――其れは言った―― 汝の瞳は汚れていると。 ――又其れは言った―― 汝の罪深き暗黒の如しと。 ――又其れは言った―― 汝の魂眩い程の輝きであると。 罪の荊 「俺の罪を……背負う?」 「そう。お前が探す道は即ち神への反逆の道だ。だがお前は……いや、お前たちトライフォースの適合者は神に護られてそこに存在している。その神に牙を剥くことは絶対に出来ない」 「……あんたはその実例を知ってるんだな」 ミドナの声にダークは察しがいいな、と答え苦笑いした。 「まあ言わなくとも解るだろうが、あいつだよ。時の勇者サマ。あいつは姫を喪った後神を呪いに呪ったんだ。でもまあ当然叶わなかった」 「それは神に護られているから、と仰るのですね?」 「あいつの場合はどっちかというとあいつ自身が殆ど神に等しい存在だったからだけどな。トライフォースを宿し、聖域に七年眠ることであいつの体はほぼ神のそれへと変質を遂げている」 「基本的に姫さんもお前も神寄りの体だが、多分お前は特にそうだ」とダークは軽くまとめて三人を見回した。次いで、何事か呟いてから頷く。 「ん。お前ら三人なら大丈夫そうだな。――話すよりも早いからちょっと視てこい」 言うなりダークはふっと気だるげにその左腕を上げた。掲げられた指先から急速に何か黒いものが発生する。 「……ダーク、さん?」 それはなんですか、というリンクの言葉が声になることはなかった。巨大な黒い塊は瞬く間にリンク達三人を包み込み、そして掻き消してしまった。 ◇◆◇◆◇ それは一つの幻だ。 一人の少年がぼんやりと立っている。立ち尽くしているようにも見えた。瞳は酷く虚ろで、焦点が定まっているようにはとても見えない。 辺りは一面血の海だった。数多の屍を抱く大地は訥々とその赤黒い液体を吸い込んでいる。 何も知らない人間が見たら地獄絵図だと言うかもしれない。なにせ少年はまだ十かそこらの外見なのだ。幼子が何故このような場所に、と憤るだろう。 だが事実は違う。 彼は見た目こそ幼く見えてもその中身はもう子供じゃあない。タイムパラドックスにより外見と中身に七年の差が生じているばかりか、死別よりも理不尽な愛するひととの別れを強要されその心は暗く冷めきっていておよそ子供のものとは――青年のものとも――言えない。 それにそこらに転がる屍も、垂れ流しになっている魔物の血液も、全て少年が剣を振るった結果生まれたものなのだ。彼は彼自身の行動でこの状況を作り出したのだ。 「……ダークー……起きてる?」 少年は気だるげになにもない空へと話しかける。間もなくズッ、と這い出す音がして彼の影が姿を現した。 「お前のせいで眠ろうにも眠れない。やりすぎだ馬鹿」 姫さんだってこんなことは望んじゃいないだろう、とダークは一応言うが、そんな言葉に耳を貸すようならこうはならない。 「まあね、姫は望んでないだろうね。というかこんな汚い自分は教えないけど。――でもこうしてないとここにいる実感がないんだ」 「…………」 「ねえダーク、俺はどうしてここにいるの? あのひとのいない世界に意味なんてないのに。どうして俺は生きてなきゃいけない」 無意識に流れさせているだろう涙が、頬に飛んだ返り血を溶かして一緒に押し流している。それはあたかも血の涙を流しているかのようだった。立ち尽くす修羅の涙。 「神様なんて要らないよ。そんなものいない方がましだ。俺から全てを奪う、ただ略奪するだけのそんな存在は」 「よせ。お前は神に生かされている身だ」 「それが何?」 リンクの死んだような瞳にダークは言葉を詰まらせる。彼は死んだって構わないと思っている。寧ろ死んだ方がましなんじゃないかとも思っている。彼が生きているのは単に女神がまだ死を許さないからで、大好きなひとの最後の願いをまだ達せていないからだ。それだけの理由にすぎない。 「――まあだけどね、わかってるんだ。幾ら俺が神を呪ったところで何も起こらない。俺自身が神様カテゴリに分類されているみたいなんだよね、どうも。自分が自分を呪う、そんな無意味な行為に結果は付いてこないよ」 「そりゃそうだろうよ。……リンク。城に帰るぞ。お前はこれ以上戦場にいない方がいい。薄々気付いているだろう、ナビィのことは」 「…………うん……」 リンクは俯いて数度カン、カン、と剣を地に打ち付けた。何を起こすでもなく、そのまま剣は鞘にしまわれる。それだけだ。剣先から大地が枯れることもなく、大地が血を溢すことも、リンクが血を零すこともありはしない。 神への呪詛を吐き続けたってなんにもない。女神は愛する子供の反抗なんてなんとも思っちゃいないらしいのだ。だからそれは本当に虚しくて無駄な行為だ。愛されているばっかりに、神罰すら下らない。 (ある意味こいつも憐れってことか) 本当にどうしようもない。 リンクの後ろを付いて歩く影の頭の中ではそれだけがぐるぐると巡っていた。 これもまた一つの幻である。 「死んだらどうかなって考えたことがあるんだよ」 彼は言った。年若いのに物騒な台詞だ。見たところ、まだ二十歳かそこらだ。死について思考すべき年ではない。 「それでありとあらゆる手段を試してみた。塔のてっぺんから飛び降りてみたり、本気で心臓を狙ってもらったり、魔物の群れに無抵抗で襲われてみたり――」 「でもあなたは生きて今ここにいるでしょう?」 「そうだね。結果として死ねなかったんだよ。飛び降りたら急に鳥が集まってきて落下の衝撃を吸収して去っていったし、心臓に届く前に剣は突然溶けて消えた。魔物は俺に触れる前に根こそぎ光に呑み込まれて息絶えた。ふざけてるとしか思えない」 ひび割れたみたいな笑みを浮かべる彼に、女性は困ったように優しい顔をした。そしてそっと彼に触れる。 「――ねぇ、あなたはどうして私にそんな話をするの」 女性にストレートに訊ねられて、青年は一瞬答えを詰まらせる。そして、ゆっくりと承諾を取るかのように言葉を紡ぎ出した。 「……もう一度、誰かのそばにいてもいいかなって思ったんだ。俺は君を一番に愛することは出来ないけど。もしそれでも構わないのなら……」 不安そうにじっと見る青年を、女性は柔らかく微笑んでゆっくりと抱きしめた。 ◇◆◇◆◇ 「……アレだ。馬鹿だな、時の勇者サマとやらは」 「まあ……馬鹿なんだろうな……」 「開口一番人の先祖に向かってそれですか」 しみじみと言うミドナにダークが同意するのを見て、リンクは泣きそうになった。 「彼は望んでああなったんじゃないんだよ。確かに彼自身の行動が彼を追い詰めていったのかもしれないけれど。だけどその言い方はないだろ」 代弁するように弁明するリンクの顔を、急にずいとダークが覗き込んでくる。リンクはあたふたして、対応に困ってしまった。 そしてふと気付く。ダークの顔が笑っていないことに。 「なんですか……?」 「解りやすかっただろ?」 「はい?」 唐突な問いかけを理解出来ず、間抜けに聞き返す。だが誰一人笑わなかった。問いの真意は笑えないものだったから。 「解りやすかっただろ、あいつの考えていること。むしろ殆ど手に取るように解っただろう。意識しなくとも――」 時の勇者の思考。 時の勇者の意識。 時の勇者の―― 「それがお前が神に刃向かえない一番の理由だ。お前はあいつに……神に存在が近すぎる」 リンクはなんで、と口ごもったがすぐに気が付いたようだった。先程ダークが散々そう言ってたことだ。 "多分お前は特に" 先程のセリフは暗にこう言っていたのか。 「彼が……憑いているから。影響を受けて」 「そういうこと。単純すぎるぐらいだろ」 それは一重に愛されているからで。 女神とか。神様、ご先祖様。あらゆる類いのものに愛されているからこその現象。 勿論それは完全に悪いことというわけではない。加護を受けて強くなるし良くもなる。ただ、度が過ぎているのだ。 度が過ぎた愛情は一歩間違えば身を滅ぼしかねない。 「だから、俺はお前を護ろう。罪を引き受けよう。俺の使命はただ時の勇者と初代ゼルダ姫を護ることだけだから」 お前もまた俺が護るべきものだ、とダークはリンクを抱き締めた。ダークは漆黒の影なのに、その手は随分と温かく感じられた。 かつて影の本体は己の影に依存していた。 だからその安らぎは、その加護を受けるからこそ感じる名残だったのかもしれない。 光の勇者と時の勇者の影。 相容れないもの同士が手を取り合ったその時、 物語はようやく終わりに向かって緩やかに動き始める。 …………end of chapter3*Twilight Princess. |