おとなになる方法



「で、出てけ――っ!!」
 わけもわからないまま勢いよくベッドから蹴り出され、ソルはしたたかに顔面から床へ叩きつけられた。
「いきなり何しやがる、くそっ」
 のろのろと起き上がるも、思い切り床に擦り付けてしまった顔の痛みがひどい。ソルは思い切り悪態を吐くと舌打ちをした。まったくもって意味がわからなかった。第一、ソルがカイと同じベッドで寝ていたのは、昨晩カイに誘われて交渉を持ったからだ。なのに何故、出て行けなんて言われなきゃならないのか。
「テメェがやりてえっつうから付き合ってやったのになんてことしやがる」
「は?! つ、付き合う?! なにを!!」
「なにをって、トリ頭か。鏡で自分の姿をよく見ろ」
「え、鏡……? ……あ!!」
 ソルが指差した方向にぐいと視線をやり、ベッドからいやに身軽な動きで飛び降りる。そのまま妙に幼い足取りでとてとて歩いて行き、姿鏡の中を覗き込むなり全裸のカイが素っ頓狂な声をあげた。
「ソル!!」
 その様はいっそ奇天烈といっても差し支えなかった。というのも、感情的に叫ぶだとか大声を出すだとか、そういう動作のいちいちが、カイが大人になって封じるようになった「子供っぽいからもう二度とすることもない」仕草の連続だったのである。ソルは目をよく凝らした。身体に張り付く長いハニーブロンドも身の丈も、すっかり育ちきったカイ=キスクのもののはずだったが、ぴょこりと跳ねる肩が異様に幼い。
 いやな予感がする。それもとびきり面倒くさい厄介ごとの部類だ。ソルは予感から目を逸らそうとして目を瞑る。
「わ、わた、わたし、お、おっきい……! えっ、どうして? ねえソル、つかぬ事を聞きますが、ここは西暦二一七二年のパリではなくて?」
 でもダメだった。
「ああクソ……またこの手の摩訶不思議現象か……」
「そ、ソル?! なんですかその疲れ切った顔!!」
「昨日坊やと遊びすぎたんだ。いやそれより、ここは西暦二一八七年のローマで、テメェの中身はともかく肉体はもう三十歳だ」
「ああ、三十歳……え?! うそ?! 三十歳?!」
 ソルはがっくりときて膝をつく。ぽかんとした顔で鏡に見入っているカイが、ソルをがっくりさせるためだけに演技をしているようにはとても思えない。どう見積もっても、カイの中身が幼くなってしまっている。体はそのままなのに。昨日好き放題してやわらかく抱いてやったあの爛熟した肉体そのものだというのに……。
「なんでだ……」
 中身はちんちくりん、とは。
 これ見よがしな溜め息を吐き、カイの方を見遣る。カイはキラキラした目で鏡をじっと見つめ、ぺたぺたと自分の体を触って確かめている最中だった。
「じゃ、じゃあこれが、大人になった私……? よく見たら、髪、すごく長いですね……。それに肩幅が多少は広くなってるし、腰もしっかりしてるし、あ、声も低くなってる! ということはもしかして……」
 そこまでひとりごちると、急に何かを思いついたらしく慌ててソルの方へ駆け寄る。それからソルの手をひっ掴んで鏡の方へ引きずっていき、二人並んで鏡の前に立たされた。
 すぐさま、カイは自分の頭の上に手をやった。それから、水平に保った手のひらをソルの身体にすすと突き立て、己の寸法を測る。指先が指し示すカイの頭頂部は、ソルの肩よりも高い場所にあった。
「ああ、やっぱり! 身長もこんなに伸びてる! まあ……ソルは……追い越せませんでしたけど……。でも私、大きくなったんですね。こんなに!!」
 それからカイは、嬉しそうにぴょんぴょこ飛び跳ねてソルの手を掴んだ。中身はともかく身体は三十歳のはずなので、その光景は奇妙を通り越して天変地異レベルに到達しており、ソルを絶句させる。
「……そうだな」
「そうですよ、なんですかその気のない返事。……あれ?」
 ソルがいよいよ思考を放棄しようかと考え始めた頃、カイが急にうわついた声を上げる。億劫ながら視線を動かすと、そこにはこてんと首を傾げているカイの姿。
「この期に及んでまだなんかあるのか」
 地を這うような声で訊ねるとカイはむむ……と眉根を釣り上げた。
「いえ……今、なんか、変な感じが……。というか今更ですけど、どうして私たちお互いに裸なんでしょう」
「さあ、なんでだろうな……」
「ええ、わからないんですか? これは困りましたね……」
 いや、実際の所は、全裸でとっくみあっていたせいなのだが。二一七二年のカイにはそういう発想そのものがないらしく、言及さえしてこない。
 怒る気力もなくうなだれていると、そのうち急にカイがもじもじと身をよじり始める。彼は上目遣いにソルの両目をじっと見つめ、切なそうにまなじりを下げると両腕で自分の体をぎゅうと抱きすくめた。十分に成熟した図体でやるには幼すぎる仕草。そのギャップに、おかしな気持ちが込み上げてくる。
 おいやめろ。ソルは胸中でらしくもなく祈った。その身体は、中身がいくらちんちくりんになっていようと、まぎれもない三十歳のカイの身体なのだ。昨夜はソルとの間に交わりを持っていたものだ。昨夜に限らずこれまでも無数に、西暦二一七二年のカイ=キスクはまだ知らないことを教え込み、咥えさせてきた身体だ。
 カイはまだもじもじしながらソルの出方を伺っている。しかしソルに口を開く気がないと悟ると、ソルの手をぎゅうと握りしめて指先を絡め、ものすごく躊躇いがちに唇を開く。
「その、なんというか、だから……あなたが裸だってことに気がついてまじまじと見たら、どうもおかしな気分になってしまったんです。お腹の奥がじんじんするというか……」
 カイがものすごく不思議そうに言い、顔をしかめた。ソルはますます居たたまれない気持ちになった。生まれたままの姿で立っている己の下肢が、今の言葉でむくりと起き上がったのがはっきり姿鏡に映ってしまい、どうしようもなくなってしまったからだった。
「坊や」
「はい?」
「説明が必要か」
 何の、と首を傾げるカイに無言で股間を指し示す。へにゃりとしているカイのそれに対を為すように、ソルのものが起立している。
「なにそれ……」
 それを見てものすごく怪訝な顔でカイがぼやいた。
 ここまでは、過去に二一七二年のカイ=キスクが見せた反応とまるっきり同じだ。聖騎士団の大浴場で、すれ違うなりぞっとしないものを見る目で唖然としていた十五歳のカイと何も変わらない。
 けれど記憶にあるものと同じ反応はそこまでだった。その直後、カイは何故かごくりと生唾を嚥下し、ますます強く己を抱きしめると、急にめまいでも起こしたかのように痙攣して床にへたり込んだのだ。
「カイ?!」
 これには流石のソルも驚き、大変元気のよろしい息子を一時意識の外へ放り投げてしゃがみ込む。慌てて線の細い顔をつかみ、こちらへ向けさせる。
 そこには真っ赤になって茹で上がり、すっかり混乱しきった、どうにもあどけない相貌があった。
「おい、どうした……」
 ソルが恐る恐る尋ねると、カイは舌っ足らずに「どうしよう」と呟く。
 それから震える指先でソルの中央でそそり立つものを指し示し、羞恥心から来ているのであろう涙で目尻を滲ませながら小さく呻いた。
「なんだかわからないけれど、身体が、あつくて……ソルの、そ、それ、欲しい……なんで……?」
 ソルは何も言えなくなり、カイの裸体を引き寄せた。どうしてと聞きたいのはこちらのほうだったが、カイの疑問にはすぐ答えが出せる。
 それはつまり、どれほど意識が幼くなってしまっていたとしても――その身体は、知っているからだ。
 ソルと交わす情事の合図を身体が覚えているのだ。