ほんの少しでいい
 そばにいてだきしめて
 わたしがきえてしまう前に
 あなたが行ってしまう前に



-Noctrune-



 カカリコ村は燃えていた。村の長であるインパの家から大きな火柱が立ち上がって嫌なにおいの煙を撒き散らしている。でも問題はそれじゃない。
「インパの封印が……破れたか……!」
 井戸の底から沸き上がってくる強大な魔物の気配。ガノンの邪気が強まったのを受け、感化され力を増し今再び蘇ったのだ。狙いは恐らく、闇の神殿。
「インパは……どこに……?!」
 インパはある意味でシークにとって最も大事な人間だ。
 記憶の始まる七年前のその瞬間からインパはそこにいた。シーカーの秘術を叩き込まれた日々は大変ではあったが苦しくはなかった。何故なら出自も何もわからないシークを彼女は無条件で受け入れてくれたからだ。血は繋がっていなくとも、シークにとってインパは愛すべき親に等しい存在なのだ。
 失いたくない存在なのだ。



 ようやくのことでインパを見付けたのは、村の外れの墓地だった。
「インパ!!」
「――シーク」
 息を切らせて自分を見つめるシークに、インパは静かに声をかける。
「インパ、何処へ行くんだ」
「決まっているだろう? 闇の神殿だ」
「でも! 今あそこは!」
「私は行かなければいけないんだ。闇の賢者である限りは」
 シークは本当は、インパを止めたかった。けれどそれは出来ない。
 そうだ。彼女は闇の賢者なのだ。止めたって聞かない。それは使命なのだから。
「――インパ。どうか気を付けて。無事で帰ってきて……ゼルダ姫の為にも……」
 シークがそう言うとインパは少し複雑な顔をして、それから優しくシークを抱き締めた。
「私よりも自分の心配をしなさい。無茶はしないこと。リンクを――時の勇者の導きを頼むよ」
「……はい……」
 シークが少し俯き気味にそう頷くと、インパは困ったように笑った。



「見てリンク……! すごく嫌な空気……!!」
「言わなくてもわかるよナビィ。俺だって感じてる」
 シークよりも半刻遅れてリンクはカカリコ村に到着した。炎はシークの働きで大分勢いを失っていたが、村中にものが焼けたにおいが充満している。
「ナビィ、村の中で一番邪気が強い場所」
「えっと、村の真ん中あたりヨ……昔行った井戸のある場所」
「うげ、あの井戸か。あんまいい思い出ないな……きもいモンスターばっかりだったし」
 井戸の底は、三つ目の精霊石を探す最中に訪れた場所のひとつだ。やたらとゾンビ系のモンスターが多かった上にハズレだったという、良い印象のない場所である。
「……ま、今はそういうこと言ってる場合じゃないしな。急ごう」
「うん」
 リンクの言葉に、ナビィも同意した。



 数分して井戸に辿り着いたリンクの視界にまず映ったのは、狼狽したシークの姿だった。
「……シーク……」
 躊躇いがちに彼の――いや、彼女、なのか――の名前を呼ぶ。シークはゆっくりと振り返った。焦りが目に焼き付いていた。
「リンク……見ての通り状況はよくない……インパは闇の神殿へと向かったが、正直彼女だけの力ではどうにもならない。退魔剣の力が必要だ」
「ああ、わかった。一体何があったんだ」
「井戸の底に封じられていた暗黒幻影獣が復活した。今までは闇の賢者の力で抑えていたが、今となってはもう……」
 そう話すシークは酷く頼りな気にリンクの目に映った。華奢な体躯は震えを隠しきれていない。まるで小さな子供みたいだった。それはリンクが抱いていた彼女のイメージとの間にずれを生じさせた。
「リンク。手短に闇のノクターンのセッションを済ませよう。この歌を覚えなければ神殿には入れ……」
 急いたようにそう言うシークを急に抱き寄せると、きゅう、と優しく抱く。そしてゆっくり背中を撫でると、確かめるようにリンクは言った。
「……俺が無理するから。お前は無理するな。我慢しないでくれ、見ていられない」
「――君は。どうして、」
 先程までとは違う震えを見せながら、シークは尋ねた。目尻が仄かに紅い。
 彼女は何かを待っているみたいだった。だからリンクは今なら上手くいくんじゃないかと漠然と思った。何が上手くいくのか、本人にもはっきりとはわからなかったのだけれど。
「俺はさ、シーク、たぶん君のことが好きなんだ」
 一瞬の静寂の後、シークはぱちぱちと目を瞬きさせて、それから赤みがかっていた頬を真っ赤に染め上げた。それから彼女は下を向いて、リンクの腕の中で泣き出してしまった。



◇◆◇◆◇



 予想はしていたが、そこはひどく不気味だった。いたるところに死骸が散らばっていて壁の模様も薄気味悪い。この神殿は一体何を祀っているんだと思わずにはいられない。
「大体神殿なのに上からギロチンが降ってくるっておかしくないか? なーナビィ……」
「……」
「まだだんまりか……」
 神殿に入ってから――いや、入る前からか――ナビィがさっぱり口をきいてくれないのだ。原因はやはりアレだろうな、とリンクは内心溜め息を吐いた。やってしまったなあという感じだ。
 ナビィはわりと純情な女の子妖精のようで、シークに対するリンクの感情をあまりよしとしていないようなのだ。まず「あのヒト男でしょ」という疑念があり(リンクは絶対に女だと思っていたが……)、なにより「お姫様がいるのにどーしてあのヒトのコトばっかり考えてるのヨ!」という怒りがあるらしい。いろいろと鈍いリンクだが、流石にそのくらいはわかった。
 ナビィがだんまりなので、リンクは必然無言で敵を倒し続ける羽目になってしまう。しかもくどいようだが神殿は気味が悪い。色々すり減らし、そろそろ精神的にリンクも参ってくる、そんな頃になって。
 ふっとナビィが喋り出した。
「ねえリンク。お姫様とあのヒトどっちが大事なの」
「え?」
「リンクはどっちが大事なの。ナビィそれが知りたい」
 ナビィは蒼く光る羽根をちかちかと煌めかせて、同じ場所に留まって先に進まなくなった。どうもリンクの返事がきけるまで動く気はないらしい。
「どっちも大事……って言っても納得しないよな」
「ダメ。ナビィはっきりしない男はキライ」
 ナビィはそうきっぱりと言うがしかし、リンクの中にその問いに対する明確な答えは存在していなかった。曖昧であやふやで、ふわふわしている。それをことばというものにして表すのはすごく難しい。
「……俺はさ。ゼルダのことを愛してるんだ。それはたぶん無条件の敬愛で、絶対の信愛で、気が付いたら恋を通り過ぎてあの人が世界で一番大事になってた。失うことを耐えられない、俺にとってゼルダはそういう存在。俺の存在意義そのもの」
「うん」
「それで……シークには……たぶん恋をしている。抱きしめたい。キスしたい。そういうふうに、思う」
 リンクはそう言い終えるとちらちらとナビィの様子を窺った。ナビィは何事か思案していた。ぶつぶつ呟いて、リンクの言葉を反芻している。
 やがてナビィは呟くのを止め、ひらりとリンクの肩に止まった。
「……リンクは。お姫様とあのヒトにそれぞれ違うものを求めているのネ? 言い分を信じるんなら少なくともあのヒトにお姫様の面影を求めてるってわけじゃないみたいだし」
「自分でもそこらへんはよくわからないけど……」
「もーいい。ナビィ気にしないことにする。二股かけてるのはすっっっっっごい腹立つけどいい。見て見ないフリしてあげる」
「……えと……ナビィ?」
「リンクきっと目に見える支えが必要になんだわ。そう思ったから。――後でお姫様にチクるけど!」
 そう息巻き、急にまた羽根をばたつかせて興奮し出したナビィにどう対応したものか、リンクは迷ってしまった。



◇◆◇◆◇



 大きな腕だった。温かな手のひらだった。そこまで考えてシークは立ち上がって涙をぬぐった。彼に触られた感触が、まだ体に残っている。
 空は依然として鈍い灰色のままだった。カカリコ村のそこかしこで生暖かい風が吹いている。
「……リンクが神殿に向かってから半刻か……インパも……リンクも……無事だろうか」
 何も出来ないのが酷く歯がゆい。「無理をしてほしくない」と言われて少し嬉しくもあったけれど。腕の中で思わず弱さを露呈してしまったけれど。本来自分は強くあらなければいけない。無理をしてでも、使命を果たさなければいけない。
 そして刻一刻とガノンの力が強まってきている今は――
「すまない、リンク。インパのことは任せた」
 聞こえるはずはないけれどそう言い残し、シークはカカリコ村を飛び出した。途中何度かくしゃみが出て、シークは顔をしかめる。よもや神殿内で自分とゼルダについての問答が行われているとは、流石のシークも思いもよらなかった。



◇◆◇◆◇



「揺れて撃ち辛い! なんなんだあの手は!」
「Listenリンク〜手と手の間に本体があるから、余裕が出来たらまことのメガネをかけてネ」
「了解!!」
 ばんばんと太鼓のように床を叩いてはリンク目掛けて飛んでくる魔物を鬱陶しげに一瞥して、リンクは再び弓を構えた。
 シュッ、シュッ、と小気味良い音が連続して響く。両手に矢を命中させることで痺れさせ、隙を作り出すと助言通りまことのメガネを装備する。
 そしてぎょっとした。
「なんか気持ち悪いのが突進してきてるんだけど?!」
「そーネ。ぼーっとしてるとモロに当たるわヨ」
「いやいや。あんなグロいの俺に触らせないから」
 そう言い終わる頃には、リンクの放った矢が幾本も本体の剥き出しのコアに命中していた。弱点をこれでもか、と痛め付けられた魔物がその場で停止する。
 無論、その隙を見逃してやる程リンクは甘くない。
「ったく手間かけさせる……くたばれ!!」
 勢いよく聖剣を突き立てられ、闇の神殿を浸食していた魔物は断末魔と共に飛び散り、そして呆気なく消滅した。

「相変わらずのお手並みネ……」
 皮肉気にナビィが言う。今回もまたリンクの強さは圧倒的だった。圧倒的で一方的であまりにも的確。
 リンクは無限に強くなっていくんじゃあなかろうか、とナビィは力を目の当たりにする度に考えてしまう。無限だとか底無しだとか永遠だとか、そういう単語は人間には縁がないはずなのに。
「これで神殿は五つ目。あと一つか。それでガノンを倒せるかもしれないんだな」
「そう。そうしたらきっと、ハイラルも……」
「まあ皮算用してても仕方ないんだけど。よしナビィ。闇の賢者に会いに行こう」
「そうだネ」
 ナビィの言葉に返し手を入れ、リンクは見慣れた蒼い光に足を踏み入れた。



「――インパさん」
「久しぶりだな。姫様に会いに来ていた少年が……随分と逞しくなったものだ」
 リンクはインパが無事だった旨をシークに伝えてやらねば、とぼんやり考え、それからハッと一つの事実に思い当たった。
 そういえば。七年前のあの日ゼルダはインパに連れられて城を出たんじゃあなかったか。
「インパさん。インパさんはあの時ゼルダと一緒でしたよね。あの後、ゼルダは――」
「ああ、姫様は無事だ。保証する」
「では今どこに!」
 リンクが急いて問うとインパは首を横に振った。
「今はまだ教えることが出来ない。それが姫様の望みでもある。……だがその様子ならいずれ自ずとわかるはずだ」
「そう……です、か」
 それがゼルダの望みだ、という言葉にリンクは素直に引き下がった。彼女がそう望んでいるのなら自分がここでいつまでも拘っているわけにはいかない。
「あなたの無事をシークに伝えておきます。かの……彼はあなたを酷く心配していたから」
「ああ。すまない。私が直接言えれば良かったのだがな。あ奴を倒すまでは……」
 そう言いながら、インパは真っ直ぐな眼差しをリンクに向けた。精悍な青年の顔に似つかわしい、迷いのない瞳。きっと大丈夫だ。そうインパには思えた。
「リンク。姫様を頼んだ……!」
「――はい。必ず」
 答える蒼の瞳には、僅かにも躊躇いが無かった。
 それは、彼女を助けることが出来るのだと無条件に信じているふうだった。