終焉を求めるな。
 神にすがるな。
 顔を上げよ、泣くでない。
 世界はまだ、終わりやしない。



楽園放逐



 靄となり消えたガノンを、リンクとゼルダは遠巻きに眺めていた。自分たちの時は確か、ただ単にパワーアップを計るために姿を変えたのだと記憶していたのだが、どうもこの時代のガノンはトライフォースの暴走から形態変化が起こってしまっていたらしい。
 終わったのですか、という声が向こうから聞こえた。時の勇者の疑問だった。それにゼルダ姫はこれが全ての終わりではない、と答える。リンクとゼルダもそう思った。
 これで終わると言うのなら、自分たちはガノンドロフと戦わずに済んだはずだと考えたからだ。実際には、少しばかり事情が違ったのだが。
「彼らは……この後二人で国を守っていくのでしょうか?」
 封印戦争の話を思い出しながらリンクが問うと、ゼルダは少し間をおいてから首を横に振った。
「わかりませんが、引っかかることがあるのです。一つは、ここまでの展開が記録に残る封印戦争とあまりにも違うこと。そしてもう一つは――」
 躊躇いがちに喋っていたゼルダの言葉を、何故です、というリンクの叫びが遮った。何事かと驚いて振り向くと、彼らは信じられないような会話をしていた。

「あなたは七年を聖域に奪われています。あなたは還らなくてはならない……元の時代に」
「そんな……それならゼルダだって!」
「……わたくしのは、あなたに逢えない辛さから逃げる為の我が侭でした。けれどあなたは違う」
「そんなことありません! 俺は七年間を失ったことを後悔なんかしていない!!」
「俺は、ゼルダ」の……あなたの傍にいたいんです! その為なら七年間なんて要らない……!!」
「……わかってください、リンク……わたくしだってこんなことをしたくはないのです……!」

「なん……ですか、これ……」
 リンクは顔を蒼くして、ゼルダに問いかけた。理不尽なものを見せられていた。不条理で、ふざけた展開だった。
 七年間の時を取り戻せ。何も知らなければなんとも思わない、ただの神の啓示だ。どってことない、特別なんだってない。
 けれどこの場合は百八十度話が別だ。彼と彼女は七年を引き離されて恋い合いながら過ごした。そして再会したのも束の間、すぐにガノンとの戦いになり。今、ようやくゆっくりと触れ合えるのだ。
「そういう……ことだったんですか……? 彼女は、彼を還す――いえ、送ってしまうのですね?」
 ゼルダが一人納得したように呟く。朧気な憶測が、記憶のピースを繋ぎあわせることで徐々に推測へと変わっていく。
「送る? 何処にです」
「彼を還す時、元とまったく同じ、これから動乱が起こる時代に還したってしょうがないでしょう。ですから彼女は神の力を用い、パラレルワールドを形成するつもりです」

 パラレルワールド。
 平行した、もう一つの世界。
 廃棄された可能性を寄せ集めたみたいな世界。

「そして恐らく、私たちがいるのはこれから彼が送られる世界です。そうすれば、封印戦争の矛盾が解消される」
「矛盾……ですか」
 史実に残る封印戦争との矛盾。
 一つ、ガノンドロフとの戦いの時、こんなにも国土が荒れ果てたという記述はないこと。
 二つ、ガノンドロフを葬った際のゼルダ姫の年が、10足らずという記録と大きく食い違っているということ。
 そして三つ――ゼルダが記憶するハイラルの歴史に、時の勇者なんて人物は、いないのだということ。
「今私たちが見てきた歴史は、私たちの世界と繋がらない歴史。けれど世界に繋がらなくとも、私たちには繋がる」
 トライフォースの盟約でがんじ絡めになった血が、己に流れている限りに。
 この悲劇と、無関係ではいられないのだ。
 この悲劇と、無関係であってはいけないのだ。
 それはおこがましい想いかもしれない。力不足で実現しない、まるで夢物語だ。
 けれど、リンクとゼルダは、それでも彼らを救いたかった。

「わたくしはずっとあなたを愛しています」
 潤んだ瞳で、ゼルダ姫は愛した青年にそう告げた。青年はもう何も言えず、ただ眼前の姫を見ている。
「ありがとう。……ごめんなさい」
 泣きそうになりながら、彼らは最後のキスをした。ゼルダ姫は未練を無理に断ち切ろうとしてか、すぐにオカリナを口まで持っていった。
 オカリナが紡ぐメロディは荘厳で美しく、けれど儚くリンクの耳に響いた。光の渦が沸き上がり、時の勇者、彼の肉体は急速にそこに吸い込まれていく。
「ッ……!! …………!!」
 渦巻く音に邪魔をされて、青年の叫びはリンクの耳には上手く聞こえない。しかしリンクには彼がこの後、何か大事なことを言うように思えた。
 そんなリンクの望みを感じ取ってトライフォースが調整をしたのか、急に渦の雑音が消え、音が非常にクリアーになる。同時に渦は一層光を増し、あたりをまぶしいくらいに照らした。

 そして、リンクとゼルダが最後に聞いたのは。

「俺にはっ、ゼルダだけが全てだったっ……! 君の声が聞きたくて! 君の笑顔が見たくて! その為だけに戦った!! ゼルダが命じるなら戻った先にいる姫も守る! でも俺は、ゼルダを、あの時花みたいに笑っていた女の子を、今ここにいる君を愛しているんだ!!」

 ただ、ひたむきな、少年の恋心だった。



◇◆◇◆◇



 真っ白な空間に、燦然と輝くモノが浮かんでいる。黄金の聖三角、トライフォース。かみさまのちから。大きすぎる力。
 ヒトの手にあまる力。
 あんな中途半端なところで終わりなのか、とリンクが思っていると空中のトライフォースに変化が起こった。三つに分裂し、緩やかに姿を変えていく。
 三柱の女神となったトライフォースのそばに、一人ずつ小さな影が現れた。シルエットで誰だかはすぐにわかる。リンクと、ゼルダと、ガノンドロフ。
 それぞれのシルエットに、トライフォースが吸い込まれていく。同時にシルエットから真っ赤なハートが浮かび上がって、トライフォースがあった場所に納まった。
 模式化された契約のワンシーン。不気味なくらい緋い彼らの心臓は、デフォルメされてトランプのスートと大差ない形状のくせに、おどろおどろしさというべきか、奇妙なまでの恐ろしさを傍観するゼルダとリンクに与えた。
 やがて影のリンクとゼルダの姿が成長し、ガノンドロフに斬りかかり、ガノンドロフの影は半透明になった。封印されたということを表しているのだろう。そして彼らが立っていた台座が分裂した。
 それぞれの影が二つの台座に一人ずつ、現れた。ガノンドロフはいずれも半透明なままで、ゼルダの影は片方に幼いもの、もう片方までに先ほどまでの成長したものが載っている。リンクの影はまた子供に戻って、幼いゼルダの方にあった。もう片方の台座には、リンクの姿の代わりにうすぼんやりした白い球が浮かんでいる。たぶん魂だ。
 あの魂はなんだろう、と思っていると成長したゼルダの方がぱきぱきと妙な音をたて出した。間もなくゼルダの影は薄桃の水晶に包まれ、結晶化した。薄れていたガノンドロフの影が、にわかに笑ったように見えた。



◇◆◇◆◇



 真っ白な空間から、また色のある世界へとリンクとゼルダは躍り出た。見た感じ誰か女性のプライベート・ルームみたいだ。
「リンク……先ほどのあの影絵……あれが真実だとするのなら、もしかして……」
 ゼルダの言葉にリンクも頷く。たぶんこの部屋の主は時の勇者を送り返したゼルダ姫の私室だ。そして自分たちは彼女が結晶化する場面を見せつけられるはずだ。
 しかしその予想は外れていた。

「あれは……ゼルダ姫、なのですか?」
「ええ、装束からすれば恐らくは……先ほどまでの彼女の子孫かと思われますが……」
 時の賢者であったゼルダ姫によく似た女性が、室内を後にすると同時に二人の視界も切り替わった。城内の廊下、離れの塔、と移っていき、最後にたどり着いたのは祭壇だった。
 その中央には、結晶が安置されていた。
 女性――そういえばなんだか時の勇者に似ているような気がした――は結晶にそっと触れて何事か囁きかけているみたいだった。ほとんどは上手く聞き取れなかったが、いくつかは二人の耳まで届いた。
 曰く、「お母様」、と。
「……おかしい」
 唐突にゼルダがそう言った。リンクにはその言葉の意図が読めず、困惑した。
「おかしいのです。彼女がゼルダ姫の娘だとするのなら、この世界は私たちがいない方の世界……あの結晶は何故ここにあるのでしょう?」
「? しかし姫、流れとしてはここにある方が自然でしょう? 何がおかしいというのですか」
 きょとんとしたリンクの顔を見て、ゼルダは少し迷ったふうに考えてから意を決した。ここまで来て、今更隠すような秘密でもあるまい。
「リンク、これは本来王家の、しかも姫しか知らない最重要の機密です。それを意識して聞いてください。――あのゼルダ姫が閉じ込められた水晶、あれは今も王家が管理を続けているのです。私も母からその守り人としての役割を受け継いでいます」
「姫が……?」
 ゼルダの言葉を反芻し、咀嚼する。それはつまり、自分たちの世界は時の勇者が救った世界から繋がっているということなのか。では、ゼルダが感じた矛盾はあくまで長い歴史の中でねじまがっていっただけだというのか。
「どちらの世界がどちらと繋がっている……? ややこしくなってきたな……」
 頭を抱え出したリンクに、ゼルダは柔らかく微笑んだ。
「恐らく、トライフォースが答えを示してくれるはずですよ。その為に私たちはここにいるのですから」
 その言葉に、リンクは頭から手を離してそうだといいんですけどね、と苦笑した。