森を抜け 山を越え 湖を駆け 父なき子 母なき子 神代の仔 今その手に 退魔の光を 神様の剣 獣は疾る。 涙を滲ませて、疾る。 その体に白く脱色して息も絶え絶えの異世界の生き物を乗せて、並み居る敵を凪ぎ払いハイラル城へと疾る。 「……さぁて。あの子はこの危機をどうやって切り抜けるのかな……?」 疾る獣を少年は眺める。 薄く微笑い、しかしその目は微笑ってなどいなかった。 まるで愛する我が子に試練を課しているかのような。 それが今の少年の心境。 「女神フロルの加護を受ける自身と違い影の姫君には加護してくれる存在がない。とりあえずゼルダに会いに行くつもりみたいだけど……んー、それだとちょっと辛い展開になるだろうね、後々」 「言ったってしょうがないのに、なんでそんなに細々と分析してるのヨ……」 「まあ、ちょっとした戯れ」 くすくすと口端で笑い少年はハイラル城へと飛んだ。どんどんと浮上し、地上が遠くなっていく。 少年は空高く飛ぶのが好きだ。この体を得てから試してみて、空の彼方という場所を気に入った。 空の彼方は女神が還った場所だ。だからそれは、最早本能に近いものだったのかもしれない。 ◇◆◇◆◇ 「三百年……か。あの時のことはあんなに鮮明に覚えているのに、時間が流れるのは早い」 フィローネの森の更に奥にひっそりと佇む森の聖域。 その更に奥にそれはあった。 何処となく、古びて日焼けた石の塚。彫り込まれた黄金の聖三角の印は微妙に欠けている。 しかし、その塚に納まる剣は朽ちてなどいなかった。光り輝き、鍛えられた当時に劣らぬ眩さを今なお保っている。 だがしかし、そうでなくては始まらないのだ。何故ならばそれこそは神聖剣であり、神の善意を宿す退魔の剣なのだから。 時の流れに負けて苔むしているようではまったく話にならない。 「時の神殿の座標がずれてる……ラウルさんが何かしたのかな」 「さあ、ナビィにはわからないけど」 「まあ構わないか、どうだって。あの子がこれに辿り着けるのならば。スタルキッド、上手くやってるかな?」 「任せてって息巻いてたケド……」 本当に大丈夫かしら、とナビィはやきもきして忙しなくマスターソードのまわりを飛び回った。それにリンクはどうかなあ、と苦笑して合いの手を入れる。 スタルキッド、というのは森に昔からいる「迷い子の成れの果て」、のことだ。深き森に迷い込んだ子供は帰ることが叶わず、やがて生前の姿も記憶も失って魔物になってしまうのだという。 迷いの森では特にその現象が顕著なのだが、後から聞いた話ではかつてリンクが住んでいたコキリの森もそうだったらしい。ヒトであるリンクがすくすくと育ったのは森の守り神デクの樹が彼をコキリの妖精として育てたからだ。 コキリ族は元来森でひっそりと暮らすヒトならざる種族。侵入者の変貌も、森から出ることの叶わぬ掟もデクの樹から離れて生きることの出来ないコキリ族を守るためだったのだろう。 「まあ、彼なら大丈夫だとは思うけど。どうなるかなあ……やっぱり心配だ、子孫の運命を託していると思うと……」 あああ、と呻くリンクを親ばかネ、と切り捨てるとナビィはリンクの肩に止まった。リンクが彼、と呼んだスタルキッドはまだ森を出る前、幼かったリンクが迷いの森で出会った友人なのだという。ナビィにはどのスタルキッドも正直似たような感じに見えるのだが、リンクに言わせればそんなことはなく、きちんと区別が付くそうだ。 「親ばか……かなあ……」 「そうでしょ。すーっごく過保護だとナビィ思う」 「確かに、息子や孫より目をかけているような気はするけどさ。ほら言うじゃん、子供より孫が、孫よりひ孫が可愛いって」 「いくらなんでもそれはないヨ……」 ナビィがヒドイ、とリンクをなじる。それじゃあ子供はあんまり可愛くなかったと言っているみたいだ。リンクは慌てて例えだよ、例え、と付け足した。 「ただ、伝えるのは俺の役目だから。それを完遂するために多少守ってやるのは致し方ない。あの子に死なれるわけにはいかないから」 「そういうのがよくないのヨ」 「あー、うん、だからこれからは多少突き放して見守るよ……どちらにせよ、ガノンとの戦いに俺は手を出せないし」 その弁明の後に、「本当は話せるんならガノンと話したいんだけどなあ」と意味深なぼやきがリンクの口を滑って、出た。 ◇◆◇◆◇ どこか浮いたような感じの、けれど森の妖しさによく合った、そんなメロディが先をゆく何者かのラッパから漏れている。 わぉぅ、おぅ、と雄叫びというよりも疲弊しきった喘ぎ声に近い声を口から零してリンクは走っていた。自分にまたがって乗るミドナは初めのうちこそ、ゼルダの力を受け取ってしまったことで殊勝そうにしていたものの延々続く森の風景に飽きがきてしまったらしい。ふあーぁ、と情けない欠伸を時折漏らしていた。 スタルキッドはちらちらと振り返り、リンクが付いてきているのを確認し立ち止まる。友人であるリンク――勿論、時の勇者の方だ――には「楽に聖剣の元へ導くな」と言われていた。曰く、「可愛い子には苦労をさせたい」ということなのだそうだ。それが経験になるのならそうしよう、とスタルキッドはその旨を快諾していた。 不意に、ドオッ、という鈍い音(多分あの長い尾で凪ぎ払ったのだ)がして木の葉で形作った操り人形・パペット達が殲滅される。それを確認するとまたパペットを数体、ラッパを吹いて作り出した。カサカサという葉擦れの音が森の隅を満たす。 「もうすぐ聖剣の間」 猛る獣の尾が、また一体パペットを崩し落とした。 「上手く連れてこれて良かった……」 獣の咆哮が木々を震わせる。神に選ばれた血に森がざわめいている。 「また遊んでね、リンク」 ぷわぁ、となんだか拍子抜けなラッパの音が鳴った。反応して、リンク――狼の方、は音のした方を見上げる。継ぎ接ぎの子供が陽気に笑った。 不意に、薄暗かった森が明るくなる。太陽の光が降り注いで少し眩しい。 「…………ォン?」 気付けば、光と共にスタルキッドは消え去っていた。 そして王家の門が刻まれた石壁も、また……。 ◇◆◇◆◇ それは朽ちた神殿だった。 硝子は割れてなくなり、辛うじて残っている部分も脱色して褪せてしまっている。屋根や壁の一部は欠け落ちてひび割れ、蔦が絡んでいた。 けれども元大聖堂と見受けられるその場所は、肌にぴりぴりと訴えてくる荘厳さを未だしっかりと保っていた。日焼けてクリーム色になり、残骸が部屋の隅に落ちていてもそれらはまったく気にならない。リンクの目が捉えているのは、ただ一点――中央の台座に鎮座している煌めく銀色の剣だった。 「これが、マスターソード」 神々しい光を放つ剣を眼前に見据え、リンクはその有り様に感嘆した。聖剣に近付いた段階で既にザントがかけた力は解け、彼を獣足らしめていた「異質な魔力」は今ミドナの手の中にある。 リンクの脳裏に、あの骸骨剣士と金色の狼の姿がよぎった。彼も勇者だったとするのならば、この剣を握ったのだろうか。 この剣を、振るったのだろうか。 「……」 リンクはごくりと唾を飲んで聖剣の柄に手を伸ばす。それは長年の時に冷やされてひやりと冷たく、しかし暖かな――勇気のトライフォースを持つからそう感じるのだが――光を宿していた。 ぐっ、と力を入れ、塚から聖剣を引き抜こうと試みる。瞬間、世界が入れ替わった。 ◇◆◇◆◇ 魔物があたりを跋扈している。ざ、ざ、ざ、と規則正しく地を擦る音がして、一直線に何処かへ向かっている。 「なんだ……これ」 放心したように呟いて、リンクは背の鞘から剣を抜いた。何があっても不思議じゃあなさそうだ。用心するにこしたことはない。 しかしそんな必要はまったくないのだと、数秒後に彼は悟った。敵がリンクをすり抜けて行くのだ。試しにそこらの木に触れる。手は何もない空間であるかのようにその座標に割り込んだ。 「幻……かな?」 ふむ、と頷いてからリンクは魔物の行列を追いかけた。警戒する必要がなければ好奇心を抑える必要などない。足早に駆けて魔物たちを追い越し、その先へ向かう。 そして辿り着いたのは、墓場だった。 いや、墓場だなんて大層なものではない。あたかもそのように見えるだけで、真実ではない。それは正しく形容すると死体置き場だった。息絶えた魔物の屍が、山を成していた。 「な……!」 「この光景に、動じるか」 山の奥から青年の声が響く。何故かその声に不信感を抱かなかった。 ちらりと足元を見る。リンクは意を決し、屍を掻き分けて声の主の元へ向かった。しかし妙だ。何故魔物の亡骸が残るのだろう。リンクが今まで斬ってきたものはその場で消滅したのに。 「ん……少なくとも、そこで動けなくなる程臆病じゃあないってことか。存外好奇心が強いな、だがそれは気をつけなければ命とりになりかねないぞ」 捲し立てる青年を、声を頼りに探す。しかし、不思議と懐かしい声だ。 どれくらい歩いただろうか、恐るべき屍の量だった。気付けば、両手両足は魔物の血で汚れていた。 ブーツの汚れに顔をしかめて、それからふと見上げる。そしてリンクの顔は驚愕に色を変えた。電流のような感情が身体を走る。 「と……き……の、ゆう、しゃ」 「なんて顔してるんだ、情けない」 「時の勇者」と呼ばれたことを否定せずに、青年は苦笑した。 「時の勇者伝説」は"海の"ハイラルに伝わる古き伝承だ。 今現在、黄昏の侵攻を受けているハイラルとは違う世界に伝わる伝承。こちらに住むリンクは本来、そんな単語は知っているはずもない。けれど彼はかの時の勇者の直系子孫だ。だからそれは、女神との盟約として血脈に刻まれた名前だった。 そんなこと、当の本人には知る由もなかったけど。 (……って、誰だ時の勇者って……) 言ってしまってから疑問を抱くリンク。しかし当然時の勇者はその当惑に気付かずマイペースに話を進める。 「時の勇者か……その名前で呼ばれるのは大分、久しぶりかな。……ようこそ、どこでもない世界へ。ここはお前を試す場所だ」 「は、はい? 試す?」 「そう。まあ試しというよりは問いだが。――言っとくが、聖域で柄を握っておきながら今更逃げるとかは認めないぞ」 「……はい」 時の勇者の唐突極まりない宣言にリンクは黙って頷いた。そういう気配が滲んでいる。 それに、リンクの全てに対する覚悟は、ミドナが倒れ、ゼルダが力を使い果たし倒れたあの時に決まりきっていた。今更何に怯え、何から逃げ出すものか。 「勿論、です。――お願い致します」 目を瞑り、意識を整えるためにぱちぱちと頬を叩く。深呼吸の後に再度開かれたリンクの瞳は、つい先程までの当惑した表情とはまるで正反対だった。 それは、肝のすわった誇り高き獣の眼差し。 「そうか。まずはそれが、お前の第一の答えか」 時の勇者は、ただ静かに頷いた。 |