06 / Afterword






 この話を書いたのが、確か、そうです、秋のことでした。記憶が正しければ9月のイベントのアフターで見たゼアルの放送がちょうどゼアルサード爆誕の回で、ゼアルセカンドになって以来最初のゼアルには(当時は)なっていなかったので、「ああ、セカンドも、もう出なくなってしまうんだ……」と思って彼(彼女?)の追悼のつもりで書いたのがこの話だったと思います。
 追悼で書く内容か? とは若干今見ると思いますが、当時ひとりでセーラー服の未亡人萌えというのを拗らせていて、まあ当然捏造に次ぐ捏造を重ねたものなのでセーラー服の未亡人萌え仲間も一人もいませんし、それならいっそ好き勝手にやろう。みたいなコンセプトで書いたものだったので、いつ見てもすごい好き勝手な話だと思います。これぞ同人の醍醐味。
 この話を切っ掛けに頭の中でゼアルセカンドの解釈がどんどんねじ曲がっていって、ほぼ単独のオリキャラ状態になってしまったので、以後パラレルっぽいものはそういう感じで書いてたのが多いのかなあと思います。そのぶん、意識はしていたので、オールキャラとかの場合はなるべく遊馬とアストラルが喋っている、というつもりで書いたはずですが、前述の通りセーラー服の未亡人がすごいので、出来ていたのかはさだかではない。でもセーラー服の未亡人ってすごいじゃん。


 妊娠ネタがだいすきで一回遊馬妊娠合同誌というかなりベクトルがあさってを向いた本を半主催したことがあるぐらいなんで、この話の翌年出した雪の女王パロとあわせて二回ほどベクセカのそういうアレを書いたような気がします。なんか気恥ずかしくてHTMLに直す際にあんまり内容を確かめられなかったのですが、そんな塩梅でものすごく人を選ぶ内容だろうな……というのは確かです。今見るとスケベ部分の書き方もぎこちないし……結局遊戯王では個人誌のエロ本これしか出さなかったな……。なんか……遊馬がどんどん、夏の向こうへ、あの季節の先へ、駆けていってしまうから……(?)。
 どうでもいいけど「孕」って字はいいですよね。
 主題というか、ゼアルセカンドに敗北したベクターが、その敗北を持って勝者を呪い、その呪いによって呪縛された存在との(ある種終わりのない悪夢のような)かりそめの世界での蜜月、というのがこの話のあらましでした。ベクターが欲しかったもの。けれど九十九遊馬が彼に永遠に与えてはあげられなかったもの。それらのすれ違い。そういうのが、話の後ろにあります。結局、ゼアル本編の最終回ではベクターもしっかり生き返ってますけれど、この本を書いている当時、私の中には、彼はきっとろくな死に方をしないはずだという確信があったからです。だいたい、なんていうかやりたい放題やったあと死ぬものだと思っていました。さよならだ、とか言うと夢にも思っていなかった頃。エンディングを迎えたらゆまことの子供に生まれ直した真月零の話を書かなければ……とそわそわしていた頃。あのエンディングを見て、その構想はきれいさっぱり吹き飛んでしまったのですが、でも、こういう話(救われなかったベクター)ばかり放送当時書いていた身としては、彼が救われたことには、本当に感謝しています。


 ちなみに、この話を本として発行する直前、本のあとがきを書いていたぐらいの時の放送でオープニングが変更され、そこに全てのゼアルが映ったことで「追悼本」は発行前にして「別に追悼ではない本」になっていたりします。その後、普通に任意で形態を切り替えられることも発覚し、なんだ! セカンドちゃんは生きてるじゃん! ヤッター!!!! となったのですが、それはそれとして、でもやっぱりこの話は「ゼアルセカンドへの追悼」なのです。呪いに縛られてしまったものへの祈りです。この話の世界線では、呪いが生んだ世界は呪われたまま、しかし少しだけ行く先を変え、続いていきます。
 あと突発的に出した本だったので表紙を自分で描いたはじめての本でした。基本うちのサークルの本で表紙の絵を自分で描いてるときは大体時間がなくてヤバイ時のやつです。急に思いついた二冊目とかそういうアレ。この話と同時発行したのも実は半分追悼に近い話で、神代兄妹の影を抱くトーマス・アークライトの話なんですけど、そっちを先に書いて、そこから締め切りまでに残された時間で全力だった、そんな思い出。
 ところで、タイトルの「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない。」は鮎川信夫の詩「死んだ男」よりの引用です。大好きな詩の一つですので、機会がありましたら、是非読んでみてください。

2017.01.13 倉田翠