04 / End


 


* * *


 さよなら、太陽も海も信ずるに足りない。


* * *


 その晩俺は「真月聖華」とセックスをした。たぶん、これが二人の最後の交わりになるんだろうなってぼんやり思った。姉貴はこれからどんどん身重になる。腹の赤ん坊が育ち、姉貴から養分を奪い取り、俺と姉貴の遺伝子を持ってやがて生まれ落ちる。
 そういうわけでそれは最後だったんだけど、情緒とかそういうものは一切なくて、やっぱりそれはけだもののような雌雄の交わりだった。
 姉貴は子宮を突かれるといつも酷く喜んだ。あんあん喘いで、俺に滅茶苦茶にしがみついてきて、名前をきれぎれに呼ぶ。声はいっそあざといぐらいの色を含んでいて、扇情的で、雄を誘う腰つきをする。
 それでも俺にとって姉貴は聖女だった。雌雄同体の身体を持ち、役割や属性、外見なんかが女に偏っていることを差し引いても、聖女だった。
 天使みたいなんだっていつか誰かは言ったけれども。
 この上ない女神で、唯一、俺の全てを許してくれるおんなだったのだ。
「ゆう……ま……ァ……、ッ……」
「れい、ひゃふ、ぁ、は、あぁ、れいぃ……ぁあっ」
「遊馬……遊馬……俺の遊馬……」
 姉貴の腹にある命のこととかは全然気にとめなかった。姉貴が俺に静止をかけなかったから、その必要はないと判断した。この子供はこの先姉貴が仮に死のうがなんだろうが生まれてくる。そういう存在だ。
 欲望のままに抱いた。ちょっとだけ、壊してやりたかったような、そんな気持ちもあった。
「はッ……喘ぎ声もっと聞かせてくれよ、なァ…………すき、なんだ。その声」
「ふぇ? ぁ、ぅ、あん、あっだめなにやって、やだぁ、あぁう……」
「かわいい。俺しか知らねえんだもんな」
 この声も、顔も、みっともなく喘いでもっと欲しいとねだるように膣を絡ませ男根が脈打ち身体中びくびく震えて全身どっちのものかももうわからない体液に塗れてどろどろのぐちゃぐちゃになる姿も、何もかも俺以外は知り得ない。この最高に愛おしい姿を俺一人で独占しているのだ。独り占めを許されている。
 ばちゅん、と肉が滑り込む音。ゴリゴリ先端で擦りあげると声にならない悲鳴と共に姉貴が達した。母親になってもエロいんだろうな、なんて漠然と未来を思い描く。
 セーラー服の未亡人。昔言われてたらしいこの言い回しは案外言い得て妙だ。彼女はとても清楚な見た目をしていて、髪の色とかは生まれつき派手なので仕方ないが制服は膝丈まであったし絶対に乱れた服装をしないしで(何故って姉貴が無精なの以上に俺が姉貴の服装の乱れを嫌ったからだ。余計な肌一つ他人に見せてなるものか)、黒手袋の存在感もあって彼女はまるで貞淑な妻そのものみたいだった。
 その上物腰は穏やかで誰にも分け隔てなく接する。あんまりに完璧超人なので心無い奴らが裏では遊び歩いてるといったような噂を流そうとしたこともあったらしいが――なんのことはない。俺がしっかり叩き潰してやった――姉貴が完全すぎて結局元の木阿弥に収まった。
 でも女神だったんなら、完璧すぎても仕方ない。それで最終的に彼女は、誰からも一目置かれるが、しかしとりたてて親しい誰かがいるわけでもないという一つの孤独を手に入れた。
 元々それを狙っていたんだと思う。
 何故なら彼女の――「真月聖華」の役割は「真月零」を全身全霊かけて愛することだったからだ。
 それ以外は邪魔なだけだった。
「ぁん、あ、ア、ひぅ……」
「遊馬……なか、だして、いい、か……?」
「ぅ、ン、いい、よぉ……? でも、あっ、あ、さいごに、一回だけ、だから、ァ、ね?」
「わかってるよ」
 了承が取れたので小さく頷いて腰を叩き付けた。俺のかたちにぴたりと沿う内壁は、俺達が五年に渡ってお互いだけを選んでいたことの証明のようで、気恥ずかしく、愛おしく、切ない。
 最後だとはっきり自覚すると異様に寂しい気分になってきて、だけど繋がり合う部分は熱く、身体中汗だくで上気していて、俺は無我夢中になって姉貴の身体に埋まった。雑念が消えていく。ひとつになる。
 他人として隔てる皮膚の厚みが煩わしい。こんなもの取っ払ってしまえればいくらもよかったのに。身体を重ねる度に他人であることを、同一ではないことを自覚させられるというのはなんとも皮肉なことだった。
(だけど俺は、別に姉貴になりたいわけじゃないんだ)
 浅はかで醜い独占欲。彼女の受胎は正しくその欲望の成就を表しているが、同時にそれは独占の終わりも暗示している。出産した我が子を母は守るものだ。何よりも強く。何よりも確かに。そこで俺の一番は終わる。
(でもそれでいい)
 今ならそれが愛せると思った。世界の終わりの使者が、姉貴から、姉貴の血を継ぎ、俺の肉を持って生まれてくるのだとして、愛せると信じた。
「愛してた」
 子宮に勢いよく精液が注ぎ込まれていく。もしこの種が消えないしこりとなってこの人を縛ることが出来たのなら。それで俺は死んだっていいのだ。
(あ――)
 その時走馬灯のようなものを見た。俺が「そのためなら死んでもいい」と卑怯にも思い描き、実際消えない傷痕となり、その身体にスティグマータを刻み込んで鬱血させた今際の風景だった。
 異形がヒトに姿を変じ、強力な執念で世界一愛おしくて世界一憎たらしいものに縋りつく。そして呪いを吐く。呪詛を贈る。束縛する。最後に死ぬ。
「あぁ……あ……」
 この世界に死者の念より強いものはないのだ。遺された念は決して取り消せない楔になる。それをわかっていて「そいつ」は死んだ。
 死という形をもって永遠になろうとした。こんなふうにまた生かされるなんて思っていなかったからだ。
「……そっか……俺は……」
 精液がありったけ、子宮の中に飲み込まれていく。際限のない貪欲な身体。ねっとりと絡み付いて離さず、余すことなく喰らおうとする。
 俺も大概欲深いが、「遊馬」より強欲な奴なんて、たぶんいないはずだ。
「遊馬を独り占め出来るなら死んでもいいって思ったんだ」
 吐露すると、膣をきつく締めて俺の男根からありったけ精液を搾り取った姉貴が、薄く笑った。
「知ってたよ」
 俺はその顔を見て瞳孔を見開き、瞬きをして、驚きのあまり固まってしまう。
 そして大声を上げて泣き出した。身体を繋げたまま、姉貴は微笑んで俺を両腕に抱き締めてくれていた。幼子にかえったみたいにわんわん泣きじゃくる俺を受け入れ、ついばむようなキスをくれた。
 そういえば俺は、ずっと昔から遊馬がそういう奴だって知っていた。
 だから。

 ――女神のようだと、思ったのだ。



 その朝俺は風邪をひいた。セックスを終えた後の倦怠感よりもっと悪質な気だるさに苛まれ、高熱を出し、節々に痛みを感じ、何年かぶりに学校を休んだ。
 病欠は確か小学校四年生の時が最後だったと思う。姉貴とセックスするようになってから何故か俺は遅刻常習犯ではあったが健康優良児になっていた。姉貴の体液に何か抗体が含まれていたんだと思う。
 俺の看病をするために姉貴も大学を休んだ。ただこの人はいつも大学に行ってるのか行っていないのかよくわからない人だったので、いつもとあまり変わらなかった。
「見舞いに来てやったぞ。何とか言ったらどうだ」
「いけませんわ、病人相手にそんな睨むような。ねえ凌牙……凌牙もよ。あなた達、たまには零をいたわってあげなさいよ……」
「必要ねーだろ。こいつはすぐ治る顔だ」
「凌牙、その根拠は一体どこから出てくるんだ?」
「ふてぶてしい面してる。だいいち、こいつの姉貴がかかりっきりなんだ。治らねえわけがねえんだよ」
 放課後になるとぞろぞろと揃いも揃って腐れ縁どもが六人揃って見舞いにやってきた。しかも見舞いにきたくせしてミザエルはやたらでかい顔をしているし凌牙はやたらと不機嫌そうだしで、こいつらは何をしにやってきたんだ? というのが割と真面目に思うことだった。アリトは見舞い品として誰かが(多分そういう常識を兼ね備えているのはドルベか璃緒だ)持ってきた果物の盛り合わせをじっと見ている。目を離した隙に一つぐらい食われていそうだ。
(こいつら幼馴染みなんだよな……)
 それを自覚するとこそばゆい。
「なあ零、あのオレンジ一個くれよ」
「やらねえ」
「なんだよケチ……って! ドルベ、ごめん! 痛い! もう病人にたからない!!」
「本当にわかったのか?」
「わかった、わかったよ、やんないって……助けてギラグ……」
「悪いなアリト、これは俺も擁護出来ない」
 ギラグが深い溜息を吐いた。ギラグがこう溜息を吐くのは割と珍しい。
「これ、誰が買ったんだ」
「ああ、それは私が。やはり病人には果物だろう。凌牙は要らないと主張するし、ミザエルはケーキを買おうとするし……意見をまとめるには時間がかかったな」
「そうか……」
 ドルベが困り顔で言う。どんな様子だったかは、それだけで想像がついた。相変わらずまとまりなく、わいわいやってるらしい。
 凌牙は七人の中心にいるくせに、本当に必要な時以外は仲裁やまとめ役をやりたがらない。大抵はドルベが雑務を買って出て、補佐役みたいに働く。ドルベが動くとミザエルも従うし、アリトもやる。ギラグは最初から協調性が高い。そこまで頭数が揃うと凌牙も動くし、璃緒は凌牙のやることを基本的に復唱する。
 で、俺は特に頼まれない限りそこまできてもあんまり協力しない。
「なんも変わんねーな」
「うん? 何がだ?」
「俺らがだよ」
「ああ……そうだな。我々は、もうずっとこうだし、きっとこの先もこんな感じなんだろう」
「高校もどうせ七人一緒だろ。変わり映えしないよな」
「いいんじゃないか、それはそれで」
 ドルベが目を細める。優しい顔だな、なんて考える。そうだ。こいつらは争いとか謀りとかそういうものがなければ、根本的にはいい奴らなんだろう。
 これも『遊馬』が、真月聖華が、ゼアルセカンドが望んだものの片鱗なのかもしれない、と思った。あの博愛主義者の……。
「あらゆるものがあっという間に変化していってしまう昨今、変わらないものほど貴重なものだ」
 ドルベが何やらじじむさいことを真顔で言い切った。「ドルベがなんかいいっぽいこと言ってる?」とアリトが首を傾げる。それを受けてか凌牙がふん、と鼻息を吐いてそっぽを向いたりして、どうも照れ隠しのようだった。
 見かねて璃緒がにこにこ笑いながら口を開く。
「ふふ。実は、あなたのお見舞いを提案したのは凌牙なんですのよ」
「……へえ? りょーがくんが? 僕のために? 僕ちょっと意外ですぅ」
「――その気色の悪いキャラ作りをやめろ!」
「じょーだんだよ。マジになるな。あー……お前らよぉ」
 ちょっとからかってやっただけでむきになってものすごい剣幕で怒鳴りだした凌牙に向かって布団からひらひら右手を振ってやると、何故か楽しくなってきてしまって今まで隠してきたものや、秘めてきたもの、避けてきたものに向き合えるように思えた。変わるものは変わってしまうが、一方で変わらないものは変わりようがないのだ。
「ありがとうな」
 短く告げると沈黙と静寂が部屋を満たした。六人が六人とも神妙な――何か信じられない、有り得ないものでも見たような――顔をして、固まった。失敬な。ミザエルなど無言で滝汗を流し顔の上半分に陰を入れ戦慄いている。凌牙は一瞬で表情を無くし、ドルベは眼鏡が白くくぐもっていた。
「なんだよその反応は。……明日は治して学校に行くよ。話したいことがあるからな」
「お、おう……」
「アリト。言いたいことがあるならはっきりと言え」
「いや、ないない。ないって。マジで。うん」
 ぶんぶんと両てのひらをすごい勢いで振って必死に否定する。大方「なにこれ、零のくせに綺麗すぎて気持ち悪い」とか、「こんなの俺の知ってる零じゃない」とか、「風邪ひいて頭ヘンになっちまったんじゃ……」だとか、そんなふうに考えているのだろう。
 本当に失礼な奴らだ。だが感謝は出来る。
「俺案外お前らのこと好きだわ」
 ぼそりと漏らすと今度こそ本当に場の空気が白けて固まった。
「――零!」
「あんだよ」
「お前は、熱があるんだ……そうに違いない……」
「熱なら最初からあるよ。ミザエル、落ち着け」
「ならば宇宙人か何かに乗っ取られ、或いは精神汚染され気が狂ってしまったんだ。だってそうだろう。まさか……お前が? 素直に? 私達に? 気分が悪くなってきたぞ」
「零、俺、そろそろ零は怒ってもいいかもしんないって思う」
「奇遇だな姉貴。俺もぼちぼち堪忍袋の緒が切れそうだ」
 お盆に大量のグラスを載せた姉貴が部屋に入ってきてひどい扱いを受けている俺を擁護した。アリトが勢いよく振り向いてどことなく媚びているような声で「聖華さん!!」と嬉しそうに姉貴の名前を呼ぶ。残念だったな。そいつは弟の子供を身籠った妊婦だ。
 どうやら人数分あるらしいグラスを分配して姉貴が一息つく。ワンピースに紺色のエプロン。俺達に共通する橙色の髪の毛は後ろで乱雑に一括りにしてあって、「今日はもう家から出ません」といった風体だった。
「ミザエル、あんまりうちの弟をいじめないでやってくれよ」
「……あなたは、零に甘すぎるんです」
「目に入れても痛くない弟だからなあ」
「まあまあ。性格は粗野で口調は横暴だが、これでなかなか、いいところもあるということをちゃんと私達は知っているよ」
「ドルベ……今日のお前はこいつに何か弱みでも握られているかのようだな……」
「何を言っているんだ。病人には優しくするものだ」
 正論だった。
 寝っころがったまま見渡す腐れ縁どもの姿は、改めて意識すると結構壮観だった。とても中学生には思えない体つきをしているギラグに、褐色の肌を持つアリト、矮躯の眼鏡少年のドルベ、金髪碧眼の見るからに性格のきつそうなミザエル。不良ぶった凌牙とその中で紅一点となり浮き上がる璃緒。本当に、見ただけでは何の接点もわからない。無愛想なシスコンだと思われている俺にも言えることだが、この統一性のなさ、脈絡のないばらばらとした集いが「変わらないもの」を物語っている。
「そういえば。授業のノート、持って来たんだ。お前はなんだかんだで成績は悪くないがやはり、こういったものは必要だろう」
「そっか、サンキュ、助かるよ」
「あ……あなたのお役にたてるなら……それで……ん?」
「なんで姉貴が助かるんだよ。おいドルベ、そのコピー寄越せ」
「あ、ああ。数学と古典と、英語だな。プリントも預かってきてるから……」
 四次元ポケットもかくなんという塩梅でドルベのカバンからぞろぞろものが出てきて、まとめてずっしりとした重みになり俺に差し出された。「持つべきものはまじめな友達だよなぁ」と姉貴がしみじみ頷いている。彼女はそういう友達に世話になったことはないだろうが(むしろ世話しているはずだ)あいつは身に覚えがあるんだろう。
 そういえば俺も何回か、勉強を見てやった気がする。まるで今と真逆だった。
「それでは、我々は帰るから、よく休んで早く治せ」
「別にいいぜ。一週間ぐらい来なくってもよ」
「凌牙! まったく君は……」
「凌牙は天邪鬼ですから。零はわざわざ補足しなくとも凌牙の言いたいことはわかってますわ。ねえ、零?」
「ああ。ま、せいぜい明日の朝一番で登校して雪でも降らせてやるよ」
「あ、それは降るわ。霰が。霙かも」
「アリトてめえ」
 しばらく世間話とか、思い出話をした後にドルベがそう切り出してその場はお開きとなった。姉貴が六人を玄関口まで見送って、すぐに帰ってくる。ちょっと前までぎゅうぎゅうのすし詰めのようだった部屋にたった二人になると、ちょっとした寂しさがあった。
 奴らが消えた後でまじまじと見ると、姉貴は太ももを容赦なく剥き出しにして、上着を着ているからまだいいようなものの、二の腕も出してしまいそうな勢いだ。俺以外に触れさせたくないものになんてことを。
「零はいい友達をもったな」
 そのくせいけしゃあしゃあとそんなことをのたまう。年よりじみた台詞だ。
「姉貴が仕組んだことだろ」
「んーん。零の魂に引っ張ってこられちゃったみたい。不思議だな。お前を因果の始まりにして、あの六人はきっと出逢ったんだよ」
 林檎を剥きだす。皮を綺麗に削って、ウサギの形に整え、皿に盛った。母親の仕草。彼女は俺にとってずっと父であり母であり兄であり姉だった。
「なんか俺さぁ」
「うん。どした?」
「今、幸せかもしんない……」
 目を閉じる。まだウサギ型の林檎を食べていないけれど、抗えない痛みと体の熱を感じて自衛のためにそうせざるを得なかった。熱い。燃えてしまいそう。この感触には覚えがないこともない。
「ゆうま、くん……」
 呪いの言葉で、完成されたゼアルの力を有していた×××××をエゴイズムをもってゼアルセカンドに引きずり落とし、九十九遊馬を縛り付けた時も。
「ぼく、やっぱりどうしても、きみのこと、すきなんですよ」
 こんなふうな痛みを覚えた。


◇◆◇◆◇


 たっぷり一晩うなされている内に、痛みと熱は思いの外早く引いていった。うなされているその最中、俺はいくつかの夢を見た。夢というよりは追体験と言った方が正しいか。まあともかく、「真月零」にとってそれは夢だった。
 その中で俺は様々な格好をしていたけれど、どんな姿だろうと関係なく、「遊馬」を求めた。狂おしく。絶対的に。まるでそんなふうに宿命づけられてしまったみたいに――。
 ある時俺は王子で、成金趣味みたいな重たい装飾金属を体中にごてごてつけてたのにそれら全てを擲って国の巫子たる遊馬を求めた。
 ある時俺は彼と同じ年頃の子供を装って、遊馬と揃いの制服に腕を通し、愛くるしい少年のくるくるよく変わる表情で遊馬に近付いた。
 ある時俺は彼に上司と部下の擬似的関係を強い、上位権力を振りかざして遊馬を従わせ、半ば人質を取るような形で心身掌握し彼の身体を貪った。
 ある時俺は異形の人ならざる体を持ち、遊馬を散々にいたぶり、彼を拉致監禁してその全てを奪ってしまえたらと願った。
 そして今、俺は遊馬のたった一人の肉親という立場を手に入れ、愛し合い、犯し、孕ませ、そうして最後にはその全てを――喪うのだ。

「ユウマ」
 一番最初の時代、俺は彼を自害の形で失った。絶望に自暴自棄になりかけた。そして全てを憎んだ。全てを手に入れようと願った。やがて彼を取り戻すために。
「遊馬」
 次の時代で、俺は彼を騙しその上で自分好みに調教して、手懐け、自分から裏切って棄てた。裏切ったら綺麗に泣いてくれると信じていた。棄てても、あいつの方から俺を求めてくれると盲信していた。
 実際にあいつは求めて動いた。「真月零」という存在しない亡霊の影に操られてだ。そして正体をバラしたらあっさり俺をぶち倒した。なんのことはない。あいつが信頼していたのは「真月零」だったのだ。
 それから、俺は「ベクター」自身が「九十九遊馬」を手に入れなければならないと誓い、悪魔に魂を売り、あらゆる手を尽くして、やはり敗れた。
 二度目の別れは俺自身の死をもって贖われた。俺が死んでその時代での俺達の逢瀬は終幕した。死因は×××××とのデュエルの敗北。最後まであいつは俺のものにならなかった。俺の手から離れて、どこか遠くへ飛んで行こうとした。
だから鎖で繋いでやった。
「姉貴」
その次。俺はあいつの弟として定義を受けた。あいつは、元々の少年の姿でも最後に上り詰めた高みである×××××でも勿論なく、俺に一番よく似ていて、最初に俺をぶちのめし、最も女性的なフォルムを持つゼアルセカンドから装備を全部はぎ取った姿をしていて、当たり前に人間と同じように暮らしていて、俺を育てていた。
そのうえ俺の姉貴なんだっていう。たった一人の家族。俺は何も知らなかったから、無邪気に姉貴に愛され、姉貴を愛し、やがて無邪気に、抱いた。
「結局ずっと振り回されっぱなしか」
あの太陽は誰かに捕まえられるようなそういう存在じゃあないのだ。記憶の海の中を泳ぎ、否、溺れながら思う。
いつだって太陽に焦がれ、その度に掴み損ねてひとりぼっちで死んでいった。
「短かった黄金時代……俺の傷口は、もう、傷まない」
長い時間をかけてじくじくと膿み、かさぶたの下は荒れ果てて、消えない傷痕として君臨していたそれを全部埋めて溶かして撫ぜて治癒して。
「あのバカやっぱり太陽だったんだよ」
無数の奔流と濁流。全身をぼろぼろにもまれ、呑み込まれそうになったところで腕を何かに掴まれる。「……い」聞きなじみのある声。「れい」ああ、たぶん、これ――
「零!!」
がくがく揺すぶられて、そうして俺は溺れる海から強引に引き戻された。
「おまえ、すごいうなされて……汗だくだ。熱は? 痛いのは?」
「姉貴……俺今、寝てたんだけど……」
「寝覚めの悪い子供みたいなこと言うな。それにもう朝。学校行くって昨日言ってたけど、まだだるかったりしたら俺が許可しません」
「いや。ぐっしょりと汗で濡れそぼってる間に熱も引いたし痛みも治まりました。まだ文句あんのか」
「あるよそりゃ……でもま、それは今はいいや。行くのなら支度して、おじや作ってあるからさ」
「ああ」
「食べないで出るのはだめだぞ」
「ああ」
のろのろとベッドから起き上がる。丸一日横になっていたことによるめまいと怠さがまだ体に残っていたけど、セックスした後の怠さよりは軽かった。


「よお。治った」
「マジで! しかも本当に予鈴三十分前じゃん! ギラグ、賭け、俺の勝ちな。おでん一杯」
「俺をダシに賭けなんぞするな馬鹿」
「零の懐は痛まないからいーじゃんか。ケチだな〜聖華さん見習えよ」
「あー、そうだ。その姉貴のことで話があるんだった」
机に鞄を置いてアリト達がたむろっている方に近付く。たまたま全員が早くついていたのか、それとも毎日良い子出勤なのか、人が少ない(というより身内以外いない)教室には腐れ縁共が全員出揃っていて思い思いのことをしていた。ミザエルとドルベが単語帳を開いている隣で璃緒は問題集に目を通し、凌牙は音楽プレーヤーに繋いだヘッドホンをつけ、ギラグとアリトは何か食べている。朝食を家で食べる習慣がなさそうな顔だ。
ヘッドホンの邪魔にならないように凌牙が髪の毛をポニーテールで上に括りあげていてちょっとだけ出鼻を挫かれたが、咳払いして、俺は六人全員を見渡し、「ちょっと耳貸せ」凌牙の頭からヘッドホンを奪い取る。目線で抗議される。無視だ。気にしない。
「……とっとと用件を済ませてそいつを返せ」
「焦んなよ。割と真面目な話だから。……姉貴が妊娠したんだ」
「へ?」
アリトが素っ頓狂な声を上げた。俺の見間違えでなければかたかたと全身が震えている。目つきが、焦点が定まっていなくてちょっとやばい感じだ。こいつ姉貴のこと好きなんだもんな。
「妊娠。嘘じゃないぜ。今三カ月だってよ」
「は? おまえ、だって、聖華さん彼氏いないって言ってたじゃんか……」
「彼氏はいない」
「じゃあ何、処女懐胎? とうとうあの人神の子でも産んで聖母マリアになるの?」
さらりとそんなことを言う。まあもうとっくに処女じゃないんだけど。それにしてもアリトの口からそんな単語が出てくるとは驚きだ。姉貴が女神みたいだって思ってその辺適当に勉強でもしてたのかもしれない。
ああ、ミザエルも変な顔してる。やっぱり、アリトがスラスラそういうの言えるの、驚きだよな。
「似たようなもんだ」
「マジで! やっぱあの人やばいな!」
 それで、適当に言ったらあっさりと信じた。なんなんだこの単細胞。
溜息を吐いて、「なんでそんなすぐ騙されるんだよ」とアリトの肩に手を置いた。ドルベが胡乱な顔をしている。
「嘘だよ。俺の子供だって」
そしてすぐに全員が、信じられないものを見る顔つきになった。
「「「「「「――え?」」」」」」
「きんしんそーかんってやつ。お前らには、教えとくわ」
「ままま待て零。ドッキリか? ドッキリだな。そうだ。しかしなんと性質の悪い……エイプリルフールなら、今年の分はとっくに過ぎている」
「冗談言ってどうする。何のために他に人のいない教室選んで話してると思ってんだ」
「……し、信じがたいほどに下卑た酷さですわ……それって。私が、凌牙と、その、するようなものではないですか」
「だが事実なんだよなァ」
 肩を竦めた。
 あたふたして、反応に困りかねている六人を見てるとわけもなく「しあわせな」気分になってきてものすごく、気持ち悪いぐらいにこやかに俺は微笑んだ。ギラグが顔を青くする。そんなに嫌か。そうか。
「ついでに言うと子供の名前も、もう決まってる」
「……新しいジョークは出来れば次の四月一日まで待ってくれないか?」
「ヤだね」
 凌牙のヘッドホンをくるくると弄ぶ。割と大きめのよく言えばシンプルで悪く言うと武骨な、オレンジに近い朱色をしたヘッドホンだ。姉貴の――遊馬の色なんだろう、きっと。俺達は、昔「バリアン七皇」と呼ばれた七人は、無意識にそれに惹かれてやまないのだ。ただ俺は敗者の特権ってやつで、かなりずるい話だと自分でも思うけど一人だけ近い位置にいて、許された。
「名前、知りたいだろ?」
 ポイと放るとうまい具合にキャッチして俺をギッと睨みつけてくる。おお怖い。面白半分で既にいくらか敵に回している状態で言うのもなんだが、こいつがあんまり敵に回して楽しい相手じゃないことを全部思い出した俺は知っている。
 何せ二度ほど殺し殺された仲だ。かわいそうに、こいつも口には出さないけど姉貴のこと、好きだったんだろうなぁ。
 癪な話だが俺と凌牙は好みが似ているのだ。だいたいどんな時代でも二人揃って遊馬が好きだった。
「えへへ。僕と聖華姉さんの赤ちゃんね、名前は『九十九遊馬』って言うんですよぉ。どうです? ――とっても、かわいい名前でしょう?」
 かわいこぶって、名前通りの「真月零」の、「九十九遊馬」のために生まれたあの人格の声でわざわざ神経を逆なでするふうに教えてやる。あまり、よろしくない感じに教室中の空気がざわめき六人ともの血の気が引けていくのがわかった。
 その様子を眺めているのが楽しくって仕方ない。鼻歌の一つでも歌いたくなって、浮かれた気分になってきて、俺はたまらずハミングで口ずさむ。
 昔遊馬が「大好きなんだ」って、俺に教えてくれた古いポピュラー・ミュージックのナンバーをだ。




/さよなら、太陽も海も信ずるに足りない。