この歌を吹いて、
 時々はサリアのことを思い出してね。
 サリアはずっと、アナタの友達だから。



想い出のオカリナ



 その昔。
 神の力で護られた一つの王国がありました。
 王国の名はハイラル。
 緑が豊かに芽吹き、流れる水は清く、そよぐ風は優しく。
 それはそれは美しい王国。
 王国には六つの種族が仲良く暮らしていて、ずっと平穏な時が流れていました。
 しかしある時、六種族の一つ砂漠の民ゲルドの首領が反乱を起こします。
 しかし国王の首に謀反の刃が届こうとしたその時、それを一人の少年が食い止めたのです。
 少年の名はリンク。
 少し長い黄金の髪に、蒼い瞳のハイリア人の少年です。
 いつもどこか、もの哀しそうな瞳をした少年でした。

 少年は恐ろしく強く、首領ガノンは彼と当代の姫君によって無事封印されました。
 しかし、それはあくまで封印。二百年の時を経て封印は綻び、目覚めたガノンは何故かトライフォースの力を手にしていたのです。
 魔王と化したガノンの力はあまりにも強大でした。
 かつての少年は既に亡く、六賢者が代わりに立ち向かうも苦しめられるばかり。しかし六賢者は光の剣をもってガノンを異世界へ送ることに成功します。
 一人の賢者の、命と引き換えに……

 その後も、幾度となくガノンは蘇りました。
 欲深い人間が彼の復活を望む度に蘇り、その力で民草を蹂躙しました。
 それでも、その度に伝説の剣を携えた少年が現れ王国はなんとか事なきを得てきました。
 彼らは皆一様に黄金の髪に蒼い瞳を持ち、身には緑の衣を纏いそして左手にトライフォースを宿していました。
 しかし、彼らの努力虚しくガノンを討ち滅ぼすことは叶いません。
 そして、はじまりの時から千年の時を経て、今また魔王ガノンは蘇ったのでした……



◇◆◇◆◇



「その時死んだのが……森の賢者ってことか」
『そうさ。そしてこの時代において唯一ガノンを倒せる存在がアンタ。金髪碧眼、緑の服に長ーい耳の小さな勇者さんってワケさ』
 わけのわからなさに対する若干の憤りを持て余し、リンクは時のオカリナを手のひらで弄ぶ。自分が、魔王を討ち滅ぼす勇者? ゼルダ姫を助ける為には最終的にそれと戦うことにならざるをえないのだろうが、他人から押し付けられるようにそう言われるのはリンクにとっては不愉快なだけだった。
 リンクの目的意識がぼんやりしすぎていたということは確かだったけれど。
「なんで僕がそうだと決め付けられているんだよ。僕はただの、木こりの子供なのに! それにこのオカリナもだ、僕なんかよりもずっと優れた勇者がいっぱいいたはずなのになんで僕なの?! 八百年も前に死んだ人がどうして僕を――」
『落ち着きな、"リンク"。ったくだから言っただろ? お前が聞きたくない話だって』
 よしよし、と子供をあやすようにナボールはリンクを腕に抱いた。幽霊みたいなものだというから透けるのかと思ったけれどそんなことはなかった。
『男が取り乱すんじゃないよ。じゃあ逆に聞くけどさ、アンタはどうしてトライフォースを集めているんだい? ただの木こりの子供だというのなら、神の力なんか無関係に生きてりゃいいじゃないか。わざわざ危険な目に遭ってまでそうしているのは何故だい? 何か目的があるから行動するんだろう?』
「……それは……僕が、ゼルダ姫を助けたいから……。村の誰もが嫌がったけど、でも、僕は行こうと思った。出来ることがあるのなら、見て見ぬふりは出来ないから……」
『それでアンタは、自分でそうと決めて、自分の意思でここへやって来た。だろ? だからオカリナはアンタの手の中にある。それは決めつけられたこととは違う』
 そうじゃないのかい、とナボールは腕の中の少年を揺さぶる。泣きたそうな顔はまだ幼かった。背格好に似つかわしくない無愛想で冷えた横顔のあの少年とは、あまり似ていないように思えた。
 それでもこの少年は、彼の子孫なのだ。彼から髪の色を継ぎ、瞳の色を継ぎ、神の力を受け継いだ運命の子。運命だなんて口に出して言ったら、また決め付けるなとがなられるかもしれないが。


「サリアはね、心配なの。デクの樹サマが亡くなったあの日にリンクは急に人が変わったみたいになってしまったわ。元気で、いつも笑顔だったのに。今のリンクは作り笑いばかりでちっとも笑っていないの……」

「ワタシ達、賢者だからわかるでしょう? リンクが女神様とした契約はとても神聖で、頑丈で、むごいわ。ずうっと――それに縛られて……。だからいつかまた、必ずリンクに会う日が来る。その時、これを渡したいの。アナタは一人じゃないよって、伝えたいの」


 森の賢者サリアは"彼"の幼馴染みのような存在だった。他の賢者の誰よりも彼に詳しく、彼の不自然な強さに疑問を抱き、支えたいと強く願っていた。
(これでいいのかい? サリア)
 神の楽器時のオカリナ。それはかつて彼が使っていた品でもある。
 サリアや時の賢者ゼルダもそうだが、何よりも彼自身の「想い」が詰まった楽器。
 このちいさく無垢な少年にそれが何をもたらすかは誰にもわからない。
『決め付けられていると思うのなら、自分の意思で決めな。この先アンタがどうしたいのか。強制する権利は誰にもないから』
「……」
『好きにすればいいさ』
 ナボールの腕から解放され、リンクは胸に抱く形になっていた時のオカリナをまじまじと見る。それから、オカリナを口に当てた。
 リンクの指が、動く。
「ソレ……森の……歌……」
 三音の繰り返しから始まる軽快なメロディ。ナビィはそれに聞き覚えがあった。森の、ある場所でだけどこからともなく聞こえてくるメロディと一緒だ。
 迷いの森にある妖精の泉のそばでだけ、聞こえてくるメロディ。
『サリアが好きだった歌だ』
 ナボールも驚いて彼を見やる。瞑られた目からは表情が読めない。
 しばらくすると演奏が止まった。リンクはゆっくり目を開け、そして泣いた。
「……なんだろう、この音楽。知らないんだ。でも、吹ける。なんだか急に切なくなるし……」
「リンク……」
 ふわふわと彼の回りを飛び回り、ナビィは顔を覗き込む。リンクはそれ以上何も言わなかった。ただ、はらはらと涙を零していた。
『それじゃ、アンタの意思は決まったのかい?』
 ナボールが問いかける。リンクは黙って頷くと、涙に濡れた顔をまっすぐ彼女に向けた。
「僕は初めに決めた通り、ゼルダ姫を助けに行く。その過程で魔王ガノンと戦うことになるかもしれない。でもそれは僕がゼルダ姫を助けたいからで――よくわからない何かがそう決めたからじゃない。戦わなくて済むなら、それがいい」
『そうかい』
「うん」
 ぱたぱた飛ぶナビィを拾って肩に載せ、リンクは涙を拭う。決意を表そうとしてなのだろうか、口は真一文字にきつく結ばれていた。
「賢者だとか、なんだとか。正直まだ胡散臭いけど……一応お礼は言うよ。ありがとう、俺のことを思ってくれて」
『別に、好きでやってることだしさ。礼を言われるほどのことはないよ』
 言うだけ言うと、リンクはナボールに背を向けて祭壇の方へ歩いていった。トライフォースの欠片が安置された白亜の祭壇。
 堅い表情のまま左手を差し出す。欠片はふっと浮かび上がってしるしに吸い込まれた。一瞬、眩く輝くと何事もなかったかのようにまた落ち着きを取り戻す。
『行きな。信じてくれなくとも、アタシはアンタのことをここで祈ってる』
「うん」
『炎の山か湖に向かうんだ。デクの樹にもそう言われたろう? ……気を付けて進むんだよ、アンタの行く手には障害が多い』
「わかってる」
 それきり、リンクは振り向かなかった。


 リンクが扉の奥へ消えていくのを確認すると、ナボールは大きく息を吐いて胸に手を当てた。体から緊張が抜けて、なんだか情けない顔になる。
『あのクソッタレ魔王、何考えてやがる。ったく気持ち悪いったらない……それにしても、な。ああ来たか』
 リンクには告げられなかった男のことを考え、思わず舌打ちする。思惑がまったく読めないのだ。
 自分の行いは本当にこれでよかったのだろうか。
『あれこれ考えたってしょうがないけどさ……。願わくば、あの子の魂が平穏でありますよう』
 もう一つの告げられなかった真実を思って、ナボールは目を閉じた。



◇◆◇◆◇



 リンクが入り口に戻ると、ぱたんと倒れている男が見付かった。慌てて駆け寄り、脈を取る。どくん、という音を聞きほっと胸を撫で下ろすと男の頬をつついた。
「おじさん、起きて、ほら! 僕の用事は終わったんだけど、ねえおじさん大丈夫?!」
 人差し指でせっかちな啄木鳥のようにぐりぐりとつつき続けると、流石に気付いたようで男は辛そうに目を開いた。寝起きのその瞬間に見たリンクの顔がいくら歪んでいたかは、男にしかわからない。
「ああ……私は……」
「ここは神殿の入口。おじさん倒れてたよ。どうしたの」
「うむ……実はあまり記憶がなくてな……。相当長い時間気絶していたらしい」
「えっ、大丈夫なのそれで」
 多分大丈夫だろうと曖昧に笑って男は体を立て直し、ポンポンと砂ぼこりをはらう。本当は覚えている。守護者たるナボールに神殿から追い出されたのだ。その衝撃で意識を飛ばしてしまったのだろうということは容易に想像がついた。
「用事が済んだ……ということは、見付かったのかい?」
「ばっちり。アクオメンタスが滅茶苦茶に強かったけどなんとか倒せたし。――あ! そうだ、おじさんちょっと見てよ」
 思い出したようにポンと手を叩いて、目を輝かせてリンクが言う。突き出された手を見ていると、そこに炎が灯った。
 女神ディンの炎。
「……もう使えるようになったのか」
「うん。僕もびっくり。でも土壇場でこれが出来るようにならなきゃ、多分僕死んでたよ。おじさんが教えてくれたおかげで生き残れたみたいなものかも」
 ありがとう、と屈託のない笑みでリンクは男を見る。それは男にはあまり馴染みのない表情だった。
 敵意を剥き出しにされ、憎まれ、恐れられ、へりくだられこそすれ――嘘偽りのない満面の笑みを向けられたことなどなかった。
 特に、"彼ら"からは。
「そうか、そう言ってくれると私も嬉しいよ。……では、砂漠を出ようか。君は急いでまた出かけたいのだろう? 顔にそう書いてある」
「あ……バレバレ?」
「一目瞭然だよ。折角目的を果たせたのに砂漠越えに失敗して野垂れ死んだら元も子もないからね。お望み通り、急ぎ行こうか」
「じゃあ、よろしくお願いします」
 敵意は愚か警戒すらないその声に一種の嬉しさを覚えつつ、しかし男は心中で悲しい顔をする。
 次に会うときは恐らく、今のように笑いかけてもらえることなどないだろう。また、あの刺すような視線を向けられるのだろう。
 加えて今度は、きっと――


 だから男にとって、余計にリンクの笑顔は眩しかった。
 出来ることなら、ずっと「優しいおじさん」でいたかった。



 女神ディンが赦してくれるのならば。



 そんなこと、あるはずがなかったけれど。