育ったやつはみんな知ってるさ。子供の頃にいやってほど聞かされる民謡だからね」
「民謡」
 そうなんですか、とカイは幼児のように頷いた。店主は人好きのする笑みと共に「そうとも」と言い、この地に伝わる民謡の歌詞を訥々と歌い上げた。カイはやはり食い入るようにその歌を聴いていた。物覚えがいいから、一度で覚えてしまうつもりなんだろうと思った。
 店主の語る歌詞は、ソルが昔聞いたポピュラー・ミュージックのバージョンとは微妙に食い違っていて、正確に言うと、歌詞そのものの量が少なかった。店主の歌はいかにも民謡という調子で終始し、そしてそのまま終わる。
「それで、パセリやセージは、この市にはあるでしょうか?」
 一通り聴き終わり、カイが尋ねると、店主は申し訳なさそうに首を横へ振った。
「坊ちゃん、あいにくこのあたり一帯にそれらのハーブは売ってない。でも明日の朝うちへ来てくれれば、多少は分けてやれるだろう」
「本当!」
「ああ、僅かばかりだがね。ハーブを趣味で育てるような余裕が、もう近頃はあまりなくてね」
 その言葉に、カイは途端にまなじりを下げて「そうですね」とすまなさそうに頷く。ここ最近聖騎士団がイングランドに派遣されていたのも、元を辿ればイングランドのどこかにプラントがあるはずだ、という調査部隊の報告が発端だった。プラントがあるエリアは、必然的にギアの襲撃が増える。幸いのことこのエリアではまだ中型以上は発見されていないが、それでもイングランド支部の人員だけでは支えきれなくなって、本部のカイ達が招聘されているのだ。人々の暮らしに余裕がないのは当然のことだが、カイはそれを己の責務と捉えているらしい。
「坊や」
「……! あ、ああ、はい。では、明日の朝、お伺いします」
 ふさぎ込んでしまったカイの肩をつつき、店主に挨拶をさせる。一人で抱え込むようにフードを目深に被ってしまったカイの手を引き、ソルはもやもやした気持ちを抱えたまま宿へ戻った。


◇◆◇◆◇


 異変が起きたのは夜明けのことだった。けたたましいサイレンがスカーバラの街全体に鳴り響き、一つしかないベッドで仕方なく身を寄せ合って寝ていた二人は、いちどきに跳ね起きた。
 だぼだぼのシャツを着たままの状態で、慌てて靴を履き、剣を手にとって飛び出す。スカーバラの街が燃えていた。港に近い方はまだましだったが、丘に近づくにつれて火の手は大きくなっていた。山火事か――いや、ギアの仕業だ。
 潰したりなかったか。舌打ちをし、老夫婦に港の方へ逃げろと指示して振り返ると、もうそこにカイの姿がない。はやる気持ちで一人行ってしまったらしい。阿呆が、と内心毒づきカイが忘れていったメダルを取り出す。緊急コールを入れて本部に回線を繋ぎ、当直の団員を呼び出すと、通話口からすぐに聞き知った声が聞こえてくる。
『手短に言え』
「イングランドエリア、スカーバラでギアの襲撃だ。同時に火災が発生。イングランド支部からの増援を要請する」
『すぐに回そう。ところでおぬし、この回線はカイのメダルからということになっておるが?』
「あのクソガキ、気がついたらいなくなりやがってた。ジジイ、一体どういう教育してんだ?」
『返す言葉もない。じゃが……もし頼まれてくれるなら、早く追いかけて行ってくれんか。恐らくじゃが、今のあの子は相当に脆くなっているでな……』
 支部からの人員は一時間以内に到着させる、という通達を最後に通信が切れる。ソルは忌々しげに舌打ちをして走り出した。癪な話だが、ろくな予感がしないのはソルもクリフと同じだ。

 カイの姿は、すれ違う人間全てに港方向への避難を言いつけ、かちあった小型ギアを軒並みひねり潰し、こうこうと燃え盛る炎の中心地をも通り過ぎて走り続け、やっとのことで見つかった。そこは丘の中腹に立つ、粗末な家の近くだった。そこに立ち尽くすカイは、寝間着代わりに身につけていたぶかぶかのシャツは焦げてやぶれ、様々な血でぐちゃぐちゃだ。ズボンも穿いていないものだから、トランクスの端が覗いてしまっている。しかしそんなみっともない格好よりもソルの気を強く引くものがあり、ソルはぞっとして言葉を失い、立ち尽くしてしまった。
「ああ、ソル――どう、しよう……」
 カイが振り向いてソルの名を呼んだ。丘を埋め尽くす勢いで転がったギアの死骸を踏みしめる彼の顔には色がない。夥しい数のギアは、大型が混じっていなかったとは言え、とてもじゃないがまともな恐怖を持っている人間が一人で一度に殺せる数ではなかった。一体どんな速度で、どんな戦い方をしたらこの短時間にここまでの山を築けるんだ? そんな言葉を必死に呑み込み、ソルは現状の把握に努める。
「何があった」
「プラントが――この、そばの、洞窟に……あって。……助けられなかった。この家は……近すぎて。ギアの群れに、私がここへ来た時には、もう、」
「……それで?」
「わからない……あとは頭の中が真っ白になって……ただ、全部、殺さなきゃって、思ったんです……」
 それっきりカイは何も言わなくなった。何も言えないのだと思った。だからソルはそうか、とだけ頷いてカイの手から武器を奪い、カイを肩に担いだ。持っているのか持っていないのか気にならないぐらい軽かった。
 軽く索敵をしたが、プラントがあるという洞窟の方からも、新手が襲ってくる気配はない。無我夢中のうちに無数の屍を生み出した子供は、涙一つ流さずにソルの肩に担がれていた。「疲れは」と聞くと「わからない」と言った。アドレナリンに頭をやられているのは明白だった。
「怖くはなかったのか」
「……わからない。でも、ギアと戦っていて怖かったことは、ないんです。だからきっと怖くはなかったはずです」
「死ぬかもしれないとは?」
「わからない……。でも、死を恐れたことは、ありません。だから私は、それを気に留める方法を知らないのかもしれない」
「……。なら、一つだけ言っておくがな。こんなやり方しておいて、俺を自殺志願と罵る資格は、坊やにはねえよ」
 カイは「そうですか」とも「そんなことは」とも言わなかった。
 ソルは歯ぎしりをした。カイの部隊に所属する人間達が、どうして嬉々として死の命令に従うのかが、これではっきりしてしまったからだった。一番命を省みないのは、本当はソルではなく、カイの部下達でもなく、カイ自身だった。怒りで恐怖が麻痺してしまい、火事場の馬鹿力が出る――というだけの結末の方が、まだいくらもましだった。
 あたりに散らばる無数の死骸達の殺し口はあまりにも鮮やかだった。怒りに我を忘れた人間がやったとは思えないぐらい正確無比で、機械じみている。カイの語る感情と彼の手が導く結果がまるで一致していない。人間らしい感情が存在しないわけでは決してない、けれど、それは機械人形に仕込まれたプログラムを左右し得ない。
「怖いことはないのか」
「……私のせいで、人が死ぬこと」
「人間の死はテメェの責任じゃない」
「いいえ、私の責務は、あまねく全ての人を守ること。私は世界を照らす光であれ、と言われました。だったら、光は、何一つ取りこぼしてはいけないのに。また……守れなかった……」
「馬鹿言え。それでテメェが死んだら、何になる」
「どうして? 私は死にません。みんなが『だいじょうぶですよ』と言うんです。それに言ったでしょう、死を恐れたことはない、と。私が死ぬ時にはきっと、聖戦が終わり、私が照らさなくとも世界は光に満ちるはずなのだから」
 宿屋の窓から市場をじっと眺めていた子供と百八十度違う顔をして、カイが呟いた。
 ソルは黙って丘を歩いた。洞窟近くの粗末な家には庭がついていて、そこへ押し入ると、家庭菜園を守るようにして、黒く変色したギアの爪痕を浮かべた老人が倒れ伏していた。昨日、港の市でカイに話し掛けてきた軒市の店主だった。菜園にはいくつかのハーブが植えてあり、店主はそれを守って死んだのだろうと思われた。
 報われねえな。何一つ、報われない。カイを担いだまましゃがみこむと、ひとりでにひょいとカイが背から降りて老人に手を伸ばす。紫色に変色した唇を確かめるとカイが十字架を取り出し、それに祈りを捧げ、唇を開く。
「ねえもし、スカボロー・フェアに行くのなら……。パセリ、セージ、ローズマリー、タイム……そこに住む人に、どうかよろしく伝えて……」
 紡がれる旋律は、やはりあたりとはまるで場違いで、透明に澄み渡り、この世のものとは思えないほど美しかった。
 ソルはそれを黙って見守る。死んでしまった老人の葬送に、鎮魂歌ではなく昨日教わったばかりのバラッドを口ずさむことを、機械ではない情緒の証明と思いたくて仕方がない。
「……俺が知ってるその歌は、反戦の歌だった」
 そうして長いリフレインを繰り返し、歌が終わった頃になって、ソルはぽつりと呟いた。
「……。反戦?」
「正しくは、反戦を訴える副詠唱がついていた。銀の露だけが家族の墓を洗い流し、家族を失い涙も涸れ果てた子供は兵士になって銃を磨くんだとな。ひでぇ歌だと思ったもんさ。聖戦の最中に副詠唱の方が廃れちまったのも当然だ……」
「ええと……?」
「つまり……坊やにパセリとセージの事を教えたやつはひでぇエゴイストだって話だ。ま、もうテメェを守ってとっくに死んでんだろうがな……」
 十字架を手に持ってきょとんとしている少年の矮躯を再び抱き上げる。今度は肩に担ぐのではなく、両腕で手前に支えてやった。カイはなおもぼんやりした調子でソルの顔を仰ぎ見た。
「……なんですか?」
「坊や、俺には背中を預けたいと思う人間なんかいたためしがない、という話は昨日したな」
「ええ」
「今もそうだ。だが、一つ分かったことがある。つまりそれは、がら空きのままじゃ見てられない背中もある、ってことだ」
 抱き上げたカイの頬にこびりついた血を舌で舐め取る。甘ったるい人間の味。血の下にぴっと伸びた傷跡は、じきにかさぶたになろうとしている。風呂を出入りしていたときは傷なんか一つもなかったのに。でも、とソルは思う。傷がないほうがおかしいのだ。こういう生傷が、身体中に絶え間なく出来ていたはずなのだ。それなのに継ぎ目のない肌を晒しているということは、それもやはり、己の命を省みていなかったということで。
 ソルは強く言い含めるようにカイの両目を見つめ、命じた。
「テメェの背中を俺に預けろ。それで全部、坊やの杞憂も解決するだろうが」
「……え、」
「だから自殺志願はもうやめろ。俺の見てる前では絶対に死ぬな」
 目を見開くカイに畳み掛けるように宣告し、がぶりと噛み付く。噛み付いた唇から、先に舐めたばかりの傷跡と同じ味の血が流れ始める。そのまま舌を差し入れて唇を吸い、満足したところでぱっと離してやる。
 カイは目をぐるぐる回しながらソルにしがみつき、びくびくした眼差しをソルへ向けた。
「な、なに、今の! こ、こわい……!」
「は、こんなんでも怖いと思えるんなら上出来だ。二度とこうされたくなきゃ、俺のそばから離れるなよ」
 少々たちの悪い笑みを浮かべて意地悪く言ってやると、カイの身体がきゅっと竦む。それにふふんと鼻を鳴らすと、とたん、今まで気付いていなかった死臭と磯の入り交じった臭いがつんと鼻をつく。ソルが「臭え」と鼻を曲げると、カイも遅れて気がつき、「本当だ……」と眉をハの字に曲げる。
 それがたぶん、カイの身体に、機械ではなく人間の五感と情緒が戻って来た合図だった。