白無垢の花、雪花石膏の君



 ひとめ見た時から「綺麗な見た目してんな」とは思っていたわけで、たまさか口に出してみたことがなかっただけで、それはソル=バッドガイにとって至極当たり前の認識だった。コイツは見た目がいいよな。正確に言えば――出会ったばかりの頃に抱いた感想が、「見た目だけはいいよな」だった。とはいえあとは面倒と厄介との種だったので、結局の所、浮世離れした見目麗しさはマイナスを多少ゼロに近づけるための微々たる加点にすぎなかった。
 ともかく、カイの顔面がよく出来ているなんていうのは当然のことで、ソルにとっては取り立てて口に出すようなことではなかったわけだ。何しろソルが言わなくたって、カイは毎日浴びるようにその手の賛辞を受け続けていた。カイ様はおきれいですね、という社交辞令の何割が本当であるのかをソルは知っている。当然そうであることをわざわざソルが言ってやる必要もない。何しろカイの美しさというものは、自分の価値に無頓着なカイ自身が事実として把握している程度には、確かなものだったのである。
「美形ってのは、間抜け面晒してても変わんねえもんだな」
 だからたぶん、面と向かって言ってやったのは、パリの家でが初めてだった。嫌になるくらい暑苦しい夏の夜で、カイはひん剥かれてベッドに転がり、身体じゅう唾液やら汗やらなにやらでべったべたで、ひどい姿だった。自分より一回り以上体格のいい男に組み敷かれた彼の顔面はとてもじゃないがメディアには見せられない類のもので、口の端からはよだれが垂れ、目の周りは涙でボロボロ、なんなら鼻水も啜り出しそうな勢いで、でも、世界中の誰よりきれいだった。
「ぐしゃぐしゃのガキみてえな顔してるくせにな。神様ってやつがいたのなら、そいつはさぞかし坊やを偏愛してるんだろうよ」
 ソルは目を細め、誰に聞かせる出もなく皮肉る。それに応えようとしたのか、カイがきれぎれに喘いだが、よく聞こえなかった。ただその様を見ているとむしょうにキスがしたくなって、ソルは黙ってカイの唇へ吸い付いた。
 いつだったか、カイのことを彫刻に喩えるやつがいたのを思い出す。それも一人ではなく無数に。それら数え切れないほどの唇から好き勝手に紡がれた賛美の言葉を思い起こし、ソルは苦笑した。ひとつひとつ口にしてみると、そのどれにも嘘はなかった。
「香りは花に似て馨しく、透き通る肌は雪花石膏に似て白く、あと、なんだ? 目は……そう、瞳は、宝石より尚まばゆく輝き。まあ、事実には、事実なんだろうが。言ってて歯が浮かねえのか甚だ疑問だな」
 焦点の定まっていない両目の周囲を垂れる涙を舐め、独りごちる。一通り並べてみたが、どれもやはり、ソルが言うにはしっくりこない。白雪姫も裸足で逃げ出すような美辞麗句は性に合っていないのだ。ソル=バッドガイが抱くもの、感情というものは、もっとシンプルでいい。
「綺麗なもんは、綺麗だ。何しててもソイツは変わんねえ」
 テメェのように、という囁きはカイのなめらかな皮膚の中に溶けて消えて行った。カイの顔は相変わらずぐちゃぐちゃで、身体はどろどろになり、意識は朦朧としているようだったが、やはりソルの目に映る彼という存在は世界中で一番美しかった。言葉を飾るまでもなく、揺らぐことのない事実として。


◇◆◇◆◇

「え」
「は? なんだそのツラ」
「え、いや。いやいや。ひどい聞き間違いをしたなと思って。その……なんだ? もう一度言ってくれないか? 今本当は何と言ったんだ?」
「だからテメェは顔がいいよなと」
 だから、出会って十五年も経ってから鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をされるのはソルとしても心外だったわけだ。
 目を大きく見開いてこの世の終わりでも見るような顔をするカイの頭を軽く叩き、ソルは大きく溜め息を吐いた。事実を言っただけなのに何故こんな反応をされねばならないのか。元老院のやつらが「美形だから選挙とか楽勝」みたいな話をしてきて心底嫌気がしたものだ……みたいな話も、昔ソルにこぼしてきたことがあるくせに。
「や――やめろ! 心臓に悪い!!」
「美形に美形っつって何が悪いんだよ」
「だからそれが心臓に悪いんだって……あ、ちょっと!」
 最近余裕ぶった態度を取ることが増えてきたカイらしくもなく、顔中真っ赤にして子供の頃のように抗議をしてくる。ソルは悪戯心に促されるままにカイの耳に唇を寄せた。それから吹きかけるように「テメェの綺麗な顔見てると勃起する」と言ってやると、思いきり顔を離される。非道い仕打ちだ。
「口を慎め、ソル!!」
「とか言われてもな。初めて見たときから綺麗な顔してんなと思ってたのは事実だし」
 嘘も誇張も一切ないのだが、カイは余計に顔を赤らめてぷるぷると首を振るばかりだ。「しんじられない」、とカイが小さく震える。それから、「ありえない……」と薔薇色に上気した頬を持ち上げ、ソルの肩を祈るように掴み取る。
「う、うそだ……そんな今更……おまえだけは絶対そんなこと思ってないんだろうなと信じてたのに……」
「なんでだよ」
「だって言われたことがなかったし! 一回だけ……夢の中でなら、聞いたことがあったけれど。それだってあんまりに有り得なさすぎて、夢って怖いなあって思っていたぐらいで」
 肩に伸ばした手と同じぐらい祈るような調子で零されたカイの言葉は、しかし彼にとっては残酷なことに、現実に起こった過去の出来事だった。
「……いや、それはたぶん夢じゃねえぞ」
「えっ?!」
 奇遇にも、ソルの方にもたった一度だけ口に出して言ってやった覚えがあるのだ。最悪に暑苦しかったあの夏の夜、パリの邸宅で、ぽつりと漏らしたあの日のことだ。よく覚えている。カイに対して「きれいだな」と思っているのはしょっちゅうでも、口に出して言ったことなんか二度も三度もなかったものだから、殊更によく覚えている。
 両肩に伸ばされた手をやんわりと押しのけ、カイの身体を腰から掴み上げる。両腕でカイを抱え込み、再び耳元近くへ唇を寄せると、ソルはたちの悪い笑みを浮かべながら低い声で囁いた。
「あの晩、『坊や』は随分と酷く泣きじゃくってた。セックスに夢中になって振り回され、顔中ボロボロにして、生まれたての赤ん坊さながらに泣き崩していて、そのくせ俺が知る限り世界中で一番美しいもののかたちを保っていた。だから俺は意識が朦朧として夢うつつの坊やにこう言ってやったわけだ」
 腰を強く鷲掴み、突然、強引に唇を奪いに行く。むしゃぶりつくようなキスでカイの口中から酸素を奪い取り、満足して離すと、カイはわけもわからず何もかもを奪われた混乱から筆舌に尽くしがたい顔をソルの前に晒す。ソルはにやりと歯を見せて笑った。ソルにだけカイが許す無防備そのもののこの顔も、しかしやはり、綺麗なものがそうであることとして限りなく綺麗な形をしている。
「美形ってのは、間抜け面晒してても変わらねえもんだ。……丁度今みたいに」
 カイは子供みたいな顔をして「もう!」とソルに抗議をした。その時の彼もやはり、間違いなく、世界で一番美しかった。