02 / Sister


 


* * *



 そうしてわたしたちは水に還っていく。

 消えないかさぶたのような、はがしてもはがしてもすぐ元に戻るそれは弾力性のある「うみ」で、じくじくと膿んで痛み、もう二度と傷痕を忘れさせようとはしない。

 だからわたしたちは水に還っていく。



* * *



 真月聖華というのは死ぬ間際のあいつに貰った名前で、真月零というあの美しい名前に合わせたのだとそいつは息も絶え絶えに言っていたが、はっきり言って俺はこの名前が嫌いだった。大嫌いなのだ。遺言でなければ忘れようと努めただろうし、これが自分の名前だと言われても未だに、あんまり実感がわかない。
 だけど九十九遊馬という大昔の名前はこの世界では影響力が強すぎたし、真月零として彼を普通の子供に育てるうえでゼアルセカンドというコードネームは適切ではない。それでしぶしぶ、俺はこの名前を採用せざるを得ないところまで追い詰められて今に至る。
 真月零は俺が手塩にかけ、というよりは必死になって守ってきたおかげで割と普通の少年に育ち、同じように人間に生まれ戻ったバリアン七皇のほかの奴らと友達になりうまいことやっている。昔の俺と違って成績は優秀だし、まあ、素行は悪いが(なにせ性根が悪い)問題になるほどではない。どこかで不良ぶってたりとか、悪い仲間を作ったりとか、そういうのは全然なくって至って真面目なものだった。
 零に合わせて俺自身も出来る限り普通の人間と同じような人生を送るように心がけて、一応小学校を卒業し、中学、高校と進学して今は大学に通っている。世界を再構築するときにちょっとうっかりして俺達に両親を「設定する」ことこそ忘れてしまったものの、幼くして交通事故で両親を亡くした可哀相な姉弟として俺達は問題なく世間様に通用した。生活費は「莫大な両親の遺産」という名目で口座に残った。何せ俺達は無理やり世界に押し込まれた異端児だったから、天涯孤独で、親類を名乗れる厚顔無恥な他人も存在せず、その金は殆どぽっと出の出自不明の怪しい金同然だった。
 だけど全知全能ってやつの恐ろしさで、その歪さに誰一人疑問を唱えやしないのだ。創世者がそうだよって無理を通そうとするから、ああそうなんだねって言って、世界の方がわがままを受理してしまう。
「んー、だめだ。また陰性」
 妊娠検査に用いる簡易キットをゴミ箱に放り投げた。もう何百本目かもわからない陰性反応を示した検査キット。俺は零とセックスをする度にそれで確認を取っていたけれど、ついぞインジケーターに陽性反応が示されたことはない。
「気持ちいいことは、気持ちいいんだけどな……昔っからカラダの相性は悪くねえのに」
 それこそ九十九遊馬が幼気な少年だった頃からそれはそうだった。まああれは、「真月警部」がそれはそれは熱心に無知な少年を染め上げて開拓していった功績によるものも大きいかもしれない。今だから、あの時分の己が大分「彼好み」に作り替えられようとしていたことはよくよくわかる。
「なんかもう、ここまで来ると、悪意すら感じる」
 溜息を吐いた。普段ならそれで数人の男が振り向いて不愉快な色目を使ってきたりするのだが、一人きりの自室なのでさすがにそういうことはない。


 一応弟、ということになっている零にそれまで頑なに遠ざけていた(だってうっかり俺以外の誰かにそういうことをしてしまってからでは申し訳ないし取り返しがつかない)淫欲を教えたのは、零が初めての精通を迎えたその夜だった。シーツを洗濯しようとして取り上げたら夢精の後があったのだ。本人はそれがなんだかよくわかっていなかったみたいだが、強引にベッドの上に誘った。
 それでも人間の本能ってやつなのか、三つ子の魂百まで――一度覚えたことは死んでも忘れたりはしなかったのか――零は完璧にセックスの過程をこなして見せて、俺はもういつぶりかもわからないぐったりの朝を迎えることになった。手つきとか、腰つきとか、そういうのは俺達が同い年の中学一年生だったあの日から全然変わってなくて、たぶん、小学五年生としては有り得ないほど彼は床上手だった。
 なんでそんなことをしたかっていうと、別に俺がむらむらしてたとかそういうことでは全くなくきちんとした理由がちゃんとあるのだ。それは歪に出来上がったこの世界の根幹を揺るがすことでもあり、この寄り道から抜け出すための手段でもあった。
「まあ、非道徳的だってのは認めるよ……」
 ゼアルセカンドとして再定義された俺には創世の能力があって、ぶっちゃけると今生きている世界、空間は俺が作り直した新しい世界だった。元々暮らしてた馴染み深い世界で狼藉を働くのもなんだかなぁといった次第で、バリアン七皇達の受け入れ場所として創ったのだ。
 が、その際ちょっとへまをしてしまったらしく、色々ほつれや綻びがあちこちで生じて処理しないとまずいなってところまで追い込まれた。でも俺はあいつが最後に願ったことを叶えてやるために人間として(一応だけど)定着してしまっていたため、世界を根底から覆すような奇跡はこのままじゃ使えない。
 非常に俗っぽい話だがつまりそういうことで、どうにかして俺はエネルギーを摂取・生産しないといけないわけだ。
「弁当美味しくなかったのかな……昔小鳥が作ってたみたいにやったんだけどな……」
 なんだか、妙に機械的に平らげた跡のある弁当箱を開いて唸る。そういえば夜寝る時、泣きそうな顔をしていたような気もする。情けないことにわりと気持ちいいので手一杯なので、あんまり余裕がなくっていまいち覚えていないんだけど。
「俺零のことばっかりずーっと見てるのになー」
 姉弟間でのふしだらな交わりは、俺の気が向いた時に適当に行われた。零がやりたそうにうずうずしている日は大抵ベッドの上で彼の欲望を受け入れたし、そんなことが毎日続くのもざらだった。身体の都合で月に数日は避ける日もあったが、それ以外では実に節度のない乱れた姉弟関係を結んでいる。
 鏡台の前に座ってオレンジ色の長い髪を梳いていると、死ぬ前にあいつが残したひどく傲慢な遺言の数々がふと思い出された。まずあいつは俺に「願いを一つ叶えるんだな?」と確認をし、頷くと「ならば俺のものになれ」と堂々言い切った。更にはそれを主軸として散々にオプションを追加してきた。
 最後に付け加えられた願いは、「死の瞬間まで俺のものとして束縛されろ」、だった。
 その束縛の結果がこれで、女でも男でもない中途半端な身体、真月零と同じ色や形をした髪の毛、真月聖華という名前、繰り返される交わり、それら諸々だった。
 俺は願われる限りに彼の欲望を受け止める。
「お前のために生きてるみたいなもんなのに、上手く伝わんないなぁ」
 ――そうだ。
 真月聖華という存在は、間違いなく真月零のためだけに生まれ存在し生き続けていて、真月零がために全てを行い、真月零だけを愛し、それだというのに。
 きっとあの傲慢な男の生まれ変わりは過去の自分自身に嫉妬している。



◇◆◇◆◇



「姉貴って受験勉強とか、してたっけ」
「なんだよ、急に」
「してなかったよな。かといって遊んでる感じでもなかったし。……姉貴って何してるんだ? 何なら、やってるんだ?」
 いつも通り黒手袋を脱いで、ベッドの上で正座を崩した体勢で座っていると唐突にそんなことを聞かれた。ゼアル化した時の名残というかくせで、ゼアルセカンドのまま受肉してしまったあとで身に着けるものは、大抵が黒い布だった。特に誰かを悼むわけでもないんだけど、セルフ喪服である。
 「真月零」譲りのオレンジの髪は黒い布によく映えた。バリアン達は基本的にはバリアルフォーゼ後とヒューマノイド・モードでのカラーリングにそこまでの差異はなかったはずだが、真月零とベクターだけあれほどかけ離れた色をしていたのは何故なんだろう。誰も答えを教えてはくれないけれど、その真相は黒とオレンジのどこかに隠されているのかもしれない。そんな夢想をする。
「当たり前のことしかやってないよ。普通に学校行って、まあ働いてはいないけど、零の面倒みて……」
「弟とセックスするのも当たり前なのか」
「弟と、だとまあちょっと倫理にもとるけど。世界中で一番大好きな相手と、そういうことを望むのはおかしいか?」
「いや……うう……そうか……」
 予測していなかった返答に困ったみたいな顔をする。基本的に零は大人びていたけれど(両親がいないという環境で育ってきたわけで、それは致し方ない)、こういう表情は年相応でかわいらしい。
 上半身裸に下はジーンズを着用したままの格好で戸惑っていた零はうんうん唸るとおもむろにジーンズを脱ぎ捨て、俺の着衣に手を伸ばした。性を教えた頃は丸っこかった少年の手が、もう間もなく、青年の指先へと育っていこうとしているのを感じる。
 零は服を脱がす時、いつも中途半端にそれを行った。行為の最中に乱れていく着衣を見るのが好きなのだといつか言っていたが、それはまるっきり「何故脱がしてしまわないのか、だと? 決まっている。私に犯されて喘ぐ君の身に着ける制服が、最後に精液にまみれてだめになるのを見るのが好きだからだ」と言い切った「真月警部」の横顔と一緒だった。
 結局彼は支配者気質なのだ。従順に隷属的に対象が支配されることを好む。
「セックスしよう」
 零が言った。
「いいよ」
 だから俺は是と答える。
 真月零の望みを可能な限り俺は叶える。彼の欲望を満たしそれを両手を開いて受け入れる。
 そういう契約なのだ。

「ゆーま、ゆうまの、胸……あいっかわらず、ちっせーよなァ? 五年前からさ……ちっとも成長しねえの……」
「仕方ねえじゃん、成長期、ん、終わっちゃったんだから……ぁ、」
「おれはおーきくなったのに」
「でも零は俺の小さい胸すきだろ」
「ゆうまが好きなんだ。他は胸が大きかろうが小さかろうがどうだっていい」
 薄い胸を揉み込むような手つきで撫で回し、乳首をつまみ上げる。これでも、正真正銘の男だった時よりは膨らんでるんだけども、ベクターは俺の少年の肉体を文句どころか愛していたし、そういう問題ではないってのは真実だろう。
「ふあ、ぁ、だめ、だって……」
 前戯とか愛撫だとか、まどろっこしいので嫌いらしい零が唯一欠かさないのが乳首を執拗にこねくり回すことで、母乳をあげて育てなかったことが敗因かなあとうっすら思っていた。出ないものをやることは出来ないので、粉ミルクに哺乳瓶で俺は赤ん坊の零を育てた。人恋しく指をしゃぶる赤ん坊だった子が、姉の乳首を吸うようになるんだから、なんだか、成長って残酷だ。
 乳首の愛撫が十分に済むと、満足したらしい顔つきで茂みに指を這わされる。厭らしい表情。それは隠しようもなく発情した雄の姿で、子孫繁栄の本能に突き動かされる動物の眼差しで、少なくとも弟が姉に向けるものではなく、恋人に向けられるにしては獰猛で思い人に向けられるにしても暴虐だった。雄が雌の屈服を目論んでそこから、ここから、のしかかってくるような。
 舌なめずりの音。散々むしゃぶってきた身体を前に、今日もまた飽きずに晩餐の前の品定めをしている。
「濡れてる」
「そりゃ、あんだけおっぱい吸われたら」
「興奮する、か? 不感症じゃないのは大いに結構だが……あんまり簡単に興奮する性癖でもさぁ……俺は気が気じゃねーんだよ、なッ」
「え、なんで……ひゃうぅ?!」
「俺以外の奴にそういう顔、絶対、ヤだ、から……! 一度でもやったら、お前を殺して俺も死んでやる」
 突き挿れるのに一切の躊躇はなく、従ってタイムラグもなく、俺は予測していなかった動きに不意を突かれて抵抗する間もなく主導権を零に持って行かれる。別にいつも抵抗なんてろくにしないんだけど、今日は特にそのあたりを意識しているらしく性急で、焦りを感じる動きだった。
 侵略者は不随意に動き、ずかずかと無遠慮に俺の秘めたる場所を掻き乱し、暴こうとする。探るように腰を押し進めて散々重ねて覚えた俺の好きなところを途中途中で苛めて、まだ若干閉ざされ気味の膣を割り開いて緩めさせようとする。
「ひぐ、ぅ、ゥ、あ、や、そこやだって、おれがイヤなとこ知ってるくせに……!」
「イヤだァ? 好きの間違いだろ。おとーとに、ン……テンプレートなアダルトビデオみてえな台詞吐かせたいのかよ。――『ゆうまくんはぁ、上のお口は強情なのに下のお口はすっごい素直ですね』ッ!!」
「あ、あぁ、ァ、おくっ、そんなきゅうにいれないで、ッ!!」
「うそつき。いっつも口ではいやだいやだって言いながら……ほんとーは、俺の子供、孕みたくて仕方ねえんだろぉ……?」
 ねっとりした声。「真月零」とか、「真月警部」は絶対に「九十九遊馬」にこういう声色を使わなかった。これは「ベクター」のものだ。あいつは本当にこういう、べとべとして溶けかけた飴玉みたいな声で俺を身体も心も、内から外から嬲るのが好きだったから、俺の身体がいかにはしたないかを一つ一つ指摘しては喜んでいた。
 この身体で零に抱かれるのは当然もう数えきれない程繰り返してきたことで、処女さながらの潔癖さや窮屈さはなく、ちょっとしまりとかも最近ゆるくなってきているらしい。それでも、もうとっくに四桁はやってるにしては綺麗だと思うんだけど。超人の肉体を人間に押し込めた残滓ってやつで、俺の今の身体はものすごく自己修復機能が高いし、速度も速いのだ。ちょっとした怪我なら怪しまれない程度に即座に治って消えてしまう。
「遊馬ッ……子宮の入り口……おまえ、ここ、大好きだよなあ……?」
「は、はぅ、ぁア……んッ……!」
「我慢すんなよ。このぐらいになるといつもだっらしない顔でどろどろの目、してるんだから。受精、ン、したがってる雌の顔? っていうのか? こういうの」
 ごりごりと遠慮も容赦もなく零の性器の先端が子宮口を撫でまわし、ここぞとばかりに押し込んでくる。そんなアダルトビデオの台詞どこで覚えてきたんだって姉としての立場から聞きたかったけど、俺は零がアダルトビデオなんか興味がないから殆ど見たことがなくって、クラスメートに付き合わされそうになった時も断って帰ってきてたことを知っているから判断に困ってしまう。
 俺がうっかり把握しそびれたところで見ていたというよりは伝え聞きしたって方が信憑性があるし、それに性技のうまさと同じで、前世から引き継いでしまったものなのかもしれない。言葉攻めのスキル。なんて不必要な余計なスキルなんだろうか。
 おかげさまでさっきから零に刷り込まれて伝わってくる快感が尋常じゃなくって、腰は勝手に浮くし、膣はきゅんきゅん卑猥な感じに収縮を繰り返すし、いやに胸がドキドキして考えるより先に身体が勝手に期待するみたいに反応してしまうしで、俺の自立意識はもう散々な感じだ。
 「真月警部」にされた躾が根底のところで抜けていなくて、これは非常に、情けない感じだった。
 いつものことなんだけど。
「だめぇ、おっきいのごりごりして、ん、は、ぁ、だめになっちゃう、から……!」
 ぐちぐちと結合部がこすれ合う音。俺の膣から分泌された愛液と零の先走りが混ざり合って、溶け合い、ぐちょぐちょになって俺達を抱擁する。零が勢いよく抜き挿しを繰り返す度にごぷごぷ泡立ってひどい音を立てた。パン、パン、って肉同士がぶつかり合う音もする。悲惨だ。慎みなんかまるで欠片もない。
 懇願するのに似た調子でうわごとのように駄目だとかいやだとかを繰り返すと、零は口端を吊り上げて、ニタリ、と笑う。そして上から圧力をかけてバン、と音を立ててベッドに押し込めて、酷薄な笑みと共に唇を噛み、真新しい傷口から零れ落ちる鮮血を舐める。
「れ、零?」
「ばかになっちまえよ」
「ふぇ……?」
「おまえなんか、なんでも出来る姉貴なんか……馬鹿になっちまえば、いいんだよ……。俺のことしか考えらんないような、白痴に、なっちまえば、いいのに、さぁ!!」
 スプリングの軋む音。これ、結構値の張るいいベッドなのに。そういうのちっとも考慮したりなんかしないんだから。まあ、この程度でおしゃかになったりしないし、なったところで、買い換えればいいだけなんだけど。
 替えが効かないのは契約先の零だけだ。
 あとはなんだって取り替えられるし、都合が悪ければ捨てられる。書き換えられる。なかったことに出来る。新しく出来る。
 だってゼアルは大っ嫌いで薄っぺらい全知全能の何かなのだから。
「おまえなんか壊れちまえ」
 ぷちん、と何か切れる音が頭の中で響いて、枷が外れてなくなる。乱暴に子宮口を突き上げて、俺はそれが痛くて、気持ちよくて、痛くて、気持ちよくて……どっちなのかそのうちわかんなくなって、ああ、だとかあー、だとか、呂律のまわってない感じの声をよだれと一緒にたらして、弟(ということになっている相手)に、真月零に抱かれてるんだってことを体中で感じて、痙攣する身体で腕を伸ばし零の顔を引き寄せてキスをした。零は一瞬だけ驚いたみたいだったけど、何をすればいいのかを心得ていてすぐに舌を俺の口内に差し入れて舌と舌を絡め合う。
 そうして俺達はキスの最中に絶頂を迎えた。俺が達する後を追うように零の精液が勢いよく放たれて、俺の子宮に吸い込まれていく。この子宮を満たされていく感覚にも、随分慣れた。やっぱり最初は違和感があったんだけど、今は特にそういうのはなくてよくわからない達成感と幸福感、そうして一体感が訪れた。
「はっ……まだびくびく震えてんの……そんなに余韻に浸るほど、きもち、よかったのかよ……」
「らって、せーえき、びゅくびゅくって、いっぱい出たんだもん、しょーがないだろぉ……?」
「……その言い方エロい」
「んん」
 何故か急に顔を赤らめて、ふてくされたような表情のまま性器を引き抜こうとする。俺はそれを弱々しく彼の身体を掴み、ふるふる首を振ることで阻止した。零が「また?」と訝しげな顔になる。
「まだ……抜いちゃ、ヤだから……」
「もうふにゃふにゃしてるけど」
「零のやわらかいの、すきだよ?」
「……姉貴は俺の股間に血液集中させるの、本当、むかつくぐらい得意だよなァ……」
 諦観と僅かな怒りの混じった声と共に性器がまた熱を帯び、力強さを取り戻してどくどくと脈打ち始めるのを襞肉を伝って感じる。一度達した後だというのにも関わらず、お元気なことだ。でもそれは立て続けに雄を迎える態勢になろうとしている俺の身体もおんなじなので口に出しては言わない。
 固くなった性器を一度ずるりと引き出すと、子宮に入りきらなかった精液が膣分泌液に混ざってどろっと膣口から零れ、肌を伝ってベッドに落ちた。あんまり綺麗じゃない俺達を繋ぐもの。零が気持ちよくなってくれた証。そう思うと嬉しくなって、知らず、口角が上がってしまう。
「もう一発やる準備をしてる弟を見て、なんつう顔してるんだ」
「そんなすごい顔してるか?」
「恍惚、絶世、至福、天上の歓び、そんな感じ。自分の身体から漏れてる精液見てそんな顔するかよ」
「えへへ。だってそれって零が俺のこと好きだってことだろ?」
「――馬鹿ッ!!」
 聞かれたから素直にそう答えたら、いきなりがちがちに勃った性器をぶち込まれて、間抜けな声が漏れる。とろとろと精液が太ももを伝う感触をもうちょっと楽しんでたかったんだけど、もうそういう場合ではない。
「大体まだ姉貴のこっちイかしてないし」
「ドライオーガズムは、射精を伴わないで出来るからなあ……」
「そういう理屈はどうでもいいんだよ。俺が負けた気分になる。それだけだ。だから黙って俺に犯されて縋り付いて、女の部分でも、男の部分でも、いっしょくたにイっちまえばいいんだ」
「ごーまん」
「姉貴が悪い」
 すっぱり切って捨てられた。弟に淫蕩を教えた身としては、その言葉ばかりは否定出来なかった。
「しかし……まあ……弟のちんこ咥えてとろっとろに蕩けてるなんて知ったら、夢見てる奴らも幻滅して消えてくれるのかねぇ……?」
「ゆめ?」
「アリトの奴。姉貴のこと好きだってさ」
 他にももっと、数えるのも嫌になるほどいるけど。零が辟易した調子で言うのと同時に俺を抑えるのと別の手をぼちぼち上向いてよだれに塗れ始めた俺の男性器に伸ばしてもみしだき始めた。これが結構うまくて、あっちもこっちも刺激を加えられてまた意識が桃色に塗り潰されていく。
 不健全な交わりはそれからまだしばらく続いて、俺達がどちらも性行為に飽きた頃には日が昇るまでそうないって時間になってしまっていた。けだものに成り下がった俺達は、時計の針なんかちっとも気にしてないし、そうすることを忘れてしまう。
 疲れたらしくて零は俺にもたれるようにして眠りについていた。彼が起き出して学校へ向かい、一人っきりになったら、また近いうちに俺は例の妊娠検査キットを使うだろう。でも結果はきっと陰性だ。
 早く子供が欲しいのに、ちっともそんな兆しが見えない。不妊症の奥さんっていうのはたぶんこんな気持ちなのだろう。俺は誰とも結婚してないし、子孫繁栄がしたいわけでも自分の血を残す子供が欲しいわけでも全然ないけど、それだけは普通のありふれた女達と何も変わりない。



◇◆◇◆◇



「姉貴はさあ、避妊とか全然してないけど。妊娠したらどうするつもりなんだよ」
 ――ということを零がようやく俺に向かって問いただしたのは、いつも通りに朝食を用意したその席でだった。今日はわりと上手く出来たと感じているふわふわのオムライスに一切のありがたみを感じさせない乱暴な手つきでスプーンを突き刺しながら体面に座る俺に横目で問うてくる。
「どうなんだ」
「どうって」
「もしかして、欲しいのか?」
 そして行儀悪い感じに食べる。やっぱり教育をちょっと怠った感じが否めない。
「じゃなきゃ、なんで避妊しないんだよ。まさか知らないなんてことは言わないだろ」
「うーん。そりゃまあ、こども、欲しいっちゃあ欲しいんだけど……」
「――冗談は止せ」
「え、なんで。零もノリノリで出してるくせに」
「嫌いなんだよゴム」
 でも、そういう問題じゃない。零はスプーンをほっぽって俺の手を掴む。
「聞け姉貴、俺達は内実はともかく、姉弟なんだぞ。わかってるのか?」
知ってるけど。
「大体二人ともまだ子供だ」
 実は俺は神様みたいなものなんだけど、言わないでおく。
「それに姉貴の世間体が……」
 そこで零は口ごもった。俺が世間体なんかまるで気にしていないことに思い当たったらしい。
 昔は、ベクターの奴は俺のぽこぽこに膨らんだお腹が大好きで、思い描いては妊娠させたいなあみたいなことを言っていたから、てっきり零も喜ぶと思い込んでいて、こんなに反対されるのは予想外だった。お腹が膨らんだりしたら、すごい楽しそうに撫でてくれると思ったのに。
 結局俺は(九十九遊馬は男だったから)ベクターの子供を身籠るなんてことは勿論なかったし、腹の膨らみも精液を入れられすぎて、ぐらいのものが限界で、こういう形でもそれが叶うかもしれないっていうのは、屈折しているかもしれないけれど俺は楽しみだったのだ。
「そんなに嫌がらなくてもいいのに……」
「けじめがつかない。違う、そうじゃない……俺の方で、ふんぎりがつかない、から」
 零はオムライスのことを完全に忘れていて、ふとしたはずみにケチャップが制服についてしまいそうなのを気にも留めずに俺の手を握り込んでいた。青い袖にネクタイの、三年生の制服。ベクターが昔着ていたのとは違う色。
 俺とベクターが一緒に着ることはついぞ叶わなかった色だ。
「こわいんだ」
 震える唇でそれを口にした。恐怖を、怯えを、苦痛を、それら諸々のマイナスの感情を、俺が妊娠する未来に覚えているのだと隠さずに吐露した。
 ふと腹部を撫でる。何もいない腹は、単に俺の内臓を包み守る肉の壁にすぎなくて、柔らかく、弾力があり、しかし薄い。姉貴は痩せすぎだって、度々零にも言われる。女の子の痩せすぎの基準が俺にはわからない。こんな身体になって、こんな関係に陥って、女としてずっとこの世界では生きてきたけど、……こんな形になってしまっても俺はずっと「男の子」気分のままで、子供で、「九十九遊馬」を手放せなくて、中途半端だ。
 俺の雌雄同体の身体みたいに。
「零……零は」
 ケチャップが制服について大変なことになる前に、零の身体を押し戻す。ぐちゃぐちゃに潰れたオムライス。それはなんだか、俺達の姉弟関係のゆきつくところを暗示しているみたいで。
「ゆるされたくないんだな」
 かまをかけるように囁いた。びくんと、大仰に零の身体がはねる。図星か。この性質は、変わらず同じ。
 俺が受胎して、子供を身籠るっていうのは、それは世界の終わりと同意義で、そして新しい世界のはじまりを意味している。そしてその時俺は「真月聖華」のくびきから解放され、その呪いから解き放たれ、呪縛は霧散する。
 俺は真月零の姉ではなくなってしまうのだ。
「でも、いずれそういう時が来ないといけないんだよ」
 俺にとってそれは単に元の関係に戻るってだけのことなんだけど、契約が終わる方の零にしてみたらたまったものではないのだろう。記憶がなくたって覚えていて、怖いのだ。契約がなくなったら零は俺を独占出来なくなる。ゼロから再スタートだ。
 でも本当はそれで問題なんて何もないのだ。歪められていたものがあるべき姿に還るだけなのだし、間違いを正すようなもので、プログラムのバグを潰すようなもので、それがむしろ良いことのはずだ。
 姉じゃなくても俺は真月零を――ベクターを愛していた(それは彼に言わせると、博愛にすぎないらしいが)。弟じゃなくても、ベクターは俺に執着していた。俺達はウロボロスの頭と尾みたいな関係で、己の尾を咬む蛇にならんとしてベクターは俺を咬みにくる。
「俺は最後には、お前を許すから」
 震える姿の中にはあの傲慢不遜な強者の強欲がなくて、彼はちっぽけな人間だった。昔彼はさも自分が選ばれた超越者か何かのように振る舞っていたこともあったけど、突き詰めればやはり俺達はちっぽけな人間でしかなく、俺なんて全知全能の力を手に入れたってこんなにどうしようもないのだから、かつて王子だった彼もバリアンとなった彼も根底のところでは同じなのだ。
 根っこのところで惨めに、しかし強かに出来上がっているのだ。
「どんな形になっても、俺はずーっと零をあいしてる」
 ほっぺたにキスをした。すると零は満足でもしたのか、席について元通りオムライスをかっこみだした。手付きにふわふわの卵を思いやる様子はない。でも食べてくれるのならそれで何も言うこともない。
 行ってきます、と出て行った零を見送って大量に買い置いてある検索キットを手に取る。すごい頻度で試すから、通販で箱ごとどっさり買い込んであるものだ。慣れた手付きで使用手順通りに用い、俺は結果が現れるのを待った。




 ――その日俺は、生まれて初めての陽性反応をそこに見た。