――それは、誰の歌? 誰の祈り? 誰の聲 誰の囀り、 ――これは、僕の歌 僕が歌い僕が囀り僕が祈る ――きみのための、讃歌 影と姫の邂逅 「あなたは、誰ですか」 一見して彼女以外に誰もいない部屋で、ゼルダはそう言い放った。絶対に誰かが、それも人じゃないものがいる。ゼルダは予感した。 「大人しく出てきてくださいな。この部屋は他人に知られてよいものではないのです、場合によっては」 ゼルダの右甲が眩い光を放つ。 「トライフォースの力をもってしてでも、異物は取り除かねばなりません」 その言葉にダークは思考した。所謂損得計算だ。知恵のトライフォースなんぞに触れられたら自身の存在は数秒と保たないだろう。だが今自分は消えるわけにはいかない。 リンクはまだ不安定で、危うくて、影という拠り所を喪える状態ではない。 (こうするより他にないな) しかしてダークは結論に達し、柱の影の中からその身を踊らせた。 部屋に静寂が満ちる。 影は何とも言い難い表情で姫君を見据え。 そして姫君は驚愕という他ない表情で影を凝視した。 「……だ、れ」 「少し時間をくれないか、姫さん。――俺も今、あなたに話すべきかどうか決めかねている」 バツが悪そうにダークがそう言い、また、無言の時が続いた。ゼルダはただ黙って相手が口を開くのを待った。時折、もぞもぞと手持ち無沙汰に手が動く。 たっぷり時間が経って――そのようにゼルダは感じた――から、ダークはようやく口を開いた。 地下室に時計はなく、どころか場所柄窓すらない。空気穴はあったが、それで時間を計るのは困難だ。だから正確にどれくらいの時が経ったのかはまったくわからない。 「初めに一つ聞いて欲しい。……俺はリンクであり。リンクではない」 「どういう、ことでしょう」 「俺はリンクのコピーだ。あいつの影から生まれて、今なおあいつの影に住まっている。あいつの孤独を軽減するために俺は在り、あいつが力に、哀しみに、絶望に呑まれるのを阻止せんがために存在する。ここまで、理解願えないだろうか」 ゼルダはダークの羅列した言葉を復唱し、そう、と小さく呟いた。 「大方、把握しました。つまりあなたはリンクより生まれ出でて、そのリンクを支えるための存在だというのですね」 「はい」 ダークが頷く。 「ですが、腑に落ちません。あなたは何を原動として動いているのですか? あなたは何故生まれたのです、わたくしにはそれがわかりかねます」 「聡明だな、姫さん。核心を突いてる。……その質問の答えならば単純だ。俺は水の神殿で生まれたガノンの悪意。"それ"はあいつを迎撃せんがためにあいつの姿形を真似た。それが誕生の理由だ」 「魔王ガノンドロフの悪意ですって?」 「誤解しないで欲しい。今の俺はガノンと関連がほとんどない。この体の核がガノンじゃなきゃあ関係を絶てているぐらいだ」 「どういうことですか」 「つまり簡単に言えば俺はリンクの味方だってこと」 そう軽くまとめると、ダークは警戒を緩めて部屋の中央に歩み出た。ゼルダに手を伸ばして引っ込める。確認作業のようだった。 「俺もあなたに聞きたいことがある。――姫さん、何故魔王ガノンドロフという言葉が普通にあなたの口を突いて出る? 俺が知る限り。あなたはその手のことを知らない、もしくはよくわかっていない――筈なのだが」 その問いにゼルダはぴくりと体を揺らした。彼女のことは他人においそれと話せることではない。……特に、リンクには知られてはいけないことなのだ。 ゼルダが黙りで答えないので、ダークは更に歩を進めて水晶に近付いた。ゼルダが顔色を変える。 「姫さん、この人はさ……ここにいていい人じゃあないんだ。あの世界でリンクは泣いて、叫んで、抗って、でも結局別れざるをえなかった。そうして今の孤独が始まって、あいつは何かを信じることをしなくなった――。……姫さん、何故"あちら"の姫がここに、しかも閉じ込められて眠っているんだ?」 「…………」 「……無理に答えろとは言わないが。大方、あなたが妙に詳しいのも姫がこちらにいることに関係してくるのだろう。だが、出来れば俺は」 ちらりと、水晶を見てそしてゼルダをまた見据える。 「答えを知りたい」 影であるダークの意思はあくまで"姫"と"本体"のみを中心として形成されている。だから瞳に迷いだとかそういう感情が浮かぶことはなかった。ただ、淡々と影は問い詰めた。 一方でゼルダは戸惑い、迷い、思考を巡らせていた。リンクには知られるわけにいかない、けれど大方のところは見抜かれてしまっている。 どうすればいいのだろう。 「……あなたは、リンクの為に在るのだと先程おっしゃいましたね」 「その言葉がひっくり返ることはないが、それが何か」 「でしたら。……提案があります。リンクの為に、話の他言無用を厳守していただけますか」 「……どういう?」 「わたくしは彼女に頼まれ、そして請け負いました。リンクに真実は告げないと。――いいえ、そうではありませんね。正しくは、"告げることが出来ない"のです」 「何故」 ダークが露骨に、不審そうな表情を表に出す。出来ない、とは一体どういうことなのか。 どんな理由を、ゼルダは――眠り姫は、提言したのか。 その反応を見てからゼルダは言う。 「『それが、神が彼に科した罰だから』。彼女はわたくしにそう言いました。『喪うのが罰だから』。一筋の希望でさえ、与えることは許されないのだと」 言いながらゼルダは泣き出しそうになった。自分の中の彼女の記憶が燻って、嗚咽を漏らしている。ゼルダは己のことであるかのように彼女の過去を"思い出した"。とても理不尽で、不条理で、ふざけた記憶だった。 『――時の勇者を"清算された世界"へ』 『――彼の者を喪った世界へ』 『――彼の者はフロルに愛されすぎた。力には代償が必要』 『――左様。力には相応の代償を。彼の者はあまりにも強大な力を得てしまった』 『――女神の仔らに干渉できるのは女神の仔のみ。賢者の長よ、喪った世界を創造せよ。そこへ彼の者を送る』 『――始まる前の世界を。それが彼の者に課せられた代償なのだから』 俯き、影を落とした小さな姫をダークは漫然と見つめた。彼女は、小さなゼルダ姫はどうもあちらの姫からなにがしかの事情を聞いているらしい。それで妙に詳しいのだ。それについては納得がいった。 でも、とダークは思う。 「姫さん、話を続けても構わないか」 「……はい。どうぞ」 ダークの声にゼルダが顔を上げる。目尻が少し赤かった。 「あなたの話で、半分は合点がいった。もう半分は釈然としないが、多分、話しにくい内容なのだろう。――そこで俺は提案をしたい。姫さん、俺と取引をしないか」 「取引、ですか?」 「取引だ。姫がこちらに存在する理由と引き換えで、俺はこの水晶を守護する」 ゼルダにとって利の低い話に思え、彼女は内心首を傾げた。この水晶は知恵のトライフォースの力さえあれば保護出来る。何故そんなことが取引材料になるのだろうか。 「……主旨を掴みかねます」 「簡単な話だ。姫さん、あなたはトライフォースでそれを守るつもりだろう。だが、あなたが死んだら? 自分の娘に託すつもりだったのかもしれないが、だが俺にはそれで十全だとは思えない」 「どういうことでしょう」 「力は、いずれ薄まる」 びくり、と体が反応する。それはゼルダが予想しなかった可能性だった。 記憶を引き継いで多少思考において背伸びをしていたゼルダだったが、根本はまだ11の娘子にすぎない。自分の死後だとか、そういう遠い先のことは推考の範囲外だったのだ。 そんなゼルダの様子に構わず、ダークは淡々と持論を続ける。 「血が薄まっていくのと同じように、力は薄まる。特に今は同じトライフォースの所有者が歪に二人、同じ世界に存在している状態だ。オリジナルの契約者とその子孫。もしかすると偏りが起こって、より急速に力は薄れていくかもしれない。更に言えば、狙われやすい御姫君は拐われるかもしれない。そうしたら、誰が守る? ――問題は多い」 「……考えておりませんでした」 「だが、俺ならばそのような外因には作用されない。俺はガノンから完全に剥離されたエネルギーを核としていて、リンクと姫さん以外は存在そのものを知らない。……一考の余地はあると思うが」 「ですが、あなたは"リンクの"影なのだとおっしゃいました。それは彼の死があなたにも作用する――」 「それはない」 ゼルダの追及を一言で一蹴して、ダークはふと哀しそうな顔をした。相容れないことへの悔しさが滲んだ、そんな表情だった。 「俺の核はガノンだ。ガノンが死ぬか聖なる力そのものに触れない限り俺は死なない」 しばらくの間二人は何も言わず、何を問うこともなかった。時が凍り付いたかのような静けさが漂う中、ややあってゼルダが口を開く。 「あなたの取引を、お受けします」 「……そうか」 「取引内容は彼女の存在理由と、あなたが存在する限りの彼女の守護。間違いありませんか」 「相違ない」 ゼルダは手を差し出したが、ダークは無言で首を横に振った。知恵のトライフォースを宿すゼルダの体はダークにとっては凶器みたいなものだ。ゼルダはそのことに気付くとごめんなさい、と言って顔を曇らせた。ダークは応えなかった。 「あの、一つお聞かせ願えますか」 「……なんなりと」 「あなたは何故、"彼女"に拘るのです」 ダークは目を見開く。けれど、今度は回答に間が空くことはなかった。 「俺が生き延びたのは、姫を、あのひとを守るためだから」 一瞬。 漆黒の存在に、きんいろの翳りが、重なった。 |