神の仔よ、忘れるでない。
 そなたは選ばれた我らが同胞
 そなたは愛すべき我らがこども
 しかしそなたは神には非ず。



-Bolero-



 デスマウンテンが異様な黒煙を撒き散らし、頻繁に熔岩を放出している。ハイラル城下町、時の神殿からでもはっきりと見えるその光景はリンクの心を重くさせた。
 コキリの森もそうだったが、そこだけじゃなかった。今乗っている愛馬エポナ――子供の頃仲良くしていたのを覚えていてくれた――を手に入れたロンロン牧場ですらおかしくなっていた。
 かつて牧場主だったタロンはカカリコ村へ落ち延び、新たに支配をしていた元使用人のインゴーははっきりとエポナをガノンドロフに献上しようとしていたと言ったのだ。ガノンドロフの支配はもうそこまで、隅々まで行き渡ってしまっているのだ。
 たぶん、この世界でおかしくなっていないところなんてもうどこにもない。
 ナビィと話し合って、取り急ぎ次の目的地は今一番目立った異変を起こしているデスマウンテンに決めてあった。シークは六人の賢者を目覚めさせろと言っていたのだから本来は次の神殿を探すべきなのだろうが、それよりもリンクは兄弟の誓いをたてたダルニアのことが気がかりだったのだ。
「頼むぞエポナ。恐らくあまり時間はない」
 リンクの言葉に、エポナは力強くいななきをあげた。



◇◆◇◆◇



 ゴロンシティはもぬけの空だった。
 ゴロン族の人々は一人も見当たらない。だが、二階あたりから何やら不自然に大きな物音が聞こえている。何事か、と思い降りてみるとそれは体を丸めて転がり続けるゴロンの子供だった。
「おーい」
 両手を口元に当てて、その子供に向けて呼びかける。だが向こうに気付くそぶりはない。
「声ちっちゃかったかなあ……おーい!!」
「ダメネー。ぜんっぜん聞こえてないみたいヨー」
「えー、これ以上はそろそろ喉に悪いぞ……しょうがないな、おーい、そこの君!!!!!」
 リンクはあらんかぎりの大声で叫んだ。しかし尚、その子供はこちらに気付く気配もない。ただ物凄いスピードで廊下を転がり回っている。
 ぷち、と小さな音がしてリンクの顔が笑顔になった。とはいっても笑っているのとは違う。それは例えるならば般若のごとき笑み、つまり身の毛もよだつような――
「り、リンク……?」
「うん。俺は悪くないよなナビィ。向こうが悪い」
 リンクは表情を崩さずに爆弾を取り出し、構え――
「す、stopリィンク! 何するつもりなの?!」

 そして子供に向かって投げた。

 どかあん、と派手な音がして子供は転がるのを止めた。しかしその代わりに何事かわめきはじめた。
「よっしゃ。成功成功」
「よっしゃじゃないわヨ!! あんなことするから!」
「いいんだよ散々警告はしたから。……ん?」
 湯気を出して怒鳴るナビィを適当にあしらっていたリンクだが、不意にゴロンの子供がこちらへ向かって突進してきたのに気が付いた。慌てて地を蹴り、避ける。
「よ、よけられたゴロ……?! でもオラ負けねえゴロ! ガノンの手下になんか負けねえゴロ! オラは勇者の名を戴くゴロン、リンクゴロよ!!」
「あのー……"俺が"その勇者リンクなんだけど……」
 リンクがそう念を押すように言って、あと俺はガノンの手下じゃないぞと付け加えると子供は急にばっちりと目を見開いて、お前が父ちゃんのキョーダイゴロか! と大声で叫んだ。



◇◆◇◆◇



 デスマウンテン火口の奥にある炎の神殿。ゴロンの子供、リンク君によるとこの神殿内にゴロン族の人々は見せしめとして捕らえられているらしい。ダルニアを心配してやってきた先が丁度ぴったり本来の目的地であった次なる神殿だったというわけだ。出来すぎているような気もしたが、こだわっている余裕はない。
 壊れた橋をフックショットで急ぎ足に進んでいくと突然見慣れた人物が上から降りてきた。
「……シーク。次の場所知ってたんなら教えてくれよ」
「僕が言わずとも君はここに辿り着いた。それにヒントなら先に言ったはずだぞ、時の神殿でな」
「ああ……そういやそうだったな……」
 確か、屍の舘だとか、砂漠の女神がどうとか。初めて会った時に確かに彼はそう言っていた。やたらまわりくどい比喩だったが。
「で、ここに来たってことはまたワープの歌か?」
「わかってきたみたいだな。今回は炎の神殿へのメロディ……炎のボレロだ」
 両者無言で楽器を取り出し、厳かなそのメロディを奏でる。奥に見えるトライフォースを冠した台座が白くぱあっと輝いて火口を瞬間美しく照らした。
「では僕はこれで消えるとしよう。幸運を祈るよ」
「待て、シーク」
「……何かな」
 すぐに消えようとしたシークの腕をひいて、引き止める。シークの腕は意外な程華奢だった。
「あんたは何者だ? 何故行く先々で俺の前に現れる。何故俺を助ける。何故だ?」
「そう何故ばかり連呼されてもだなあ、僕も回答に困る」
 シークはリンクの腕を振り払うと硝子みたいな紅い瞳ですっとリンクを見据えた。リンクはたじ、と半歩後ろに下がりかけて立ち止まり、見つめられていることに気が付いて何故かどぎまぎしてしまった。
「僕が何者か、という問いには前にも答えただろう。僕はシーカー族のシーク。それ以外の何者でもない。……そして君を助けるのは光の賢者ラウルに時の勇者の導きを託されたからだ。これで不満か? まだ説明が必要か?」
 シークの言葉にリンクは押し黙ってしまった。彼の説明は理路整然としていて、ぱっと見矛盾も存在しない。だが何かが欠けている気がするのだ。何か、違和感をリンクはシークという存在から感じている。
 ならばこの違和感はどこから来るものなのか。
 シークへの拭いきれない不信感というものは確かにまだある。けれどそれは大して問題にならないぐらいに小さくなっているし、引っかかっているのは多分もっと根元的な何かだ。けれどそれが何なのかは今のリンクにはわからない。
「いや……もういい。悪い、引き止めて」
「僕ではなく賢者達やハイラルの民にそれは言うべきだろう。――とにかく。一刻も早く炎の賢者を目覚めさせることだ」
 そう言うとシークはリンクの脇をすっと抜けていった。擦れ違うときに、かすかに花のにおいがしたような、そんな気がした。



◇◆◇◆◇



「も、もしかして、逃げてもいいゴロ?」
「はい。あなたでこの神殿に捕らわれていたゴロン族の人は最後です。俺は今からダルニアの兄貴のところに行きますから、早く逃げてください」
「恩に着るぜあんちゃん! 兄貴のこと、宜しく頼む!」
 足早に走り去っていくゴロンを見送ってから、リンクはふう、と息を吐き額の汗を拭った。ここ、炎の神殿は煮えたぎる灼熱のマグマを至るところに湛える極暑の神殿だ。森の神殿の鬱蒼とした静けさも不気味だったが、ここは直接的な熱さが肌に堪える。
「炎竜ヴァルバジア……俺が本当にコキリ族だったら絶対に戦えない相手だな……」
「コキリ族は森の妖精だもんネー。火は天敵よネ」
「まあハイリア人だから大丈夫なんだけどな。……頼む、無事でいてくれよ兄貴……!!」
 手にかつてヴァルバジアを討つ時に使われたというメガトンハンマーを携え、リンクはダルニアが向かった部屋へと駆けていった。



 部屋の真ん中には巨大な岩石が浮いていて、そこら中がマグマで満たされていた。その岩石にも噴出口というか穴がいくつも空いていて、あまり長期戦には向かなそうだ。リンクは熱さに歪みかけている視界をぐるぐると見渡して探したが、ダルニアの姿は見つからなかった。
「兄貴が……いない……」
 リンクを信じてダルニアはこの部屋に炎竜を留まらせてくれた。けれどリンクは遅かったのだ。間に合わなかったのだ。
「畜生ッ……!!」
「り、リンク……リンクは悪くないヨ……?」
「俺自身の不甲斐なさを俺が許せないんだよ!」
 叫ぶと、リンクはそのままハンマーを振りかぶってヴァルバジアの顔面へと突進していった。そのあまりの気迫に、ナビィはたじ、と後退りする。
(リンク……すごい顔……)
 自分への怒りで我を忘れかけているリンクだが、それでも手元には寸分の狂いもなかった。鈍重なハンマーを一度たりとも外さずに相手の急所に当て続け、相手の攻撃は鈍器を持っているとは思えないスピードでかわしている。
 その様子を見守る中、ナビィはひとつの異変に気付いた。
(左手がすごく光ってる……あれじゃトライフォースに呑まれちゃうヨ?!)
 その瞬間、ナビィはあらんかぎりに叫んでいた。
「Listenリンク!! もっと冷静に戦って!!!!」
 その声に、一瞬リンクの動きが鈍くなった。炎竜はすかさず炎を吐いたが、リンクはそれを鮮やかなバック宙でかわした。その流れのままに渾身の一撃を脳天に叩き込む。炎竜は成す術なく息途絶えた。

 リンクは荒く肩で息をしつつ、呼吸を整えようと試みた。そしてナビィに振り返る。
「……サンキュー、ナビィ……俺、やばかづた?」
「やばいなんてもんじゃないわヨ! リンクあのままだったらトライフォースに呑まれてた!」
「う゛っ……そうか……ごめんナビィ」
「謝んなくていいわヨ……それがナビィの役目だから……」
 ナビィは弱々しい動きで小刻みに羽を震わせる。リンクはそっと彼女を手に取ると胸の前に持っていった。
「ごめんな、俺のせいで怖い目にあわせて」
 そうやって、リンクは精一杯彼女に礼を尽くしたつもりだったのだが――
「もうっリンクはすぐそーやって誰にでも優しくするんだから! ゼルダ姫に悪いでしょ?!」
 何故か怒られた。



「ありがとよ兄弟、これでまた元通りにゴロン族は暮らしていける」
「兄貴……すまない、間に合わなくて……」
「いや、お前さんは間に合ったさ。俺は炎の賢者になってここにいるだろう? ハハ、俺が賢者とは笑っちまうなあ兄弟」
「そんな、兄貴は俺の尊敬する相手なんだからさ……」
 何処か翳りを帯びた、後悔を隠しきれていない顔でリンクはそう言った。ダルニアはそんな彼に優しく告げる。大事なことを。忘れちゃあいけないことを。
 兄弟として。
「そんなことはどうだっていいんだ。俺が心配なのはな兄弟、お前さんのその力のことだ」
「トライフォースの?」
 リンクが尋ねると、ダルニアは力強く頷いた。

「そうだ。――いいか兄弟、力に呑まれるな。怒りに我を忘れるな。絶望に身を任せるな。俺と誓え」

 ダルニアは強い語調でそう言った。それは真にリンクを思う故だ。彼の身を案じる故だ。ダルニアは見ていた。リンクが怒りに呑まれそうになったことを。彼は知っている。大きすぎる力を持つことがいかに危険かを。
「強さってのは力どーこーじゃねえ。魂だ。魂が全てだ。だからお前さんのその綺麗な魂、絶対に誰にも渡すんじゃねえぞ。お前さんはお前さんだけのものだ」
 リンクははっとして左甲を見て、そしてダルニアへ瞳を向け、頷いた。良い瞳だ。先へ向かう、強い意志のある瞳。
「誓うよ、兄貴」
「ああ。ハイラルを、姫さんを頼むぞ」
 「勿論」、とリンクが笑うと蒼い空間は消え去って、また元の、一面赤の火口へと戻ってきていた。



◇◆◇◆◇



「ナビィ。あいつ……なんなんだろうな」
「アイツ?」
 ナビィはさっぱり釣れていない釣り桶を一瞥してリンクの右肩に止まった。
「誰のことヨ?」
「……シークだよ。シーク」
「まあたあの人のコトなの?!」
 ナビィが上げた声にぎょっとして、リンクは竿を一瞬手放しかけた。その隙に逃げる魚。
「あ゛ーっ!! 今のは大物っぽかったのに!!」
「ウソッ?! ゴメン!!」
 ナビィは慌てて謝ったが、リンクは「止めだ止めだ! 寝る!」と宣言して既に芝に寝転がっていた。ナビィはなんたる意志の弱さかと唖然としたが、そもそもが息抜きの遊びなので続行を強いる必要はない。ので、先程の話題に戻ることに決め込む。
「――で、リンク。なんでそんなにあの人のコト気にしてるのヨ?」
「なんでって聞かれると困るけど……言いづらいけどさ。花のにおいがしたんだ」
「花……?」
 花のにおい。花みたいな女の子のにおい。
 大好きな、あの人のにおい。
「大丈夫リンク? シークって男でしょ?」
「そーゆー話はしてない」
 リンクはぎゅうううううとナビィを絞めるとぱっと放す。当然のようにナビィは地に衝突した。
 文句を言おうと思ってリンクの顔を見ると、思いがけずその顔は紅く染まっていた。
「Heyリンク……? まさか本気で……」
「違う! そうじゃない! ただ……あいつ……本当は女なんじゃないかと思って」
「女の子ぉ?!」
 花のにおいがする、とかつてリンクが幼心に思ったのは何もゼルダだけじゃあない。例えば、ゼルダはエーデルワイスの。サリアはシロツメクサの。マロンはヒマワリの。
 彼にとって花みたいなひとはゼルダただ一人だが、花のにおいは女の子のものだという認識があった。
「あの人女にはナビィ見えないヨ? たしかに細いけどネ。筋肉あるもの」
「インパさんだってムキムキだったぞ」
「でもシーク胸なかったヨ」
「うーん……」
 気のせいじゃないのー、というナビィの言葉に暫し唸って、そしてぱたっとリンクは考えるのを止めた。シークから花のにおいがしたのは覚えている……けれど。それがどんな花なのか、まったく思い出すことが出来なかった。