人々虚ろいにけり 魂移ろいにけり なれば仰げや砂礫の女神 汝の求むる答えは其処に有り。 -Requiem- 「砂漠の女神像ねえ。なるほど確かに女神ではあるな。信仰する気はしないけど」 見渡す限りの砂漠を越えた先にその神殿はあった。砂礫と同色に風化した建造物。その前面には巨大な、邪教のものとおぼしき女神像がある。ところどころ欠けていたが不思議と朽ちた感じはしなかった。 「待っていたよ、リンク」 背後、それも頭上――予想外の場所から降ってきたのはシークの声だった。最近の可愛らしい、女の子めいた声音ではなく初め頃のような中性的な声だったが、そういう時に彼女がよくしていた鉄面皮のような表情ではなかった。 「ここは魂の神殿。魂の最果ての終着駅。尤も君の終着駅はここではないがね」 「……当然だろ。ガノンを倒さなきゃ終わんねえよ。……それに……」 「ゼルダ姫を助けなければ終わらない、か?」 シークの言葉にリンクは固まった。ゼルダが何よりも大事なのだということを直球で突かれてしまったのだ。 確かにゼルダは何よりも大事だ。ゼルダがリンクの全てなのだ。それはシークに愛情を求める姿とは相反しているかもしれないが、紛れもなく絶対の真実である主張だった。 リンクはそばにあるシークにプラグマチック――現実的な愛情を抱いていた。対してとおくにあるゼルダへの愛情はひどくプラトニックな――想い想う情愛で、それは真っ白に綺麗な愛する気持ちだ。大人になって。欲を抱くようになって。(モンスターのものとはいえ、)返り血も浴びて――汚れはじめていた彼の中で唯一美しい純潔を保つ場所だった。 「何を固まっているんだ。君が何よりも、それこそこの世界そのものなんかよりずっと彼女を愛しているのは知っているよ。僕はそれを承知で君を愛することを選んだんだ。君が何か思う必要はない」 シークの言葉に尚も硬直しきりのリンクにシークは柔らかく微笑んだ。リンクが好きな、ゼルダのあの微笑みとほとんど同じだった。 「リンク。君に最後のお願いがあるんだ」 「最後?!」 「驚くことか? これで全ての神殿へ君を導くという役は終わるんだ。君の前にいる理由はなくなる」 呆然として立ち尽くしているリンクにシークは抱き着く。胸に顔を埋めると、彼のにおいがした。 「キスをして欲しいんだ」 彼の、リンクの体温を強く感じる。鼓動がひとつになる。 これはシークとして彼に触れられる最後の機会だった。それはつまり彼に堂々と甘えられる最後の機会でもあるということだ。キスぐらいしてほしい。 そのぐらいなら、きっと許されるから。 本当は、リンクがゼルダを守りたいあまりに強くなりすぎてしまって。それはとうの昔に赦されざるものになっていたのだけれども。 リンクはシークの態度に――今までにないえらくストレートな要求に戸惑っていたが、彼女がお願い、というふうに上目遣いでもって見るのでぐらっときて、思わずぎゅうっと抱き締めてその願いに応えた。 彼女らしくないとは思ったが。リンクは特に気にしないことにした。 ◇◆◇◆◇ ぼろ、ぼろと。女神像が欠けて崩れていく。ミラーシールドで反射された陽の光は巨像を晒し出し、塗り固められた道は耐えきれなくなったかのようにその姿を現した。 「しかし……今度は賢者にまったく心当たりがないんだよな……」 「そういえば今までの賢者はみんな子供の頃に会ってた人だもんネ」 「うん。今回ばっかりはさっぱりだ。――それにナボールの姉ちゃんのことも心配なんだよな。ガノンに捕まっているとするなら、ここにいる可能性も高いし」 「え? どうして?」 リンクの唐突に思える発言にナビィがきょとんとして尋ねた。それにリンクはそんなこともわからないのか、と多少馬鹿にしたような顔で答える。 「子供の頃の俺の数少ない知り合いだぞ。どこかで人質にするなり、極論操って敵として出すなりした方が効果的だろ。というかだな、俺ならそうする」 リンクの表情に若干むっとしたナビィだったが、彼の台詞を聞き終えた頃には一転してびっくりしたような感じになっていた。びっくり、というよりもうむしろ感動に近いかもしれない。 「リンク……そんなコト考えられるんだ……ナビィリンクなら知り合いでも容赦なく攻撃すると思ってた!」 「相変わらずよくよく喧嘩を売ってくる妖精だなお前は!!」 リンクの怒鳴り声を無視するとナビィはすいーっと前へ飛んで、そしてふっと立ち止まってリンクの方に振り返った。 「そうだよネリンク……リンク、もうこんなところまで来たんだ。ナビィリンクに会った時のコト昨日みたいに思い出せるヨ。でもそれはもうずうっと前のコトなんだネ」 「なんだよ急に……」 「ナビィすごいと思ったの。リンクが今こうしてここにいられることが。……ごめんネ急にこんな話して。――さあ、気を取り直して先へ進もう!」 「あ……うん」 ナビィの急な態度にリンクは訝し気な顔をする。なんだかさよならをするちょっと前みたいな雰囲気だった。 いつかナビィがいなくなってしまうような。そんな、予感がした。 「リィンク! どうして本気で行かないの?! あいつら行っちゃったヨ!」 ツインローバの消えた扉とアイアンナックと交戦中のリンクとを交互に見て、若干苛立ったようにナビィは問うた。リンクは一目瞭然な程に手を抜いて戦っていて、放つ攻撃はどれも鋭さに欠けている。あんなのじゃあ、とても致命傷になんかならない。 「ねえ! どうして……!!」 「ダメなんだよナビィ!! この鎧の中にいるのはナボール姉ちゃんなんだ!!」 「えっ?!」 ナビィは青ざめたようにおろおろと飛び回り、鎧の中を覗き見た。確かにナボールだった。だが目に光がない。さっきの冗談の通りだったのだ。彼女は操られている。 「ど、どうすればいいの?!」 「わかんない! とりあえず鎧を外そうと……」 リンクが言うのと同時に、ナボールを覆っていた鎧が外れて飛んだ。虚ろな両目が露になる。そして目とは対照的に、額の宝石がぎらぎらと光っていた。それは何か、明確な違和感だった。 「リンク、あの宝石おかしいヨ! あれ、壊してみて!」 「了解!!」 斧を捨て、双剣に切り替えて襲ってくるナボールを避けて態勢を整える。弓矢を構え、突進してくる彼女の頭上を飛び越え宙返りをし――その最中、空から額の宝石を射抜いた。 パリィン、と砕け散る音がして宝石は霧散した。どうやら魔法で形作られたイミテーションだったようだ。 どさっ、とナボールが勢いよく倒れ込む。 「うっ……アタイは……」 「姉ちゃん!!」 痛むのだろうか、頭を抱えて踞るナボールにリンクは駆け寄った。上手く手加減出来ていたようで出血はほとんどなかったが、彼女がこの数年で受けてきたダメージの蓄積総量というのは想像がつくものではない。 「アンタ……もしかしてリンクのボーヤかい……? ハハッ、アタシがヘマしてる間に随分と大きくなったもんだ」 「姉ちゃん、大丈夫か? 体に堪えるから無理に喋らないで」 「気ぃ使ってくれてありがとうな。正直……確かに調子は良くない……クソッ、あのバアさん共!!」 いつっ、と辛そうに顔をしかめたナボールにリンクは悲し気な顔をして、すくっと立ち上がった。すぐに足を先へと続く扉へ向ける。 「姉ちゃん。あいつらは俺が片付けてくるから。だからここでじっとしてて。――任せて、俺はもう子供じゃないから」 「……そうかい、じゃ、任せたよ」 振り向かないリンクの背中は大きく。逞しくナボールの目に映った。 ◇◆◇◆◇ 「イーッヒッヒッヒッヒ……身の程知らずな小僧が一人紛れ込んで来ましたよコウメさん……」 「つまりナボールは失敗したということですかねえ……仕方ないねえ、直々に相手してあげましょうかねえコタケさん……」 「なんだこの腹立たしいバアさん共は」 「ツインローバ。ガノンを育てた双子の老魔法使いヨ」 「ふうん……ガノンの育て親ねえ……」 箒に乗って宙をくるくると旋回しているツインローバを半ば無視する形で会話を続けるリンクとナビィに苛立ちを覚えたのだろうか。ツインローバの動きが早くなった。 「キーッ!! 黙っていれば長々と! 無視とはいい度胸じゃないかえ?!」 「年寄りとはなんたる言いぐさだい。あたしゃ怒ったよ!」 「あーあー頭に血ぃ上らせちゃって」 はーあ、と心底面倒そうに溜め息を吐いてリンクは構えた。ふざけた老婆二人とはいえ、仮にもあのガノンを育てた二人なのだ。油断は禁物である。 「あたしの炎で骨まで焼き尽くしてやるよ!!」 「あたしの氷で魂まで凍りな!!」 「はいはい。焼かれもしないし凍りもしないけどな」 興奮し出した老婆達の宣言を戯言と聞き流し、リンクは対処方について思案する。炎と氷。相反する二つの魔法。 「ミラーシールド……使えるかな」 ハイリアの盾の代わりに装備してあったミラーシールドに手をやり、構える。丁度良く炎の攻撃が飛んできて、撃たなかった方――氷使いの方だ、に反射して命中した。 「ビンゴ。バカだなあのバアさん」 同様の手順を繰り返しているうちに、ツインローバはダメージを負ってボロボロになっていった。そして二人の動きが変わる。 何か仕掛ける気だ。 「コウメさん! 本気でいきますよ!!」 「わかりましたよコタケさん! 合体して――」 「させねえよ」 ツインローバは合体しようと互いに接近していた。それが仇となった。 変化にいち早く気付いたリンクは、老婆らがほぼ同じ座標に重なるタイミングを見計らって上へと高く高く飛び、そして斬り払ったのである。 ツインローバは衝撃で地面に勢いよく叩き付けられた。が、態勢を立て直し再び浮上する。しかしそれはどうやら二人の意思ではないようだった。 「あたしゃまだいけますよコウメさん! ……ちょいとコウメさんその頭の上の輪っかはなんですか」 「そういうコタケさんもありますよ輪っかが」 「ねえねえリンク、アレっていわゆる天使の輪っかってやつじゃない?」 「あー、多分な。あんな婆さん共でも死ねば出るんだな、アレ」 頭上に輪を浮かべて文字通り昇天していくツインローバを見上げ、リンクはどうでもよさそうにナビィに返事を返した。老婆達はどうやら口論を始めたようだったが、地上には届いていない。 しばらくして、「化けて出てやる」という声がなんとかリンクの耳にも入った。見上げた先にもうツインローバはいなかった。 ◇◆◇◆◇ 「……姉ちゃん。姉ちゃんが魂の賢者だったのか」 「どうやらそうみたいだね。ま、アタシ自身まったく実感はないんだけどさ」 お馴染みの蒼の空間、賢者の間で待っていたのはナボールだった。相変わらずの飄々とした物言いにどこか安堵する。 「姉ちゃん体大丈夫? 怪我とか……」 「大丈夫さ。ここに来る間に傷は癒えたから。……人の心配なんかしててアンタこそ大丈夫なのかい、リンク。これから大変なのはアタシよかアンタだろう?」 「ああ……」 これから。 全ての賢者を目覚めさせた、その後。 「倒しに行くんだろう、ガノンドロフを」 「…………うん。行くよ」 ガノンドロフとの直接対決。今、自分はその時を迎えようとしているのか。 なのに実感はあんまり沸かなかった。多分ゼルダを見付けていないからだ。彼女と再会出来ていないからだ。 彼女はどこにいるのだろう。 「どうしたんだいそんな浮かない顔してさあ。あれかい、お姫様が見つかんないから?」 「うえっ?!」 ずばりと言い当てられ動揺するリンクにナボールはやっぱり、というふうに笑った。 「ゼルダ姫のことなら心配ないさ。もうすぐ会える」 「左様。その時は間近に迫っている」 「ラウルさん?!」 ナボールの台詞を引き継ぎ、彼女の背後から現れたのは光の賢者ラウルだった。大分久しぶりのような気がしたが、冷静に日数を数えてみたら、実際にはそれほど時は経っていなかった。 「急ぎ時の神殿へ向かうのだ、時の勇者。彼の地にて真実が明かされる」 「ん、まあそういうこと。急ぎなリンク。アタシ達はここからアンタを見守ってる」 頑張れよ、とナボールはリンクの肩を叩いて気持ちよく笑った。リンクの心も、少しばかり軽くなる。 今まで出会った人達が見ていてくれる。 「ありがとう姉ちゃん、それにラウルさんも」 「礼を言うのはこちらの方だ。ハイラルの未来を――頼む」 「いいっていいって。しかしガキんちょだったアンタがこんなにいい男になるなんてねえ……」 「ね、姉ちゃん!」 冗談冗談、とナボールはひらひらと手を振って、それからふっと真面目な顔をした。 「こうなるって。わかってたら……あの時の約束、守ってやりたかったね……」 「……姉ちゃん?」 そういうナボールは酷く寂し気で。 これからリンクに襲い来る現実を知っているかの――ようにも、見えた。 |