時には立ち止まってごらんなさい。 あなたが見過ごしてきたもの 落っことしてきてしまったもの 無くして諦めてしまったもの もう一度よく周りを見て、きっとそばにあるわ。 ひかりのさき 「ふうん……そうか……」 トライフォースってすげーな、と一人ごちてミドナはカップを置いた。突然いなくなったリンクとゼルダを待っている間に、その中の紅茶は粗方冷えてしまったみたいだった。 トライフォースに過去の幻影へと誘われ――帰ってくるまでにかかった時間はおおよそ一時間。そんなものなのか、と短さにリンクは驚いたが相手は神の力だ。何をやらかしたって不思議は無い。 「ごめんなさいねミドナ」 「別にワタシは気にしちゃいないよ。真実を知るってのは大事なことだ、ついでに教えてもらえてむしろ満足だね」 「そう言ってくれると助かります」 ゼルダはほっとしたように微笑んで、これまた冷えている紅茶を口に運んだ。リンクはそれに倣うべきか迷ったが、カップにもうお茶が残っていないのに気が付くと諦めて首を掻いた。 「しかし時の勇者サマか……封印戦争の話は影の世界じゃチラッとしか伝わってなかったが、まあ聞けば聞くほど馬鹿な男って感じだな……」 「ミドナ。人の先祖にその言い方はないだろ」 「いやでもそうだろ? それともお前は恋は盲目なりとか言って欲しかったのか」 「そういうわけじゃないけど……」 愛するあまりに思い詰めた彼にその表現では少しばかり足りないんじゃないか、と思いつつリンクはコツンコツンとテーブルを指でつついた。けれどいくら御託を並べたところで結局、真相なんてモノは当事者にしかわかりっこない。 リンクはトワイライトからハイラルを守った光の勇者。トライフォースと契約を交わし封印戦争を導いた時の勇者リンクとは別人なのだから。 「時の勇者眠りて姫は目覚めず、か……。どうしてこうなってしまったんでしょう、姫? 絶対に道は他にもあったはずなんだ、ないはずがないんだよ」 ぎゅう、と強く拳を握りしめて悔しそうにそう言うリンクにゼルダも辛そうな顔をした。リンクの左手は強く握り過ぎたせいで指が食い込んでいて、いつ血が出てもおかしくない状態だった。 「どうしたら彼らの為になれるでしょうか? どうしたら、彼らの幸福を手助け出来るでしょうか? ――それとも、そんなことは絶対に不可能なのか」 「不可能ってことはないだろ」 ミドナが頬杖をしていない方の手でカツカツテーブルを叩く。彼女もまた思案しているようで、その顔にはいつもの絶対の自信めいたものは見られなかった。 「オマエの話ならばリンク、時の勇者サマはいずれまたこのハイラルに生まれ変わる。その時覚えているかいないかは別としてもな。ならばオマエらに出来ることも自ずと見えてくるだろ」 「……彼が生まれ変わるまでの、平和なハイラル王国と初代ゼルダ姫の保護、ですね」 「まあそうなるな。あくまで仮説だが……ま、言い換えればそれ以外に出来ることは恐らくない」 それは妥当な考えだったし、正当な意見だった。それ以外に出来ることはない。当たり前の話だったが、それがどうにもリンクには歯痒かった。 あんなモノを見せ付けられて。彼の絶望、深淵の淵から這い出たような筆舌に尽くし難い負の感情の数々は未だリンクの心中で燻っている。 彼が心からの笑顔を忘れてしまったことが、リンクにはどうしても引っ掛かってしまっていた。 「煮え切らないっつーか腹が収まらんって顔だなー……だがどう足掻いてもこれ以上は無理だ。干渉は出来ないんだから」 「……それは、わかってるけど……」 うー、とリンクは唸ると、なんとも言い難い表情でミドナとゼルダを見た。二人の心配そうな視線にリンクは苦笑いをすると、大丈夫ですよ、というふうに目配せをして席を立つ。 「ちょっと、部屋に戻ります。いつまでも二人にこんな顔を見せているわけにもいかないし」 「あまり思い詰めないでくださいね。……しばらくしたら様子を見に行きます」 「そんな、」 姫にそこまでしていただくわけには、と言いかけてリンクは慌てて口をつぐんだ。そう言うゼルダの顔は、リンクを心から案じる有無を言わせぬものだった。 ◇◆◇◆◇ 自室のベッドに横になって、リンクはもぞもぞと布を被った。考えても考えても答えなんか出やしなくて、思考しただけ袋小路に追い詰められていくみたいだった。 事実、彼の疑問には答えなんかなかったし、それだけじゃなく救いすらもない、それはもう底無し沼のようなものだったのだが。 「姫に……心配させちゃあ駄目だよな……」 星と月の光がかすかに差し込むのみの室内で、徐々に目を夜闇に慣らしていく。ランプを点ける気にはならなかった。灯りを点けるだけの気力も残っていない。 静寂の中で、一度頭を冷やそうと寝返りをうつと不意に視界がぽうっと明るくなった。何が光ってるのか、と思えばなんのことはない、左手のトライフォースだ。 「……今度は何の用?」 これ以上どんな蟠りを作らせる気なのだろうか、とリンクは半ば諦めつつ印を擦る。トライフォースなんてろくなものじゃあないなあ、となんとはなしに考えていると、予想外の声が耳に飛び込んできた。 『……若き勇者よ』 「あな……た、は……」 リンクは驚愕に目を見開いた。もう大分長いこと聞いていなかった声だ。そもそも、そうたくさん聞く機会があったわけでもない。 けれどその度に助けられてきた、リンクにとっては忘れることの出来ない声。 「金色の……」 『畏まらなくとも良い……ああ。俺が畏まってるんだな。なあフロル、最後だしさ、好きにやったっていいよな』 リンクの眼前に突如として降臨した金色の狼は急に砕けた喋りになって、笑うみたいにそう言った。 リンクは呆然として脳内で反芻した。彼は今なんと言ったか。フロル――勇気のトライフォースを司る女神に、"最後だから"、良いだろうと―― しかしリンクがその意味を理解するよりも、目の前で変化が起きる方が早かった。 金色の狼は辺りにひかりを撒き散らしたままに緩やかに姿を変えた。獣から人へと変わっていくそれは一種幻惑的で、神秘的ですらあった。 やがて現れたのは少年だった。見覚えのある少年だった。緑の衣、癖のある黄金の髪、傍らには青い妖精。 時の勇者だ。 『久しぶり、俺の子孫』 どう対応していいのか解らずにあわてふためくリンクを尻目に、少年はにこにこと笑ってそう言った。 ◇◆◇◆◇ 『後続の……後継者の出現を見届けたら眠る約束だったからな。お前のことはずっと見てたよ。生まれた時から、今この瞬間まで』 「…………」 次から次へと流れていく情報を噛み砕いて追っかけていく。 後継者、というのはトライフォースの後継なのか、それとも勇者という存在そのもののことなのか。もつれていく思考を何とか整理しようと試みていると、向こうもそれを感じ取ったのか助け船が出た。 『あー……一番はマスターソードの後継、かな。トライフォースは血で確実に受け継がれていくし。だが、マスターソードだけは再びガノンが目覚めなければ抜かれることはない』 オリジナルの契約を結んでいるガノンに薄まったトライフォースで対抗出来るかは賭けだったんだよ、と時の勇者は言うと顔をずいっとリンクに近付けた。 そのままじいっと覗き込まれリンクは困惑したが、かといって偉大なる先祖を払いのけるわけにもいかない。 「……あの。何か……?」 『ん。大きくなったな、と思って』 そんなおじいちゃんみたいな感想をその顔で言われてもなあ、と思ったがリンクはとりあえず口には出さなかった。 出したらいけない気がした。 『俺は知ってたんだ。お前がマスターソードを継ぐことも、この時代にガノンが蘇ることも。それは知っていなければならないことだったから。だけどお前が見てきたものの大半は知らない。それは知っていてはいけないことだから』 「それって……!!」 じゃああなたは死してなおあなたが愛したひとがどうなったのか知らないのですか、と言おうとしたが言えなかった。 口はぱくぱく動いているのに声がまったく出ない。ただ、空気が動いている。 『……フロルとの約束でさ。俺はトライフォースの力を得る代わりに大事なものを喪ったんだ。だからお前が姫のことを話そうとしても一言だって伝わらない』 「そんな……」 『仕方ないよ、自業自得だし。だからいいんだ。ありがとう俺の為に』 そう言うと彼はでも、といたずらっぽく笑ってリンクの耳に口を近付け、ひそやかにこう、言い放った。 『俺の為に苦しまなくていい。俺の為に悩まなくていい。お前はお前に出来る最善を尽くしたんだ。……だから、これからもお前はお前に遺された道を』 遺言めいたその台詞を言い終わると、時の勇者はすっとリンクから離れ部屋の中空に浮かんだ。そしていつものあの、かなしそうな笑顔を一瞬だけ消して、可愛らしく笑う。彼の心が笑っているかどうかは判別がつかなかったけれど。 『俺ももう生まれ変わる準備をしないといけないんだ。つまり完全な死を迎えなきゃあいけない。……生まれてきてくれてありがとう、我が子孫。この後は頼んだぞ』 「待っ……」 しかし当然のことながらリンクの言葉を待たずして彼は消滅をはじめた。爪先から、指先から、頭頂部から、時の勇者という存在が消え失せていく。 予定調和のうえで、端々から淡く光る蒼い粒子に変わっていく彼をリンクは成す術なく見つめていた。リンクは無力だった。神の意思の前にひとはあまりにも無力だった。 矮小な一個人という存在では、まともにやったら神には太刀打ち出来ない。 そう考えて、ふとリンクは一つの可能性に気付いた。 「……そうか。そういう、ことか」 粒子の雨を浴び、俯いたままリンクはそう呟いた。深い深い闇の中にごく僅かな光を見つけたような気分だった。まだ終わりじゃあない。 自分にも、出来ることがある。 確かにまともにやったら何も出来ない。だがそれは正攻法で攻めようとするからだ。真っ向から、神の創ったルールの上で戦おうとするからだ。 ならば。 神のルールの、抜け穴を探せば、あるいは。 リンクは少し明るい顔になると、騎士の制服を脱ぎ捨てて着なれた緑の服に袖を通した。懐かしい感触に自然と顔が綻ぶ。 「やっぱり剣は背中にある方が落ち着くな……さてと、と。休暇申請が何日通るかどうか」 タンタン、と靴の爪先で床を蹴るとリンクは自室を後にした。心配もされていることだし、まずはゼルダに会いに行かなければならない。 行きとは対照に、しっかりとしたステップで廊下を進む。彼のおかげでわかった。諦めさえしなければ、無力なこの自分でもなにか、出来ることがあるかもしれない。 リンクは無意識に左手を握りしめた。それに呼応するみたいにトライフォースが鈍く光る。 「……最期に俺に話しかけてくださったことを感謝します。だから俺は、あなたの言う通りに俺に遺された道を」 それは先人への鎮魂のことば。 愛したかった人たちの為に。 喪ってしまった彼らの為に。 報われなかった、あなたたちの為に。 |