泣かないで、
 僕のお姫さま。



失意の柩



 グエェェェェェェ、と。奇っ怪かつ気色の悪い鳴き声をあげて巨大な百足が這いずりまわっている。部屋一面を埋め尽くす砂をずりずりと引き摺り、リンクを追っかけて移動している。
 二対の頭にはそれぞれクワガタのような鋏がが付いており、じゃきん、じゃきんとかちあって音を鳴らしていた。
 しかして、それに相対するリンクは酷く小さかった。ミニチュアのフィギュアと大きなぬいぐるみが対峙しているかのような不自然さだった。といってもリンクが小さくなったわけではない。単に、百足が馬鹿でかいだけだ。
「リンク、リンク! さっき手に入れたお面使わないのぉ?!」
「ああ、あの巨人のお面? ……んー、そうしてもいいんだけど、なんか乗せられてる感がするからこのままでいいや」
「ちょちょっと、何ソレ!!」
「まあいいじゃないか、要は負けなきゃいいんだから。――大丈夫、俺は負けないよ」
「だからアンタの大丈夫は信用出来ないって――」
 とチャットが言った瞬間、リンクの放った氷の矢が百足の頭の片方を凍り付かせた。続いて間を置かず二本目のふつうの矢が命中する。凍った頭を貫かれ、それは爆散して消えた。
「……あ、なんか今日の大丈夫は信用出来そうかもしれないわ」
「戦闘に関しては信用してもらわないと困るなぁ」
 おちゃらけたようにそう言い、今度は炎の矢を放つ。程なくしてリンクは他愛のないお喋りと共に百足を殲滅せしめた。
「大型仮面虫ツインモルド、もれなく討伐完了っと。さて、問題はここからだ……」
 言いつつ、いつものように仮面を拾う。そのままいつも通りの巨人の出現を待つが、巨人が現れる気配は一向になかった。
 しばらく待ち、それからきょろきょろと四方――加えて頭上――も見渡す。だけど何もない。
「おかしいな。いないぞ」
「じゃ、もしかして……手遅れだったとか……」
「それはないと思いたいけど」
 不安気にそう呟きながらリンクはもう一度丁寧に部屋を見回し、それから諦めたかのように息を吐いた。いや、かのようにではなく真実諦めたようだった。
「駄目だ。見付からない。俺の感にかけて言うけど、この調子じゃここには絶対いないよ。待つだけ時間の無駄だから外に出よう」
「えええ?! 出ちゃうのぉ?!」
「うん」
 なんでもなさそうな返事にチャットは唖然として、でもそれは正解かもしれないと思考する。確かに、限定された三日間においては時間の浪費ほど無駄なものもない。起きないアクションを待つ、というのはすごくもったいない行動なのだ。
 それに、忘れがちだが根本的にリンクというのは冷静に理論的な思考をする人間だ。経験則も活かしてるから、往々にして彼の判断は正確であることが多い。
「よぉし、わかったわ。そうとなったらさっさと行きましょ、外」
「はいはい」
 主張をころっとひっくり返したチャットに苦笑いして相づちを打ち、リンクはロックビルの神殿を後にする。
 空は青かった。一瞬荒み、鈍い雲が天を覆ったがすぐに流れて消える。そしてまた、何事もなかったかのように蒼く澄み切っていく。

 巨人の足跡はロックビルを抜けきる前に掴めた。
 だが「時間がない」という短いメッセージだけを残し、とうとう最後の巨人は姿を見せなかった。



◇◆◇◆◇



 時計塔の上、今まさに月を落とさんとするスタルキッドの真正面にリンクは対峙していた。時刻は零時ジャスト。今ここでしくじると後がない。
 スタルキッドが被るムジュラの仮面は目をぎらぎらと光らせ、威圧感を発していた。だが相手がリンクではその効果は見込めないだろう。彼は修羅だ。その程度で怯んだりするものか。
 スタルキッドを悲し気に一瞥し、リンクはオカリナを構える。奏でるは「誓いの号令」。あの日、オドルワに縛られていた巨人から託されたメロディだ。
「あんだけしつこくこれで呼べって言ったんだ。吹いてもこなかったら怒るじゃ済まさないぞ」
「ケケケ……来るもんか。アイツら、オイラを見捨てたんだ。お前らだって見捨てられる……ケケッ」
「……来るわよ、あの人たち。だってそれは誓約だもの。あたしには、わかる……」
 不気味に笑うスタルキッドに、チャットがぼそりと、言った。


 程なくして、スタルキッドの言葉に反し地響きが鈍い音として響いた。チャットの言葉に呼応するかのように巨人達は現れ、時計塔を取り囲む。スタルキッドは慌てて、なんで、というふうに首を傾げた。
「オイラは置いてったのになんでこいつらが呼んだら来るんだよぉ!! オイラがいくら呼んでも来なかったくせに。なんでだよぉ……!!」
 スタルキッドが叫ぶと大気がびりびりと、例になく強く震える。まるで、スタルキッドの嘆きと巨人のかなしみが滲んで影を落としているみたいだ。
 酷く苦しい。
 スタルキッドは喚き、しかし数秒の後ぴたっとそれを止めた。仮面が爛々と光る。何かが始まろうとしている。
「もういいんだ。お前らなんか、初めっからオイラの友達じゃなかったんだ。オイラの友達はムジュラの仮面だけ……言うことを聞いてくれるのはムジュラの仮面だけなんだ!!」
「そんなことないわよスタルキッド!! あの人たちはアンタのことを心配して……」
「うるさい。黙れ」
 チャットが言い切るよりも早くスタルキッドの手が動いた。宙に掲げられた両の手が月を持つように投げられ、チャットは咄嗟に身構える。ただ、リンクだけは何をするでもなく平然と自然体で立っていた。その様子が、スタルキッドの目には嘲笑っているように映る。

 そして、月は落ちなかった。

「何でだよぉ、何でそいつらを助けるんだよぉ! くそぉ、オイラの願いを聞けよムジュラの仮面、アイツらを殺せ……」
「?!」
 不意にスタルキッドの言葉が途切れ、がくがくとその体が痙攣し出した。びくん、と大きく仰け反り急に空中で大の字になって固まる。そして仮面が彼の顔から離れて浮いた。
「スタルキッド!」
「待て、チャット。あれに近付くのは懸命とは言えない」
 飛び寄ろうとするチャットを静止してリンクは剣を構えた。ごく自然なその構えから発せられるその怒気は並大抵のものではない。
 今ようやく正体を顕そうとする呪いの仮面に、タルミナという一つの世界を崩壊させようとした、スタルキッドという一人の人間を利用した仮面に彼は怒りを持っている。
『ケッケッケッ……モウコイツハイラナイ……。コイツノヤクメハモウオワリダ。フン、ツマランヤツメ』
 スタルキッドから離れた仮面は耳ざわりの悪い声で虫を蹴るような感じで言った。それは見下す声だ。矮小なものと決めつけて、己以外を嘲る声。
 それに対するリンクのリアクションは単純明快で、かつ迅速だった。普段の彼なら入れる人をおちょくるような合いの手はなく、ただ無言で仮面に斬りかかっていた。
『ナ、ナニスルンダヨォ! アブナイジャナイカ……』
「危なくするために斬ってるんだよ。お前みたいな存在が命乞いして通ずると思っているのか?」
『オレハアソビタインダ! アソビタイ……アソブンダ。アソブ……アソビ……。……オニゴッコダ……ソウダ、ソレガイイ』
「……?」
 リンクは疑問符を浮かべたが、当然それに対する説明なんかはない。ムジュラの仮面は勝手に納得すると、鈍く自身を光らせて一つ新たな仮面を造り出した。出来上がった仮面がリンクの顔の前に浮かんできて止まる。
『オマエ、オニ。オレニゲル……ツカマエテミナ!』
「なんだ、これは」
『オニハオニノメンカブル』
「ふうん」
 鬼の面。鬼神の仮面か、とリンクは一人ごちて獰猛に笑った。まるっきり捕食者の顔だ。
「いいよ。乗ってやるよ、その勝負。好きに逃げろよ」
「だ、ダメリンク! なにあっさり敵の挑発にのってるの!! それにその仮面は付けるべきじゃないわ、スタルキッドみたいにされるのがオチ……」
「そんな仮面ごときで操れるほど俺の精神は脆くないさ。望み通り遊んでやればいい、こういうのには一度――仕置きが必要だ」
 チャットの忠告を聞き流してリンクは鬼神の面に手を伸ばした。瞬間彼の影が蠢くが、リンクは動きを止めない。


 そして、彼は面を被り――そのまま、月に呑まれて、消えた。