さあ 涙を拭いなさい 笑顔はもう捨ててしまいなさい あなたは勇者 あなたは修羅 甘えることなど許されないのだから。 奈落失墜 森の神殿から炎の神殿。 炎の神殿から水の神殿。 水の神殿から―― 「凄い……なんて強さだ……」 「ええ……。けれどあの強さは、脆いですよ」 ゼルダに逢いたいから。こうすればいつか彼女に逢えると信じて剣を振るう。 ゼルダを守りたいから。こうすることが彼女の為になるのだと信じて剣を振るう。 ゼルダの為に。彼女の為に。 彼女の笑顔の為に。 「この時代のゼルダ姫如何では、瞬く間に彼は堕ちてしまうでしょう」 ゼルダの言わんとすることは、痛い程リンクにも伝わってきた。精神の大きなところで、"ゼルダ"という存在に依存しているであろうことはここまでの彼を見ていればわかることだからだ。 彼女の為に剣を振るうから、彼は強い。 ではその彼女がもし、いなくなってしまったら。 もし、彼の力及ばず死んでしまったら? 「なんとなくですが、俺はこの力は彼と比べれば薄まっている気がします。契約をした彼から代を重ねているからだと思うのですが」 子々孫々と受け継ぐ間に私たちの方が体を適合させていったのでしょうね、とはゼルダ。 「そしてそれでも尚制御に余る力……剥き出しの原石を手にしている彼は本当に強靭な精神力を持っていたんだろうな、とは思いますが……」 しかしそれもゼルダという存在あってのことだろう。ひょっとしたら、ゼルダを失っても彼はトライフォースを制御しきるかもしれない。けれどそれはきっと、かなしさというものを上積みするからだ。自分への怒りというものを持つからだ。 トライフォースという強大なる力をもってしても守れなかった、という後悔を。 「幸い、この時代のゼルダ姫は存命しているはずです。それに、彼が万が一堕ちていたとするならば忌まわしい過去として語り継がれるでしょう」 「……その際、王家が記録を抹消したという可能性は?」 「でしたらあなたは生まれなかったでしょうね」 ゼルダを愛し、ゼルダしか目に映らぬ状態で堕ちたのならば。確かに子孫など残さないだろう。 しかし、だとしても彼は一体誰を妻としたのだろうか。まさかゼルダ姫その人だなんてことはないよな、とリンクは考える。幾らなんでもそれは…… 「もし彼が無事ゼルダ姫と結ばれたのだとしたら、私とあなたは遠い血縁ということになってしまいますね」 リンクの思考を読んだかのように、ゼルダが答える。正直な話、そうだったらまったく洒落にならない。 実際には、現実というものはそれ程甘くなんかなくて……容赦ない判断を時の勇者と初代ゼルダ姫に与えるのだが。 残念というべきか否か。リンクとゼルダがそれを知るのは、もうしばらく後のこととなる。 ◇◆◇◆◇ まさに疾風怒濤の勢いで彼は六賢者達を目覚めさせ、時の神殿にてゼルダ姫と再会を果たしていた。 しかしそれは束の間で。ゼルダはすぐにガノンドロフに連れ去られてしまう。 あんなに近くに在ったのに。 やっと触れあえると思ったのに。 あっさりと。手も足も出ずに。 今度こそ、彼女を守れるはずだったのに―― そんな彼の嘆きは、最早感覚としてリンクに伝わってきていた。ひとりでに、涙が零れ落ちる。どうして。なんで。理不尽な感情で頭がいっぱいになると同時に、まだ彼女を取り戻せるという微かな望みも胸のうちにあるようだった。 「リンク?! どうしたのですか?!」 「彼の感情がダイレクトに伝わってくるんです。自分の無力さがどうしても許せない。けれどまだ助かるという思いもある。今、ぎりぎりのところで踏み止まっているんです、彼は」 堕ちるか、堕ちないかの瀬戸際でも。 やはりまだ、彼女の存在が大きく彼に作用している。 間もなく場面が大きく転換した。なんとも悪趣味な広間。ガノン城の内部であろう、ということはすぐにゼルダとリンクにもわかった。 空中に浮かぶ結晶体に囚われた初代ゼルダ姫を挟み、リンク――時の勇者、とガノンドロフは対峙していた。ガノンドロフは余裕めいた顔でリンクを見据えており、対するリンクは何とも言い難い……鬼気迫ったような、そんな顔でガノンを睨み付けていた。 修羅のような。鬼神のような。 そんな、表情。 まるっきり、野生の獣みたいだった。狼に変化していた時のリンクだってあんなに荒々しくなんかなかったはずだ。明らかに何らかの枷が外れていた。猛々しく、雄々しく、けれど彼はまっすぐだった。 それでもなお、彼は自分の君主たる姫にひたむきだった。愛する女性に一途だった。 結晶に包まれていても、まだ彼女の鼓動を感じられるから。彼女が生きている限り、彼女の命令が続く限り、彼は人であり続ける。 「どうしてそんなに囚われているんだ。どうしてそうとしか考えられないんだ。堕ちる寸前まで! どうして!!」 彼の愚直なまでの執着に、リンクは嗚咽を洩らさずにはいられなかった。大事な人なんだ、それはわかる。守りたいんだ、それはわかる。けれども。 「そうして拘るから、なおのこと自分の首を絞めているのに! どうしてそれに気がつかないんだ!」 今まで彼女は何度もこの手から零れ落ちていった。その度彼女に危険を強いて。全部自分のせいだ。自分の責任だ。自分がいけない。 だから。 今度もし彼女を守れなかったならば、自分は―― 「馬鹿じゃないのか、あんたは!!!!」 「リンク……」 リンクの絶叫に、隣のゼルダが驚いて目を丸くする。リンクははっとして、ゼルダを見やった。 「す、すみません、姫。その……驚かせてしまって」 「いえ、そのことはどうだってよいのです。それよりリンク、あなたは何を考えていたのですか?」 リンクは少しの間俯き、短く考えを整理すると途切れ途切れ、ゼルダに言葉を伝える。 「彼は……自分を追い詰めていて……もし彼女を守れなかったら自害しようとか、そんなことを、考えているんです。でも」 トライフォースとの契約は魂と血の盟約。 後継者たる子孫のいないこの状況では―― 「死にたくても、死ねないと。そうですね、現状はあまりにも残酷ということでしょうか。しかしそういう意味では彼女も死ねないのでは……?」 「わかりません。あくまでこれは推測ですから。けれど、単純にトライフォースから感じるエネルギーならば彼の勇気の力が一番大きいと俺は思うんです。だからどのみち、彼はここで果てることは叶わない」 死にたくても死ねない。 死による自己満足の懺悔は許されない。 ならば彼はどうなってしまう? 「しかし確実なのは、ここにあなたがいて私がいるという事実。そしてガノンは曲がりなりにも封じられていた。最悪の状況は避けられたはずです。もう少し、見せていただきましょう。この先を」 ゼルダはおもむろにそう言い、リンクの肩を支えた。 まだ、ガノンとの戦いは終わっていない。 そしてトライフォースの真の意図も読めていないのだ。 程なくして、ガノンドロフと時の勇者の戦いが始まった。彼はマスターソードを的確にヒットさせ、また巧みに攻撃をかわし、戦いを進めていく。惚れ惚れとするような腕だった。リンクだってあんなに上手くは扱えない。 これが女神に愛された者の力か、と思わずにはいられなかった。リンクなんかおこぼれをもらっているにすぎないのだ。トライフォースの力は彼に比べて圧倒的に薄まっている。 それでも復活した魔王ガノンを封印せしめたのは、受け継がれてゆく中で体の方がトライフォースに適合していったからだ。彼自身は知らなかったが。 実のところ、契約をしたリンクは確かにトライフォースとの相性は良かったが、いかんせん普通の人間だ。その力を完全に引き出せてはいなかった。 しかし子孫であるリンクはその力を120%以上引き出せる。だから、使える力そのものが薄まってもガノンに勝ることが可能だったのだ。 やがて乾いた音が響き、ガノンドロフは床に倒れ付した。彼は急いでゼルダ姫の元に駆け寄る。結晶が溶け、姫は一時の眠りから覚めた。だがまだ終わってなんかいないはずだ。 ガノンドロフがそんなに甘いはずが、ない。 「終わった……のですか?」 「いいえ、姫。獣となったガノンの胸には大きな疵がありました。……しかし彼はまだ、その疵を負わせていない」 そういうことですか、とゼルダは頷いた。仮にガノンの攻撃パターンが自分たちと同じだとするなら、ガノンドロフはあと二度立ち上がってくるはずだ。 予想通り、ガノンドロフは憎悪と怒りで凝り固まった醜い獣となって、起き上がった。そして彼のマスターソードを弾き飛ばし、咆哮する。 魔獣ガノンはただひたすらに自らに傷を負わせた時の勇者を追っていた。ゼルダなど見えていないようだった。それはリンクがマスターソードを拾い上げ、胸に一閃の疵痕を負わせたことによって更なる形態へと変化した後も同様だった。 だから。 ガノンは気付きようがなかった。自分に向けて、ゼルダが、弓を構えていたことに! 「リンク! 今です、ガノンを!」 「はい……姫!!」 ゼルダ姫の鋭い声が広間に響き渡り、リンクはそれに素早く反応する。 そしてゼルダの放った光の矢がガノンを射抜くと同時に、マスターソードもまた、深く深く、その眉間に突き立てられた。 |