貴女の為ならば厭わない。
 この身を引き裂くことも。
 この身を差し出すことも。
 この心を打ち砕くことも。
 この涙を枯らすことさえ。
 貴女の為ならば何ひとつ。
 躊躇う事は有りはしない。



それぞれの思惑



 雨が降っている。
 屍の山が群を成し、血に汚れた大地に雨が降っている。
 浄化しようにもそう簡単には事が運ばない、冗談みたいな量の鮮血と白骨の残骸。
 その中心に少年が立っている。
「……ね、ダーク、起きてる?」
 気だるげに少年は見通しの悪い曇天に向かって語りかけた。程なくして、少年の影――こうまで悪天候であっても、暗闇でなければ影は出来るものだ――から一人が姿形を持って踊り出た。もうすっかり馴染んだ、意思と実体を持った彼の影だ。
「お前のお陰で眠ろうにも眠れない。やりすぎだ、馬鹿」
「そう」
「姫さんだってこんなことは望んじゃいないだろうに」
「そうだね」
 曖昧に笑って、少年は剣の血を払う。雨に濡れて溶けていた血は割合あっさりと消えた。
 その様子に影は言いたいことを飲み込んで、少年の体に触れる。ずぶ濡れの体はお互いに冷えきって、なんだが凍えてしまいそうだった。
「なあ、帰ろう、リンク」
「……帰る?」
「そう。帰るんだ、姫さんの待っている城に。姫さんの側にいて守る、それは姫から託された最後の願いだろう? いつまでおざなりにする気だ。――リンク、薄々勘づいているだろう」
「……」
「ナビィはもう、見付からない」
 リンクは剣先を強く大地に打ち付けた。せっかく汚れを流したのに、剣はまたどろどろに汚れてしまった。

「ハイラルの果てから果てまで。余すことなく俺達はナビィを探して、探して、でも見付からなかった。ここまで来たらもう無理だと見切りを付けるべきだ」
「……やっぱり、女神様達のいじわるかな?」
「さあ。正確なところはわからない」
 ぼちぼち、雨に侵されて大地がぬかるんできた。空は鈍色のままだ。暗くてじめじめした場所で、湿っぽい会話は続けられる。
「それに。今の心のままじゃナビィから避けられたって不思議じゃない」
「……ま、こんな荒んだ心じゃあねえ……」
「再会出来るのなら、きっとその内ひょっこり会える。――だから一度帰るんだ。姫さんのそばなら、また何かお前自身に変化があるかもしれない」
「それは希望的観測にすぎないよ」
「それでも希望が持てるのだろう。今のままじゃあ希望はただの愚問だ。これではどうしようもない」
 影のごく素直な意見に少年ははあ、と軽く息を吐いて数秒思考した。そしてすぐに、考えを固める。結論は単純だった。
 背に背負った鞘に、剣が適当に泥を払われ収まる。きぃん、と鞘鳴りの音がした。
「……帰るか、ハイラル城に」
 屍の山を掻き分けて移動し、大きな木の元に辿り着く。雨を避けるようにしてそこに止まっていたエポナの手綱に手をかけ、ふと、リンクは振り向く。
「……ずっと、傍にいてくれる?」
「俺が存在する限りに」
 既に少年の影の中へと還っていっていた彼は、静かに少年の意識に答えた。



◇◆◇◆◇



「おかえりなさい」
 それがゼルダ姫の第一声だった。
「そろそろ、待ちくたびれてしまって困っていたのです」
「う……すみません、姫。私用で開けてしまって」
「いえ、あなたは客人で、騎士ではありませんからいけないわけではないのですけど」
 その、わたくしが寂しいのですとゼルダは小さな声で恥ずかしそうに言って、でも嬉しそうにはにかんだ。そういう仕草のひとつひとつが、なんだか以前よりもリンクの愛する姫君に似ていた。
「……お友達は、見つかりましたか?」
「それが、まったく……あまり姫を待たせるのもなんですから、諦めました」
「そう、ですか。わたくしの為に帰られる必要などはなかったのですよ?」
「いいえ、姫をお守りするのは俺の――使命なんです」
 リンクはそう言うと何かを思考する。そして急に態度を改めゼルダにかしずいた。
「え、え? きゅ、急になんでしょうか」
「姫。俺をあなたの騎士にしていただけませんか」
「わたくしの?」
 ゼルダは驚いて慌てふためき、どうしましょう、と困惑する。判断を決めかねているみたいだった。この展開ならば、当然の反応だ。
 リンクはただ、跪いて頭を垂れていた。微動だにせず固まったままだ。
「騎士……ですか……。……お父様にお伺いをたててみます、それからで構いませんか」
「はい」
「あの、顔を上げてください。それから、いつも通りに接してくださいませんか。とてもその、やり辛いのです」
 ゼルダが懇願するとリンクはすっと立ち上がって、ゼルダの真正面に立った。今までに見た彼の立ち姿のどれよりも美しくゼルダの目に映った。
 彼女――もう一人の自分は、こうして彼に惹かれていったのだろう。
 けれどゼルダは理解している。この感情は"彼女"の記憶を起点に起こるもので、決してゼルダ自身のものではないということを。
 確かにゼルダはリンクのことが好きだ。一人の少女として、憧れたこともあった。けれどその気持ちにはすぐに決着がついてしまったのだ。何故なら、彼が「最愛のひと」の話をする時、その時の顔は絶対にゼルダの為には見せてくれない顔だったからである。

 最初で最後に愛した、一番大切なひと。

 ある時彼はその女性のことをそう形容した。その時、ゼルダの初恋は自覚をするよりも早く終わりを告げたのである。
(二人分の感情ですか……調子が狂いますね)
 加えてリンクの、突然の態度だ。あれはもう狂うなんてものじゃない。あまりにも唐突すぎて思考が停止するかと思った。
「その、リンク、どうして急にそんなに改まって……」
「ああ……けじめが必要かな、と思いまして。やはり、いつまでも姫になあなあで接しているわけにもいきませんし」
「わたくしは改まられた方が困ります!」
 ぷう、と頬を膨らませて言うとリンクは何故だか驚いて「そうなんですか?」と目をぱちぱちさせた。
「でも姫、普段から俺の他はそういう態度であなたに接するでしょう?」
「だからこそです! リンクと喋る時が唯一ホッと出来る時でしたのに……」
「それは……うん、すみませんでした……」
 気まずそうに目を細め、手持ち無沙汰に両指を遊ばせるリンクは、なんだか少し、子供っぽかった。



◇◆◇◆◇



「――団長ッ!!」
 ギャラリーから信じられないと言いたげな叫びと、それから好奇のどよめきが起こる。
 ハイラル王国の騎士団長、王国随一の剣の腕で知られる彼は今たった一人の少年に追い詰められていた。
 方や、鎧に身を固め鋭い鋼の剣を携えた大男。方や、緑の布切れにすぎない服に盾、リーチの短い子供サイズの剣を携えた少年。常識的に考えれば後者にはまず勝ち目などないはずなのに、今おしているのは間違いなく少年の方だった。
 圧倒的な剣技。驚くほど軽やかな身のこなし。鮮やかな切り返し、百戦錬磨の猛者を思わせる練達さ――それら全ての実力によって少年は騎士団長を圧倒していたのだ。
 ビッ、と少年の剣がついに騎士団長の喉元を捉えた。別段鋭利なわけではないはずなのだが、妙に鋭く光り、生々しかった。
「……すみません。これでチェックメイトです」
「ああ、実に見事だったよ。――サレンダーだ」
 騎士団長の降参宣言を受けてリンクは剣を引き背の鞘に収める。それを確認してから団長は立ち上がり、握手をした。
「いや、手も足も出なかった。これなら、誰も君がゼルダ姫様の護衛を務めることに異など唱えられないだろう。……その年でそこまでの高みに到達した理由は、聞かない方がいいかね」
「出来れば、そうしていただけると有り難いですね」
「そうか……すまない。少し気になったのだが……いや、流石はあの事件を阻止した少年だ。稽古を願いたいぐらいだね」
 団長の冗談混じりの言葉に、今まで呆然としていたギャラリーが一気に沸き立った。やれ、あのガキが例の、だのあの時玉座詰めだった奴はいないのか、だのと噂が飛び交って騒がしい。
「しかし、君は何故姫様の直属に拘るのかね? いやまあ、我らがハイラルの姫様は清楚可憐だ、わからなくはないが」
 君は確か姫様と同い年だしね、という団長の言葉を聞き流しリンクはおもむろに口を開く。今まで色を映していなかった目が哀し気に、愛おし気に細められた。
「約束をしたんです。何があっても、姫を守ると」
 そう言うリンクの顔は、最早子供のものではなく。深い憂いを帯びた喪った者の顔付きだった。