運命は交錯し
 時間は錯綜を繰り返し
 後戻り出来ない過去を紡ぎ出してゆく。



深淵堕胎



 光が薄れて、ようやくリンクが目を開けられるようになるとそこは一面を木々に囲まれた森の奥だった。隣では、ゼルダが目を擦っている。
「姫、そのようなことをされては目に悪いです」
「こんな時まで小言だなんて、リンクは男性として必要な気配りが欠如していますね」
 彼女は不満そうにそう言って、でもまああなたはそういう人ですものね、と呟く。リンクはその言葉に普通に傷付いた。
「と、とにかく姫。まずはここがどこだかを把握しないと――」
 そう言ってしまってから、リンクはふと気付いた。
 視界に映る、見覚えのある剣に。

「マス……ター……ソード……」

 それはあるはずのないモノ。
 本来、そこに在ることを許されぬモノ。
 魔王ガノンドロフの頭部に突き立て、そうすることによりそれを封じているはずのあの聖剣が、何故かリンクがそれを手にした時と寸分違わず、トライフォースが刻まれた塚に納まっていた。
「そんな馬鹿な、なんでこんなところに……」
「落ち着いてよくまわりを見て、リンク」
「は、はい」
 ゼルダの言葉の真意は、すぐにリンクにも知れた。
 木々が不自然に揺れ、まるで時を巻き戻しているかのような動きを見せているのだ。
 やがて景観が森から石造りの神殿へと、がらりと変わった。はじめ朽ちていた神殿はみるみる真新しさを取り戻し、そして時間が止まった。
 視界が一瞬ぼんやりして、慌てて頭を振ると神殿の入口が音を立てて開くのが目に入る。今度は視界が晴れ渡り、妙にくっきりと世界が見えた。
「あれは……?」
 扉を開けたのはまだ十かそこらであろうと思われる少年だった。緑の衣をまとい幼いながらに剣と盾を背負っている。傍らには妖精を連れていた。
 奇妙なのは、その少年が妙にリンクに似ていることだ。兄弟だと言われたらあっさりと納得してしまいそうな程に、リンクとその少年は酷似していた。
 髪の美しい黄金色も、その癖の度合いも、深い碧の瞳も、顔立ちの細かなところまで二人は"同じ"だった。瓜二つ、というわけではない。
 けれども、同じなのである。
「リンク……彼は……?」
「俺にも、わかりません」
「そう……ですね。知りようがないですもの」
「ですが、姫……彼を見ていると……」
 一度言葉を切ると、左胸に手を当ててリンクは押し殺すように言う。その、ゆっくりと全身にまわっていく毒のような感覚を。
「妙に、血が騒ぐ……!」

――汝 力望むのならば我を望むか――

 この異様な空間に連れ去られる直前に聞いたのと同じ、トライフォースの声をリンクとゼルダの耳は捉えた。けれど先程二人に掛けられた声と決定的に違うのは、その声が対象としているのが少年だという点である。
 何事か少年が言っているであろうことは彼の口の動きから察せられた。けれどリンクもゼルダも読唇術が使えるわけじゃあない。彼が何を言っているかはわからなかった。

――我は勇気のトライフォース 女神フロルの力――
――汝 救いたいもの在るならば その勇気をもって我を望め――

 「救いたいもの」というワードに、少年が大きく反応したのが見てとれた。あの体で。年端もいかぬ幼さで。
 守れなかったものが彼にはあるというのか。

――聖剣が選びし勇者よ 我を受け入れよ――
――代償に神に捧げよ 汝が血脈――
――神に差し出せ 汝が魂――

「血脈……?」
「彼は……いえ、彼も……トライフォースに血統を捧げたのですか……?」
 血統を捧げる。つまり彼は未来永劫続く契約で己の子孫をも巻き込んだということか。
 それがどういう意味を持つのか。リンクはなんとなく理解した。
「彼は……俺の先祖かもしれないってことですね? 成る程、それなら似ているのもわかります」
「恐らく。……ですが一番気になるのは、魂をも求められているということ。この契約に同意したのなら、しなければならないのなら……」

――汝が意思を 我に示せ――

「彼もまた、それだけではなく"彼女"もまた、その魂をガノン同様縛られていることになる!」
 ゼルダはがくがくと全身を震えさせ、その場に崩れ落ちた。透き通った滴が、ぽた、と地に落ちる。
 彼女は泣いていた。
「姫……」
「すみません、リンク……立ち上がるのに手を貸してください。私とあなたにはこれを見届ける義務がある」
 その時、今まで何事か呟いていた少年の口が大きく開かれて、その切羽詰まったような叫び声が二人の耳にも届いた。
 赤子が泣きじゃくるかのような。喚くかのような。ありったけの何かを吐き出したみたいな、あまりにも悲壮なその叫びは。

「それでゼルダが助かるのなら!! 俺の魂だろうが血脈だろうがなんだってくれてやるよ!!!!!」

 信じられない言葉の羅列となって、傍観する二人の耳に届いた。



◇◆◇◆◇



 急激に場面転換が起こり、衝撃でリンクとゼルダは地面に衝突を起こしかけた。今度はどこだかまるで見当がつかない。
 トワイライトのようななんともいえない居心地の悪さに包まれてはいるが、しかし決定的な差異として眼前に広がる光景の悪趣味さがあった。
 ベールのように光の領域を覆っていたトワイライトは、元の景観を侵食してはいたものの壊してはいなかった。けれどこの空間は、元々あったと思われるものを軒並み破壊しつくしたかのような禍々しさを湛えていた。
「姫! 危な――」
「大丈夫です。彼らに私たちは見えないし、こちらから干渉することも出来ない。どうやらこれは、あくまでも記憶のようですね」
 一匹のモンスターがゼルダに近寄ったのを見、瞬時に反応したリンクをゼルダは制止する。姫直属の騎士として最重要の、けれど実戦経験にはまだなかった動きだった。
 満足のいく動きを出来たことに安心しつつ、先走ってしまったことを短く自省するとリンクは改めてまわりを見回す。
「城下町……?」
 よくよく見ると、奥に城がそびえていた。見るからに禍々しい城だった。だが、目を凝らすと街中の瓦礫に王家の紋が見える。どうやらここは過去の時代の城下町らしい。
「リンク、あれを!」
 ゼルダの指差した先を一人の青年が駆けていった。見覚えのある緑の装束に青い妖精を連れ、マスターソードで敵を凪ぎ払っている。先程の少年だ、という確信がリンクの中で生まれた。それはゼルダも同じようだった。

「それにしてもビックリヨ。リンクが七年も眠っていたなんて」
「急に体が大人になった俺の方がびっくりだよ」
「さっきのヒト、森が危ないって言ってたわネ」
「うん。ゼルダも気掛かりだけど……ああ言われた以上先にサリアを助けにいかないと」

 遠く、靄がかかったみたいではあったがきちんと彼らの会話を聞き取ることは出来た。どうもトライフォースが要不用を判断して音声を自動で取捨選択しているらしい。妙な心遣いだった。いや、トライフォースに意思はないのだが。
「彼は……ゼルダ姫を探している……? 姫と同じ名前の人物を?」
「ハイラル王家では代々の姫は"ゼルダ"の名を襲名します。それに関しては疑問はありません。それよりもあなたです、リンク」
 ゼルダはリンクを見つめて言い放つ。
「彼もまた"リンク"の名を戴くようですね。――これは偶然で片付けられることではありません」
 トライフォースに魅入られた者の宿業、その核心への手掛かりを。
「リンク。これは神が示した、私たちが知らなければならないことです。この力を宿す者として、目覚めさせたものとして」
「元よりそのつもりです。何があろうと受け止めよ。姫の仰りたいことはわかっています」
 それは覚悟の表れであると、その時トライフォースはそう判断した。
 彼らの想像以上に辛く重いものが待っていたのだけれど、そんなことはお構いなしに、神々からの啓示は進んでゆく。
 ゼルダの伝説。そのはじまりの鍵となる二人の人間の運命へと。

 あまりにも狂おしく。
 あまりにもかなしく。
 あまりにも絶望的で。

 ――あまりにも、残酷な。

 未だ終焉の見えない、歴史へと。