よう見ぃ、あの子を。 あれは鬼子や、神の子や。 泣こうて化物壊すんや。 笑うて化物壊すんや。 あれに近付いてはならんぞえ。 あれは、鬼神の子や…… おにがみの仔 「リンク、リンク! 何処へ消えたのぉ、返事しなさいよリンク!!」 落下しきらないまま、硬直した月に向かってチャットはありったけの声で叫んだ。けれど返事は返ってこない。あるのは、ただの静寂だ。先ほどまでの騒動や異変と真逆の不気味なまでの静けさだ。 ムジュラが造り出した怪し気な仮面をリンクが被った途端、巨人達が支えていた月が急にたわんで彼を飲み込んでしまった。彼一人だけが綺麗に世界から消えて、後は時計塔の上に残されてしまったのだ。 「ねえ、お願いだから……あてにならなくてもいいわ、大丈夫って、そう言ってよ……」 『……じゃあ、大丈夫かな。チャット』 途切れ途切れにそう懇願する妖精の願いが届いたのかどうか、正確なところはわからないけれど。 チャットの耳には、そう言うリンクの声が確かに聞こえた。 恐らく幻聴だろう。ただ、それでも。 チャットは何故だが安堵することが出来た。 ◇◆◇◆◇ 気持ち悪いくらいに澄みわたった一面の青空に、地平線の果て まで延々と続く青草の平原――。 そしてそこで戯れる奇妙な五人の子供達。 彼らはめいめい巨人達を縛っていたモンスターの亡骸を顔に被っており、うち一人は見慣れた、奇妙なハート型の仮面を被っていた。恐らくあれがムジュラの仮面本体だ。 「しかし……久しぶりにこの背丈になったのはいいけど、まさかこんな形になるとは思わなかったな」 「当然だ。あんな安っぽい挑発に乗っかってやるというのがまず信じられない。きちんと気付いているか? それがどういうものなのか」 「さっきから執拗に俺を呑もうとしてくる。ま、狂気を利用した一種のからくりだろ。鬱陶しいから押さえつけてるけど」 「馬鹿……そこまで解ってて被ったのか、それを」 「そりゃあ、勿論」 リンクの軽い調子に手で顔を覆って盛大に溜め息を吐くと、ダークは低い声で有り得ない、とぼやいた。 声が低いのには明確な理由がある。リンクが鬼神の仮面によって肉体年齢を上げているから、影であるダークも本能的にそれに倣って肉体年齢を上げたのだ。 水の神殿で生まれた時とそ っくり同じ姿形の己が影にこれといった感慨も洩らさず、リンクはざく、と草原をかきわけ子供達の方へ向かった。その様は違うことなく鬼の如き姿だった。 歌舞伎の隈取りにも似た派手なラインが白塗りの面に刻まれ、瞳の部分は鋭い菱形に近い穴が空いているにすぎない。ここまでは仮面のデザインのままだ。 だが、何の意図があるのかリンクは身長を大人の姿のものに戻されており、かつての手甲に似たものや、堅い革の鎧を纏わされていた。鍛えられた足や腕には形のよい筋肉がついている。まあ、それはかつてガノンを討った時とさして変わらないのだが…… そしてとどめに、彼は愛剣・コキリの剣でも使い慣れたマスターソードでもなく、奇妙な両手持ちの大剣を一振り手に持たされていた。 「しかし……わからないな。ムジュラはお前を負かしたいんじゃあないのか? 何でそんなに重装備なんだ」 上から下まで、じろじろとリンクを見て――はたから見れば普通に変態だ――ダークが言った。それにリンクはなんてことなさそうに答える。 「負けるとか、やられる、ってことを想定していないんだろ 。鬼は強い方が退屈しないからな」 遊びってのはそういうもんだ、と気楽に言ってそれからリンクは険しい顔をした。ムジュラにとっては遊びだとしても、他にとっては遊びなんかではないのだ。正しく、命をかけた死活問題なのだ。 「わからせてやるよ、鬼は優しくないから鬼足りうるんだってな」 「……無茶はするな」 「わかってる」 ひらひらと手を振って。 彼は戦場の真ん中に躍り出た。 「始めようか、鬼ごっこを」 ◇◆◇◆◇ 『ケケッ……イイナオマエ、ヤッパリオモシロイヤツダ!!』 「それはどうも。お陰で俺は不愉快極まりないね」 薄暗く気色の悪い紫の空間――恐らくはムジュラの仮面の精神世界であろう――で愉快そうに跳ね回る仮面を嘲るように笑って、リンクは大剣を振る。レーザーが剣先から走り出て、仮面を捉えた。 「へえ、レーザービームが出るんだこの剣。やたらハイテクだな」 「それはいいが油断するなよ、くれぐれも。お前が遊んでやる必要はないだろう」 「ん……わかってるわかってる、大丈夫だって。チャットも待ってる……」 地に落ちる影から響く声に適当に相づちを打って改めて剣を構えた。やはり重く、片手で振るのは無理なようだ。となると盾で防御する馴染んだスタイルは捨てざるをえない。 「トライデント二刀流だったガノンの体はどうなっていたのやら」 かつてまみえた宿敵の、力を暴走させた際の姿を思い出しリンクは何とはなしにぼやく。二振りの大剣の名前がトライデントだとわかったのはゼルダと別れ、旅に出てからのことだ。図書館で調べものをしていた時に偶然見つけた。 「あれが力に特化された姿だとしたら……。――そういえば、俺に与えられた力は勇気だったな」 ちらりと、左甲を見る。静かだったそこが願いに呼応して眩く光り出した。この姿になっても、いや、もっと直接的な話心を汚してしまってもトライフォースは彼を選び固執したままのようだ。 当たり前か。かの魔盗賊ガノンドロフ、彼は暴走しけものと成り果てても力の女神ディンの寵愛を受けていたのだから。 「こんな俺でも。まだ誰かを守りたいという 思いは、願いは……勇気はあるんだよ」 一閃、鋭い太刀先が仮面を切り裂いた。 ◇◆◇◆◇ 『タノシイ、コンナニタノシイノハヒサシブリダ! モットアソボウ、オニサンコチラ……!!』 「結構重たい一撃のつもりだったんだけどなあ……まさか不死身じゃないだろうな。それは少しナンセンスすぎるぞ」 「それはない。力が有限だから奴は仮面なんだ、万能な存在なんぞ胡散臭い創造神だけで十分だろう」 「そりゃあそうだ」 リンクのわりと渾身の一撃をまともに喰らったはずのムジュラの仮面は、真っ二つに引き裂かれたままきゃっきゃとはしゃいでいた。あんまりに嬉しそうで、楽しそうで、調子が狂ってしまいそうである。 ふとムジュラの仮面はぴたりと動きを止め、力んだ。仮面がどろりと溶けて気色悪いマーブルの塊になる。そしてすぐに体が再構築された。今度は仮面に手足が生えていた。 「……なんだあれ」 「わからない……」 『アソボウ、アソボウ、アソボウオニサン!!』 「迷惑なご指名だま ったく!!」 姿を変えたムジュラの仮面――最早仮面と読んでいいのかも大分疑問ではある――は攻撃パターンを変えてリンクへ向かってきた。鞭をしならせ、リンクを捕らえようとしている。 リンクは軽口を止め、集中し出した。仮面の下で目は鋭く、鋭利な狼の様に細められている。トライフォースが輝いて、手に握るその大剣に力がこめられていくのが見てとれた。 (……!! 予想外のことしかしないな、こいつは) 影の中で成り行きを見守っていたダークは心中で感嘆の声を洩らした。普通に考えて有り得ない現象だ。神に選ばれたから出来るものだとはあんまり思えない。 (まさか、自身の力で聖剣としての性質をオーバーライドするとは) 鈍く光っていた刀身は今や眩いばかりの光に包まれており、薄暗い空間を真昼のように照らし出している。更にあたりを覆う濃密な負の障気を少しづつではあるが浄化しており、それが正しく退魔剣、神聖剣としての役を果たしていることを暗に示唆していた。 (神に選ばれた勇者たる所以か……。しかし、姫が言ってた話じゃあ聖剣は古の賢者が鍛えた唯一無二の剣であるはず。女神の愛でどうこうできる類いのものなのか? それとも) あんまりに突拍子のない夢想をして、ダークはまさかな、という風にその考えを思考の外に飛ばした。自分の夢想がリンクの戦闘思考に影響を及ぼしてしまったらことだ。何せ今のダークとリンクは同化しており、まさに一心同体であるのだから。 (古の賢者が、彼も女神に選ばれた人間だったかもしれないというのは少し考えすぎか) そしてダークが思考を止めた丁度その時。 即席の聖剣と化した大剣が、ムジュラの手足を美しい軌道でもって切り落とした。 「……終わりか?」 「多分まだだ。存外しぶとい、打たれ強さではガノンにもひけを取らないな 。肝心の力がここいまひとつだが」 「口調、昔に戻ってるぞ。"時の勇者さん"」 「いいじゃん別に。今は体もでかいし――っと。来たな」 地に崩れ落ちていたムジュラは再びマーブルの塊になり、体を再々度構築した。今度は仮面の面影はなかった。ただ、気色悪さだけは変わらない。むしろ悪化している。 全身濃色のマーブルに染め抜かれた人型の化物、という形容が相応しいだろうか。 『イタイ、イタイヨォ……ナンデソンナムキニナルンダヨォ、アソビナンダカラモットタノシクヤロウヨォ……』 「阿呆か。遊びだと思ってるのはお前だけだろう」 『ニンゲンハイツダッテ、アンナニタノシソウニアソンデクレタノニ』 「楽しいのもお前だけだよ。人間はいつだってお前を恐れていたはずだ。お前のその理解はそれを都合よく解釈して、捉えていたにすぎない。――いいか、俺達人間は本当はお前が怖くて嫌で堪らないんだ」 『ソンナコトアルモンカ! ニンゲンハ、ニンゲンハ……』 「少なくとも俺はお前が大嫌いだ。怖いとはこれっぽっちも思わないが 」 『ウ……アァ……』 不意にムジュラの顔が崩れた。今までなんとか保っていたまだ見られる形相を崩し、苦しそうに呻き喚く。次第に崩れたそれは新しいかたちに成った。構成されたとはいえない、ぐずぐずに爛れたものではあったが。 怨念と叫び、執着と固執、ムジュラの仮面というひとつの姿を成立させていたそれらのものが剥き出しの奔流になって噴出している。 『キライダ……オマエナンカキライダ……タノシカッタノニ、タノシカッタノニ! ダイナシダ!!』 「ああ、そいつはよかった。お前が楽しい限り俺達人間はちっとも愉快になれないからな」 『イラナイヤクタタズノオモチャメ……! コワシテヤル!!』 「ばぁか、俺はお前の玩具じゃねえよ」 本性を剥き出しにしたムジュラは黒い嗚咽の渦をリンクの方へ伸ばして捕らえようとする。だがそれは叶わない。全て、届く前に剣の光に晒されて消滅していく。 リンクが造り出した聖剣の威力は絶大だった。それは彼が今最も強い力を出せる成熟した姿だったからかもしれない。子供の姿のままだったら こうはいかなかっただろう。まだ純粋に子供だった頃、彼は聖剣に幼さを理由に拒絶されているのだから。 最早一切のムジュラの攻撃はリンクに通用しなかった。リンクはただ淡々と大剣を振るいムジュラとの距離を詰めていく。そして正面を取り、リンクは振りかぶった。 綺麗な、綺麗な光が闇を消し飛ばした。 真っ直ぐ下ろされた剣は世界を切り裂いて真っ白な疑似空間の本質を露にした。きらきらとひかりの粒子が舞う。その中で、ムジュラだったものは形を失っていった。 「お前は人間の意思を溜め込んで出来た思念体だった。所詮無理だったんだよ、人と交わろうだなんて」 『ケ、ケ……オマエダッテニンゲンジャアナイクセニ……』 「まあ、そうかもしらんが。俺の姿は、意思は人だよ。それは人間だってことに他ならない。例え俺が」 粉雪が舞い落ちるかのようにムジュラの体に光が積もり、その存在を掻き消していく。 「人にあらざる力を持っていたとしてもさ」 そしてムジュラの精神世界は消滅した。 |