うるわし



 ベッドサイドに設えられたルームランプが静かに灯っている。茫洋とした照らし出される顔はやつれ、かつての輝きや肌のはりを失っていたが、今は何よりも恐怖に怯え、唇の端など、かわいそうなぐらいに震えていた。ソルは唇の端を釣り上げた。ベッドに力なく横たわり、蒼白な面持ちを隠すことも出来ずにいる彼の美しい相貌を、これからぐしゃぐしゃに歪めてやると思うとたまらなく興奮した。
「お祈りの時間は済ませたか?」
「やめてくれ、こんなことは。一体、なんのつもりで……」
「別にさしたる理由はねえよ」
 身を竦ませるカイの上に覆い被さるようにして、なんでもないふうに言ってのける。カイは怯えきった眼差しをソルの瞳に向けていた。カイの眼球に映り込むソルの瞳は、高揚の色に染まりきっていた。
 どうして、か。理由を敢えて言うのなら、連絡もまともに取れなかった数年間の当てつけとか――あるいは、その挙句に職権濫用で人を国際指名手配にして呼びつけてくださったことに対する腹いせとか――そういうことになるのだと思う。とにかく、それらしい理由をつけようと思えば、そんなものはいくらでも列挙が出来た。ただその中で、本当のところを一つ言えと言われたら、それは「面白いから」に他ならない。
 何しろこんなことは今までにやったことがない。それに驚くほど都合良く条件が整っていた。ハンディカムが雑嚢に入っていて、夜の帳は静かに降り、部屋には薄ぼんやりとした明かりだけが灯って、カイの佇まいはどうしようもなくソルの被虐心をくすぐった。
「テメェが誘ったのが悪ぃんだよ」
「そんな。私は何も」
「んな顔しておいてよく言う」
「私は……」
「ああ、うるせえなあ、あとで見せてやるからいい子にしてろよ」
 問答も煩わしく、右手に構えたハンディカムをもう一度見せつけてやると、カイはひっと小さく息を飲んでそれきり静かになった。ソルの中に優しさや妥協が見出せず、これ以上の交渉の余地が望めないということを理解したのだ。だから、何か余計なことを口走ってしまわないように――吐息さえも、殺してしまう腹づもりでいるようだった。
 ソルはそれを咎めない。ただにやついた笑みが浮かび上がってくるだけだった。そんなことをしたところで全て無駄なのだと、今に体に教えてやることになるのだから、教えない方が楽しい思いを出来るのがはっきりしていた。
 くつろがせたスラックスから怒張したものを取り出し、空いている方の手でもたげさせる。ファインダーの向こうでカイの顔が羞恥に染まる。生娘かよ。ソルはせせら嗤う。初めて見るものでもあるまいに。もうずっと昔から、さんざテメェのからだで咥え込んできたものだろうが。
「どうやればいいかは、昔教えてやっただろうが?」
 カイの手のひらに己の下肢を押し付ける。唇はやはり震えている。それでも声だけは決して漏らさぬよう、唇を固く結ぶことを徹底して、カイはおずおずとソルの肉に指を沿わせた。
 最後にこういうやり取りを持ったのは、もう、何年前のことになるだろうか。処女のように辿々しい華奢な指の動きをレンズで辿りながらそんなことを思う。もう六年は昔か。あの頃のカイときたらとにかく口うるさくて、小生意気で、わがままで面倒くさくて、青臭くて……でもセックスの時は素直で、最後には、だいたいソルの言うことを聞いた。柔らかい肌の全てがソルのものだった。カイのおよそ全てをソルは知っているつもりになっていた。
 けれどそんなことはなかったのだ、とあの日思い知った。聖堂で傅くカイの瞳は色あせ、唇はかさついて、頬は痩け、パリでだらだらと過ごした日々の面影はなかった。ソルはあの日打ちのめされたような思いを覚えた。思い出の中のカイ=キスクはいつも、小生意気だが瑞々しく艶やかで、色彩に満ちていた。そのはずだったのに。
 にちゃ、ぬちゅ、と音を立てて、やせ細った指たちがソルの肉を抱きしめる。辿々しい手つきが、少しずつ過去に埋没した記憶を取り戻していく。ソルの知らない顔からソルだけが知るものに戻っていく。
「カイ」
 ファインダーをずらしてやせ細った顔を大写しにし、ソルは急に体を動かし、カイの手から陰茎を引き抜いた。カイの目が驚きに見開かれ、今から起こることを察知してすぐに歪む。
 ソルはにんまりと笑ってその通りにしてやった。まず一発目を、お綺麗な顔へしたたかにぶちまけた。白い肌に粘ついた液体がぼとぼとと落ちて、かっと赤く染まった肌に重なることでより卑猥に映った。ジジ、とハンディカムがフィルムを巻き上げる。頬に落ちた粘液がどろりと伝い落ち、ばらばらに広がった髪の毛に染み付いていく。
「気分は」
 問うとカイは固く唇を結んだまま顔を背けた。
「誰が目を逸らしていいっつった」
 白濁にまみれた顔を無理やり起こし、唇を強引に開かせる。その弾みに口の中へソルの吐き出したものが流れ込み、カイが派手にむせ込む。
「……昔より生臭い」
 やっとのことで聞けたのは、羞恥の中に嫌味が混ざったような、可愛げのない声。上出来だ。ソルはカイの顔にカメラを固定したまま舌なめずりをした。それから、一度果てたとは思えないほど張り詰めたものを取り上げてカイの尻に当てこする。
 その瞬間カイの顔に浮かび上がった羞恥、その奥に灯る仄暗い劣情の、なんと甘美なことか!
「は、そんなに嫌かよ」 
 途端におかしくなり、ソルはせせら笑うと努めて残虐に振る舞った。
 それから先、ソルはますます箍が外れてしまったかのように事を進めたがったが、相反するように挿入は困難なものになった。カイの身体は堅苦しく、後口は閉じきっており、傍若無人なソルの行いを拒もうとした。
 それはカイが長い間身体を差し出してこなかった事実の表れであり、カイの潔白を証明するはずのものでもある。けれど今の彼にとっては苦しみを助長する戒めに等しかった。身を竦ませた入り口がソルの訪れを拒めば拒むほど、映像記録に残る辱めの瞬間が長くなる。ただでさえ曇っていたカイの顔が見る間に絶望感で翳る。
 とても臣民に見せることは出来ないような顔を見せつけるようにしてレンズの中に捉えてやれば、がたがたと震える歯を噛みしめ、カイが気丈な顔を作ろうとする。せめてフィルムの中に残る自分を高潔に保ちたいのだろう。は、為政者の顔か。くっだらねえ。今更取り繕ったところで、カイ=キスクという人間が一人の個人であることは昔から変わらないのに。
 それでもなんとなく面白くなくて、苛立ちのまま強引に腰を押し進めると、強すぎる衝撃にカイの身体が跳ね上がった。
「それで、気分は?」
 腰を押さえつけて低い声で問う。カイは答えようとしない。隙間から漏れる喘ぎ声はひきつって痛ましく、意思の力で封じていたものの抑えが効かなくなり始めている。ソルは返答を待つそぶりも見せないまま一層深く腰を進めた。がちがちに固まった窄まりを無理に暴いて奥へ進むと、あたたかく柔らかな肉が絡みつく。
 その感触に気を良くして気遣いの一切ない傲慢な動きで一番深い場所まで貫いてやると、あまりにも圧迫感が強すぎたのか、とうとうカイがかは、と口を開き、嘔吐くような仕草を見せた。
「やめろ」
 やっとのことで絞り出された声音は、喉の奥から無理にひり出されたせいでくぐもっていた。
「頼むから」
 カイの言葉は語調がきつく、頼み込むと言うよりは命令するような調子だ。身体にかかる負担が大きく、あまり長い言葉を喋れないのだろう。その上、そうしている間もレンズとソルとを真っ直ぐに睨み続けているのだから本当に参る。凝った精液に顔中を汚され、顔色は青くなったり赤くなったりしてとても正常な状態とは言えず、それなのに、凛々しい花のかんばせが喪われることなくレンズの中に映り込んでいる。
 よくもまあ気力が続くものだ。ソルはやれやれとばかりに鼻を鳴らした。そういえばこいつは昔から痛みとか苦しみに対してやたら辛抱強くて、それで散々、嫌な思いをしたような記憶があった。カイにだって限界というものはあるのに。その限界に直目したところを何度も見てきたし、今日このあとも、もうすぐにそうなることがわかりきっているのに。
「親の敵でも見るようなツラしてるぞ」
「嫌なんだ」
「俺に抱かれることがか?」
「……違う」
 苛々しながら訊ねれば、カイがふるりと首を振り、それから震える手でレンズへ手を伸ばす。指先が触れた場所にちりちりと電流が走る。――ソル、本当はね、その気になればこんなものはどうとでも出来るんだよ。そういうサインだ。
 けれどハンディカムは壊れず、フィルムは今も回り続けている。ばちりと一層強く雷が爆ぜる音。その瞬間、ジ、ジジ、という無機質な音だけが、二人の間に響き渡る。
「お前以外に見られたくない」
 だから、とカイが再びソルに命じた。
 ソルはくつくつと嗤い、カイの耳元に二言、三言、囁きを落とした。
「っ、う、ぐ――あぁ、」 
 レンズの焦点をしっかりとカイの相貌に合わせ、止まっていた行為を再開する。セックス自体初めてでもあるまいに何にこれほど強情になっているのかと思えば、まあかわいいことを言ってみせるものだ。確かにソルはカイの乱れた顔をレンズの中に収めたし、あられもない姿をフィルムに焼き付けたが、別に他人に見せようというつもりは毛頭ない。
 撮られていることをまだ意識しているのか、呻き声とも喘ぎ声ともつかない声を上げてカイが身をよじった。身体は相変わらずがちがちに固いし、窄まりは加減を忘れたままぎゅうぎゅう締め付けてきていて、今にも性器を噛み千切られてしまいそうな心地がした。それを暴力でねじ伏せるように腰を蠢かせ、見せつけるようにカメラを引く。腹の奥まで咥えさせられている様子が、仔細に映り込む。
 重たい服を着込んで隠していた身体の線は昔よりもずっと細くなり、肉は落ち、そのせいでねじ込まれた異物の形に腹が押し上げられている。うっすらとした影を浮かび上がらせようと限界を超えて奥向こうまで突き込むと、陸に打ち上げられた人魚姫みたいにびちびちと腰が跳ねた。
「ひでぇ顔しやがる。最高にそそるツラだな」
 飛び散った飛沫がこびり付いたままの髪を手で乱雑に撫で回し、今まさに身体の中を太く逞しいものでほじくられている最中の顔へレンズをずらしてフォーカスする。涎と涙とで滲んだ顔の中には、ほんの少し前までなんとか保とうとしていた為政者の面影がもうない。
 ソルに命じたあれが、多分、カイに残された最後の気力だったのだろう。カイはもう抗議をしようとしなかったが、その代わり、何もかも諦めてソルに己を明け渡すこともしなかった。強情なやつ。カイは決して甘やかな喘ぎ声を上げることを己に許さなかった。ソルの思惑はともかく、記録映像の中に残るものへのプライドが、カイに限界ギリギリのやせ我慢を強いていた。とにかくカイの意思は強固だった。
 ソルが身勝手な抽挿を繰り返し、知り尽くした弱点を刺激してやるたびに互いの心臓が力強く脈打つ。生唾を呑み込み、神経の一つ一つを研ぎ澄ませた。こうも意地を張られると、なんとしても屈服させてやりたくなるのは、道理だろう。ソルは決意した。この勝負に決着が付くまでは何が何でも撮影を続けてやろう。カイの我慢とソルの意地のどちらが勝るか、その決定的瞬間を映像の中に収めてやるのだ。
「覚悟しとけよ、すぐに、テメェの一番無様な顔を直に拝ませてやるからな」
 限界まで膨らみ、痛いぐらいに張り詰めたものを誇示するように胎内で揺すぶってやる。カイはそれに険しい睨み顔で応えた。徹底抗戦の構え。上出来だ。どうやら王になって強情さが増したらしい。既ににじんだ涙で目尻が腫れているが、そこは不問にしておいてやろう。
「どうせなら今日一番のいい顔見せろよ、不良王?」
 王手を掛けるため、身体の全てをねじ込むように奥を抉り抜いた。それに追随して腸壁がぎゅうと収縮し、支配者に縋り付く。過去に何度も繰り返した行為を追い、一滴でも多く精を搾り取ろうとして内壁が蠢く。ソルは勝利を確信し、カイの身体がねだるままに派手な射精を決めた。
 びゅくびゅくと精液が注ぎ込まれた瞬間、カイの身体は痙攣してつま先から頭までがびくりと跳ねた。身体が絶頂を迎えたことに合わせ、ハンディカムに大映しにされている顔が歪む。身体中を駆け抜ける快楽に負け、蕩けた相貌をレンズが無機質に映し続けている。
 十分だろう。
 ソルは満足し、ハンディカムにエネルギーを回していた法力回路を落とすとベッドの向こうへ雑に放り投げた。
「俺の勝ちだな。テメェがちゃんと見終わったら、まあ、処分してやってもいい。ああ、俺以外には見せるもんか。テメェ自身を除いてな……」
 繋がったまま身体を密着させ、悦楽に染まる頬を撫でる。未だ絶頂の余韻が深く、浅い呼吸を繰り返すカイの唇を啄み、今日初めてのキスをして宥めてやる。キスを続けて息を吹き込んでやっているうちに次第に呼吸が回復し、カイの瞳に色が戻ってくる。
 ソルから唇を離し深呼吸を一度すると、カイは思いきり顔をしかめてソルの腕を弱々しく握り締めた。
「おまえな……悪趣味にも程がある……」
 それから彼は、今更のように恥じらう色を見せ、少し躊躇いがちに、今日初めてソルの名前を呼んだ。