その先に何が見える? もし明るい光が見えるのならば、迷わずにおいで。 もし薄暗くてよくわからなくても、怖がらずにおいで。 もし真っ暗でとめどない闇が見えたとしても、構わない、おいで。 全部、受け止めてあげる。 あのひとの影をおう あの時、黄昏の壁に包まれてしまったハイラル城。白亜の城は色濃く染まり、濃灰色だった空は薄茶けて一層気味悪さを増していた。 リンクとミドナは城門を抜けてハイラル城の眼前に立っていた。ザントを倒して魔王ガノンの復活が知れた今、そしてガノンの居場所がゼルダを残してきたハイラル城である以上、最早一刻の猶予も残されていなかった。 何を躊躇う時間も、残されてはいない。 「俺はこの先に行きたい」 城を見上げ、凝視したままリンクは言った。 「ミドナ、これが俺の我が侭だとしても、助けてくれる?」 「なぁに言ってんだ。ゼルダを助けたいのはワタシも一緒さ……言われなくとも抉じ開けてやるよ、この結界を!」 ミドナが――トワイライトの姫が猛るのを聞きながら。 ふと視線を落としたリンクは金色の狼を見た。 ◇◆◇◆◇ 「……今は急いでいるんです! 時間がないんだ!!」 「急くな」 急にまた、あの真っ白な空間に放り込まれたリンクは半ばパニックに陥りながらそう叫んだ。それを骸骨剣士は首筋に切っ先を当てることで牽制する。随分な荒業だった。 逆に言えば、そうでもしなければリンクを落ち着かせることは難しかったということか。 「ここはお前の世界から隔離された時空だ。ここでいくらぐずぐずしようとあちらでは一秒も過ぎない」 切っ先から感じる恐怖と骸骨剣士の言葉に何とか諌められてリンクは押し黙った。彼のことを信用していたのもあった。 「時は満ちた。お前が魔王と相対するのも時間の問題だ――なのになんだ、あの焦りが滲み出たような剣は」 リンクは答えなかった。指摘は的を射ていて、リンクの避けてきた部分を的確に突いていた。 「そのような剣では魔王は愚か私ですら倒せないだろう。焦るな、それが良い結果をもたらしたことがあったか」 「……いいえ。ありません」 「ならば焦りを捨てろ」 切っ先が退いた。けれど首まわりの刺さるような緊張感は消えない。リンクは左手に握りっぱなしだった剣を鞘に仕舞った。多分その方がいいだろう。 「そう……焦るな。魔王に通ずるのは姫君の清廉な心と勇者の迷いなき心だけだ。他は全て弾かれる」 骸骨剣士は全てを知っているように、まるで彼の盤上で何もかもが動かされているかのように――言う。それは限りなく大きな疑問だったが、リンクは問わなかった。訊いても仕方がないような気がしていた。答えを教えてくれないかもしれないし、教えてくれても自分には理解出来ないかもしれない。 事実、骸骨剣士は全てを把握していた。女神フロルが知るべきであると彼に教えていたため、「黄昏の姫君」にまつわる物語の全貌を最初から最後まで、とっくの昔に知り尽くしていた。 無論初めは「そうなるであろう」という予測にすぎなかったから、適宜修正をして都合のよい方に導いてはきたのだけれど。 「……落ち着いたら、私からお前に最後の指南をする」 「……はい」 「今は休め。神経を磨り減らしてまともな勝負が出来る相手ではない」 リンクは骸骨剣士の言葉に大人しく頷いて、息を吸った。 「かつて」 骸骨剣士は言った。 「私は怒りを持って魔王と対峙した」 「……」 「畏れはなかった。倒せるという確信に迷いはなかった。だが私自身に怒っていた。結果としてそれはよくない方向に働いた……。怒りに任せて神の力を使いすぎた代償を払わされるはめになった」 骸骨剣士はやはり淡々と言った。まるで誰か他人の過去を伝え聞いた通りに話しているみたいだった。けれどそんなはずはない。だって今、彼は「私は」と言って始めたのだから―― 「お前は今、焦っているが怒ってはいない。それでいい。負の感情を持ってむざむざと魔王に力を与える必要はないのだから。私の二の轍を踏むな。ただ、自分の成したいことを遂げるその信念だけを貫け」 『忘れるな。お前は一人じゃない』 骸骨剣士の言葉に耳を傾ける内に聖剣の間で聞いた時の勇者の言葉を思い出して、リンクはああ、と小さく息を漏らす。二つがリンクの中で繋がって、一つの推測をもたらした。 「……やっぱりそうなんでしょう?」 時の勇者の言葉と、骸骨剣士の言葉とを交互に反芻してリンクは確信し、骸骨剣士の顔を今一度見据えた。相変わらず眼窩は真っ暗闇で顔からはなんにも読み取れそうにはなかたが、リンクには微かに驚き、けれど微笑んでいるように感じられた。 ずうっと隠してきた秘密を、でも誰かに知って欲しかった秘密の理解者を得た子供みたいな感じがした。 「金色の狼……あなたが、時の勇者だったんだ」 骸骨剣士は答えない。代わりに、手を差し出した。利き手の左手。角ばった白骨に革の手袋がはまっていた。リンクはその手に応えた。 「……今この場においての私の役目は終わった」 「行ってしまうのですか?」 「私が魔王との対決に手を貸すわけにはいかないだろう」 「いえ、そういうことではないですけど」 ただ、急で少しびっくりしただけですとリンクは弁明するように言った。でもそれはんとなく感じていたことでもあった。彼の言葉を借りるのならば、「時は満ちた」、だ。 「私は後世に何も遺してやれなかった。それが一つ、心残りではあったのだが。――お前には私のだいたいを伝えることが出来た。だからもう大丈夫だ」 全て、はプライバシーが含まれるから駄目だがなと冗談めかして言って骸骨剣士はリンクの肩を軽く叩いた。 「再三繰り返すが。今、言い残したことはもうない」 「……つまり、それは……」 「そうだな。自分本位な言葉だが後は全て託したということだ」 この時代における魔王との決着を任されたということなのだと理解し、はいと頷く。そういえば、始め持っていた焦りはいつの間にかどこかにいってしまっていた。怒りはもとよりなかった。 そりゃあ、自分は頼りなくて不甲斐なく、ちっぽけな存在なのだという無力感に苛まれたことは旅の途中幾度もあったけれど。 「ずっとお前を見守っている」 唐突に世界が靄がかって歪んだ。この、一時の世界が消える予兆だ。今まで何度か体験してきたものだが、今回は格別に寂しかった。 「怯まずに進め、我が子よ」 白い霞の向こうで緑の服の金髪の青年が微笑んだ。 ◇◆◇◆◇ 「甘いヨ……あまあまなのヨ……」 「うーるーさーいー」 「デクの樹サマの樹液とどっこいどっこいだったわ」 「どんだけ甘いんだよ」 ばたばたと羽根をばたつかせる妖精の物言いにリンクはむっつりと答えて、わしっと捕まえると羽根を引っ張る。びよぉん、と餅のように情けなく伸びた妖精はキャッと痛そうな声を上げた。 「ひとでなし! 妖精にも痛みはあるって散々言ってるのに!!」 「そりゃあ俺は幽霊で、人じゃあないからな!」 売り言葉に買い言葉とばかりに騒ぎかけていた二人だが、すぐにそれを止めた。ホールの大扉がギィィィ、と大仰な音を立てて開いたからだ。そこには鋭い眼差しの一人の青年が立っていた。時の勇者から全てを託され、世界の命運を背負った光の勇者だった。その隣にはマスコット姿のトワイライトの姫が浮かんでいる。 「……始まるな」 「……そうだネ」 少年と妖精は、静かに成り行きを見守る。 リンクはかつ、かつと進み出て頭上を仰ぐ。黄金の三大神を象ったレリーフの中央でゼルダが眠っていた。 「ひ……!」 「駄目だ、リンク。アレが見えないのか?」 ミドナが、レリーフの真下の玉座を指し示す。リンクは言われて初めてその存在に気付いた――否、それがそこに存在することを認めた。 恐ろしく禍々しく。薄気味悪く笑みを浮かべる一人の大男。 浅黒い肌に憎しみを燃やしたような朱の鬣。何もかもを見下したような黄色い瞳。 「ようこそ、我が城へ」 魔王ガノンドロフが、封印の剣を手にゆっくりと玉座から立ち上がった。 |