06
ベクターがいなくなった。
いなくなったって言っても、猫がある日ふらりと姿を現さなくなるように突然消えたわけじゃなくて、ちゃんと姉ちゃんには説明して許可を通して貰っていたらしい。だから姉ちゃんにとってはいなくなったではなくしばらく出掛けてしまった、という認識らしかった。
だけど、それでも俺にとって寝耳に水なのは変わらない。
「零くん、あんたに知らせてなかったの。そうは思わなかったわ。でも、ちゃんと明日には帰って来るって。あの子はしっかりしてるわねえ」
デスクに向かって仕事をしながら姉ちゃんが言う。 ベクターは俺のところに来てから一度も悪さ、といえることはしていなくて、大抵のことを素直にはいと言って受けていたから、姉ちゃんの覚えは相当いいみたいだ。説明されてる境遇が、特に辛い話になってるのもあると思う。あんなことがあったのにぐれたりしないですごいわね。一度姉ちゃんがぽつりと俺にそれを漏らした時、流石に口には出なかったけど「実は滅茶苦茶ぐれてたんだ……」というようなことを思わずにはいられなかった。
「そういえば、昨日私とお婆ちゃんに話があるって来た時、出掛けることと別にもう一つ言われたわ。遊馬、あの子がお父さん達から預かってた手紙の中身、知ってた?」
「うん。養子にする用意がある……ってやつだろ」
「そう、それね。はっきり断られちゃったわ。気持ちはとても嬉しいし、こんなに良くしてくれてるのに申し訳ないけど……って」
姉ちゃんがディスプレイから目を離して、俺の方を見る。別に珍しくもないはずの俺の顔をまじまじと見てそれから首を傾げると、一言
「なんか、あの子、遊馬とは対等でいたいんですって」
そう言った。
「戸籍の上で兄弟になったら、やっぱりちょっと、対等な友達とは違ってきちゃうかもね。別に生活は今とそんなに変わることはないと思うけど……名前が九十九になるの、ちょっとむずがゆいのかなぁ。遊馬も『真月』って呼んでるし」
「言われてみれば、俺『零』って呼んだことないや」
「ま、名前の呼び方が仲の良さってわけじゃないんだから、あんたが好きなように呼べばいいとは思うけど……一回下の名前で呼んであげてみたら? もしかしたら喜ぶかもしれないし。それにね……」
「何?」
「零君に言われたのよ。『苗字を揃えるだけが、家族になる方法だとは思わない』って」
うんうんと何度も頷いている。「最近女性のライフワークとか、事実婚とかそういうのの特集組んでたからちょっと感動しちゃったなぁ……」とか呟いて、キーボードの上に手を走らせる。「家族」。そんな言葉があいつの口から出てきていたなんて俺はちっとも思っていなくてそれがすごい意外だ。
それってつまり、ベクターは俺達と家族になりたいって思ってくれたってことなんだろうか。上も下もない「家族のような親しさ」。親友より少しだけ踏み込んだライン。
ベクターは俺のことを時々俺以上によく知っていて、俺もベクターのことは多分結構知っている。俺達は何度もカードを交えた。ディスクを付けて向かい合ってデュエルをした。泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだり、ベクターのいろんな顔を知っている。ベクターも、俺のいろんな顔を知っている。
「確かにそうだわ。あの子はもう、そういう意味ではとっくに家族なのかも」
「……うん!」
「良かったね、嬉しそうじゃん」
じゃあ、時間もそろそろだし、遅れないように学校に行きなさい。姉ちゃんが俺をそう言って送り出した。家を飛び出して学校へ向かう道すがら、鉄男に会って学校まで競争。早くこの道を真月と……ベクターと一緒に歩きたい。
部屋に吊り下げられたままの俺のものではない制服のことを考えながら走っていたからだろうか。俺は学校に着く時刻であっさり鉄男に負けて、その上璃緒に捕まり、笛を吹いて遅刻を宣言されてしまった。
学校に復帰した璃緒は、風紀委員に入った。シャークが不良然としてしょっちゅう授業をサボったり校則を破るものだから何とかしないといけないと思ったらしい。璃緒は知り合いには特に厳しくなるので、俺はここ最近遅刻判定されることがめっきり多くなってしまった。
シャークは、そんな璃緒から罰則を喰らうのを避けようとしたり、渋々諦めて真面目に授業を受けたり、相談に乗ったり……そんな感じでそれなりに忙しいんだって言って特に委員会とかクラブとかは始めるつもりはないらしい。ただなんか、ここ数日俺を見るとそわそわしている気がする。俺、なんかしたっけか。全然記憶になくてちょっと困る。
ギラグはシャークと同じクラスに転入して、意外と親しみやすい人柄に意外とすぐクラスに馴染んだ……ってシャークと璃緒が言っていた。ギラグは優しい奴だから、そうだろうな。最近飼育委員に入るか悩んでるってアリトから聞いた。
ドルベとミザエルは二人で三年生の同じクラスに入った。ミザエルが謎の黄色い声に囲まれて、ファンクラブを作られてるっていう噂を聞いて一度小鳥と見に行ったんだけどすごかった。青いスカートをはいた女子生徒に群がられて、どうしたらいいのかわからなくなっているらしいミザエルの姿が頭のてっぺんの方しか見えなくなっている。「あんな顔してるけどね、後でドルベも大変になると思うのよね……」って小鳥が不気味なことを言っていた。なんかよくわかんないけど、女子って難しい。
ドルベはよく図書室で本を読んでいて、たまに図書室に行くと挨拶をして本を勧めてくれる。今ドルベが好きなんだっていうファンタジーを読んでるけど、騎士王と馬に乗った英雄の冒険譚だった。
アリトは俺のクラスに転入してきた。席が近いからよく喋るし、頼むと嬉しそうに最近の生活について話してくれる。シャークはやっぱりピーマンとタマネギが嫌いらしくて、「多分前世で因縁があったんだよ」とか適当なことを言う。体育の時間は俺とアリトの独壇場だ。でも、しょっちゅう怪我をするからそのたびに小鳥に怒られる。
V……ミハエルも転入してきたけど高等部だからあんまり頻繁には会えない。俺はミハエルが三つも年上だったことにびっくりしたけど、「友達に年齢は関係ないだろう?」って言ってくれたのがすごく嬉しかった。中学の方に人が固まってるから、休み時間に暇見つけると向こうから会いに来てくれる。この前、Wの試合のチケットをくれた。今度また、この街で試合をするんだって。
もう一人は、まだ、制服がうちにあるだけで学校には来てない。それどころか、今どこにいるのかもわからない。本当に明日帰ってくるんだろうか。帰ってきてくれると信じているけど、でも不安だ。
ベクターの――真月零の転入手続きは、実はもう終わっている。ベクターが踏ん切りを付けて「真月零をころさない」と決めた日、あの後俺達は二人でカイトのとこに行ったんだけどその時にカイトがそこまで処理を進めてくれたんだ。
カイトは真月零としての戸籍を選ぶとベクターが言った時に繰り返し、「一度手続きをとったら以後お前は死ぬまで『真月零』としてこの世界の記録に残り続ける」というようなことを警告した。真月零としての経歴がついて回り、その名前と存在からは逃れられなくなる。どこまでも。
「ある意味偽りの仮面を付け続けるということだぞ。本当にそれでいいのか」
カイトの口調はベクターを慮るふうだった。しかしベクターは両手を腰に当てて不遜に笑うと、「いいんだよ。あれも俺なんだから」とひらひら手を振って、カイトに手続きを取らせた。
「真月零として戸籍を得た瞬間俺が『ベクター』じゃなくなるわけでもねえだろ。名前は名付けられたものを縛り得るが、裏返せば、そんなもんはただの記号でしかない。なぁ?」
ベクターは笑っていた。俺にとってその言葉は嬉しいものでもあったけれど……どうしてだろう。その「乗り越えた」って顔がちくちくと俺の胸を苛んだ。
◇◆◇◆◇
「ちょっと、どうして遊馬一人を捜すためにこんなに大所帯になっているんですの。こんなにぞろぞろぞろろ固まって歩くよりも手分けした方が良いんじゃなくって」
「すまん璃緒……諦めてくれ。こういうのはやっぱり、全員で迎えに行ってやることに意義があるんじゃないかとだな……」
数えて十人(オービタルを一人と数えるのであれば、十一人にすらなる)の大人数で夕暮れの街を歩き回っている。目的は遊馬の捜索。とうとう「準備」が整ったので、遊馬を迎えに行こうと九十九家を訪れたのだが、遊馬は家にいなかったのでこうして練り歩くはめになった。聞くところによると小鳥と二人でどこかへ出かけたらしい。璃緒は曰くありげに「あら」なんて言っていたが、それは本当に「単に出かけただけ」なんだろうなということを凌牙とカイトは朧気に思った。
「しかしまあこの短期間でそんな無茶苦茶な理論を完成させるとはな」
「ミザエルの尽力あってこそだな。融通を利かせて貰ったことについては感謝している」
「何がどう役に立ったのかは俺にはさっぱり想像も付かんが。お前とアークライトのところがやることにはいつも驚かされる……」
「アージェント・カオス・フォースなら俺も開発に携わっているぞ。人間というものは案外、出来ることは多いものだ……で、見つかりそうかミザエル」
「無茶を言うな。私の勘は銀河眼にしか働かんのだ」
「つまりカイトにしか効果がないってことか……」
アリトがおでんにかぶりつきながらこぼすと、行儀が悪いと璃緒に怒られた。
遊馬の方は小鳥を連れて一日中街を転々としていたらしく、どこにいるのかその場所が判然としないのだ。あちこちで目撃情報は手に入るが、しかし彼らを見たという場所へ向かうと既にそこには姿がない。
そんな調子で昼過ぎからずっと遊馬と小鳥の足跡を追って移動しっぱなしだ。途中でアリトの発案でコンビニに寄ってなんとか小腹をなだめたりしている。
「まったく……後は遊馬だけだというのに主役が行方不明では始まらん。奴は一体どこをほっつき歩いているんだ」
「ひとところにじっとしていられる気分ではないのだろう。彼はアストラルと別れたことを相当に引き摺っているようだから」
「それに一ヶ所にじっとしてろっての、ぶっちゃけ拷問じゃん。動けるんなら動くだろー」
「貴様と一緒にしてやるな……と言いたいところだが遊馬だからな……」
ミザエルがアリトに溜め息を吐きながらぼやくと、ミハエルも頷いた。
「遊馬はじっとしてるの苦手だからね。悩んでる時も、部屋に籠もるタイプじゃないだろうし。兄様とは正反対だね」
「うるせえ俺は繊細なんだよ」
「あら。それは、いいことを聞きましたわ」
「璃緒と会った後なんか兄様、仕事以外では一週間部屋に籠もりきりで」
「こらミハエル、止しなさい。トーマスが泣きそうだ」
真っ赤な顔でぷるぷると震えているトーマスを見かねてクリスが割って入る。璃緒が含みのある笑顔を向けるとトーマスは恥じるように顔を逸らした。凌牙が渋い顔をしている。しかし口出しは出来ないらしい。
「それにしても、小鳥が一緒ってことは遊馬は随分小鳥を信頼してるんだな。一人で悩みたいとか、あんまり人に知られたくないとかあると思うんだけど……小鳥には、いいってことなのか」
「まあそういうことなんだろうな。逆にだからこそ言えないこともあるだろうが……」
「カイト、そういえば」
口元に手を当てて呟くカイトの隣に思い出したようにミザエルが寄ってきて、肩を叩く。ここ数日はカイトが新しく買ってやった私服を大人しく着ていたミザエルも今日ばかりはあの派手な服に装いを戻していた。本人曰く勝負服らしい。そう言われると、カイトにもコートを着て意識を切り替えるような節があるのでなんとなく断りづらい。
ミザエルはカイトのごく近くまで寄ると唇に手を添え、ひそひそ声で耳打ちをした。
「ベクターは、あいつはあの後見つかったのか」
「いいや。ふらっと消えたと思ったら、それきり。識別タグを埋め込むのは慈悲でやめておいたからな。追跡はしていない」
「……遊馬のためか」
「ああ。遊馬はそれを望まない」
実験に飛び込んできたベクターは、あの後、実験を成功させるだけこなすと本当に何もせずにあの場からいなくなった。何かが奪われていたり破損していたりだとか、重大な機密を持ち出されていたなんてこともなく、起きていた変化といえば「真月零が住んでいることになっていた家」が解約されていたぐらいだった。バリアンの力で相手を誤魔化したり洗脳したりが出来なくなっていたから、事務処理はスーパーコンピュータが置いてあるここで済ませたかったのだろう。
ベクターが指摘した通り、あの実験は本来は二名を媒介に使った方がより良い。そのためだけにわざわざ、あんな狙いすましたタイミングで割って入ってきたのか? と少し思うところがないわけでもなかったが、カイトには「あの男ならやる」という確信があって、それを話すとミザエルもそうだな、と小さく頷いた。
ところでベクターが何故かやたらと詳細に事態を把握していた件についてだが、後からバイロン・アークライトに訊いたところ、情報をある程度横流ししていたのは事実だったらしく彼は素直に「うん。話したよ」と認めた。
「でも全容は教えてない。分かりやすいように噛み砕いてはあげたけど……専門用語使ってはぐらかそうとしたら、わからないって怒られちゃってね……ちょっと色を付けた考察材料だけだ。つまり彼は自力であの結論に辿り着いて、そして遊馬のためにこうすることを選択したんだろうねえ。だってそうじゃなきゃ、あそこまでやる? 僕はね、取り引きをしていた頃の彼を知っているけれど……本当に、自分に利益がなければ融通なんか利かせてくれないような冷静で冷徹なタイプだ。自分に安全マージンを確保しない行動なんか取りたがらない。遊馬が何をしたのか、僕は噂で聞いただけだけれどあの子は本当にとんでもないよ……」
「つまりベクターが遊馬のために時間と労力を割いてあまつさえ肉体を提供したのだと?」
「そう。恩返しのつもりなのかな。絶対に認めないだろうけどね。この世界の真理に独力で近付いたっていうのは、それだけ強く彼もまた遊馬のことを思っていたということさ。ひょっとすると……方向性さえ違えど、アストラルに匹敵するぐらいに……」
なーんて、ただの根拠もない仮説だけど。バイロンはまったく笑っていない目でそれをカイトに教えるとじゃあねと手を振って去ってしまったが、カイトはしばらくその場から動く気にはなれなかった。
「おいカイト。ここにももういねえとよ。外れの河原の方に歩いてったとかなんとか……聞いてんのか?」
「あ、ああ、すまん。大丈夫だ。河原か……もう四時だ。これが最後の目撃証言になることを祈ろう。オービタル」
『ハイッ、カイト様!』
「上空から確認してこい。くれぐれも、見つからないように」
『カシコマリ!』
オービタル7を先んじて偵察に送り出し、また一同でぞろぞろと河原に向かう。ハートランドシティを横切るように流れる川沿いの道は遊馬の通学路にあたり、そういえばあの河原で結構色んなことがあったはずだ。思い入れの深い場所だろう。そこにいる時、遊馬を取り囲む人々は様々だったけれど、ただ一人だけはいつもそばにいてくれたはずだ。
アストラルは。よく、夕暮れ時の河原で遊馬と夢を語っていた。
◇◆◇◆◇
小鳥と二人で河原に来ていた。世界は書き換わって、皆元気で、仲良くやってて。俺は学校に行って馬鹿やったり怒られたり。何も変わっていないんだ。そのはずだった。そう。全て――全ていつも通りの……
俺は下を向いて、ぼんやりととりとめのないことを考えている。隣で小鳥が心配そうな顔をして俺を見ているのに、気付いていたけれどだけどどうしようもなかった。
書き換わった世界は、俺の思い上がりじゃなきゃきっとアストラルが俺のために作ったものなんだろう。ここには俺がなくなって欲しくなかったものの全てがあって、それぞれの間に少しはわだかまりがありつつも皆で手を取って前に進んで行けるようなそういうにおいがある。シャークとWが仲直りして、今度どっか出かけようって話をするようになったり、カイトがミザエルの面倒を見る傍らでそれにXが手伝いをしてやってたり。あの、三世界の存亡を賭けた戦いでデュエルをもって「殺し合った」ことを彼らはきっと忘れはしないだろうけれど(それは戒めだからだ)、それに縛られたりしないで、前を向いている。
復讐は何も生まないし、デュエルを復讐の道具に使ったりなんかしちゃダメだってことを俺はこの一年で何度か考えたと思う。だからあの時実質的に七皇に「ころされていた」人達がそれに復讐をしようなんてちっとも思わないでくれたことが俺にとっては救いだったし、復讐の一番大きな原因になる「誰かの大切な人の死」が起こらないように世界を作り直したのが、たぶんアストラルから俺への最後のプレゼントだったのだ。
本当はきっと、誰かが死んだことを無かったことにしていいはずはないんだと思う。だってそれって、一体俺達は何のためにあそこまで必死になっていたんだろうって、その根本を否定しかねないから。
アストラルがあえてそのタブーを犯したのは俺を守るためで、それでも最低限、「起こったことは起こったこととして」受け入れられるギリギリのラインで収めようとした。
その代償でアストラルはもうここにはいない。
首からぶら下げたままの、皇の鍵のストラップを手に取る。思い返してみれば本当に短いあっという間の時間でしかなかったけれど確かにアストラルはこの中にいて俺達はずっと一緒だった。そのままずっとが永遠になるまで変わらないんだと盲信していた。だけど終わりはやってくる。もうやってきてしまった。当たり前が当たり前じゃなくなって、いつも通りが俺が知っているのと違う形に書き換わっていく。
まるでアストラルが俺の元へやって来た時のように。
夕陽が赤い。何度も見た景色は、けれど相棒が一人欠けているだけでまったく見慣れないもののように映る。
そんな時だった。
「……! これは……」
それまでうんともすんとも言わなかった皇の鍵が急に光って、眩しく明滅する。思わず鍵を握り込んだ。この光は、アストラルの身に何か異変があった時、それを俺に知らせてくれたものと同じ。
「まさか……!」
「――遊馬!」
それを見計らったかのように背後から聞き覚えのある声が俺の名前を呼んで、俺と小鳥は反射的に立ち上がって振り返る。土手の上に、ものすごい大勢知ってる奴らが立っていてまず俺はそれに度肝を抜かれてしまった。ええと……つまり、何がどうしてこうなってるんだ?
「シャーク! カイト! みんな!!」
みんな、ってのに嘘偽りはなくて本当に「みんな」そこにいた。シャーク達七皇の面々に、カイト、オービタル、そしてV達の三兄弟にトロン。ずらりと並び立っていて、もう壮観って言っても差し支えない感じだ。
最近は割と制服を着ていたように思う面々も今日はあの懐かしい私服を着ていたりなんかして、ものすごく気合いが入っているってことが伝わってくる。
「いつまでしょぼくれていやがる。さあ、行くぞ!」
「アストラル世界に、新たな危機が迫っている」
「……なんだって?! アストラルが?!」
「『アストラル世界に』、だ。しかしまあ、あの地の守護者として機能する以上アストラルも無縁ではないだろう。どうするんだ、遊馬。ここで座っているか。それとも……」
「ああ、行くさ。行くに決まってるだろ。こうやってみんなが来たってことは、きっと準備は出来てるってそういうことなんだろ?」
「話が早い。……アストラル界へ向かうためのゲートは既に開かれている。場所はハートランド・シティの上空――あそこだ」
カイトが指さした方を見上げると、確かに一箇所、不思議な穴が空いているのが見えた。そっちの方へ皇の鍵が引き摺られているような感覚もある。
色々聞くべきことはあるような気がしたけれど確認するのももどかしくて、小鳥の手を掴むと引っ張るようにして空に空いた穴の方へ向けて駆け出す。遠くなっていく河原の方から、シャークの「おい待て遊馬、お前どうやって行くつもりなんだ」っていう声が途切れ途切れに俺の耳に届いていたけど全然気にしてなかった。
行こうと思えば今の俺達はどこへでも行ける。そういう予兆がある。
「手ぇ離さないで、しっかり掴まってろよ!」
「ちょ、ちょっと、遊馬!!」
思い切り強く地面を蹴り上げると、そのまま俺と小鳥は宙に浮かび上がって鳥みたいに飛び始めた。小鳥が全然わかんないって感じの困惑の声を上げる。俺自身何で飛べるのかよくわかってない。だけど今なら飛べる。急におっこちたりもしない。行きたい所へ、俺達は行けるから。
回りを見ると、俺以外も全員普通に空を飛んでいて、なんかこれって見つかったらまずいんじゃないかなってちょっとだけ思う。だって生身の人間が空飛んでるって、うん、ぶっとんでるよな。それともアストラルが書き換えた世界ではみんな空を飛べるとか。いや、それはないか。カイトが一人だけオービタルの力で飛行しているのを見つけてそう思った。
そういえば。ベクターの姿だけそこにはなかった。やることをやると言ってどこかへ出かけてしまったベクターが、七皇全員で揃って俺を迎えに来てもそれは変な感じだけどまったく姿が見えないのも心配になる。あいつ、一人で行動してるからアストラル世界がやばいこととか知らないんだろうか。俺にはどうしてもそうとは思えなかった。ベクターは貪欲だ。それは知識とか情報にかけては特にそうだったと思う。真月の頃、人間の慣習で知らないことがると俺に丁寧に説明するようよく求めてきていた。
「ジャンジャジャーン! よかれと思って俺様も手を貸してやるぜ。どーせ真月がいないと遊馬くん、困っちゃうんでしょう?」
「あっ、お前!」
とかなんとか悶々としてたらごく普通に俺の隣に現れた。ベクターもやっぱり空を飛んでいる。どこほっつき歩いてたんだよ、という不満よりも先にやっぱり来てくれた、帰って来てくれたんだっていう安心感が出てきて俺はほっと胸を撫で下ろす。シャークや璃緒達がいるこの場に自分から姿を見せたっていうのも安心の一つの要因だった。踏ん切り付けた、学校へ行くって言ってたあいつの言葉は本当だったんだ。
「あらベクター。今度は大人しくしていてくださいね?」
璃緒の刺すような、だけどちょっとからかってるふうでもある声。それにベクターは「さあね。だがお前達と暴れるのも悪くはない」なんて素っ気なく返す。後ろの方でシャークがちょっと変な顔をしているみたいだったけれど、ベクターはどこ吹く風で「なあ? 遊馬くん?」って俺にアイコンタクトを図ってきて、俺はワクワクしてきてしまう。
「よっしゃあ! これで全員揃ったぜ!」
俺と手を握ったままの小鳥がそんな遣り取りを聞いてか、くすり、と笑って「遊馬」って俺を呼んだ。はにかんで、顔がちょっと赤い気がする。どうしたんだろう? テンション上げすぎちゃったのか?
「ん?」
「私も遊馬のその笑顔、大好き!」
「え? ……えっ、ええ?!」
って思ったら突然そんなことを言う。え? 今小鳥は何て言ったんだ? もしかしてっていう気持ちといやそんなまさかっていう気持ちがせめぎ合って、今度は俺の顔が真っ赤になる番だった。ちょっと赤いとかそういう次元じゃない。もう茹でた蟹みたいな感じで、湯気が立ってしまいそうだ。
「さあ、取り戻しに行くんでしょ? ……一番大事なものを」
「……おう!」
穴の向こう、アストラル世界の方からもきっとあいつが来ている。繋いだ手をもっと強く握り締めて俺達は二つの世界を繋ぐ穴の中へと飛び込んでいった。今度はみんなで、もっと楽しいデュエルが出来るように。大切なもののために俺達は飛び出していく。
「――かっとビングだ、俺!!」
/Hello, RE;Birth World
「Hello, RE;Birth World」-Copyright(c) 倉田翠