ひとつは深き森に ひとつは高き山に ひとつは広き湖に ひとつは屍の館に ひとつは砂の女神に ……そして全てははじまりの聖地に -Prelude- 時の神殿に光のプレリュードでワープしてきた直後にリンクは不思議な感覚を味わった。 懐かしいような。それとは別に恐ろしいような。 まるで背後に驚くべき真実が転がっていて振り向くのが怖いかのような―― 「――リンク。いや、時の勇者」 シークの声がして、恐る恐る振り向く。彼が神出鬼没なのはいつものことだし、背後から声がするのだって至って普通のことだ。なのに何にこんなに差違を感じでいるのだろう。 確かに「最後」という言葉には矛盾しているけれど。 変わったことなんて、なんにもないはずなのに。 「時の勇者。君は見事六賢者を目覚めさせ、この時を迎えた。今、君にはガノンを討つに足る"資格"がある。君としては早く奴を倒しに行きたいだろうが……その前にひとつ聞いてもらいたい。――シーカー族に伝わる、トライフォースのもうひとつの伝説を」 「……」 リンクは返事をしなかった。それでもシークはお構いなしに話を続けた。 「トライフォースはそれぞれに力・知恵・勇気を司る三対の力だ。だが、これが真の力を発揮できるのは三つが揃っている時に限られる。この話は知っているだろう?」 「知ってる。だからガノンは躍起になって俺を殺そうとしてるんだ」 「その通り。だがね、トライフォースは初めから三つに別れていたわけじゃあないんだ。ひとつだったんだよ。だが分裂してしまった。それは"我々"の誰もがその全てを手に入れるに足る資格を持ち合わせていなかったからだ」 「"我々"?」 我々、という言葉に違和感を覚え聞き返す。リンクの記憶が正しければトライフォースに選ばれたのはガノンと自分、そしてゼルダのはずだ。なのに何故我々なのか。それじゃあ、まるでシークがトライフォース適合者のようではないか。 そんなはずはないのに。 「"我々"、だよ。正しくね。ガノンは勇気と知恵が足りず。 君は幼さ故に力と知恵が足りず。僕には力も勇気も無かった。だからこの悲劇が起こったんだ」 「――は?」 僕には、という単語に混乱するリンクにシークはずいと歩み寄り、そして右手を伸ばす。その瞬間彼女の右甲が目映く光り出した。 それは黄金の聖三角の光だった。 溢れ出た光は彼女をすっぽりと覆い尽くし、姿を変えさせていった。足元から光が消え、ボディスーツを着ていたはずの場所で桃色のスカートが揺れる。 そして光が消え失せ、彼女はリンクの前に姿を現した。 「……ゼル、ダ……?」 信じられないといった面持ちで恐る恐るリンクは尋ねる。彼女はさっきまで確かにシークだった。そうだったはずなのだ。 でも今目の前にいるのは紛れもなくリンクが探し求めてきた姫君だった。見間違えることなんかない。彼女は彼がちいさな頃に、愛すると決めた女性なのだから。 「――ええ。わたくしが、ゼルダです」 「どうして。ゼルダがここに」 「わたくしがシークであり。シークがわたくしであったから」 ただずむゼルダにリンクは手を伸ばすことが出来なかった。愛した少女は美しい女性に成長し、触れることが躊躇われる程だった。 そしてそれだけでなく彼には罪悪感があった。彼女に内緒で恋をした。同一人物でした、と言われたって実感なんかわかない。リンクが今思うのは彼女を傷付けてしまったんじゃあなかろうかという恐怖と。 そして彼女を汚してしまったという自己嫌悪だった。 「騙していてごめんなさい、リンク」 「……ゼルダが謝ることじゃない。今俺は君になんて言えばいいのかわからないし、君をすごく傷付けてしまったんだ。謝るのは俺だよ」 「いいえ。わたくしはあなたに愛されこそしたけど傷付いてなんかいないわ」 「俺を慰めないで――」 「慰めではありません」 リンクの自嘲気味た言葉を真っ向から否定してゼルダは彼を見た。彼に向ける鋭く真摯な眼差しは七年経っても変わっちゃいなかった。リンクは思う。ゼルダは変わらない。美しいままだ。 でも自分は汚れてしまった。 「あなたは真っ白なのよ、リンク」 リンクの思考を読んだかのようにゼルダがそう言う。それにリンクは表情を険しくするしかなかった。とても彼女の言葉を受け入れる気にならない。 すごく触れたいのに。触れる資格なんかないのだ。 「俺が白だったら。綺麗なものは真っ黒ってことだな」 「いいえ。あなたは純粋すぎるの。自分に正直で、でも厳しいのよ。相反してるように感じるかもしれないけれど」 「……」 「ねえリンク。シークは、彼女という人格はあなたを愛していたわ。そしてわたくしもあなたをずっと愛しているの。あなたがどう思おうがこの事実は変わらない」 だからそんな顔をしないで、とゼルダは言った。 ゼルダ自身、どこか自分を責めているようだった。 「……本当はこんなに早くわたくしが目醒めるはずではなかったのです。わたくしという自我意識はぎりぎりまで眠っているはずだった。シークはその為の疑似人格として生まれたから」 「疑似人格?」 思いがけない単語にリンクが反応する。"疑似"だなんて。一体どういう意味なのだ。 「ガノンを欺く為にわたくしの自意識から生まれたもう一人のわたくし。でも彼女は偽物じゃないわ。本物よ。何もない状態で本当に全身全霊であなたに恋をしたの」 そしてわたくしもあなたに恋をしているのよ、と言うとゼルダはリンクの体を抱き締める。 リンクは泣きたくなってしまった。 「……わたくしね、初めて嫉妬というものをしたんです。自分自身に嫉妬するなんておかしな話ですけれど」 ゼルダは微笑んだ。見上げる彼女の表情は七年前と変わらず無邪気な愛くるしさを持っていた。 「あなたにああやって……剥き出しで愛してもらえるシークが羨ましいって意識が戻ってから何度も思ったわ。あなたはわたくし相手だとどこか距離を置くでしょう?」 「そ、それは……ゼルダは王女だから……」 「ほら。少しあらたまってるのよ」 ゼルダはぷうと頬を膨らませて不満気に言う。昔の彼女と少し変わったのだなあ、となんとはなしにリンクは思った。何が彼女を変えたのだろう。 七年の時なのだろうか。それともやはり、リンク自身なのだろうか。 「でも、そういうふうに区別を付けてしまうところも含めてあなたらしさなのね、きっと。――さて。残念なのだけどこれ以上お喋りをしている時間はないわ。リンク、手を出して」 言われるままに彼女に手を差し出す。ゼルダはそれを確認すると両手を高く掲げ目を瞑った。程なくして彼女の両手の間に眩い光が現れた。 現れた光はゆっくりと滑るように、彼女の手からリンクの手へと移動した。 「光の弓矢。魔王の守りを破るために神が与えたもうた聖なる力。あなたにこれを」 「光の……弓矢……」 「そう。あなたはそれでガノンを止めてください。そこをわたくし達賢者が封印します。――恐らくそれが、今取れる最良の策」 「そ、それじゃあゼルダが危険に晒されてしまうじゃあないですか!」 「それがどうしたというのですか。あなただけを戦わせるなんてことは出来ません。わたくしだってあなたの……あなたの力になりたいのです」 ゼルダの静かな、けれど確かなその思いは内に熱いものを秘めていた。その時リンクは悟った。それを自分に妨げることは出来やしないのだと。 だからリンクは頷いた。 何故ならば、七年前に出会ったその日から彼女の意思は彼の全てだったのだから。 「わかりました。今度こそ俺が、ゼルダを護りますから――」 しかし。 リンクがそう言った刹那、最初の悲劇が起こった。 「愚かなりゼルダ姫、そして時の勇者!」 「ガノン?!」 遠くから反響するようなガノンの声が聞こえたかと思った瞬間、ぱきぱきと妙な音を立ててゼルダの足元から巨大な水晶が生え出した。薄桃の水晶は瞬く間に成長してゼルダを覆い尽くし、結晶として完成した。 「ゼルダ、ゼルダ!!」 『リンク!!』 結晶越しのゼルダの声はくぐもって小さく聞こえた。同時に、憎たらしい魔王の声が高らかに響く。 「やはりな。貴様を泳がせておけばいずれ姿を現すと思ったわ。この俺を七年もの間騙し通すとは!!」 「クソ野郎ッ……!!」 「俺を倒す? 笑止。貴様は自分が強くなったとでも思っているのか? 片腹痛いわ!」 生き延びたのではなく生かされていたのだと。ガノンはそうリンクを嘲った。リンクはそれに歯軋りする。 リンクは怒っていた。 「ともあれ予定通りゼルダは手に入れた。後は貴様だ、時の勇者! ……だが俺が直々に相手してやるのだ、これまでのようにはいかんぞ? 俺の唯一の誤算は時の勇者の、否、勇気のトライフォースの力を少々甘く見ていたことだからな……!!」 ガノンの言葉は半分も、その長い耳には入っていなかった。聞き流す以前の問題で、まず聞こえてすらいないのだ。 リンクは何に怒っていたのか。ガノンではない。それに関しては最早怒りすら覚えない。 怒りの矛先は、己だった。 「ゼルダを取り戻したくば俺の元へ来い」 ガノンがそう言い残すと共にゼルダの結晶が消える。それと同時にぽた、と床に紅い滴が落ちた。 食い込んだ爪が流させた、リンク自身の血だった。 「……り、リンク……」 「まだだ」 ナビィが心配そうにリンクの回りを飛び回る。自分自身に怒りの感情を持ったリンクの危うさ、恐ろしさをナビィは知っていた。炎の神殿で身をもってそれを経験している。 果たしてこのままで彼は大丈夫なのだろうか。 「まだなんとかなる」 俯いたままリンクは呟く。ぼた、ぼたと出血量が増えていく。それに比例して、ナビィの心配に反して落ち着きが彼の声に現れた。 「……リンク?」 「大丈夫だナビィ。ダルニアの兄貴に言われたことを忘れちゃいない。怒りに呑まれるなって。そう言われたから」 「本当に、大丈夫……?」 「うん。大丈夫だから」 そう言って顔を上げたリンクの目を見て、ナビィははっとしてそれからぶるんぶるんと首を振るみたいに飛び回った。 涙を堪えながら開かれた蒼い瞳の奥に。 瞬間、紅が混じったような気がした。 |