オフ本の補完というか前日譚みたいな内容なので単体だとちょっとわかりづらいかもしれません
※エクシーズ次元で「真月零」になりかわるように目を醒ました「ベクター」と、彼とクラスメートであった黒咲隼との話
※カップリングではないです





なきつばめのこころがわり




「隼くん、消しゴム、落っことしてしまったんです」
 だから取ってもらってもいいですか。
 そのなんだかどこを向いているのかよくわからないような、そのくせ綺麗に透き通る鈴のような声が、黒咲隼が、真月零が退院してから初めて聞いた彼の声だった。
 真月零。ハートランド学園小等部の四年生。一ヶ月前になにがしかの交通事故に遭ったとかで入院し、それきり学校に顔を出さないでいたクラスメート。
 同じクラスの子供達は大抵、たったの一ヶ月で彼のことをすっかりと忘れていて――小学生の中頃のこどもというのは、適応能力が高すぎてそういうところは時々とても残酷だし、何より真月零という少年は奇妙に影が薄くて、問題を起こさない代わりに親しい間柄の友人も少なかった――ご多分に漏れず隼もあんまり気に留めていなかったのだが、その何気なく彼に投げかけられた一言が奇妙なまでに胸に突っかかった。おかしいな。真月零というやつは、こんなことを、おれに言うような少年だったろうか。
 「隼くん」なんて、今までこいつに呼ばれたこと、なかった気がするのに。
「消しゴム、見つからない?」
「いや、見えた。……これでいいのか?」
 急かすように言われ、消しゴムを慌てて拾い上げる。それにしても、どうだったろう。気のせいだろうか。まあ呼び名なんて些細なものだし……そう考える隼の思考は、手のひらから消しゴムをすくい取る零の手つきがもたらした違和感によってさっぱり消し飛んでしまう。なんだろう。違うのだ。こういう手の動かし方を、するようなやつじゃなかった、気がする。
 それで隼は、いよいよ何か疲れでもたまっているのかと目をこすった。
 なんていったって、今はもう四限目だ。給食を間近に控え、みんながそうであるのと同じように隼もはらぺこで、だから頭がうまく回らないのだ。そうに違いない。次に隼はそうやって自分に言い聞かせて思い込もうと試みる。だってそんな、あるわけがない。真月零は一ヶ月前、事故に遭う前はちゃんと学校に来ていた。隼の隣の席で授業を受けていた。今隣に居るやつと同じ顔をして、同じ声で、社会の授業のあいだはちょっと眠そうで、それから隼にプリントを回してくる時なんかは「黒咲くん」って――
「……んん?」
 そこまで考えて、隼は思い切り、ぶるりと左右にかぶりを振ってしまう。
 やっぱり今まで、このクラスメートに下の名前で呼ばれたことなんて一度もない。


 それから気をつけてみると、おかしなことはそればかりに留まらなかった。
 元々影が薄かった零だけど、復学して以来、その存在感の希薄さは「影が薄い」というよりも「見つけられたくない」という意思の表れであるように隼には段々思えてきていた。零は人と関わろうとしない。積極的に一人になりたがる。それに本を読んでいることが増えた。小学校の図書室から借りてこられるようなものじゃなくて、市の図書館で大人が読んでいるようないやに難しそうなハードブックの本ばかり。
 零はいつもテストで満点を取っているような頭のいいやつだったけど、あんなにずっと日の当たらない場所で本ばかり読んでいる姿には覚えがない。
 その証拠みたいに、日に日に、「真月くんってなんだか幽霊みたい」という声を聞くことが増えていた。「事故に遭って、身体だけ戻って来ちゃった幽霊みたいだね」なんていう、心ない子供の本音がだ。
 でも傍目にもおかしな調子に映るのだから、そういう反応を受けるのも仕方なかったのかもしれない。
 隼が必死に手繰り寄せた記憶に拠れば、事故以前の零は、窓際の日のよく当たる場所を好んで過ごしていた。放課後や休み時間は窓の外をぼんやりと眺め、校庭で遊んでいる子供達をちょっとうらやましそうに眺めているのが常だった。
 そういえば、いつか、身体が弱いんだなんて話を聞いたことがあったかもしれない。だから本も前から読んでいたようだったけれど、憧れがあったのだろう、読書レパートリーはどちらかというと冒険活劇のファンタジーものなんかが多かったのだ。……これは、図書室の利用履歴を調べてわかったことである。
 とにかく、帰ってきた「真月零」のまわりにはありとあらゆる違和感がついて回っているのだ。休み時間の過ごし方、朝読書の時間、それから授業中の態度も……。
「……『カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。』ジョバンニがこうい言いながらふりかえって見ましたら、その今までカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりがひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ち上がり……」
 国語の時間、先生に当てられて教科書を読み上げている零の姿をぼんやりと横目で見ていると、いよいよその違和感というものがきっぱりとした形を隼の前に示してみせる。一ヶ月前の真月零はこんなに「そつなく」物語を読み上げたりしなかったはずだ。本が好きだった(らしい)から、そのせいでなんだか会話文にも地の文にも感情移入をしすぎてしまって、教科書の読み上げというか、半ばひとり朗読会をやっているような調子だった。これについては聞いている先生がちょっと不思議そうな顔をしていたし、きっと間違いないはずだ。
 そうやってずっとおかしな調子のクラスメートを見ているうちに、隼の中には彼に声を掛けてみなきゃ、という思いが生まれはじめていた。
 実を言うとあの消しゴムを拾った日から、隼はまともに零に話しかけられずにいたのだ。というより、クラスの誰も彼と授業以外で話をしていなかった。一度、小等部を抜け出して中等部まで出掛けていったらしいといううわさを聞いた以外、彼はずっと教室の中にいたのにも関わらず。
 チャイムが鳴り、号令をかけて、四時間目の授業が終わる。すぐさま腹ぺこの級友達は決められた班分けに従って机をあわせ、配られた給食を取り、班全員でいただきますと手を合わせる。でもそのあとは誰も零と目を合わせようとしない。なにより零自身が、誰とも顔を合わせない。
 どうしても気に掛かる。今まで気にも留めたことがなかったくせに、彼が「へん」になってしまった日から、無性に気に掛かって、心配で仕方ない。


 そんなことを繰り返したある昼休みに追いかけて探した真月零は、やはり教室の隅にいて、日陰で隠れるようにして本を読んでいた。横目で覗き込んだ本のタイトルは「悲劇の誕生」。知らない本だけど、なんだか異様に難しそうなタイトルだ。
 彼から一メートル離れたところまで歩いて行き、そこで一端立ち止まり、深呼吸を繰り返す。何故だかわからないが無性に緊張する。ものすごく年上の男にどうしても話しかけなきゃいけない時のような、得体の知れないこわばりがある。おそらくその時隼は、恐れていたのだった。名前を呼んで振り返った彼が、もしかして全然自分の知らない顔をしていたりしたら、実はまったくの別人にすり替わってしまっていたらどうしようと、宇宙人を捕まえるまえの人間みたいなことを考えてしまって。
「――零」
 だからそうして実際に彼の名前を口にして言うのに、本当に、随分と思い切りが必要だった。
 そもそも考えてみれば隼だって今まで彼のことを下の名前で呼んだことなんかなくって、大抵いつも、「真月」と呼び捨てにしていた。それなのになんで、咄嗟に口をついて出たのが、「れい」という彼の名前だったのだろう。やっぱり彼が「しゅん」と自分のことを呼ぶようになったからだろうか。それとも彼が今までと違う感じがしたから、同じ名前で呼ぶ気にならなかったのか。もしそうでもないのだとしたら或いは、もしかして……。
「はい。なんでしょう、隼くん?」
 名前を呼ばれた零が振り返って隼の名を口にする。あの消しゴムの時以来はじめてまっすぐに向けられた真月零の顔は、確かに隼がずっと同じ小学校へ通っている少年のつくりと同じだった。実は口が裂けていたり目が細かったりなんてことはせず、ただ「隼くん」という耳慣れない文字の並びだけが隼の頭の中に入り込んでくる。
 「しゅんくん」。女の子達が、くすくす笑いで呼ぶのと同じ名前。その言葉が彼の唇を通すとまるできらきらした光みたいに流れていて、そしておかしなことに、あんなに光っていたのにすっとどこかへ落っこちて消えて行ってしまう。
(――こいつは)
 その時隼は、思ったのだ。
 何よりも強く。この世界の誰よりも確かに、はっきりと。
「零、おまえ、デュエルは好きか?」
 このクラスメートから、きっと自分は、目を離してはいけない。
「え、僕ですか。うーんと、好きですよ。ふつうに。でも人並みです。あんまりうまくないし……ええと、隼くん?」
「なら、あのさ、カード屋に行かないか。放課後、一緒に……」
「え、いいですけど。どうしたんですか、急に。僕に声なんてかけて……」
「どうしてって、俺がお前と話したかっただけだ。友達になりたくて。……だめか?」
 そう告げると、零は本当に心の底から驚いたというふうに目をまんまるに広げた。びっくりしすぎたのか、返事が全然戻ってこない。
「友達になりたいんだ」
 だからもう一度はっきりと真正面から繰り返してやった。それでも零がまるで信じられないというふうに瞬きをするので、三度も言った。
 あわせて五回くらい口にしてやった頃になって、ようやく彼は事態を呑み込めたようだった。相変わらずまばたきを断続的に繰り返したまま、零が「僕と? 友達に?」なんて言う。自分を指さして。
「お前以外、俺の目の前に誰もいない」
 だから隼はそれに頷いて肯定の意を示す。力強く頷き、真月零の手を取り、幽霊を地面に引きずり降ろしでもするみたいに、彼を引き留めて。


 ――それが小学四年生の秋に彼らに訪れた、黒咲隼と真月零との奇妙な友人関係のはじまりである。



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