敢えて問おう。
 君は、誰だい?



wriggle snake



 石畳の廊下を、二人の人物が横切っていく。
 一人は、この国の姫君ゼルダ。
 そしてもう一人、つい先頃彼女付きの護衛騎士となった少年リンクである。
 いまいち不釣り合いな騎士服に身を固めて、彼は彼女の手を取り堂々と歩いている。
「おい……姫様の隣にいるの……」
「多分そうだろうな。噂以上に子供じゃないか、本当にあの"ハイラル最強の剣士"に勝ったのか?」
「見てた奴の話じゃあ一方的にやったって……」
「おいおい、冗談も程々にしとけよ」
「冗談じゃねえって。それに俺、あいつのこと見た気がするんだよ。クーデターの時に……」
「逃げ惑う奴らの中でか?」
「違う違う、そん時俺玉座の護衛係でさ、ガノンが剣振り上げた瞬間どっかから現れて腕を刺してさ……」
「どんな法螺話だよ……」
「嘘じゃねえって! 絶対あいつだったって、それでガノンもろとも城から魔物を魔法で一掃したの!!」
「は? それ姫様がやったんじゃないのか?」
 リンクとゼルダが通る道々で、同じような会話が繰り返され通路は鬱陶しい喧騒で溢れかえる。最初のうちこそ我慢していたゼルダだったが、今は疲れてしまったみたいで辟易していた。
 一方でリンクは何に動じることもなく、すたすたと歩きゼルダを先導している。
「あの、なんだか話題になっているみたいですけれど……」
「気にする必要はありませんよ、姫。どれもみな取るに足らない戯言ですから」
「とは言われても……気になって仕方ないのですが……」
 そわそわしながらも、足は規則的に動き歩を進め、まわりの景色はとめどなく移り変わってゆく。ゼルダはうう、と小さく声を洩らしふっと天井を仰ぎ見た。
「大体、裏庭に行きたいと俺に言ったのは姫でしょう? こうなりたくなかったのなら部屋で大人しくしていればよかったんです。――ってあ、姫。泣かないでくださいすみません俺が悪かったです」
 リンクがずばずばと容赦なく言うものだからゼルダは半泣き――のふり、をしてじっとリンクの顔を覗き込んだ。どうやら効果はてきめんのようだ。ゼルダは彼に見えないようにほくそ笑んだ。

 裏庭に行きたい、と言ったのには理由がある。
 ハイラル城の裏庭。そこは、かつて彼と彼女が密会をしていた場所なのだ。
(リンクはどんな顔をするかしら。それとも……やはりもう、顔など変わりはしないかしら……)
 顔色の読めない少年の心中を考えながら、ゼルダはまた小さく息を吐いた。



◇◆◇◆◇



「はっ……あながちあの読みは外れていなかったってことか」
 影は感嘆して、声を室外に漏らさないように叫んだ。その顔は驚愕の色を隠しきれていない。
 そっと手を伸ばし、そしてすぐに引っ込める。危機を感じたためだ。

 "この物体に手を触れてはならない"

 闇を属性として持つ本能が、それに触れることに強烈な異を唱えていた。強力な毒そのものだと。触れれば崩壊するのだと。
 ダークは慌てて手を払うとそれを見上げ、おもむろに呟く。
「まさかこちらの世界で貴女の姿を拝むことになろうとは」



「姫」


 震える声で、影はその名を呼んだ。


 時は数日前に遡る。
「ダーク、ダーク。お前、俺からどの程度独立して行動出来る?」
「ん……どうかな……多分、城の中なら範囲圏内ではあると思う」
「そっか……」
 リンクはううむ、と腕を組んで唸った。何事か考えているらしい。ダークは影の中での微睡みから呼び出されたので若干眠く(要するに寝起きの状態だ)、リンクが思案している間にぱちぱちと目をしばたかせて意識の完全覚醒を促すことにした。
「……何か考えがあるのか?」
「まあそうなるかな。ほら俺、これから姫付きで動くことになっただろ。そうするとお前が別動隊で動けた方がいろいろ出来るんじゃないかと思って……」
「ロクなこと考えないな」
 どうしてそういうことを言うかな、とリンクは組んでいた腕をほどいて文句を垂れた。どうやら思考の時間は終わったようだ。
「で、何を俺にさせたい」
「この城の探索」
 問いに対する答えは単純すぎる程明快だった。
「なんだってまた、そんな子供みたいな……」
「いや、ここは王家の直轄領域だ。何かが隠されている可能性は否定できない。それにさダーク、お前多分壁抜け出来るだろ」
「壁抜けというよりはドアの隙間から侵入する感じだが」
「どっちでもいいよそんなの。で、出来るんだろ、ならいい」
 それじゃ頼んだ、とリンクはすこぶる笑顔で言った。我が侭極まりない態度だが、影は根本的に従属物だ。むざむざと断ることも出来ない。
 結局ダークはそれを引き受け、そして今に至るのだ。


「薄桃の水晶……あの時、ガノンが作り出したものではないな。似通っているが若干違う」
 そこはごく小さな小部屋で、ひっそりと隠すように城の地下に造られていた。
 内部には白亜の祭壇があり、その上に懐かしの、麗しき大人の姿でゼルダ姫が収まった水晶が浮かんでいる。部屋は丁寧に管理されていた。
 ごく最近、誰かが来たような痕跡が残っていた。
 リンクと共有している記憶の中から、時の神殿、そしてガノン城での出来事を引っ張り出してきて比較する。あの時ガノンが造った水晶と違うと断言出来るのは、ダーク自身がガノンの創造物である故だ。確かに彼のゲルド魔術に似たにおいは感じるのだが、構成がもっとトライフォース寄りなのである。
 ダークが触ることが出来ない――触れただけで存在が失せてしまいそうな濃密な光の力――もその証拠である。尤もこれは単にゼルダの力が染み出しているからだろうが、完璧にガノンの力で閉ざされていればそのようなことは起こり得ない。
「しかし……何故姫がここに? 姫はあちらの世界の存在だ、こちらに存在する理由に皆目見当がつかない。第一、こちらに存在するのならばリンクを一人送ったことも今一つ納得がいかなくなる……」
 じっと観察をして、考察をする。しかしこれといった案は浮かんでこなかった。
「大体何故姫が水晶に閉じ込められて眠っているんだ?」
 と、そこまで考えてからダークは急に身震いして、あわてて姿を柱の影に溶かした。
 扉の向こうの通路から、誰かの足音が、する。



◇◆◇◆◇



 結局、リンクは何の反応も示さなかった。
 彼女がかつてそうしたように、同じ場所に座って。花を愛でて。他愛のない話題をふって。
 でも彼はいつもの変わらない、曖昧な笑みを崩さなかった。
 彼の笑顔はまるで、仮面に描かれた絵のようだ。
 かつては気付きもしなかったが、今なら一目でそうと知れる。常に浮かび、与える印象は一貫して希薄。そんな笑顔が当たり前であるものか。
 でも、とゼルダは思う。
(……もしかして、本当は泣いているのかしら……)
 涙のメーキャップをしてニコニコと笑顔を振り撒く道化師のように。
 本当は、心の奥では泣いていたのではないだろうか。
 愛するひとを想って。愛するひとの幸福を祈って。愛するひとの世界の、平穏を願って。
 泣きながら、感傷にひたりながら、彼はゼルダにつくりものの笑顔を向け続けていたのではなかろうか。
「……いくらなんでも、深読みのしすぎかもしれませんね」
 薄暗い地下フロアを歩くゼルダの隣に、今リンクはいない。彼は今王と謁見の真っ最中で、ゼルダの護衛をするには幾ばくか体が足りない状態なのだ。
 ゼルダはその隙を突いて抜け出し、こそこそと地下のある一室へと向かっているのである。
 僅かな風にランプの炎がゆらめき、地下フロアは薄暗く不気味ですらあった。ゼルダがこのフロアの存在を知ったのはつい最近で、"彼女"が教えてくれてからだ。それまでこのフロアのことは誰も教えてくれなかった。それは隠していたからというよりは、恐らく忘れ去られていたからと言った方が正しいだろう。

「シーカー族が代々使ってきた秘密の部屋なのです」

 彼女は言った。

「わたくしはその中央部の祭壇にいるはずです」

 そして彼女は、言葉の通りそこにいた。


 それ以来、日に一度訪れその部屋を掃除しては彼女を眺めるのがゼルダの日課になった。彼女を包む淡いピンクの結晶は不思議な輝きを持っていて、その纏う空気のおかげか普段よりもなんとなく考えごとが進みやすいような気がするので、近頃はそこでいろいろと考え込んでみたりする。
 今日試したことも、その部屋で考えついたことだ。まあ結果は芳しくなかったが。
「――どうしたら。わたくしはリンクの力になれるのかしら……」
 はあ、と己に不甲斐なさを感じ溜め息を吐く。そしてゼルダは鍵を取り出すと扉の錠前にねじ入れ、開けた。
 ギィと鈍い音がしていつも通りに扉が開き、いつも通りの室内がゼルダの視界に飛び込んできた。けれど何か変だ。
「何かしら……いつもと違うような……」
 違和感の原因を探すべく、きょろきょろと辺りを見回す。
 しばらく後にゼルダは急にはっとした顔をして、柱の影を凝視した。これだ。この影だけ、存在がおかしい。
 でもまさか。ありえない。
「柱の……影。どなかいらっしゃるのですか」
 確かめるようなゼルダの声に、影が揺れた。