賽の目は投げられた。
 踊り狂えや神の仔ら!
 偽りの終焉、伝説の始まりが幕を開ける!!



Melancholia



 カカリコ村には、既にシークの姿は無かった。リンクは村人達に村長であるインパは闇の賢者として目覚め、無事であることを伝えると村を後にした。
「……大分ハイラル平原の空も晴れてきたな」
「それだけ賢者の力が強まってきたってことヨ。……ね、だからもうちょっとがんばろ、リンク」
「ああ……」
 またシークのコトなのネ、とナビィは内心溜め息を吐いた。先程インパに言伝てを頼まれているから探すのはわかるのだが、なんでこんなに落ち込んでいるのか、とナビィは疑問に思うばかりだ。
 リンクは厳しい面持ちのままエポナを走らせていた。行き先は既に決まっている。何故ならリンクが大人になってから訪れていない場所はゲルドの谷、ただ一ヶ所だけだからだ。
「ゲルドの谷はガノンドロフの生まれ故郷。――絶対、何か手掛かりがあるはずヨ」
 ナビィの言葉に、リンクは答えなかった。



◇◆◇◆◇



「――で。どうしてこうなる」
「知らないわヨー!! リンクが間抜けだからじゃあないの?!」
 谷を飛び越え、見えた砦へ向かったはいいものの見張りの兵士にあっさりと侵入がばれ、今こうして牢屋にいる羽目になってしまったのである。石牢は薄暗く、二人の苛立ちを募らせた。
「大体索敵はナビィの仕事じゃないか! 真面目に働いてくれよもう!!」
「なにヨうるさいわネ、ナビィに任せっぱなしでなーんにもしないリンクが悪いのヨ! 妖精にも限界ってものがあるの!!」
「へ、減らず口を……いいかナビィ。最大効率を生むのは適材適所の役割分担だ。俺は戦闘ナビィは索敵! それが一番――」
「止めないか」
 リンクとナビィの子供じみた言い争いが白熱しかけてきた頃、突如として第三者の声が響いた。
「……シーク」
 数日ぶりに聞いたシークの声は一番初めに彼に会った時のような、よくわからない無機質な声に似ていた。けれど似ているだけだ。厳密には同じではない。
 故意にそうしているのだろうということはすぐに分かった。顔だって一見すれば無表情な鉄面皮のようだけれど、よく見れば隙間が見えるのだ。
 泣きたくても泣けない子供が自然体を装っている感じ。
「あのさ、シーク」
「……なんだ」
「インパさんから伝言。無事だから無茶するなって。――だからさ、笑ってくれないか。どうしてそんな顔をしてるんだ」
「何故そんなことを言う?」
 淡々と受け流すように答えるシークにリンクは困ったような顔をして、手を伸ばし、そしてシークの腕を掴んだ。
「だってさ。お前のその顔は無理をして作ってるものだろ?」
「そんな……こと、は」
「動揺するってのは肯定してるのと同じだよ」
 リンクに掴まれたままの腕がふるふると震え出す。それを確認するとリンクは腕から手を放し、己の腕を彼女の背中に回す。抵抗はなかった。
「それで、なんでお前が牢屋の中にいるんだ」
「……君を助けようと思って侵入したまでだ。あそこの穴から」
 シークが抱きすくめられて動かせない腕の代わりに目配せで天井付近の穴を示す。確かに人が出入り出来なくもなさそうな穴だったが、いかんせん高すぎた。
「なあシーク。来てくれたのは嬉しいんだけど出られないだろあれ。届かねえよ」
「あ……」
 シークがハッとしたように顔を上げる。どうやら出られないという可能性にまったく気が付いていなかったらしい。
「本当だ……す、すまない」
「い、いや、悪いとは言ってないけど」
 リンクを見上げるシークは酷く可愛らしく上目遣いをしていた。角度というか、身長差的に(特に密着している今は)そうなってしまうのは仕方のないことだったのだが、リンクは急にどきっとしてしまった。
(シークまつ毛長い……ってまた何を考えているんだ俺は!)
 ああもう、と己を責めながらもリンクは彼女から目を逸らすことが出来なかった。布越しの体温が熱を伴って伝わってくる。
 彼女という存在をもっと深いところまで知りたい。
「……そろそろ離してくれないか。熱い」
「ん……嫌、かな……」
「は、はあ? 何故だ」
「離したくないから」
 唖然とするシークを少し強くかいなに抱いて、じいっとリンクは彼女を見つめた。普段は無機質な硝子玉にも似るルビーレッドのその瞳が困ったような色を映したり、あたふたとして慌てている様はたまらなく可愛らしい。
「シークは。俺のこと嫌いか?」
「きみ……を……?」
「ナビィに言われたけど。俺は多分最低だよ。あんなに君を傷付けたのに今こうして気安く抱き締めている。――そんな俺をどうして助けてくれる? 使命だから?」
「――それは違う!!」
 思わず出てしまった大声にシーク自身驚いたようで、華奢な体躯がびくりと跳ねた。リンクも吃驚して、腕が緩んでほどけた。
「確かに……使命もある、けれど……僕は……」
 石の床に両手をついて俯き、小さく途切れ途切れに言葉を発していたシークは急に泣き出してしまった。勢いはないものの、断続的に温かい雫が頬を伝い石畳に水溜まりが広がっていく。これで彼女を泣かせたのは三回目だ。
 三回も泣かせてしまったのか、自分は。
 泣き続けるシークを見ながらリンクは手を握ったらはねのけられてしまうのだろうか、と考えふっと意識が遠くにあるかのような気分になった。世界が、彼女が遠い。
 すきなひとが、遠い。
 遠い、というのはリンクにとってそれだけで拷問のような言葉だった。七年前に遠くへ行ってしまったゼルダ。七年の間に遠くなってしまった世界。みんな遠くへ行ってしまう。
 みんな手の届かないところへ行ってしまう。
 だからシークに触れたいのか、という漠然とした理解が唐突に訪れた。彼女は手の届くところにいる。手を伸ばせば温かなその体温が伝わってくる。キスをすればどきどきする鼓動が響く。
 彼女の笑顔は近くにある。
 また不意に意識が元の場所に引き戻された。未だ赤く腫れぼったい瞳をこちらへ向けて、シークが己を呼んでいた。
「大……丈、夫?」
「あ、ああ」
「今。君がここにいないように思えて怖かった。どこか遠くへ行ってしまったみたいだった」
「あながち間違ってないな……」
 リンクはむうと顔をしかめて頭を掻くとそっとシークの手を握った。先程の予想とは違って、振り払われることはなかった。
「なあシーク。君はどうしたら俺を許してくれる?」
「許す? 何をだ。僕が君に憤っていることはない」
「……じゃあ。どこまでなら許される」
「は?」
 急にきょとんとしてしまったシークにリンクは何とも言い難い顔をした。子供の自分勝手な感情を理性がなんとか押し止めていた。
「俺が君に触れるのは。抱き締めるのは。キスするのは。愛するのは。その先は。――どこまでなら許してもらえる」
 しばらくの間静寂があたりを支配した。誰も――そもそもナビィはずっとそうだったけれど――沈黙を破ることなく、一言も漏らさなかった。静かすぎる夜の牢に互いの心音だけが響く。遠く見える壁の穴の中に、薄く雲がかった三日月が見えた。
「……僕は。君のことが……好き、なんだ。だから。だから……何をされたって構わない」
 唐突に開かれたシークの口から零れ出た言葉は十二分に驚愕に値するものだった。今、彼女は何と言ったか。好きだと。そう言ったのか。
「シー……ク?」
「願わくば。君に愛されたいと。そう、望んでいた」
 あなたをあいしてもいいんですか。と。
 直後に小さな呟きが続いた。

 独白の後、リンクは彼女を抱き寄せた。顔が向かい合うように腕の中に抱いて、キスをする。時が止まってしまえばいいのに、と両者願わずにはいられなかった。この時が過ぎたらきっと離れ離れになってしまうと、二人はなんとはなしに予感していた。

 月はいつの間にか、空の一番高いところまで昇っていた。



◇◆◇◆◇



 "彼女"は目を覚ました。回りを見渡して、ここが石牢の中であることを再度認識する。お腹が妙に暖かかった。
「ここ……は。そう……あの時……封印が解けてしまったのね」
 右甲に刻まれた聖三角の痣を見やり、それから眠る彼の傍に寄り添う。月はもう沈み出している。空が白む頃には彼から離れなければならない。
 ふと寝返りをうった彼の、剣を握り分厚くなった左手が見えた。甲には彼女を目覚めさせた聖三角が刻まれ、鈍く光を放っていた。
 トライフォース同士の物理接触。それが彼女の封印を解く唯一のキーだった。解いたのがガノンならばそれは敗北を意味したが、彼ならばそれは勝利を意味する。
「自分に嫉妬する日が来るなんてね。もう少しシークでいられたらよかったのに」
 けれどそれは今となっては叶わない望みだ。全ては放たれ、揃った。賽は既に投げられてしまったのだ。
 幸福そうに彼の寝顔を見つめ、しばらくの後彼女は立ち上がってシークとしての体裁を整えた。書き置きのメモを彼の側に添えると、不意に牢屋から消えた。
「これが最後の"シーク"の仕事。これが終わったら……」
 魔法で瞬間移動を遂げた彼女は微笑んで、そっと胸に手を当てる。仕草は非常に女性らしく、かつ優雅ですらあった。
 手を戻し、紅い目を細めると彼女は嬉しそうにある事実を言葉にする。
「終われば。わたくしとして、ゼルダとして――あの人に逢える」
 開かれた瞳は瞬間、綺麗なサブマリンに煌めいた。



◇◆◇◆◇



「……いない……?」
 目覚めたばかりのぼおっとした、もやがかったみたいな頭できょろきょろと彼女を探す。だがその姿は見当たらなかった。
 代わりに、小さな紙片が見付かった。
「書き置きじゃないの?」
「多分な。それにしてもどうやって脱出したんだか」
 一緒に連れてってくれてもよかったのに、とぶつくさ言ってリンクは紙を広げる。流麗な筆致で書かれたそれには暗喩めいた言葉の羅列が踊っていた。
「ええと……"空を仰ぎ見よ。水底で賜りし槍をもって出づる。砂の女神の前で待つ。"槍……槍……フックショットか?」
 試しにフックショットを装備して壁の上方に位置する空気穴をよくよく見やる。穴から見える景色の中に木の板があることに気が付くのにそう時間はかからなかった。
「……本当だ。フックショット刺さるじゃん」
「わー。ナビィ気付かなかったヨー」
 悪びれもせずそう言ってのけるナビィにリンクは苦い顔をして、ザクリとフックを刺すと石牢を脱出した。途端に、強い陽射しが襲ってくる。空はよく晴れていた。
 リンクを待つ運命とは正反対の快晴――。
 日の光にしばし目を馴らし、下方を見やる。やはりゲルドの女兵士が多く見張りの役についていた。
「二度も捕まるのは御免だがあの人数じゃまともにやったら話にならないな。悪いとは思うが寝てもらうか」
 弓矢で狙撃し、見張りの兵士を全員気絶させるとリンクは悠々と地上に降り立つ。これじゃあどっちが悪かわかったものじゃない。いや、どちらかといえばリンクが悪だ。
「リンクってば女相手にも容赦ないとか本当最悪ネ」
「やらなきゃ俺がやられるの。さて、こっからどうしたもの……か……」
「リンク! 危ない!!」
 ナビィの鋭い叫び声が響くよりも早く、リンクは反射的にバック宙で敵の頭上を取り背後を押さえていた。首筋に躊躇いなく聖剣を当て、相手の動きを牽制する。
「……見事。貴様、名は」
「ガノンのお仲間なら知ってると思ってたぜ? リンクだよ、リ、ン、ク」
 聖剣による牽制を緩めず、挑発するように言う。だが相手の女は挑発を無視し、静かに口を開いた。
「流石はナボール様が認められた相手だ。――私はナボール様の代理として現在ゲルド族を統治している者だ。今までの無礼を許してほしい」
「……ナボールの姉ちゃんが関係あるのか?」
 意外な名前にリンクは眉をひそめた。ナボールというのは子供の頃――やはり水の精霊石を探していた時に出会った女盗賊の名前だ。幼いリンクは流れのまま彼女の宝探しに付き合わされ、そして最後はきちんとコキリの森の入り口まで送り届けてもらって別れた。ゲルドの盗賊ではあったがガノンの動きが気に入らないと批判的であり、姉御肌で好感の持てる人物だった。
「数年前。ナボール様よりリンクという緑の服の少年がもし現れたらこれを渡すようにと言付かった。……以来、ナボール様は行方が知れていない。私は役を果たさねばならない。剣をひいてはくれないか」
「リンク、このヒト嘘ついてる目じゃないヨ。剣、しまってあげて」
 ナビィの言葉に従い剣を鞘に収めると、リンクは厳しい顔でゲルド族の女に向き直る。女の手には銀色に光るグローブがあった。
 昔、ナボールと行った神殿で見つけた宝だった。
「姉ちゃん、ガノンのこと嫌いだったから。たぶん捕まったんだ。――でもいいのか、俺にこれを渡して。お前はゲルドの人間なんだろ」
「我々にとってはガノンドロフ様よりもナボール様の方が大事なんだ。それに貴殿、なかなかの実力者とみた。男にしておくには勿体ないな」
「は、はあ……どうも」
 リンクが微妙な表情になるのを見て、女はくすりと笑った。それは自分の意志で行動し、信念を貫いている、ガノンの支配に屈していない者の顔だった。
「ここへ来たということは砂漠の先の神殿に用があるということだろう? これを持って行け。我々ゲルドの管轄の領域を通るための通行証だ」
「ご親切にどうも。……姉ちゃんのことは任せてくれ」
 そう言って、砦の端にある大門を見据える。
 その先には、風が吹きすさぶ一面砂の大地が広がっていた。