本当の絶望というのは、足音なんか立てない。 知らぬ間に背後から忍び寄って。 希望を奪い取って。根こそぎ幸福を奪い取って。 そうしてまた、闇に消えていく。 Covenant 「やーっと手に入れた! ゾーラのサファイア!!」 「これで遂に時の神殿の扉が開かれるのネ! お姫様もきっと喜ぶヨ!」 「うん。早くゼルダに見せたいな。あーもう城までの道がもどかしい」 待ちきれないのネ、とナビィに言われるとリンクは照れたような顔をしてぽりぽりと頬を掻いた。ゾーラの里の事件にかかりっきりで、もう何日もハイラル城へ行くことが出来ないでいたのだ。 そのせいでリンクは日増しにゼルダが恋しくなっていて、もうそろそろ限界値にまで来ていた。色ボケもいいところだ。 久方ぶりの逢瀬である。リンクの足取りも自然と軽やかになる。その顔は希望に満ち、今がまさに幸せといったさまだった。 しかしその希望は。 数時間後には計り知れない絶望となる。 ◆◇◆◇◆ 「なん・・・・・・で・・・・・・」 リンクの目に映ったのは、燃え盛る城下町と、その奥にそびえるハイラル城だった。白く美しかった街は朱に染め上げられ、繁栄の面影は薄れかけていた。 「ゼルダ。ゼルダは」 「ダメヨリンク!! そっちは危険ヨ!」 「ゼルダあっ!」 叫ぶやいなや、リンクは無我夢中で駆けだした。ハイラル平原のけして短くない距離を疾走し、城門へと駆け寄る。それは無駄な試みに終わるはずだった。何かが起こるはずなんかなかった。 けれど気まぐれな神は、最後に優しくも残酷な結果を彼に与えた。 不意に、城下町の方から城門へと近づいてくる馬がリンクの目に映った。その上には二人の人間が乗っていた。インパと、ゼルダだ。 「ゼ・・・・・・ゼルダ!!」 「リンク!!」 ゼルダの方もリンクの姿を捉え、瞬間、安堵の顔をしたがすぐに険しい顔つきになる。そして逡巡の後、リンクの方に向かって何かを投げた。 「リンク、これを!」 あんなにかよわいお姫様のどこにそんな力があったのかはわからない。けれど彼女は力の限りにそう叫んで、いつも大切そうに持っていたオカリナを彼に投げてよこした。オカリナは美しい軌道を描いて堀へと落ちていった。 インパが馬に鞭打ち、スピードを上げる。すれ違いざま、ゼルダはリンクに何かを伝えるべく口を開いた。 「わたくしのことは気にしないで、どうかそのオカリナを――」 彼女の言葉の最後の方は、風に遮られてよく聞こえなかった。 ゼルダがいなくなってしばらくして、突如として雨が降り出した。ざあざあと刺さるような雨は、城を覆っていた炎を鎮火し、全ての音を掻き消してしまう。何もかもを押し流す勢いで、それは降り続いた。 そんな中でふと気配を感じ振り向くと、ぼろぼろになった門を悠々と通り過ぎる男がいた。ガノンドロフだ。間違いない、彼こそがこの惨状を作り出した首謀者なのだ。リンクには確信を持ってそう感じられた。 ガノンドロフは、地べたに這いつくばって惨めな姿を晒しているリンクを一瞥するとハイラル平原の奥へと消えていった。リンクをただの逃げ遅れた子供と見て、気にもかけなかった。それは今のリンクにとって非常な幸運であったが、また屈辱でもあった。 ガノンドロフの姿がもう完全に見えなくなってしまうと、リンクはむくりと起き上がり堀の方へと歩いていった。大雨で増水し、堀からは水があふれていたがリンクはそれを気にとめるふうもなく、ぼちゃんと音を立てて勢いよく飛び込んだ。 「リンク?! どうしたのヨ?!」 ナビィの問いかけに答えず、ただ無言で潜り続けていたリンクだが、数十秒経って水から顔を上げた。その手に、ゼルダが投げて寄越したオカリナを握って。 「あっ・・・・・・それ・・・・・・」 「うん。・・・・・・ゼルダが俺に託してくれたものだから。俺はこれを守らなくちゃ・・・・・・」 オカリナを強く握りしめ、リンクはしばらく俯いていた。やがて顔を上げるとナビィにこう告げた。 「ナビィ。時の神殿に行こう」 「えっ? 時の神殿に?」 「そう。たしか、城下町から道が繋がってたよな。・・・・・・ゼルダは三つの精霊石で扉を開き、マスターソードを手に入れるって言ってた。だったら、俺はそれをやる」 「リンク・・・・・・」 リンクの言葉の奥にある、悲しいぐらいの決意をナビィは感じていた。彼は悔いていた。大切な姫を守れなかったことを。何よりも己の非力さを、ガノンに見向きもされないひ弱さを、呪うぐらいの勢いで悔いていた。 それは彼の責任じゃあない。リンクは所詮何の力も持たない子供だ。あの状況下で、それは仕方のないことだったのだ。 けれどそれを、彼は認められなかった。もっと何か出来たはずだ、もっと。 ゼルダが話していたマスターソード。それはきっと大きな力だ。それを手に入れれば、もしかしたらガノンドロフに対抗できるかもしれない。それは彼にとってまさしく一縷の望みであった。 「何もしないよりは、何かしていたい。・・・・・・自分をなだめる為にも。ゼルダの、為にも」 それがただの自己欺瞞であると、彼は薄々、感付いてはいた。 ◆◇◆◇◆ ――精霊の力を集めし者よ 力欲すならば時の歌を奏でよ―― 三つの精霊石を扉に嵌めると、荘厳な声がそうリンクに語りかけてきた。 「時の・・・・・・歌?」 「あっ、もしかしたらそのオカリナかもヨ、リンク」 「ああ、そっか。だからゼルダは俺にこれを渡してくれたんだ」 ナビィの言葉に納得すると、リンクは王家の紋が入った時のオカリナを吹いた。彼女に教えてもらった、時の歌を。 ――神に愛されし愛子(まなこ)よ 聖域への道を開こう―― 声が再び告げ、物々しい音を立てて神殿の扉が開く。その奥に光が見えた。入り口からではだいぶ遠いはずなのに、すごくまぶしい。 そのまぶしい光の中に、マスターソードはあった。台座の下から光がほとばしり、リンクが急いてマスターソードを抜こうとすると、急に宙にトライフォースが浮かび上がった。 ――汝 力望むか―― ――汝 力望むのならば我を望むか―― 「な、なんだ、これ・・・・・・!」 「どうしたのリンク、ナビィなんにも見えないヨ?!」 急に現れたトライフォースも、声も、ナビィには見えていないし聞こえてもいないようだった。しかしその原因を考える暇もなく、声は更にリンクに語りかける。 ――我は勇気のトライフォース 女神フロルの力―― ――汝 救いたいものあるならば その勇気をもって我を望め―― 「救いたい、もの・・・・・・」 その言葉に、リンクは反応した。頭の中で光景がフラッシュバックする。思い浮かぶのはどれもゼルダの顔だった。 そうだ。リンクは、ゼルダを救いたかった。 ――聖剣(つるぎ)が選びし勇者よ 我を受け入れよ―― ――代償に神に捧げよ 汝が血脈―― ――神に差し出せ 汝が魂―― リンクが神殿へと足を踏み入れることが叶ったのは、彼のゼルダを望む、彼女の為を望む心が強くあったからだ。彼は勇気を司る女神フロルに気にいられ、トライフォースを手にする者として、時の勇者たる者としてその瞬間選ばれたのであった。 しかし同時にトライフォースに選ばれるというのは、一度受け入れてしまえば永久に神に縛られるということでもある。トライフォースの力はあまりに強大であり、一個人が気軽に扱えるものではない。神に魅入られる程の器を持つ者が、なおかつ神にその存在を差し出すことではじめて手にすることが出来るのだ。 そして神との契約を結んだが最後。その魂は消滅を許されない。 「・・・・・・れでも」 しかしリンクにとって、そんなことは些細な問題だった。ゼルダを救えるのならば。彼女の為になるのならば。 そんなこと、どうだっていい。 「・・・・・・それでも、構わない」 少年はただ、純粋に。 「それでゼルダが助かるのなら!! 俺の魂だろうが血脈だろうがなんだってくれてやるよ!!!!」 少女の為に、在りたかったのだ。 ――汝が意志 しかと受け取った―― ――汝 悔いることなかれ―― 変化は極めて迅速だった。まず空中に浮かんでいたトライフォースが明滅し、次いでリンクの左甲へと吸い込まれてゆく。そして左甲に鮮やかにトライフォースが浮かび上がり、それは無事に彼へと宿った。 「りっ、リンク・・・・・・その印って・・・・・・」 「勇気の・・・・・・トライフォース。神様の力だってさ」 「そ、そんなモノ?!」 ナビィは慌ててリンクのまわりをぐるぐると飛び回った。神様の力だなんて、そんな強大なものを宿してしまったらどうなってしまうのかわかったものじゃあない。 「いいんだ、ナビィ」 「でも・・・・・・」 「本当に、いいんだ。マスターソードを使う為にはこの力が必要らしい。それに、ゼルダの為なら、なんだって・・・・・・」 その言葉で、ナビィは全てを察した。彼は、彼女の為なら何をも厭わないのだ。 「・・・・・・そっか。ナビィわかったヨ、リンクのキモチ」 ナビィの言葉に込められた後押しに、リンクは頷く。 「ありがとうナビィ・・・・・・じゃあ、抜くよ。――マスターソードを」 青い剣の柄に、小さな手が触れる。それは少しばかり不釣り合いな光景だった。彼の手は、聖剣に対してあまりに小さかった。 マスターソードが台座から完全に引き抜かれた瞬間、リンクの耳に再び声が響いた。 ――汝 我と盟約を結びしこと 忘れるなかれ―― ――暫し眠れ 神の仔よ――!! その声を境に。 リンクの意識は、途切れた。 |