焼き切れてしまいそうなこの想いを。 わたくしはいつまで隠しておけばよいのでしょうか。 -Mennet- ゼルダはシークだが。 シークはゼルダではない。 ゼルダは己がシークに化けるということを知っていたが、シークはゼルダにまつわる記憶を一切合切失っていたからだ。 生まれのことも。その身に宿す神の力のことも。彼女がなにより大切に想っていた、はじめて恋をした人のことも。 全てをうち捨て、少女は少年として七年の時を過ごした。その間彼が少女としての自意識を取り戻したことは一度もない。 インパにシーカー族として育てられ、そのスキルを教え込まれ。その使命の通りに彼は覚醒した時の勇者を導く為に動き出した。 だから時の神殿での接触はあくまでもシークとリンクの出会いであり、ゼルダとリンクの再会とはならない。それを再会と呼ぼうだなど――彼と彼女への冒涜にも等しいことだ。 でも。今は彼となった彼女だって、忘れたからといって失くしたわけじゃあなかった。喪失はしている。失っているものだってある。けれども、彼への特別な感情というのは、視認されないところできちんと生き残り続けていた。 「不思議な青年だな、彼は……何故だか妙に懐かしい」 凛々しい青年だったな、と思考を巡らせて彼は微笑んだ。それは無意識下に押し込められているはずの、ゼルダ姫のあの花みたいな笑顔に似ていた。 「さて、と。こうしている場合でもないな。彼が一刻も早く森の神殿を開放するのを期待しつつデスマウンテンへと向かうとするか」 意識下では、ハイラルの――己が使命の為。 無意識下では、愛しい彼の為に。シークは次なる地へと向かった。 ◆◇◆◇◆ 「Listenリンク! ファントムガノンは絵から出てこないと攻撃できないヨ!!」 「そんなのわかってるよ! くっそー、めんどくさい……」 森の神殿を苛んでいた元凶はやはり、ガノンドロフだった。リンクの故郷だと知ってか知らずか、ご丁寧にも自分の分身を送り込んできている。 「ったく……分身なんてチャチなもんで俺に勝てると思うなよ!」 リンクは瞬時に弓を構え、的確な動作でガノンの影を射貫いていく。一ミリの狂いもなく正確に放たれた矢は次々とその顔面へ突き刺さった。その痛みにファントムガノンはのたうち回りやがて、その姿を絵の中から現実へと現した。 ファントムガノンはリンクを憎々しげににらみつけると剣の切っ先から光球を放つが、その全てがリンクに当たる前にはじき返され、ガノン自身へと返ってゆく。 「……リンク、なんか強すぎない……?」 「さあな。こいつが弱すぎるだけだろ」 リンクはこともなげに言ったが、実際大人になってからの彼の戦闘能力の高さは異常だった。確かに元々の素質はあった――けれど、相手は仮にもガノンドロフ、力のトライフォースを宿した魔王のコピーなのだ。子供だった頃のリンクが戦ってきた相手たち、例えばゴーマやキングドドンゴ、バリネード――なんかとはもうまったく格が違う。 それなのに赤子を捻るかのようにリンクはファントムガノンをあしらっていた。当たり前に、ごく自然に。それは大人に成長したから、というだけで片付く問題じゃあない。 ああ、これがトライフォースとマスターソードの力なのか、と漠然とナビィは思った。神の力を得た男のコピーとはいえ、コピーはあくまでもコピー。その力の全てが写る訳じゃあない。神の力そのものを宿す勇者に敵うはずもないのだ。 やがて鈍い音がして、マスターソードに貫かれたファントムガノンが雄叫びのような断末魔をあげた。 「くっ……小僧……どうやら腕を上げたようだな……やはりあの時殺しておくべきだったか」 「ガノン!!」 今にも消えそうなファントムガノンの体から、苛立ちを含んだ声が聞こえた。ファントムガノンを媒介にリンクに語りかけてきているのだ。 「はっ。コピー程度で俺に勝てるわけないだろ。堂々と生身のお前がかかってこいよ」 「……。確かにこいつは役立たずだったがまだ俺自らが出る程ではないわ。傲るなよ小僧」 「負け犬みたいだぜ? その台詞。調子に乗るなよ」 リンクの挑発に、両者無言のままの睨み合いが暫く続いた。びりびりした鉄をも引き裂いてしまえそうな空気に、ナビィが慌てふためく。 リンクがいつ動こうか、と機を窺っているとおもむろにガノンが喋り出した。 「小僧。耳寄りな情報を教えてやろう」 「お前はここで死ぬ、とかか?」 リンクが馬鹿にしたようにそうきくと、ガノンは不快そうにそうではない、と答える。 「この七年間、ゼルダは俺から逃げおおせている。俺は未だにきゃつの行方を掴めていない。……だが七年が過ぎ、こうしてお前は動き出した。これがどういうことかわからん程お前も馬鹿ではないだろう」 「!! 姫が……?!」 リンクの目覚めを、ガノンが察知した。こうなった以上、放っておいてもいずれそのことはゼルダの耳にも入る。 けれどそれによって、もしも今まで上手く身を潜めていたゼルダがガノンに見つかってしまったら。自分のせいでゼルダの努力を無駄にしてしまうことになる。 「……くくっ……せいぜい気を付けるがよい、時の勇者とやらよ!」 リンクの顔が不安に覆われるのを見ると捨て台詞めいたものを吐いて、ファントムガノンの体は消滅した。後に残ったのは感じの悪い汗と、不思議なくらいに冷え切った心持ちだけだ。 「ご忠告ありがとうよ、ガノン」 左手でくるくるとマスターソードを回し、鞘に収めてワープホールへリンクは足を入れる。足取りは重く、冷たかった。 「……姫には誰にも、指一本触れさせない。俺はその為にここにいるんだから」 誰にも見えなかったその時のリンクの顔は、ぞっとするくらいに冷え切った笑みだった。 ◆◇◆◇◆ そこは全体的に蒼い空間だった。六角形の床にメダルを模した六枚のレリーフが彫られている。 「あ……」 うっすらと覚えている。ここは眠りの間に訪れた場所だ。七年を過ごした場所だ。 ともすれば、ここは。 「聖、域……」 「左様。ここは賢者の間だ」 リンクの声に厳かな声が応える。あわてて振り向くと、そこには一人の男が立っていた。 「ラウルさん」 「森の神殿の開放に成功したようだな、時の勇者リンクよ」 ラウルは覚えてくれていたのか、と薄く微笑んだ。七年の微睡みの中でリンクに語りかけてきた存在、それがラウルだ。彼のことは、不明瞭な眠りの記憶の中でも朧気に残っている。 「これで残る神殿は四つだ。一刻も早く賢者達を目覚めさせなければならない。……その話はシークから聞いているね」 「はい。ラウルさんはシークのことを何か知っているんですか」 「ああ、知っている。彼にはメッセンジャーの役目を頼んだ」 なんだか不思議な……わかりやすく言えば怪しげな人物だったシークだが、彼は間違いなくリンクの味方であったらしい。その事実にリンクはほっと胸を撫で下ろした。とりあえずリンクは彼をそういうカテゴリに分類してはいたものの、もしかしたら敵かもしれないという疑念も根底ではやはりつきまとっていたからだ。 と、ラウルが静かに一方向を指差した。森のメダルが彫られている場所が淡く光り出し、ぼおっと光が溢れる。そこに一人の少女が立っていた。 「サ……リ……ア……」 目を見開くリンクにサリアは優しく微笑みかけた。柔らかいけれどどこか淋しく、けれど全てを受け入れている顔だった。 「ありがとう……アナタのおかげで森の神殿の呪いは解け、私は森の賢者として目覚めることが出来た。アナタには感謝しています」 「サリア、俺は」 「言わないで」 俺はリンクだ、そう言おうとした彼をサリアは制した。言われなくたってそれはわかっている。言われたってかなしいだけだ。 いや、かなしくはないのか。何故なら、これからはいつだって彼の力になれるのだから。 だけどももう二度と彼に触れられないのは事実だ。 「森の賢者となった私はもうアナタと同じ世界では生きていけないの。でも忘れないで、私はずっとアナタの側にいるから」 サリアのその言葉に、リンクは何も言わなかった。サリアはリンクのその心をきちんと汲み取って、昔みたいな混じりっ気のない明るい笑顔になった。 「サリアは、いつまでもアナタの友達だよ」 そして賢者の間の蒼い光景は消え、リンクはいつの間にかオフホワイトの時の神殿に戻ってきていた。 ◇◆◇◆◇ 「森の神殿の呪いを無事解いたそうだね」 「……シーク」 声に振り向くとそこに人知れずシークが立っていた。相変わらず神出鬼没だ。 「想い出を誘う調べ、森のメヌエット……か。お前の言ってたことがよくわかったよ」 「なんだ、えらくナイーブだな。君はもうちょっと無神経な人間だと思っていたよ」 「……お前喧嘩売ってんのか?」 「心外な。褒めているのだよ?」 シークはやれやれというように肩を竦めると、すとん、とリンクの隣に腰かけた。それにリンクは言い様のないデジャヴを感じたのだが、何が原因かはさっぱりわからなかった。 「まったく……僕は君を慰めに来た訳じゃないのだよ? 君のかなしみがわかるだなんて傲ったことは言わない。僕が君に言えるのはさっさと立ち直って次なる神殿へ向かえということだけだ」 だから早く立ち上がりたまえ、それが君のゼルダ姫への誓いなんじゃあないかね、とシークは淡々と言葉を続けた。それはリンクの心にぐさりと突き刺さる。 そうだ、リンクはゼルダの為に在ると決めたのだ。彼女の為に全てを捧げると誓ったのだ。なのにこんなところで立ち止まってどうする。六賢者は未だ二人しか集まっていない。 もしそのせいでゼルダを傷付けてしまったら。それは彼女へのこのうえない裏切りとなってしまう。 そこまで考えて、リンクは無言で立ち上がった。ぱんぱんと服の汚れを払って、シークの方に向き直る。 「とりあえず礼は言っとく。うじうじしてる時間が短くて済んだ。――で、何の用で来たんだ。お前何か用がなきゃ来ないだろ」 「用がなければ君に会いに来てはいけないのかね?」 「……は?」 「冗談だ。用はある」 シークは冗談に聞こえない声でそう言うと、真っ青になってさぶいぼを出しているリンクにひらひらとハープを振ってみせた。リンクは暫くその体勢のまま固まってハープを眺めていたが、肌が元通りのすべらかさを取り戻すとようやくオカリナを構えた。 「光のプレリュード。時の神殿のこの陣へとワープ出来るものだ。この先、ここに寄る度にリーデットの中を掻き分けてくるのは不都合極まりないだろう」 「あ……まあそうだな」 「確かにいっつも太陽の歌で足止めするの、面倒よネー」 ナビィの呑気な声にシークがくすりと忍び笑いを洩らした。 「君、今までそんなことしてたのか」 「悪いかよ! その方が安全だし便利だろ!」 「まあそうがなるな、僕はそれが悪いとは言っていないのだから」 リンクはむっとして笑い続けるシークに恥ずかしさで赤くなりながら怒鳴りかかって、それからはっとして急に怒りも忘れてシークの顔をまじまじと覗き込んだ。 「……なんだ。僕の顔に何か付いているのか」 「いや……なんかお前誰かに似てんなあ、って……」 口説こうとしているみたいだぞ、とシークは素っ気なく言うとリンクの顔にデコピンを仕掛け、その衝撃でリンクは後ろのめりにつんのめった。 |