生者の行進



 かつてジャパンがジャスティスに沈められる前、かの国には「お盆」なる季節行事があったのだという。「ま、かんたんに言えば死者の里帰りじゃな」と語って聞かせたクリフ老人も既にあちらへ逝って久しいが、だからだろうか。なおのこと、この時期になると、カイはそのことを思い出すのだ。
「死者の葬列のことかと思ってたんだ。ずっと。或いは死者の日かな。ほら、メキシコの」
「全然違ぇぞ」
「そうだな。でも似てるだろ? だからクリフ様が言っていた『ボンの方が湿っとる』という言葉の意味は、長いことわからなかったよ」
 ケープを剥ぎ、上着を脱ぎ捨てると、剥き出しにされた肩口が露わになる。その状態でベッドボードにもたれ、カイは隣でだらだらと新聞を読んでいる男の下穿きを突いた。彼の下肢は湿っていた。盛り上がってテントを張っていることからも、何が原因で濡れているのかは明らかだった。
「こら。私が真面目な話をしていると言うのに、おまえは」
「益体のねえ話の間違いだ。死んだヤツは帰ってこねえよ」
「まあ、それはね。しかも日本の人々は死体を火葬していたそうじゃないか。それだと、我々の肌感覚のような死者の起き上がりもなさそうだ」
 ズボンのチャックを手早く降ろし、さっさと中を寛げさせると、ぼろりと勢いよく肉が飛び出してくる。熱く脈動し、固くそそり立った赤黒いもの。触る前からごきげんなソルの男性器。それにうっとりと目を細め、先端を指先で何度かつまはじくと、ソルが不機嫌そうに眉を顰める。
「何してる」
「いや。こんなに元気そうに震えるものを持っておきながら、おまえが死者ということは、まずあるまいなと思って……」
「……化石と死人の差を説明すると長いぞ」
「化石の肉は震えないよ。だから私にとって、これは生者のそれだ。ちょっと貸せ」
 出血大サービスだぞ、なんて言いながらカイが唇をすぼめる。彼はまずそそり立ったソルの亀頭にキスをして、ちろちろと這わせた舌で丁寧に先端を舐め取った。そして糸を引きながら口を離すと、ソルに立ち上がるよう指示をする。
 なんのつもりだ? と訝しみながらも膝立ちになると、カイは少しだけ身を屈めてソルの男根を手に取る。
 それから彼は、血管を浮かべはじめた陰茎を己の腋に導き、腕と身体の間にがっちりと挟み込んだ。
「この状態だと私からはあんまり何もしてやれないので、どうぞ好きに動いてくれ」
 そして、カイは「いかにもすばらしい悪戯を思いついた」とでも言いたげにくつくつと笑った。
「知っているかもしれないが、腋というのはだな、案外暖かいものだ」
「おい、カイ、なんのつもりだこりゃ」
「何って、サービス。生きてないとなかなかこういうことも出来まいよ」
「いやだから、こんなんどこで覚え……」
「えーっと……」
 ソルが唇を尖らせて尋ねると、カイはソルの陰茎を挟んでいるのとは逆の方の腕を持ち上げ、ひとつふたつと指を折り曲げて何かを数え始める。「――六年前ぐらいかな。たいそう酔っぱらって家へ侵入してきたどこぞの無法者がいて」。語り口には淀みがない。「私はその時風呂上がりで、Tシャツ一枚着ただけの状態でダイニングをうろうろしていて……」。
「そして無法者はそんな私を見つけるなり、やおら私をソファへ押し倒し、シャツの隙間から外性器をねじ込んだ。犯人の頬は紅潮していた。一目見て酒をあおったのだろうと思ったよ。それでよく見ると、ダイニングテーブルの上には家主である私が開けた覚えのないスコッチの大瓶が…………」
「――いや、いい。それ以上はいい。俺にとって大事なのは、気持ちいいことが今まさに起ころうとしている……それで全てだ」
「わかってくれたようでなにより」
 この先を聞くまでもない、無法者たる犯人とはソルのことである。ソルはかぶりを振った。カイの完璧な微笑みが今は何故か恐ろしい。ソルは覚悟を決めて咳払いをすると、恐怖と邪念を振り払うようにして、腋に挟まれたいちもつを動かし始めた。
 既に勃起の始まっていた陰茎は、彼のなましろい肌に突き刺すようにして前後させているうち、みるみる体積と勢いを増した。ほどなくして、かちこちになった男根の先端から先走りが零れ始める。それに腋の生暖かさと摩擦熱が加わり、汗が混じる。カイの腋から出た汗がソルの陰茎に零れる度、えもいわれぬ背徳感がいや増し、興奮が高まっていく。
「そういや、テメェは普段あんま汗かかねえな」
「ん。体質かな……言われてみればあんまりかかないかもしれない」
「今はびしゃびしゃ出てる気もするが」
「でもその方が興奮するんだろ?」
「いかにも」
 ソルは頷いた。
 キスをすればカイの唾液を飲み干し、皮膚に噛み付いては血を啜り、カイが陰茎からカウパー液を漏らすまでお預けを喰らわせ。とかくカイの体液というものを、ソルは好む傾向がある。だから当然涙も好きだ。性行為の最中にカイが気持ちよさのあまり涙をこぼし始めると、あの分厚い舌でねっとりと目尻を舐め上げてやるのが、ソルの愉しみの一つだった。
 どうして自分がそんなところに興奮するようになってしまったのか、その明確な理由はソル自身よくわかっていない。が、ひとつに、カイの普段の姿かたちがあまりに完璧超人じみているというのは、きっとあるのだと思っている。
 シンを連れて旅をしている最中、カイの姿を何度も国営放送で見た。モニタの向こうに映るカイは汗ひとつ流してはいなかった。はたまた幼いカイも、戦場でさえほとんど、傷付き血を流しているところを見せなかった。そのうえ涙も滅多に流さない。目にゴミが入ったからという理由で瞳を潤ませることがカイにはほぼ有り得ない。カイの体液というのは、稀なものだったのだ。……表向きは。
「テメェは泣くのも汗びしょになるのもだらだら血を零すのもなんでも俺の前でしかやらねえからな」
 しかし実のところ、カイは汗をかくし、血を流すし、涙も出す。ソル=バッドガイは大昔からそれを知っている。
 幼い頃、戦場では涼しい顔をしてみせるカイが、ソルとの手合わせでは汗だくになってもまだ突っかかってくるなんてのはざらだった。血にしたって、同じ速度で進軍しているソルぐらいしか止血前のカイに追いつけないと言うだけで、実は額から肩口から背中からだらだらと出血していることもよくあった。
「俺がいなくなった日なんか顔中真っ赤にするまで大泣きしてたのにな」
「あ、あれはだな……! おまえが予告もなく私を置いてどこかへ行こうとするから……」
「あれほど恥も外聞もかなぐり捨てて泣く坊やを見たのは流石に初めてだった。だが俺は、あの泣き顔は嫌いじゃない」
「まさかと思うが、興奮するからとか言わないだろうな」
「まったくないとは言い切れないが違う。……その時ようやく、テメェも年相応に生きてるガキなんだなと、心の底から納得出来たんだよ。だから俺は心置きなくトンズラこけたわけだ」
 汗で湿った腋で怒張しきった陰茎を滑らせ、ぱんぱんに膨みきったあたりでずるりと抜き出す。たっぷりと中身の詰まった肉棒は今にもはちきれそうに震え、先端からトロトロと液を垂らしている。カイの顔がむっとして歪んだ。堪え性のない陰茎に呆れたのか、「心置きなくトンズラした」にへそを曲げたのか、どちらなのかは言ってくれないのでわからなかった。両方なのかもしれない。
「なんだそのにやついた笑い顔は」
 カイが含みを持たせた声で問いかける。びくびくと震えて脈打つ男性器の先端を、あの細くしなやかな指先できゅっとつまみあげ、「仕置きが必要か」などと小生意気な口を利いてくる。
 ソルはにっと笑ってみせ、カイの手を取ると赤黒い肉の塊を包むように指を広げさせた。これから起こる素敵なことを思い描き、思わず舌なめずりをしてしまう。白く生え並んだ歯が剥き出しになり、カイが慌てたように「おい」なんて静止をかけてくるが、知ったことではない。
「ちょっと、ソル!」
「悪いがもう我慢出来ん。坊や曰く俺は『生きてる』らしいからな――」
 だからこんなにも生の欲求に忠実だ。
 慌てたカイの指先がソルの肉を引っ掻いたのを合図に、勢いよく下肢が脈打ち、白く濁った体液が噴き出された。精液が飛び散り、カイの肌を卑猥に汚す。金髪に付着した白濁はコントラストの差もあっていっそうなまめかしく、みだらだ。
 ソルはにやにや笑いを止めぬままカイの腕を持ち上げて腋を開かせた。あまりに勢いが強すぎたせいで精液はそこにまで飛沫し、カイの汗と混ざり、どろりと腋を伝って下へ零れ落ちていた。
「なっ、お、おまえ」
「混ざったな。俺の生きてる証とテメェの生きてる証が」
「いや、確かに私は、自分を死人気取りで話すおまえにそんなことはないよと言ってやったけど」
「しかも湿ってる」
「――そんな話はしていないな!?」
「そうかもな」
 軽口を叩き、精液でべたべたになったインナーを脱がし始める。慣れた手つきではぎ取られたインナーは、たちまちベッドの隅へうち捨てられた。インナーの下から現れた素肌は紅潮し、湿っていた。したたかにかけられた精液が布を隔てて染み込んだのと、カイの皮膚が分泌した汗とがまざり、ぬかるんでいた。腋と同じだ。
 ぴんとそそり立った乳首をつまみ、啄むために口をつけようとする。しかしそこではたと動きを止め、ソルは生真面目な顔をして唸った。
「……どうかしたか?」
「いや……いいことがあったからたまには爺さんの墓にでも行って手を合わせるかと思って……」
 何かと思って尋ねれば、ソルは神妙な顔をしてそんなことを言う。
 カイはあまりのことに驚いてしまったが、しかし不思議と文句を言う気にはなれなかった。どうしてだか、呵々と笑いながら、「そうじゃぞ、たまには墓参りぐらいせんか」と冗談交じりで言う明朗な声が、聞こえたような気がしてならないのだ。
 ――夏だし、そんなこともあるのかな。
 カイは観念したようにソルの頭を自分の胸へ抱き寄せた。それから肩をすくめ、息をひそめると、ソルの耳元に落とし込むように、艶っぽく息を吹きかけてこう囁いた。
「こんなことをしながら言う台詞ではないと思うが、そうだな、私もそう思うよ。……何しろ、私たちは生きているんだからね」