きみにあえて、よかった



Colorful



「俺の為に苦しまなくていい。俺の為に悩まなくていい。お前はお前に出来る最善を尽くしたんだ」
 きんいろのひかりは、笑う。
「だから、お前はお前に残された道を」



◇◆◇◆◇



 窓から柔らかい光が漏れる。ベッドから起き上がって、リンクは顔をこすった。寝過ごしてしまったのだろうか、こんな時間に目覚めるのは随分と久しぶりのような気がした。
「おはよう」
 窓際に腰掛けた影が笑った。すとん、と降り立つと彼はリンクに手を差し出す。リンクはああそっか、と自分の勘違いに気が付いて――そして全てを理解した。
「……おはよう」
「支度、きちんと出来ているか? この空間はそんなに保たない」
「だったらもう少し早く起こしてくれればよかったのに」
「寝ている子供をたたき起こすと、大抵はろくな目にあわない」
「傷付くなぁ……」
 くすくすと笑ってリンクは枕の側で寝息をたてている物体の羽根を引っ張る。引っ張られて餅のように伸びたそれは情けない悲鳴をあげた。
「おはよう、ナビィ」
「うう、おはようリンク。痛いヨ」
「ごめんごめん」
 室内は相変わらず優しいひかりに満たされている。女神フロルに愛された彼を送る為に用意された空間は、最後の時間を過ごすに相応しいつくりだった。
 そう、"最後"なのだ。リンクは今度こそ、全てに別れを告げて眠らなければいけない。勿論ガノンのように文字通り眠るわけではなく、この場合それは完全なる死のことを指した。ごく単純に、永眠のことだ。
「……そういや、ダーク、お前は俺に触れないんじゃあなかったか?」
 手渡された洋服に着替えつつ、リンクは疑問を投げ掛けた。ご都合空間のような気はしたから、それは愚問かもしれないけれど。
「別れを迎える時に、それじゃあやり辛いだろう?」
「随分サービスいいなフロル……」
「それだけフロル様にリンクが愛されてるってコトなのヨ」
 半ば呆れ半分のリンクに、ナビィがそう付け足した。


「……行くのか、俺。なんか実感がわかないな」
「三百年余計に生きていたみたいなものだもの、しょうがないヨ」
「ダークと会うのも三百年ぶりだったような気がするけど、とりたてて何か感じることもないし」
「つまり俺はいてもいなくても変わらない存在だってことか」
「まさか。だったらあんなにみっともなく懇願したりしなかったよ」
 着替え終えたリンクはさて、と軽く息を吐いて窓を開け放った。眼下にはハイラル城が――その中で姫君の世話に勤しむ彼の子孫が見える。上手くやっているみたいだった。大丈夫そうだ。持てるものは伝えたから、きっとこの先も、自分がいなくなってもどうにかなるだろう。
「じゃ、お別れだ」
「……そうだネ」
「そうだな」
「この先はあの子がきっと上手くやるよ。俺の役目は今度こそ終わったんだ。だから泣くなって、ナビィ」
 すすり泣く妖精を両手で包み込んで、リンクは優しくそう言った。ナビィとはずっと一緒だった。彼女の気持ちはリンクの想いだ。彼女が悲しければリンクだって悲しい。彼女が楽しければリンクも楽しい。ずっとそういう関係だった。だけどそれには、これまでがあってもこれからはないのだ。
 普通に考えて、有り得るはずもない。
「リンク……ナビィ、リンクのコト大好きだヨ。だから今も、あの時も……別れるのは、辛い」
「……うん。俺だって」
「でもナビィ、大丈夫。寂しくても頑張れるヨ――ナビィはリンクにたくさんのものを貰ったから。離れていてもナビィは一人じゃないって思えるから」
 だから、という呟きのあとに言葉は続かなかった。小さな妖精はぼろぼろと涙を流して、わっとリンクの胸に飛び込む。着替えたばかりの服が濡れたけれど誰もそれは気にしなかった。
 しばらくしてナビィはぱっとリンクから飛びのいた。まだぐずぐずと鼻をすすっていたし顔は赤かったけれど、どうにか涙は止まりかけているみたいだった。

「あの日、キミに逢えてよかった」
 そう言ってナビィはまた泣いた。せっかく止まりかけていたのに、すぐにぐしょぐしょに濡れてしまう。けれどリンクはそれを笑って、からかうことが出来なかった。
 リンクもまた、静かに泣いていた。


 昔、昔の話だ。

 コキリの森で暮らすねぼすけの少年の元に、蒼い妖精が飛来した。妖精は起きそうにもない少年を一瞥すると「もうっ」と少し怒って、彼を羽根で叩いて起こす。ややあって少年は眠た気に起き上がり、寝ぼけまなこをこすって間抜けな声を上げた。
「う〜ん、もう! こんなねぼすけがハイラルの運命をにぎってるなんて、ホントかしら……?」
 ついこぼしてしまった愚痴に、顔を上げ、少年が妖精の存在を認識する。彼は不思議そうな顔をして、まじまじと妖精を見つめた。
「……妖精? きみ、本当に妖精?」
 驚いて目を見開き、若干興奮して自分を見る少年に妖精は「そうヨ」と短く答える。すると彼は呆けた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「……やっと目がさめたのネ? ワタシ、妖精のナビィ。デクの樹サマのご命令で、これからワタシがアナタの相棒ヨ、よろしくネ!」

 そして二人は、ともだちになったのだ。


「ねえ、リンク。きっとまた逢えるヨ、ナビィそんな気がするの。だから――だから、今は、サヨナラ」
「うん」
「……俺は"また会える"保証はないけどな。でもまあ……やることはあるし退屈はしないだろうよ」
「あのさ、ならダーク暇そうだし退屈しのぎでも構わないからあの子のことは頼むよ。この先は大丈夫だと、思うんだけどもし万が一……」
「あーもうっ、また過保護!」
 本当溺愛しすぎヨ、とぶんぶん飛び回ってひとしきり喚くとナビィはまた大人しくなった。リンクの目の前にちょこんと浮いて、彼の言葉を待っている。
 小さなひずみが、部屋の隅っこで生まれた。リンクも与太話をやめた。

「さよなら、俺の大事なふたり」
 窓からの光が濃くなった。金色に眩しいその光は彼の髪によく似ていた。
 そして、全ての発端となったあの聖三角の色にも。――いや、それに関して言えば似ているというよりはそのものだと言うべきか。
 リンクは手を振って、目尻を赤くしながらも可愛らしく笑った。そしてくるりと背を向けた後はもう振り返らなかった。

「またね」

 その言葉を最後に、彼は物語の舞台から降りることとなる。
 主役の欠けた舞台で、しかしそれでも物語は繰り返すのだ。
 執拗に頑固に確執に。
 歴史はただ、繰り返す。



◇◆◇◆◇



「アナタは、何か言いたいことなかったの?」
 今更聞いてもしょうがないコトだけど、と前置きしてからナビィはそう問うた。
「久しぶりだったし、本当はなにかあったんじゃあないの?」
「いや、別に。今更――本当に今更だな、言いたいことなんかない」
「そうなの? 不思議ネ……」
 覗き込むようにじーっと顔を見て、ナビィは唸った。ダークはあからさまにうっとおしそうに顔をしかめたが、何故か伝わる気配はない。虚しく息を吐いてダークは特に気にしないよう努めることにした。
 ハイラル平原の西、ハイリア湖付近の花畑で彼らはなんとはなしに会話を交わしていた。他に人はいない。尤も、誰かが聞いていたところで彼らの会話は到底理解出来るものではなかったが。
「俺は根本的な存在があいつと同質だから。まあ若干の喪失感はなくもないが……そもそも三百年前に一度別れているしそれほどの感慨もないな」
「そういうものなの?」
「そういうものらしい」
 さしてなんでもないふうにダークはそう言って、左手で蝶をもてあそんでいた。暫くして黄色い蝶は桃色の妖精になり、どこかへ飛んでいった。
「……ちなみに言っておくと、俺はこれでもかなりリンクを愛している。かつてあいつに愛し、肯定し、受け入れ、傍に在って欲しいと願われたから。俺はそれを許容した」
「……ナニソレ。好きになって欲しいって言われたからそうしたってコト? それってなんか、おかしいと思うヨ」
「そうでもあるしそうでもない。そもそもその時の俺にはこれといった人格がなかったんだ。ある一種の方向付けとしてその工程は必要だった。それに」
 ダークはそこで一旦言葉を切り、物憂げに空を仰いだ。
「今では姫と同じくらい大切に想っている」
「姫……って」
「"あちら"のゼルダ姫のことだが」
「……そ、そうなの」
 二人は沈黙してしまった。
 あまりにも捉え難い「ダークリンク」という存在に、ナビィは閉口してしまった。ナビィが「それ」について知っていることはいくつかある。曰く、「魔王の力を核とする生命である」ということ。「リンクの影を得て生まれ、今は魔王を棄てリンクに付き従っている」ということ。「ナビィのいない数十年、常にリンクの傍らに在った」ということ。そして「水の神殿で生まれた、本来はあちらの世界の存在である」ということ。
 けれどそれというのはすごく不自然な話なのだ。そもそも魔王の――負のエネルギーで動いているのに、どうしてリンクの為に働き、聖の存在である彼の中に棲めたのだろう。だってナビィは知っているのだ。水の神殿でリンクに襲いかかった漆黒を。
 今そこにいるダークリンクという存在と、あの時リンクが切り捨てたダークリンクという存在がどうにも結び付かない。
 そして、ここにきて「姫」――リンクが愛するゼルダ姫を彼も愛しているときた。もう何が何だかナビィにはわからなかった。
「……アナタは、どうして」
「俺は姫を守りたいという思いでプログラムされている」
 言い終わる前にナビィの疑問を先読みしたかのような回答が即座に返ってきた。しかしプログラム、だなんて。一体どういう意味なのか。
「姫の願いを叶えたくて、その為にはあいつが真っ当であることが必要だとある時気付いた。それで、こういう形に為った。恐らくは神すらも騙して」
 それが間違っていたと思ったことはない、と簡潔に言い切りダークは腰を上げた。ぱんぱん、と汚れを払うその動作はリンクそのものだ。あんまりに同じで、むしろ不自然である。
「俺はそろそろ姫さんと交わした約束を果たす為に戻る。ナビィも行った方がいい。女神と何か交わしているはずだろう」
「あ、うん」
「あと、あんまり俺のことを考えない方がいいと思う」
「……どういうことヨ?」
「俺自身がよくわからないことを他人が考えたってわかるはずがない。考えるだけこんがらがって、無駄なだけだ」



◇◆◇◆◇



 物語の節目に。
 魔王はまた眠りにつき
 はじまりの勇者は舞台を降り
 姫は未だ眠り続く

 影は残り
 妖精は還り
 勇者の子は動き出す



 物語は、折り返しの分岐点へ。




…………end of chapter2*MAJORA'S MASK.