それから



 春先のことだった。
 例年よりいくらか遅めの雪どけを迎え、ぼんやりと幾度目かの春がやってきた頃になってコスモキャニオンに血相を変えて古い友人が訪れた。ヴィンセント・ヴァレンタイン。人体改造を受けて不老長寿になっていた彼はナナキにとり数少ない今もこの世に残っている「あの戦い」の朋友だ。ヴィンセントとは年に数回程度だったが、連絡をきちんと取り合っていた。その彼がこんな形相で事前になんの連絡もなく里まで来るなんて。
「ちょっと、どうしたの、そんな急いで……何があったの?」
「……ルクレツィアが」
「え? ルクレツィア博士って、あの祠の中にいる?」
「ルクレツィアが……身ごもった」
「……なんだって?」
 お茶でも出そうかと足を踏み出していた身体が止まる。ヴィンセントが、ルクレツィア・クレシェント博士の眠る水晶が安置されている祠に足繁く通っていて、いや、ともするとここしばらくは殆どあそこを寝床にしていた――ような話は知っていたけれど、その言葉の衝撃はそんな前提を軽く吹き飛ばすぐらいのものだった。だってルクレツィア博士は水晶の外に出てこない。あの博士はセフィロスを身ごもった影響でジェノバ細胞に浸食され、それを恐れて自ら水晶の中に閉じこもって深い眠りを選んだのだと聞いている。その彼女が身罷った。話がうまくナナキの中で繋がろうとしなかった。ずっと眠っていてまぶた一つ開かない彼女が、妊娠?
「ヴィンセント、一応聞くけど」
「何だ」
「父親って……」
「わからない」
 ヴィンセントは短く首を横に振った。事態は、更にややこしさを増すばかりだった。
 彼はつまらない嘘や隠し事で手間取らせる男じゃないし、そもそも隠すつもりなら最初からコスモキャニオンに来たりなんかしないだろう。もしかしたらヴィンセントがとうとう彼女と思いを遂げでもしたのかと勘ぐったけど、それもないとすると、いよいよ不可解だ。ナナキは一つ息を吐くと、WROに連絡を取るべく歩き出した。兎にも角にも、信用出来る医者が必要だ。


 ジェノバ戦役、と呼ばれるようになったあの星を巡る戦いから百年近い時が流れて、馴染みの面々は次々とこの地を旅立った。一番最初は、まあ、年功序列ってやつなのか、シドだった。次がバレット。リーブは強かに長く生きたけど、それでもティファよりちょっとだけ早かった。ティファの葬式はクラウドと一緒にデンゼルがあげて、そのデンゼルも、マリン共々、もう既に亡き人だ。ユフィもかなりの大往生だったけど、やはり寄る年波には勝てなかった。みんなライフストリームの流れへ帰って行った。でも、彼らの子孫は元気だ。星も……旧ミッドガル都市部はあれからすっかり廃墟としての様相を深めていっている様子だけれど、人々は逞しく日々を過ごしている。
 その流れから取り残されたようになってしまったのが元々長命の種族であるナナキと、人体改造をされていたヴィンセント。ヴィンセント本人は「老けないだけでいつぽっくり天に召されてもおかしくない」なんて常々言っていたけれど、結局今もまだ生き残っている。
 リーブが立ち上げた世界再生機構はあれから百年経った今、最も強力な統率力と軍事規模を持った非国家的組織となって世界中あちこちにそのネットワークを広げている。統括の幾らかは実はナナキも手伝っている。あれだけの軍事力を持った組織に独裁権力を持たせずあくまで非営利の和平組織として存続させるには、完全に人間に運営を任せきるわけにはいかなかったのだ。悲しいことだけど。
 とはいえ悪いことばかりじゃない。相互利用というか、ギブアンドテイクというやつで、コスモキャニオンもWROもお互いに良好な関係を築いて今のところやっている。長寿であることを隠す必要もないし、なにより百年分の信頼というやつがとても厚い。こんな非常識なことをすぐに頼めるあてがあるというのは、すごいことだ。ナナキは改めてそう思った。
「妊娠中期ね。五ヶ月ぐらいかしら。この数ヶ月、彼女、本当に今までなんともなかったの? 信じられない」
「恐らく……彼女はずっと時の止まったマテリア結晶の中で眠っていた。美しいまま……ずっと……。とはいえ、私も常に彼女のそばにいてやれたわけではない。目を離していた時期があるのは確かだ。だが、三日前、彼女は急にあの永久に溶けないかと思われていた水晶の覆いから解き放たれて倒れ込み、呻いていた。起こすと、腹部があのように」
「エコーで検査したけれど、通常、このぐらいまで胎児が育っていればもうつわりも一段落して子供が安定してくる……という時期なのよ。でも……そうだね、あんまり常識のものさしで当てはめるべきではないかな。百年も年を取らずに眠っていた人だし……それに……」
「……そうだ。彼女はセフィロスの母だった」
「うん。しかも全身にジェノバ細胞が転移してるって話だったよね」
 WROの医療施設に運び込んだ先でルクレツィアを検診した女医は、カルテを見ながらそう呟いた。
 ルクレツィアはずっと眠っているような状態で、意識ははっきりとしない様子だったが、「命に別状はない」と女医はすぐにそう見立てた。WROには世界中に現存するおおよそ殆どの「ジェノバ・プロジェクト」の資料が揃っていて(リーブが存命中、よその手に渡らないように全力を尽くして収集していたからだ)、代々何人かが目を通して精通している。尤も、プロジェクトの根幹となったジェノバ細胞のサンプル自体はもうこの星には残っていないとされていた。空より飛来した災厄、セフィロスが母と呼んだ、ジェノバ本体の細胞は殆ど旅の途中でクラウド達が処分してしまっていたし、僅かに残っていたぶんもここに至るまでに処理し尽くした。ルーファウスが最後の最後まで隠し持っていたぶんが明るみになったのは彼の死後だったが。
「噂には聞いていたけれどね。これが星に残った最後のジェノバ細胞だ、って……。旧ソルジャー? も、もうどこにもいないしね。強力な処理を施されてた者ほど終わりは呆気なかった。一説には、ジェノバの意思を司るまでになったセフィロスがこの星を去ったからだ――って言われてるけど、ま、答えの出ない話かな。先代の爺やも匙投げてたし、私も今更詮索する気はない。摘出して使おうなんてつもりもね。だからそんな怖い顔しないでくれると助かるけど」
「……素だ」
「ああ、そう……ならいいんだけど」
 女医がしかめっ面をしてカルテに視線を戻した。電子カルテの上部には三桁の数字が並んでいて、そのカルテがとんでもない枚数の書類をまとめたデータであることを示している。それを何かを確かめるように検分して、彼女が眉をひそめた。違和感が引っ掛かって拭えないというような、喉に何か詰まらせた子供みたいな顔だった。
「彼女の身体、本当に全身にジェノバが転移してたんだよね? 殆ど……隅々まで。ウチに残ってる資料にはそう書いてある。引き継いだ、旧神羅のカルテには」
「彼女自身、そのようなことを語っていた記憶はある。それがどうかしたのか」
「うん、それがね、大ありなんだ。おかしいんだよね。今調べた限りでは、彼女の母体自体は、もう殆ど人間と同じ組成になってる」
「馬鹿な。そんなはずはない」
 告げられた瞬間ヴィンセントの目の色が変わった。
 ルクレツィアは「死ねない身体」だ。彼女の中のジェノバ細胞が、彼女を死なせてくれないのだとヴィンセントはこの耳で確かに聞いている。それは大前提だ。簡単に覆るようなことではない。
「誤診とかじゃ、ないんだよね?」
 動揺するヴィンセントに代わって付き添っていたナナキが口を開く。女医は「そんなへぼ、あなたの前で出来ないよ」ときっぱり否定してからモニターにエコー検査の結果を映し出した。
「今、母体はって言ったでしょ。ジェノバ細胞自体は彼女の体内にまだある。それもとんでもない質量と密度だ。でも……それらが全て、彼女の子宮内部……胎児に、集まってる。彼女が今身罷っているのはジェノバの子だよ」
 まるで母親の中の細胞をかき集めて自分の身体を作ったみたいだ、と女医が言った。
「まさか……セフィロス?」
「さあ……それは私にはなんとも。ただこの場合、父親が誰か、とかそういうのはあんまり関係ないのかもしれない。そもそも自然生殖で生まれてきたわけですらない可能性もあるしね。彼女の胎を借り、細胞を奪って、ジェノバが自然発生したのかも。要観察としか言い様がないな」
「要観察って」
「文字通り。現状は妊娠中期だってさっき言ったけれど、このあと出産まで何ヶ月かかるかは未知数と捉えておいた方がいい。もしかしたら今日明日にも生まれるかもしれないし、普通にあと数ヶ月かかるかもしれない。ナナキ翁、申し訳ないけれど、彼と一緒にしばらくこちらに滞在出来ないかな。ジェノバ細胞って書面でしか見たことないし、何かあった時翁がいてくれた方が安心出来るから」
「や、だから……出産させるつもり?! このまま?! だってルクレツィア博士の胎内にいるの、ジェノバなんでしょ?!」
 ナナキが怯えを含んだ声で女医に詰め寄ると、彼女はぽかんとした表情で二度三度レンズの奥の瞳をしばたかせた。ナナキがこんな反応をするのに驚いているらしい。だが、ナナキにとってジェノバとは星に降ってきた災厄そのものであり、多くの大切な人を奪っていったもので間違いないのだ。目の前でエアリスを殺したのは、セフィロスの姿を取ったジェノバだった。それがもう一度出てくるかもしれないという事実を、恐れないはずがない。
「ジェノバがまた生まれてくるかもしれないのに、怖くないの」
 そこまで口にすると、ようやく彼女はナナキの恐怖がどこから来るのか理解したらしい。間が抜けたようにぽんと手を打つと、申し訳なさそうに顔をやや俯かせた。
「あ……そっか。そうだよね。翁にとっては……恐怖の象徴、なんだっけ。ごめん、私、戦役を知らない世代だから……あんまり、実感なくて……」
「あ……」
「それに、産むか産まないかを決めるべきは、きっと彼女自身だ。彼女、ジェノバ細胞の力で生き長らえてたのに、それが今は全部胎児に行ってるでしょ。仮に堕胎手術をして、母子共々どうなるか全然わからない。そりゃ、産んだ後もわからないのは一緒だけど……」
 女医の視線がぴたりと目を閉じたルクレツィアの相貌に寄せられ、それからルクレツィアをじっと見ているヴィンセントの横顔に移る。ヴィンセントは彼女の腹部を眺めていた。その中に眠っている胎児がセフィロスであるのだと、彼はその時既に確信を固めているようだった。


◇◆◇◆◇


 ルクレツィアは我が子を腕に抱いたことがない。我が子をこの目に映したことも。成長した彼が驚異的な力を誇り、まるで人間兵器のように……いや、事実ソルジャー・ファーストのセフィロスは神羅にとり兵器以外の何者でもなかったのだが……扱われていたことを風の噂で知りこそすれ、会うことは認められず、母だと名乗ることさえ許されなかった。子供を抱けず、母親だと言うことも出来ない。それがルクレツィア・クレシェントの罪だったのだ。
『ヴィンセント……教えて?』
『なにを……』
『セフィロス……あの子は生きているの? 五年前に死んだと聞いたわ、でも最近よく夢を見るの……それに、あの子も私と同じ簡単に死ねない体……ねえ、ヴィンセント、あの子は……』
 あの時彼に尋ねたことが、正しかったのかさえルクレツィアにはわからない。でも知りたかった。生きているのか。例え見たこともなく腕に抱いたこともなくても愛している息子は、元気でやっているのか。
『セフィロスは……死んでしまったよルクレツィア……』
 ヴィンセントは首を振った。彼の瞳の中にあらゆる感情が渦を巻き、ないまぜになって映り込んでいることには、気がついていた。

「――!!」
 久しぶりに夢を見た。昔の夢。セフィロスが死んだと噂になってから五年ほど経った時のことだ。あれからしばらく、ヴィンセントの前からは姿を消していた。尤もその三年後、彼の中のカオスが暴走し……その最中で様々な意思が錯綜し、結果的にルクレツィアは眠り続ける水晶として再びヴィンセントの前に姿を現すことになったのだけれど……。
 そこでふと気がつく。ルクレツィアは今、あの見慣れたマテリア結晶の中にいるわけではなかった。白く清潔なベッドの上に横たえられている。ベッドで寝たのなんてもう百年以上ぶりのことだ。ではこれも夢の続きの、新しい夢なのか? ふかふかしてスプリングの効いたベッドと、掃除の行き届いた天井、リノリウムの臭いがするこの部屋も……?
 けれどそんな淡い考えを吹き飛ばすように、ずっと水晶の向こうから聞いていた声が、彼女の思考を遮った。
「……ルクレツィア!!」
「ヴィンセント……」
「目が……覚めたのか。身体に支障は。何か、不具合は」
「ヴィンセント……あなたなの、本当に……私は一体、どうして……」
「ああ……ルクレツィア、どうか落ち着いて聞いて欲しい……」
 ヴィンセントは最後に見た時とあまり代わらない容貌で、しかしどこか切迫した面持ちを覗かせてルクレツィアの手を握り止めた。その時気がついたのだが、よくよく見ればルクレツィアが寝ていたこの清潔にすぎる部屋は、どこかの病室のようだった。
「ルクレツィア、あなたは、妊娠している。……恐らくはセフィロスを」
 ヴィンセントが言った。

 それからヴィンセントは順序立ててルクレツィアに彼の知りうる限りのことを話した。彼女が突然倒れていたこと、体中のジェノバをかき集めるようにして新しい何らかの命が宿っていること。それを堕胎するにしても産むにしても、多大なリスクが付きまとうこと。ルクレツィアはそれをじっと聞き、一切の取り乱した様子を見せなかった。
 ただ、どうして腹の中の子がセフィロスだと思ったのか、ということをルクレツィアが問いかけると、確証はないけれどそうだと思う、と曖昧な返事を寄越した。
「ジェノバの子ならばセフィロスだろうという、思い込みのようなものだから、勿論そうでないという可能性も高い、だが」
「ううん、なら、きっとそうね。さっき、久しぶりに夢を見たの。あなたが……あの子は死んでしまった、と私に教えてくれた日の夢……」
「……あの時、本当は奴はまだ死んでいなかった。私は嘘を吐いた。あなたをこれ以上もう苦しませたくなかったばかりに」
 でもその後死んだんだ、と呟く彼の口元は僅かに歪んで見えた。最早人ならざる災厄そのものと成り果てたセーファ・セフィロスをヴィンセントは仲間達と共に討ち取り、その果てに、セフィロスそのものをこの手に掛けて見送ったのだとクラウドは言っていた。二年経って一度ジェノバを媒介にセフィロスが蘇ったこともあったが、所詮一時的なものに過ぎず、あれからもう二度と彼がこの地に現れることはなかった。
 クラウドもいなくなった今、セフィロスがこの世に舞い戻ってくる未練がそうあるとは思えない。思えないがしかし、ジェノバが星に拒まれ、ライフストリームの中へ還ることが出来ないのもまた一つの事実だ。星痕症候群の正体は星から排出されたジェノバが引き起こしたものだった。では、ジェノバを統率するものとなった災厄の子は、本当に星に還れたのか。ルクレツィアでさえ死ねなかったのに?
「ルクレツィアを標的にしたのは……恐らく、今はもうそこにしか依り代に出来るジェノバ細胞がないからなのだろう。だが何故今になってなのかは、私達では知りようもない。女医もお手上げだと」
「……私、お母さんで、いいのかな」
「なに?」
「私はずっと思ってる。あの子を腕に抱けず、母だと名乗ることが許されなかったことが、罰なんだって。今も……。でも、もし、もしもよ……本当に私の中に宿ったという子がセフィロスなのだとしたら、あの子は、私を許してくれるのかしら」
「……」
「うそよ、許されようなんて、それさえも傲慢なんだって、知ってるわ。それでも私、もしもう一度あの子を産むことが出来るのなら」
 誰が見ても一目で妊婦だと判じられるほどに膨らんでいる腹部に手をやってルクレツィアが呟いた。言葉には強い意志が込められており、それは誰が説得したって彼女の意思は覆らないだろうという確信をヴィンセントに抱かせる。
「絶対に産むわ、この身と引き替えになっても」
 ――たとえそれが罪滅ぼしにならないと知っていても。
 だからヴィンセントは彼女の意思を尊重した。彼女が幸せならばそれでいい、という気持ちは、もう長いこと彼の中では変わりようのない定められたものだったからだ。

 やがてめっきりと春めいて、花々が淡く色づく頃に彼女は一人の男児を出産する。銀髪の子供はセフィロスと名付けられ、妊娠期間がそうであったように尋常でないスピードで成長した。年の瀬にはもう幼年学校へ通うぐらいの大きさに育った彼の目の色は、今ではお目に掛かることのない純粋な魔晄の色をしていた。



◇◆◇◆◇



 コスモキャニオンに例年通りやってきた冬に、その子供は随分とはしゃいで外へ飛び出し、雪の中で転んだ。それを追って慌てて出てきたナナキが子供を救出し、家の中へ連れ戻す。子供はぶうたれてナナキのつやつやふかふかした毛並みを引っ張ったが、そんなささやかな抵抗に負けるナナキではない。第一、こんな薄着で銀世界へ飛び出したなどと彼の母親に聞かれたら大目玉なのだ。さっさとストーブの前に放り出して、それらしい装備を調えさせなくては。
「ナナキは、ときどき、融通がきかない」
 そのようなことを言い聞かせると防寒具に袖を通しながら子供がぶつぶつと文句を付けてきた。
「でも毛並みは好き」
「はあ……そりゃどーも。それよか、もう二度とあんな格好で雪の中飛び込んでいかないでよね。心配するこっちの身にもなってほしいよ」
「めんどくさい。お母さん、最近朝が遅いし」
「なんと言われようとダメ。まったく……とにかく、今度はオイラも一緒に外に行くよ。いいでしょ、セフィロス」
 ナナキがしつこく言い含めるように言うとセフィロスと呼ばれた子供は渋々と言った様子でそれに頷いた。
 ルクレツィアが産んだ子供は、結論から言ってしまうと、セフィロス以外の何にも見えなかった。少なくともナナキやヴィンセントには。もしあの時旅をした面々がその時一緒にいてくれたら、きっと大いに賛同してくれただろう。とにかく、ルクレツィアの体中のジェノバ細胞をかき集めて生まれた子供はセフィロスと名付けられ、またはじめの数週間で尋常でない速度で成長することが認められたため母子共々コスモキャニオンで引き取ることになった。
 ルクレツィアの方には最初こそ目に見えた異常はなかったものの、検査の結果すっかり体内からジェノバ細胞が抜け落ちていることが発覚しており、彼女は既に「死ぬ身体である」ということが通達されていた。見方によってはセフィロスが彼女の不死と罪をまるごと背負って生まれてきたというふうにも取れたが、セフィロスの方にはこれといった自我が備わっているわけでもなく、ごく普通の乳幼児のように泣き叫び、それから、周囲の人間から少しずつものごとを習って成長していった。
「ヴィンセント、帰り、遅いね」
 雪玉を作ってナナキに投げつける傍らでセフィロスがぼやいた。セフィロスはコスモキャニオンの外へ出ることが出来ない。母親がそうしないので、彼女のそばを絶対に離れないという固い誓いを結んでいるらしい(理由は知らないが、喋れるようになってすぐにそのようなことを宣言していた)セフィロスもコスモキャニオンに半ば自主的に軟禁されている状態だ。ナナキやヴィンセントからしてみればその方が都合がいいのだが、やはり外の世界へ出られないことは彼にとって多少の鬱憤になっているらしかった。雪玉の速度が少しずつ増していくのがその証拠だ。
「お土産くれるって言ってたから待ってるのに。もう五日だよ」
「んー、まあ、セフィロスは成長早いし、五日はけっこう長く感じるかもしれないけど……確かコスタを経由してエッジの方まで行くって言ってたし仕方ないと思うけどなあ」
「すごく遠いの?」
「ほとんど世界の反対側だもん。オイラも、エッジに出る時は大仕事」
「ふーん……」
 腑に落ちていない様子の声はまだ変声期前であどけない。今現在のセフィロスはナナキがよく知っている、あのなんだかすごく色々なものに絶望していた頃の彼の七割ぐらいの大きさしかない。とても小さいのだ。考え方も子供っぽいし、もしも身体がジェノバで出来ていて急速に成長して魔晄色の目をしていたりしなければ、よく似た別人ぐらいに思ったかもしれない。幼いセフィロスは穏やかで母親思いのとても良い子だった。悪戯は好きみたいだったが――特にナナキの毛並みに対する執念はすごい――それも子供らしさの範疇に収まる程度のものだ。
 投げつけられてくる雪玉をひょいひょいと交わしながらナナキは思案を巡らせた。ヴィンセントの用事が長引いている理由を実はナナキは知っている。彼はルクレツィアの身体のことで再生機構本部を訪れているのだ。セフィロスが成長するのに従って、彼女の身体はゆるやかに衰弱を続けていた。多分もう、長くはない。
「お母さん、そろそろ起きたかなあ」
「そだね、それじゃ中に戻ろっか」
「うん。元気ないから、今日はお母さんのそばにいる……」
 セフィロスは母の様子を思い出してかしゅんと項垂れた。本当に、ごくふつうのありふれた母親思いの子供にしか見えない。彼を見ていると近頃は時々これが本当に星の災厄なのかわからなくなる。ナナキはぶるぶると首を振った。駄目だ。もしもの時は、自分たちが彼を殺さなくてはいけないのに。

 生まれてきた子供を取り上げたルクレツィアは、彼の誕生を心の底から喜んで泣いた。その姿を間近で見たヴィンセントも、ナナキも、ジェノバは災厄なので今のうちに殺せないかなどということをとても言い出す気にはなれなかった。
 そのため折衷案としてセフィロスには常にナナキかヴィンセントが監視兼お目付役でそばにつくということで取り決めが行われた。幸いにもここまでの数ヶ月間、セフィロスがそれらしい言動や素振りを見せたことは一度もない。けれどかえってそれが不気味でもあった。ルクレツィアが日に日に弱っていくこととあわせて、ある種のカウントタイマーのように思えなくもなかったからだ。
 だが屈託のない子供の面倒を見ていれば、情が移る。ナナキは段々とその意思が鈍ってきている自分を日々戒めていた。今は雪を見てはしゃいでいる子供が、いつあの冷酷な破壊者に変貌するかわからない。今はもうクラウドもいない。彼がいれば……もう少し、話も違ったのかもしれないけれど……。
「お母さん、起きててへいき?」
 家の中に戻ると、ルクレツィアは揺り椅子に腰掛けて編み物をしているところだった。出産の前より少し頬が痩けている。防寒具を脱いでナナキにぽいと投げつけるとセフィロスは母親の元へ走り寄った。「こら、ちょっと、セフィロス!!」とナナキが怒鳴って見せてもまるで無視だ。
「今日はけっこう、調子がいいみたい。だからセフィロス、洋服を後ろに放り投げちゃダメ。ちゃんとハンガーに掛けて、ナナキに謝って」
「わかった」
 でもルクレツィアに叱られるとセフィロスは素直に頷く。本当に、母親に対してはすごく素直だしいい子だ。そしてやや甘えん坊だった。母親を知らず、当然甘えることも出来なかったという「昔の」セフィロスが、出来なかったぶんを取り戻そうとしているみたいに。


◇◆◇◆◇


 何かをずっと待っている。何か。たぶんそれはすごく綺麗な色をしていて、気持ちのいい音を出す何かだと思う。名前が思い出せない。セフィロスはその何かのことを生まれた時から――恐らくは生まれる前から知っているはずなんだけど、全然うまく思い出せない。
 お母さんであるルクレツィアにその話をすると、彼女は微笑んで、じゃあいつかその何かがセフィロスを迎えに来てくれるのね、と嬉しそうに息子を抱き締めてくれた。お母さんのことがセフィロスは好きだ。自分のことを掛け値なしに愛してくれる。損得も抜きに、無条件に、愛してくれる。
 セフィロスはコスモキャニオンという隠れ里みたいなところにお母さんと二人で住んでいて、自分が普通の子供達と比べて幾つもの「異常」を抱えていることを理解している。成長がとても早いこと、身体がかなり頑丈なこと、マテリアを通じた魔法の使用がものすごく得意なこと、とにかく、いろんな事が普通と違う、らしい。
 大抵のことはナナキやヴィンセントが教えてくれたが、本を読むのも好きなので、あとはそっちからひとりでに学んでいった。この星にはたくさんの生き物がいて人間はそのうちの一つでしかないのだとか、それから、百年ぐらい前にあった、戦争、のことだとか。
「この『ジェノバ戦役』っていうの」
 ある日、それについて捕まえたナナキに尋ねると彼はびくりと身体を震わせてこわごわとセフィロスの方を振り返った。「な、なに?」と尋ね返す声も震えている。覚悟していた恐れていた時がやってきた、みたいに顔には思い切り書いてあった。
「書いてあることが本によってまちまち。ナナキはこの時生きてたよね? 本当のこと、知ってる?」
「……答えないとダメ?」
「言いたくないの」
「デリケートな話なんだ。すっごく。でも……うん。ずっと隠してる方が難しいよね。ルクレツィア博士も、近頃衰弱が本当にひどいし……」
 ナナキはかぶりを振るとストーブの前からもぞもぞ動いて、書斎の方へ消えていった。すぐに数冊の新しい本を咥えて戻ってくる。セフィロスを座らせると、彼はそのうちの一冊をぱらぱらとめくった。
「……百年前、この世界ではジェノバ戦役っていう大きな戦いが起こった。人間が星のエネルギーを無闇に使いすぎたり、触れてはならないものに手を伸ばした結果、ある一つの大きな危機がこの星に訪れた。その危機を退けるため、何人かが星を巡る旅をした。結果的に彼らは危機に打ち勝ち……星は今も続いている。その何人かに、実はオイラとヴィンセントも入ってる」
 ナナキが指し示したページをセフィロスの目が素早く追いかけた。星の危機を救った英雄達、という出だしに何人もの名前が並んでいる。その中には確かにナナキとヴィンセントの名前があった。でもセフィロスの気を強く引いたのは、その一番先頭に並べられた名前だった。
「クラウド」
 声に出してみると、これがびっくりするぐらい、すとんと胸の奥に落ちていった。
 本には、クラウド・ストライフについての断片的な情報が少しだけ述べられていた。ジェノバ戦役最大の立役者、細身に似合わぬ大剣を振るい戦う。容姿とかそういう点については全然触れられていなかった。この本の著者にとり、そんなことは些末事でしかなかったらしい。
「クラウド……」
「気になるの?」
「探してた、何かの名前、のような気がする。すごく綺麗な色をしてる、いつか迎えに来てくれるかもしれない何かの」
 そう呟くとナナキは目をぱちぱちとしばたかせて、「ホント?」なんてすごく疑わしげな顔をした。あんまり信じてないみたいだった。彼がセフィロスの言うことを疑っている理由はすぐに知れた。ジェノバ戦役は今から百年前の出来事だ。ナナキは長生のビースト族で、ヴィンセントもなんだかいろいろあって長生きの人間らしいから今も生きているけれど、百年といったらふつう、それはもう人間がその短い一生を終えるには十分な時間で……
「でもクラウド、死んじゃったよ。もう何十年も前に。オイラ、お葬式行ったもん。クラウドは……オイラだって会えるなら会いたいけど、もうこの星のどこにもいないんだ。ライフストリームに還っていったはずだから……」
 思った通りにナナキが悲しそうな顔をする。でもセフィロスはその確信を棄てることが出来なかった。「何か」の名前はクラウドだ。絶対――絶対に。何度言ってもナナキはしょんぼり首を振るだけだったけど、クラウド以外の名前なんかありえない。
 その夜、セフィロスはルクレツィアにそのことを話した。春が近づいてくる頃になると、彼女はもう長い間起き上がっていることが出来なくなってしまっていて、大抵をベッドの中で過ごしていた。顔つきや肌の様子は若いままなのに、身体の調子は殆ど死を間近に控えた老婆のそれと変わらないのだった。
 驚いたことに、ルクレツィアも一度だけクラウドに会ったことがあるのだとセフィロスに教えてくれた。どんな色をしているのか尋ねたら、「そうね、確かに、綺麗な色をしていたと思うわ」と言う。「それからちょっとチョコボに似ていたかな」とも言った。チョコボ。あの黄色い不思議な鳥。コスモキャニオンにいるチョコボならセフィロスも見たことがあるけれど、チョコボに似てる人間っていうのは、一体どんな姿形をしているのだろうか。
「その人に会いたい? セフィロス」
 頷くと、ルクレツィアはセフィロスの手を取ってキスをしてくれた。
「そうしたら、今夜きっと呼びかけてみて。もしかしたら迎えに来てくれるかもしれないわ」
 セフィロスはぱっと顔色を明るくして、それからお母さんの額にキスを返した。


◇◆◇◆◇


 コスモキャニオンに侵入者あり。怪しい黒マントの……背丈からして恐らく男。
 セフィロスが物心ついて迎えたはじめての春はそんなけたたましい警報と報告の大声で始まった。ナナキもヴィンセントも大わらわだ。ただの侵入者なら彼らはものともせず撃退できるけれど、「怪しい黒マント」という部分が胸騒ぎをかき立てていた。
 元々さほど交流的な村ではなかったものの、ルクレツィア親子を預かるようになってからコスモキャニオンは更に排他的な側面を強めている。ただの旅人でも滅多に泊めることがなくなっているというのに、名乗りもせず徘徊する侵入者を歓迎できるわけがない。ナナキの到着を待たずして村の者達は侵入者を阻むべく立ちふさがっていったが、奇妙なことに怪しげな何者かは村人達を傷つけることなくうまい具合にかわして、どんどんとこの村の中心部へ向かっているとのことだった。
「セフィロス、いい、絶対ここ動いちゃダメだからね!」
 ナナキは出しなにそう言って駆け出していったけれど、そんなことを言われてじっとしていられるわけがない。人々の目を盗んで身体が向かうままにセフィロスも走り出した。足はひとりでに動いた。目的地を最初から知ってるみたいに迷いがなかった。
 ナナキがセフィロスのことを気遣って動くなと言ってくれているのはわかっていたけど、最近身長も一五〇センチぐらいまで伸びてきたし、マテリアで魔法も少しは使えるし、もう全然無防備なんかじゃない。もし侵入者と一戦交えることがあっても大丈夫だ。それにセフィロスには予感があったのだ。侵入者は多分怪しい悪いやつなんかじゃない。
 むしろいいものだ。きっとすごく綺麗な色をしていて、気持ちのいい音を出すような、そういう。
 足早に天文台のほうめがけて走っていく。コスモキャニオンの中心部、この村で最も神秘的な場所と言えばあそこしかない。きっと黒マントもそこに向かっているのだ。そう信じて階段を駆け上がり、戸を開けると、果たして――そこにそれはいた。
「――おそいぞ!」
 見た瞬間に体中が歓喜に沸き立った。
 抱きついて顔をよく見てみたいけれど、身長が足らない。地を蹴って黒マントに飛びつくと、予想していなかったのか彼はセフィロスを受け止めきることが出来ず、諸共に床に倒れ込んでしまう。その拍子にマントがめくれあがって、侵入者の顔が露わになった。まぶしい。とてもまぶしくてすごく綺麗な色が、セフィロスの視界いっぱいに飛び込んでくる。
「うわ、ちょっと、なにするんだ……って、ああっ?! う、うそだろ?!」
 次に耳に飛び込んできたのもやっぱり気持ちのいい音だ。耳をくすぐるその声に気をよくして、セフィロスは床に倒れ込んだままの彼にまたがると見下ろすようにしてまじまじと顔を眺め回した。
「さっきから侵入者がどうしたと村中うるさくて仕方がないんだ。侵入者、探していたのは、わたしだろう」
 自信満々に腰に手を当ててしたり顔で言ってやると彼は目を白黒させて「もうわけがわからない」と弱り声を漏らす。弱った声もかわいい。セフィロスはますます気をよくして馬乗りの体勢のまま侵入者の頬を撫でる。抵抗の意思は何故か見られない。
「そりゃ、確かにあんたのこと探してここに来たのは間違いないけど」
「ならどうしてそんな顔をしている」
「だってそんな……あんたなんで、そんなちんまい……っていうか、もしかして俺のこと覚えてない? 一体何がどうなってる。でも感じる、俺の中のジェノバが……あんたがそうであることに間違いはないって……」
 彼の指先がセフィロスの頬をつねった。痛い。「痛いぞ」と抗議すると「夢じゃないのか……」と心底がっかりした顔で言われる。人の顔をつねって確かめるとはなんてやつだ。ずっと待ち望んでいた「何か」でなかったらどうにかしてやっていたところだ。
 ややあって、観念したように彼は力なく首を横に振った。「まあこっちの方がかわいいし害もなさそうだし……」みたいな声が切れ切れに口から零れ出ている。セフィロスはなんだかそれにすごくむっとして、衝動的にその唇に自分の唇を押し当ててぼやきを掻き消そうとした。殆ど本能的な行動だった。
「え」
 そのあとすぐに聞こえたのは侵入者の間抜けな声。直後、「ぐえっ」とかなんとか、重みに耐えかねたようなひどい声が彼の喉から放り出される。急激にものすごい重圧が掛かってきたのだ。さっきまで馬乗りになっていた子供から感じるような重さじゃない。そう、ちょうどそれは、身長二メートルを超えるような大男の……
「あんたなあ!! そういうのは、俺にまたがってない状態で、やれよ!!」
 侵入者――クラウドは声の限りに叫んで抗議をし返した。今やクラウドの上にまたがっているのは身長一五〇センチほどの愛らしさを残した少年ではなく、かつて散々に見慣れて振り回された銀髪の大男だった。これまたおなじみの黒コートをちゃんと着て、やたらに長くて手入れの行き届いた銀髪を天文台の床に零している。
 男はすまして首を横に振った。クラウドに指をさして文句を付けられるのは、男にとり、正直褒美に近い。
「そう言うな。あの接触でこの姿に戻ることを、幼いわたしは知らなかった」
 そんなことを言われて、クラウドの表情はますます絶望的なものになった。一瞬「かわいいかもしれない幼い子供」を差し出された後だっただけに悲しみは深そうだった。最後に残ったジェノバ細胞保有者としてオリジナルの呼びかけに答えてのこのこやって来た割には、妙なところで自我が強い。
「最悪だ。いっそ永遠にあの姿のままでよかったのに。なんであんたでかくなっちゃうんだ。小さいままでいてくれるならあんたの記憶なんか戻らなくてもよかった。……どうせ戻っちゃったんだろ、色々、ライフストリームからかき集めてた余計な情報まで全部!」
「それはもう、全て」
 のど仏から滑り出てくる声もすっかり変声期を終え、低く艶っぽいそれに成り代わっている。最早愛らしい少年の面影はどこにも見つけられそうになかった。クラウドの上にまたがって……しかもいつの間にか組み敷くと言った方が正しいような体勢に移行している……いる男は慣れた手つきでいやらしく頬を撫で、耳元に背筋がざわつくような声をわざと落としていく。
「ナナキが幼いわたしに教えてくれた。クラウド・ストライフは死んだはずだし、葬式もあげたとな。だが実際はそうではなかった。わたしを待っていたのか。いじらしいところがあるのに、わたしは大変に安堵したぞ」
「べ……別にそんなんじゃない。ただ、うまくあっちに行けなかったから……あちこち転々としてたら、あんたが呼ぶのが聞こえて……し、仕方ないだろ?! あんたの細胞が消えないから、俺はあんたに呼ばれたら反応しちゃうんだ。嫌でも!」
「それは素晴らしく良いことを聞いたな」
 ぷいと顔を逸らすクラウドの頬を舌でなぞるように舐めあげると、身を竦ませたような小さな声が漏れ出る。そうこうしているうちにどたばたした足音が迫ってきて、天文台のドアを勢いよく開く音がした。それからいくつかの悲鳴が上がり、最後に、一際派手なナナキの悲鳴が上がった。